31 思わぬ反撃
とくん、とくん……
自分ではない、誰かの鼓動が聞こえる。
アキラはうっすらと目を開いた。
(温かい……この背中、ユウト……?)
一度開いた目をまた閉じた。
ずっと聞いていたいと思った。
いつも聞いていた、大好きなこの鼓動。
自分が会いたくてたまらなかった、大好きな人の――
「……え?」
ユウトは、ふいに背中が軽くなったのを感じた。
柔らかい肌に、背中に当たる胸の感触は、確かに『女』のものだった。
◇◆◇
前を行くキャシーたちの後を、ユウトは少し遅れながら追いかける。
薄暗い廊下は視界が悪かったが、今初めて暗闇でも見えるこの目が役に立っている。
角を曲がったのを確認し、同じように進もうとしたその時、
「あなたの大切な彼女は、無事だったのかしら?」
突然そんな台詞が聞こえて、ユウトはぎくり、と足を止めた。
いつの間にか前方にはあの女――レイが立ちはだかっていた。
「またお前か……」
神出鬼没とはこの女の為にある言葉ではないか? とユウトは思った。
「あなたのその瞳……暗い所で見るととても綺麗ね」
そう言って、コツコツと靴音を響かせながらこちらへ近付いて来る。
そしてレイはユウトに背負われているアキラを覗き見ようとした。
「………!」
ユウトは咄嗟にそれを阻止するように後ずさった。
「あら、その様子だとどうやら無事だったとは言い難いようですわね、『那月くん』は」
「お前やっぱり……! 」
レイは分かっていた。
分かっていながら、わざとアキラを兄の毒牙に掛かるように仕向けた。
「今も女の子でいるってことは、結局あのケダモノにやられてしまいましたの? 途中で『女』に嫌気がさして『男』に戻るかと思っていましたのに」
「…………」
せっかく押さえ込んだユウトの殺意が、今度はその妹へと向かいそうになっていた。
そんなユウトを、レイはせせら笑うようにして見ている。
「私、どうやら諦めなくてもいいみたいね、あなたのこと」
「ふざけるな! さっさと諦めて何処かへ行ってくれよ」
吐き捨てるように言うが、レイには堪えていない。
「そうねえ、もうここにいるのは危険かも知れませんわね。麻薬の貯蔵庫が破壊されたおかげで、中のドラッグは見事にパア。護衛がみんないなくなってしまったわ。その程度の繋がりでしかないのね、やっぱり」
差程興味が無さそうな口調で言う。
なぜなら、レイの本命はそこではなかった。
「まあ、それはいいですわ。だって私が欲しいのは……言わなくても分かるでしょう?」
ユウトを見てニヤリと笑う。
まるで蛇に睨まれた蛙のように、ユウトは身体が強ばった。
「賭は私の勝ちよ。あなたも一緒に来るの」
「何を馬鹿なこと……何度も言わせるな、行く訳ないだろ」
「いいえ、あなたは私と行くのよ。今日は本当に収穫の多い日だわ。まさかあなたから、あんな言葉を貰えるとは思わなかったんですもの」
まんまと騙され、相手に同情して言ってしまった『ごめん』と『ありがとう』という言葉。
思い出すだけで胸くそが悪くなる。
「ああホントにな。出来れば今すぐにでも返して欲しいよ」
心底そう思う。
「でも一番の収穫だったのは、あなたのその唇だわ。今ならもう一度……奪えそうですわね?」
その言葉にぎくっとした。
ユウトの両手は、今まさに塞がってしまっている。
だからと言ってアキラをここで下ろす訳にもいかず、そのままじりじりと追い詰められる。
このままだと後がなかった。
「ねえこれ、何だかお分かりになる?」
そう言って、レイは一錠のタブレットを取り出した。
「媚薬なんて生易しいものじゃなくてよ。これであなたは私の虜になって、何でも言うことを聞くの」
レイの顔はずっとニヤついている。
正直この女が何を考えているのかなんて分からない。
だが、この台詞が冗談ではないと言うことだけは、ユウトにも分かった。
「俺の自我を崩壊させる気か? そんなもので無理に言うことを聞かせたって、本当に俺を手に入れたとは言えない」
「いいのよ、私はあなたをそばに置いておきたいだけ。その女から引き離してやりたいだけよ」
レイはタブレットを口にくわえると、ユウトとの距離を一気に詰めた。
逃げる間もなく、ユウトはがっちりと頭を掴まれた。
「ぐ……くそッ、放せよ!」
女とは思えないような力だった。
(何なんだこいつ! ドーピングでもしてんのか?)
思わずそんなことを考えたその時、
バッッチ――ンンッ!!
ものすごい音を立てて、レイの顔に張り手が直撃した。
ユウトを掴んでいた手が離れて、勢いよく仰向けに倒れる。
「へ……?」
ユウトは一瞬訳が分からなかった。
張り手はユウトの右肩上から繰り出されていた。
見ると、後ろからアキラが半身を乗り出して、肩で息をしながらレイを睨み付けている。
「このクソ女……こっちが黙ってれば、好き勝手しやがって……」
ハアハアと荒い息使いと共に、レイに罵りの言葉を浴びせる。
「オレのユウトに、手……出すな……ばーか」
そう言って、力を出し切ったかのように右手をだらんと垂らすと、アキラはまたユウトに寄り掛かって意識を無くした。
ユウトは唖然とした。
「……は、初めて聞いた……アキラがあんなドスの効いた声で啖呵切るの……」
普段温厚な人間ほど、キレると恐ろしいとは聞くが――
「マジだな、あれ……」
妙に納得した。




