29 逃避
暗い廊下を引きずられるようにして、よたよたと進む。
痛みで意識が朦朧として、どこをどう歩いたのかもよく分からない。
アキラが連れて来られたのは、紫と黒を基調とした趣味の悪い装飾の施された部屋だった。
部屋の中は薄暗く、廊下より幾分マシな程度だ。
壁に飾られた拘束具の類は、中世の拷問部屋を彷彿とさせる。
正直一秒たりとも留まっていたくはない、そんな空間だった。
(なにこの部屋……)
ぼんやりそんなことを考えていると、突然強引に腕を引っ張られた。
「ほらあ、そんなとこに突っ立ってんなよ」
「あっ……!」
感想を述べる間も無く、アキラは乱暴にベッドへと放り込まれた。
その衝撃で、傷を負った肋が軋む。
「く……あ、あ……」
アキラはその痛みを必死に堪えた。
相手への気遣いなどは微塵もない。
キョウにとって、女はまさに『物』だった。
手錠はベッドに繋がれて、更に身動きを取れなくされた。
腕を上げる形になって、脇腹の痛みも更に増す。
呼吸をするだけで精一杯だった。
「いつもはドラッグ使って大人しくさせんだけど、君はいらないか。もうすでに弱ってるもんね」
そう言ってキョウはアキラに馬乗りになると、少しの躊躇もなくその衣服を無造作に引き裂いた。
布の裂ける嫌な音が部屋中に響く。
「……っ!」
思わずきつく目を閉じて、顔を背ける。
その音にアキラは恐怖を掻き立てられた。
「君、ホントにキレイな顔してるよね。恐怖に引きつってるその顔も、すごくソソられる」
アキラは咄嗟に目を開けると、キッとキョウを睨み付けた。
どんな仕打ちをされても、この男の言いなりにだけはなりたくなかった。
「そうそう、その気の強そうな所もイイよねえ! いろんな表情を見せてくれるから面白いよ君」
この男には自分が何をしても逆効果になってしまう。
アキラは落胆の色を隠せなかった。
「それに一番気に入ったのは君の声だよ、すごくキレイだった。きっとイイ声で啼いてくれんだろうなあ。俺はそれが聞きたいんだ」
うっとりそう言うと、キョウは更に覆い被さってきた。
ビクン! と身体が拒否反応を起こす。
爬虫類の肌のようにザラザラとした舌が、自分の身体を這い回っている。
(う、いやだ……気持ち悪い……!)
耐え難いおぞましさで胸がいっぱいになった。
何も出来ない自分が腹立たしくて涙が出る。
唯一の抵抗として声を出さないよう、ただ歯を食い縛ることしか出来なかった。
キョウは、そんなアキラに「チッ」と舌打ちをした。
「あのさー、全然声出してくれないんじゃつまんないんだけど? それにこのキスマーク、すっげームカツクんだよねえ……」
言うなり、アザの上から首筋に噛み付いてきた。
「ああっ!」
いきなりの痛みに思わず叫び声を上げる。
噛み跡から血が滲んで、アザは完全に見えなくなった。
「なんだあ、出るじゃん、声」
キョウが面白がるように言った。
(ユウトが……ユウトの跡が消されていく……そんなのやだ、やめて……!)
今度は悲しさが込み上げてきた。
服に隠れて見えなかったアキラの脇腹は、紫色に大きく腫れ上がっていた。
「あーあ、俺が蹴ったトコ、こんなになっちゃってたんだ。でも自分が飛び出して来たんだから、自業自得ってヤツだよね?」
そう言って、その腫れ上がった脇腹をわざと乱暴に強く押した。
自分の中でギリギリという骨の軋む音が聞こえる。
「……っあ…ぁあああああ!!」
激痛が走って体が跳ね上がる。
我慢の限界を超えて、自分でも驚く程の叫び声をあげていた。
「やっぱりイイねえ! ゾクゾクする! ほらあ、もっとイイ声で啼いてよ!」
喜々とした声で言う。
キョウはその反応を見て楽しんでいる。
完全に遊ばれていた。
苦痛に耐え忍ぶ中、アキラの脳裏には何故かユウトの顔が浮かんでいた。
優しく微笑むユウトの顔が、さらに自分を苦しめる。
――見ないでよ、お願いだから――
こんな姿をユウトに見られたくない。
こんなことなら『女』になんかならなければ良かった。
そうだ、『女』なんて……もう嫌だ。
朦朧とした意識の中で、そんな後悔の念ばかりが心に浮かぶ。
どうせもう、ユウトには会えない。
だったら自分も『女』である必要はない。
それならもういっそのこと……
――『男』に戻りたい――
アキラはそう願ってしまった。
◇◆◇
「何で無駄に広いんだよ、ここは!」
苛立ちを隠せずに、ユウトはアキラを捜して歩き回っていた。
足下では、チビが懸命にふんふんと床を嗅ぎ回っている。
「一体どこにいるんだ、アキラ……!」
さっき立て続けに女の悲鳴が聞こえた。
アキラのものかと思うと、いてもたってもいられない。
その時だった。
「うわぁああああああ!」
聞こえたのは男の悲鳴だった。
「え? 何だ今のは」
とにかく声の聞こえた方へと急いだ。
「うわーッ! うわーッ! うわーッ!」
叫び続けている。
その声を追って部屋を見つけ出すことは雑作もなかった。
迷わずユウトは、銃でその部屋の鍵を壊そうとした。
ドバンッ!
突然扉が開いて、キョウが部屋から慌てて飛び出して来た。
ユウトはそれを避けながら、キョウの足を引っかけて制止させた。
「ふぎゃッ!」
キョウは変な声を上げて、思いきり顔を床に打ち付けた。
「うう……イ、イタタ……うあッ?」
グイッとその首根っこを掴み上げて、ユウトは聞いた。
「おい! アキラ……あの娘はどこだ?」
「あ、あの女……! あいつ一体何なんだよ? 人間じゃねえよ!」
「何言ってんだ……?」
ユウトは逃げ出そうとするキョウを引きずり、部屋の中へと踏み込んだ。
その瞬間―――
「ア……キラ……?」
思わず絶句した。
ユウトの目に飛び込んで来たのは―――
無惨な姿で横たわる『男』のアキラだった。




