20 仲直り
ピピピ…ピピピ……
タイマーの音でユウトは目を覚ました。
どうやらあの後、そのまま眠ってしまったらしい。
しばらくぼんやりとしていたが――
「あれ……アキラは……」
突然自分で呟いて、はっとした。
慌てて廊下へ飛び出してキッチンへと向かった。
アキラの姿は無かったが、朝食の支度はしっかりと調えられていた。
次に部屋を覗いてみた。
(あ、寝てたのか……)
布団を目深に被っていて顔は見えないが、呼吸に合わせて布団が上下している。
少しほっとして、ユウトはそっとアキラの部屋から離れた。
「は――――……」
壁に背を付き、大きな溜息をつく。
「アキラちゃんとケンカでもしたかな?」
突然目の前に現れた教授に、思い切り驚いてのけ反った。
「ケ、ケンカっていうか……その、まあ――そうです」
「アキラちゃんは今寝ておるのか」
「みたいです。起きない内に、俺一人で行って来ようと思うんですけど」
「まあ、せっかく朝食を作っておいてくれとるんじゃ。食べて行きなさい」
「……はい、そうですね」
アキラのいない中、教授と二人無言のまま食事をした。
何だかいつもより味噌汁がしょっぱく感じた。
(気分で味覚まで変わるもんなのかな)
そんなことをぼんやりと考えていた。
◇◆◇
昨晩はそのまま寝込んでしまった為に、慌てて出発の準備を済ませた。
教授にアキラのことを頼むと、車の助手席に荷物を放り込み自分も乗り込んだ。
車は研究室にあった物を教授に借りた。
ヴ――ンンン……
瓦礫が迫り上がって、車庫専用の自動扉が開く。
(どこかのロボットアニメみたいだな。アキラの喜びそうな――)
しかし、出てきたのは至ってシンプルな4WDの軽自動車だった。
ソーラーと電気のハイブリッド車だったが、あいにく今日は曇り空だった。
十七歳のユウトには当然免許はない。
十八歳になったらすぐに取ろうと思って教本だけは丸暗記していた。
実践で基本操作さえできれば後は簡単だった。
対向車も信号も取り締まりも、とりあえず人為的な障害物は何もなかった。
昨夜のアキラの様子が気がかりだったが、これで良かったのかもしれない、そう思い直した。
ああでもしなければ、今頃ついて来ていたかもしれない。
教授と居れば、少なくとも危ない目に遭うことはない筈だ。
(……と思うけど、大丈夫かなあのエロじじい)
ユウトは少しだけ不安に駆られた。
地形が全く変わってしまっている為、地図はまず当てにならない。
教授から借りた発信機用小型モニターを見ながらの移動となった。
舗装のない凸凹とした道がひたすら続く。
ある程度走った所で何かに乗り上がり、車が「がくん!」と大きく揺れた。
どさっ!
後部座席から何か落ちる音がした。
(あれ、何か乗せてたのか? そういえば後ろは確認してなかったな)
ユウトは車を止めると、後ろを覗き込んだ。
座席の下に毛布にくるまれた大きな荷物がある。
「何だこれ?」
車から降りて、後部座席を確認しようとドアを開けた。
突然、ばっ!と何か小さな物が飛び出した。
「うわ!」
ユウトは思わずそれをキャッチした。
「え、あれ、お前……」
愛嬌のある顔で尻尾をくるくると振り回している。
チビだった。
「何でここにいるんだ? まさか……」
先程の気になる毛布を剥ぎ取ってみた。
思った通りだった。
「何やってんだよお前……アキラ!」
アキラはバツが悪そうに、むくっと起き上がった。
「何だよ無免許、やっぱ運転ヘタクソ」
◇◆◇
目的地までもう少しの所まで来てしまっていた。
ユウトはとりあえず前進を続けた。
車内はしんとしていた。
昨夜のことが気まずくて、なかなかアキラに話しかけることが出来ない。
アキラの方も助手席に移動はしたものの、ずっと窓の方に顔を向けて黙り込んでいた。
「お前、ちゃんと寝た?」
何とか話しかけてみる。
「一応寝たよ、そこで」
アキラは後部座席を指さした。
「朝食、ちゃんと作ってあったけど」
「眠れなかったから、ちょっと早めに作っといた」
「そうか……俺の味覚がおかしいのかもしれないけど、今朝の味噌汁、お前の味付けにしてはちょっと塩辛く感じたな」
「そう……」
微かに鼻をすする音が聞こえた。
それに反応してユウトは車を止めた。
「……もしかして、あれからずっと泣いてた?」
そう言ってアキラの肩に手を置こうと指が少し触れた瞬間、アキラの身体がビクッと震えて振り向きざまにその手を払い退けた。
案の定、泣き腫らしたその目には今も涙が滲んでいる。
「……そんな怯えた状態で、何でついて来たんだよ。俺のことも信用出来てないのに」
「ごめん……だって昨日のユウトは本当に……その……」
それ以上は言葉にならない。
「下手したら、昨日よりも怖い目に遭うんだぞ」
「分かってるんだけど、でも、もしユウトに何かあって帰って来なかったらって思うと……どうしても大人しく待ってることが出来なくて」
「今回はちょっと様子を調べて来るだけだって言っただろ。すぐに帰るって、そう言った筈だ」
「……おにいちゃんもそう言った。そう言って帰って来なかった……」
「え……?」
(あ、もしかしてこいつ……)
ユウトは、アキラが自分に固執していた原因がようやく分かった。
自分の大切な人間に置き去りにされる孤独――それがアキラのトラウマだった。
(なるほど、そういうことか。俺の行動を兄貴の境遇と重ね合わせていた訳だ)
アキラの性格上、ここまで来たらもう引き下がらないだろう。
何が何でもついて来るに違いない。
だが、問題がもう一つあった。作った原因は自分なのだが。
「はあ――……もう、こうなったら連れて行くけど」
深い溜息をつきながら言う。
「ホ、ホント?」
アキラの顔がぱっと明るくなった。
「でもお前、俺と一緒にいられる? 俺のこと怖がってるし、それに昨日も『だいきらい』って言われたから」
まあ自業自得なんだけどな――そう心の中で呟く。
「それは……あの時はそういう心境になったって仕方ないでしょ? でも本気では言ってない。十年以上も一緒にいて、ユウトのことそんな簡単に嫌いになれる訳ないし」
そう言うと、さっきは払い退けたユウトの手をぎゅっと掴んできた。
ユウトの方が驚いて、思わず手を引っ込めそうになった。
「だ、大丈夫かお前、何か無理してない?」
「大丈夫だってば、もう!」
そう言うなり、アキラはユウトの顔を自分の方に引き寄せて軽くキスをした。
(え? え? 何だ今の――)
初めてのアキラからのキスというあまりに急な展開に、ユウトは何が起きたのかよく分からなかった。
「これで信じた?」
確認するようにユウトの顔を覗き込んでくる。
アキラの顔は恥ずかしさで真っ赤になっていた。
「いや……あの、突然すぎて何が何だか正直分からないっていうか……」
「なんで? こんなにがんばって証明してんのに!」
曖昧な反応に痺れを切らすように、今度はそのままユウトの首に両腕を絡める。
そしてもう一度唇を重ねてきた。
ここまでされて、ようやくユウトもそれに答えるように目を閉じた。
アキラの背中に手を回し、抱き締めようとしたその瞬間――
「はい、終わり!」
アキラがパッとユウトから離れた。
ユウトは完全に肩すかしを食らった状態になった。
「ア、アキラあの、もうちょっと……」
「だーめ! もう大丈夫だって分かったでしょ?」
アキラが髪をかき上げながらそう言った時、
「あ」
ユウトが思わずアキラを見て声を上げた。
「え、何か付いてる?」
アキラはバックミラーを覗き込んだ。
「あれ? 何だろこれ」
左の首筋にアザが出来ている。
(これって、昨日俺が付けた――半分理性ぶっ飛んでて忘れてた)
ユウトは自分のしたことを改めて思い出した。
またしても罪悪感が胸を締め付ける。
「アキラ、昨日のことは……怖い思いさせてホントにごめん」
アキラは突然謝りだしたユウトにキョトンとしたが、すぐ笑顔になって言った。
「オレの方こそ、心配してくれてたのにわがまま言ってごめんね……ありがとうユウト」
ユウトもほっとして、笑顔を浮かべる。
その瞬間、ふとした疑問が脳裏を横切った。
「ちょっと待て。お前がずっと車の中にいたんだとしたら、部屋のベッドで寝てたあれって――」
「ああ、お母さんだよ。すごい、バレなかったんだ! 役者だねー」
今頃、教授はどんなリアクションをしているのだろう。
ユウトはそれが少しだけ気になった。