19 伝わらない想い
「相手は多少移動しておるようじゃが、やはり今も同じ場所にいるようじゃな」
教授に車を用意してもらい、翌日の朝出発することになった。
荷物の準備をする為にユウトは寝室へと戻った。
部屋に入ると、案の定アキラがベッドの上にちょこんと座って待っていた。
男物のワイシャツを着ている。
男の頃に着ていた自分の物だが、今では大きすぎて着どころが無くなってもったいない、と言う理由でパジャマ代わりにしていた。
アキラに他意は無い。けれど、
(おい、よりによってその格好は反則だろ……)
ユウトのツボは見事に突いていた。
「何、また一緒に寝るのか?」
昨日はすぐに眠れたが、普通に考えればこれは正直拷問に近い。
「悪いけど今日は自分のとこで寝てくれよ。今から色々用意しないといけないし――」
「背中」
唐突にアキラが言った。
「え?」
「怪我みせて。まだ手当しないといけないでしょ」
「ああ、うん……」
ユウトは素直に服を脱いで背中を出した。
他人には絶対に晒そうとは思わない自分の背中でも、アキラにだけは抵抗なく見せることができた。
新しい傷より古い傷の方が痛々しい。幼い頃の虐待の爪痕だった。
「どうせなら、昔の傷ごと大根おろしみたいにすり下ろしちゃえば良かったのにな」
「ユウト、それは怖すぎ……」
この背中がユウトのトラウマになっていることはよく分かっている。
それでもアキラはこの背中が大好きだった。
大きくて温かくて、触れているだけで自分をとても安心させてくれる。
――この背中を知っている女の子って、何人いるのかな――
傷の手当てをしながら、ふとそんなことを考えてしまった。
アキラは急に胸を締め付けられるような気持ちになった。
「……ねえ」
「ん?」
「その、ユウトは今までの彼女にこの背中、見せたこと……あるの?」
怖々と、思い切って聞いてみた。
「無いよ」
即答だった。
「見せたこともないし、触らせもしてない」
「そう……なんだ」
ユウトからは見えなかったが、アキラは少し安心したような顔をしていた。
「だいたい俺に言い寄ってくる女は、顔がいいからとか、頭がいいからとか――単純なんだよ」
ユウトは鏡をあまり見ない。
自分の顔が、今でも許せないあの女――母親によく似ているからだ。
「最初から中身までは見えないよ。だから外観から入っちゃうんだ」
「そう思ったから、とりあえずみんなと付き合ってみたんだけど、結局恋すらできなかった。まあ、社会勉強くらいにはなったのかもな」
「え……恋できてないの? 一回も? 何で?」
ユウトの意外な言葉に、アキラは驚いて聞いた。
「多分、理想が邪魔して出来なかったんだと思う」
「知らなかった。あれだけいろんな女の子がいたのに、一度も恋できないって。ユウトの理想ってそんなに高いの?」
「そう、俺の理想は高いんだよ。だから今まで付き合った誰にも当てはまらなかった」
アキラはどんな顔をして聞いているのだろう。
少し気になりながらも、手当をしてもらっている為にアキラの方を振り向けずにいた。
「ユウト終わったよ」
アキラがぽんと軽く背中を叩いて言った。
「ありがとう」
そう言って服の袖に手を通しながら、ユウトは話の続きをし始めた。
「いろんな娘と付き合ってる内に分かったんだ。自分のことを心から理解してくれてる人間とじゃないと、俺には恋愛なんて無理なんだって。一人だけそういうヤツがいることに気付いたけど、そいつは『男』だったから……そいつが『女』だったらきっと、俺もそいつに恋できるんだろうなって――」
そう言ってユウトが後ろを振り向くと、そこには真っ赤な顔をして固まっているアキラがいた。
「あ、あの、それってもしかして……」
恐る恐る自分を指さした。
「あたり」
ユウトは嬉しそうにアキラの顔を覗き込んで言った。
「お前鈍いから、分からなかったらどうしようかと思った。お前のせいで俺は今まで恋も出来なかったんだぞ。でも奇跡が起こって、俺は今……理想の『女』と恋をしてる」
そしてそのまま顔を寄せて、軽くアキラにキスをした。
「だから、お前を危ない目に遭わせたくないんだよ。今回はここで待ってろ、な?」
「やだ……やっぱり一緒に行きたい」
アキラはやはり、あきらめられないでいた。
逆に気持ちに拍車を掛けてしまったのかもしれない。
ユウトは溜息混じりに、またアキラを説得にかかる。
「どんな相手かなんてのもまだ分からないし、向こうで何かが起こっている可能性だってある。お前にもしものことがあったらって思うと、とてもじゃないけど俺は正気じゃいられなくなる」
「だって、ユウト一人の方が心配なんだもん。なるべく離れないようにするからさ」
「俺は今怪我もしてるし、お前のこと守ってやれる自信がないから言ってるんだよ」
「大丈夫だよ。自分のことは自分で何とかするから」
根拠の無いアキラの言葉に、もういい加減苛立ちが募ってきた。
「何とかって、どうするんだよ? 俺が納得できるような説明出来るのか?」
「え、えと、それは……」
アキラは困ったように考え込んだが、結局出てきた答えはこれだった。
「よく、分かんない……けど……」
――ぶちん――
ユウトの中で何かが切れた。
「いた……!」
突然ユウトに強く手首を掴まれて、アキラは思わず声をあげた。
そのままベッドに押し倒されると、ユウトにがっちりと押さえ込まれた。
身動きがとれない。女の力ではどうすることも出来なかった。
「そんなに……俺よりも先に他のヤツにやられたいのかよ?」
あまりの冷ややかな言葉と、金色に輝くその瞳―――
思わずアキラはゾクリとした。
「そんな訳ないよ、そういうことじゃなくて――」
「じゃあ、今俺としよう。そうしたら連れて行ってやってもいい」
そう言うと、ユウトはアキラの首筋を強く吸った。
「や……痛! ユウトやめ……っ…」
そんな叫びも、ユウトの唇に消されてしまう。
「んん……ッ」
逃れようともがくアキラの腕を片手で押さえ込み、もう一方で胸のボタンを器用に外していく。
口づけを解くと、露わになった胸元までそのまま唇を這わせ、ユウトは目の前にあるアザを見つめながら言った。
「大丈夫、さっさと済ませるから――」
その瞬間、アキラの態度が豹変した。
「ユウト……今なんつった?」
「え?」
ユウトの態度も変わる。
「何をさっさと済ませるって……? オレ初めてだって知ってるよね。何その事務的な言い方」
「あ、いや今のは……」
完全に形勢が逆転していた。
「ユウトにとっては、今まで数ある内の一度かもしれないけど……でもこれじゃ……いくらオレがユウトのこと好きでも、ただのレイプと変わりないじゃん」
その言葉はユウトの胸にぐさりと刺さった。
あまりの衝撃に呆然として動けなくなる。
「もう、いい加減にどいてよ! 邪魔!」
勢いよくユウトのみぞおちに膝蹴りが入った。
「――つッ…」
ユウトの力が緩んだその隙に、アキラはするりと束縛から抜け出した。
「ユウトのばーか! もう……だいっきらい……」
アキラは捨て台詞を吐いて出て行った。
最後の方の言葉は、涙混じりの消え入るように小さい声だったが、ユウトにははっきりと聞こえていた。
ユウトはそんなアキラを黙って見送るしかなかった。
強い自己嫌悪に陥って何も考えられなくなっていた。
反射的に身を引いた為、みぞおちへのダメージ自体大したことはない。
本当にダメージを受けたのは別の所だった。
(あんなアキラ初めて見た……キレてたな完全に)
「あーあ……」
そう言って両手で顔を覆うと、ベッドの上へ仰向けに倒れ込んだ。
アキラの温もりが残っている。
ついさっきまで自分がしようとしていた行為を悔いた。
「アキラの言う通り、俺のしようとしたことはただのレイプだ……だいたい俺が襲ってどうすんだよ? 信じらんねえくらい救いようのない馬鹿だな、俺……」
◇◆◇
アキラは部屋まで行けずに、廊下に座り込んでいた。
服は乱れたまま、立ち上がる力も気力も無い。
涙が止めどなく溢れてきて、自分ではどうしようもなかった。
抵抗すらできなかった。
初めて男を怖いと思った。
その相手がユウトだなんて……
心底ショックで、もうどうしたらいいのか分からない。
ユウト以外の男にさっきと同じ様なことをされたら……?
そう思うとゾッとした。それこそ正気の沙汰ではいられない。
ユウトの言っていたのはそういうことだ。
(分かってるよ。分かってるんだけど……)
堪えようのない嗚咽が漏れる。
それを隠すように自分の腕の中に顔を埋めると、抱いていた膝を更にきつく抱き締めた。
カシカシカシ――
その微かな音に反応して、アキラはゆっくりと顔を上げた。
二匹の犬の親子が自分を心配そうに眺めている。
「チビ……お母さん……」
子犬はアキラの膝に乗ると、ペロペロと涙の後を舐めた。
アキラは子犬を抱き締めた。
ふわふわと心地よい感触に自然と顔が緩む。
「ありがと……」
それ以上の言葉は出て来なかったが、今はその温もりが本当に嬉しかった。




