01 出会い
守地ユウトが養護施設に引き取られたのは、六歳になった年の秋だった。
あちこち包帯だらけの見るに堪えない痛々しい姿。左目は、幼い子供には似つかわしくない大きな眼帯で覆われていた。
親による児童虐待―――
昨今、流行のように取り沙汰されている言葉。
彼の両親は逮捕された。ニュースで扱われる程の事件になった。
両親と言っても、父親は母親の再婚相手でユウトにとって義理の父親だった。
本当の父親は、ユウトが五歳の冬に突然逝ってしまった。大学の研究室からの帰宅途中――交通事故だった。
『せっかく将来性を見込んで結婚したのに、大して稼ぎもしない内に死んじゃうなんて馬鹿みたい』
そう言った母親の一言が、今も脳裏にこびり付いている。
(馬鹿はお前だ)
ユウトは心の中で母親を蔑んだ。
頭の良さは父親譲りだったらしい。五歳とは思えない思考の持ち主だったが故に、どこか冷めていて子供らしさが全く無かった。
程なくして出来た新しい父親は、そういうユウトの態度が妙に気にくわなかったようだ。
暴力の矛先はいつもユウトに向けられたが、どんな非道い仕打ちにあっても、一度も屈することはなかった。
そのせいもあってか、近所からの通報で発見された時には、ユウトは重傷を負って虫の息となっていた。
母親はひたすら見て見ぬふりをしていたという。
そんな二人は、ユウトにとってはどうでもいい存在でしかなかった。
そう、自分さえも。
(別にあのまま殺されても良かったのに。そうしたらまた、お父さんに会えたかもしれないのに)
ユウトは手に持った巾着の中身をそっと覗いた。
フレームの曲がった眼鏡が入っている。それは父親の遺品の眼鏡だった。
施設へ入る際の荷物はたったそれだけ。ユウトはそれをいつも肌身離さず大事に持っていた。
幼い記憶の父親は、大きくて優しい存在だった。
実の父親の前でだけ、ユウトは子供でいられたような気がしている。
今でも特に覚えている父親の大きな手は、いつも自分の頭の上にあり、嬉しい時、悲しい時、どんな時もいつもユウトの小さな頭を包んでくれた。
施設でのユウトはとにかく手の掛からない子供だった。
面倒なことを嫌った彼は、周りと適当に合わせて毎日を過ごした。
それはとても退屈な日常――
(まあ、今までの生活に刺激がありすぎたからな)
そう思い直してみるが、やはり何にも満たされないまま、ただ日々が過ぎていく。
◇◆◇
そんなある日のことだった。
施設に自分と同じ歳の男の子が入ってきた。
「ユウくんと同じ歳だから、仲良くしてあげてね」
「はい、わかりました」
いつも通り、とりあえず大人の言うことに従った。
ユウトはまじまじとその新入りを観察した。
その男の子は、身じろぎもせず、じっと地面を見つめている。
(何だ、こいつも俺と同じなのかな。死んだ魚みたいな目してさ)
「お前、名前は?」
声をかけてみる。
相手はずっと俯いたまま答えようとしない。先生が慌てて間に入ってきた。
「那月アキラくんって言うの。ゴメンね、ユウくん。この子ショックなことがあったせいで、お話が出来なくなっちゃったの――」
(なるほど、失語症ってやつか……)
何があったかなど、事情を特に聞こうとは思わなかった。聞いた所で、幼いユウトに教えてはくれないだろう。
ユウトは何気なしに、アキラの顔を覗き込んでみた。
すると、初めて目が合った。びっくりした目でユウトを見つめてくる。ユウトは、その理由にすぐ気が付いた。
「ああ、これか。親にやられたんだ。親って言っても本当の親じゃないけどさ」
アキラは更に驚いた顔をしていた。
何だ、コイツは虐待を受けた口ではなさそうだ。
自分のことはどうでも良かったので、何でも話してやろうと思った。とりあえず、お互いの共通点から切り出してみた。
「お前、俺と同じ歳なんだろ? 誕生日っていつ? 俺は七月三日なんだけど」
アキラはまた、驚いたというように目を丸くする。
何の反応も示さないのかと思えば、結構色んな表情を見せてくる。
ユウトは少し面白くなってきた。
「お前、話せないって聞いたけど、今までは話せたんだろ? じゃあ、また話せるようになったら俺の名前『ユウト』って呼び捨てでいいよ。俺もお前のこと『アキラ』って呼ぶから」
アキラの顔色がまた変わった。
ユウトは、自分の言葉にいちいち反応するアキラに、「やっぱりこいつ面白いかも」と興味を持った。
その時だった。
「ユ、ユウト?」
不意に、アキラが言葉を発した。
「ア、アキラくん! 声が出せるの? 話せるの?」
先生が異常に興奮して「ちょっと待ってて!」と、他の先生を呼びに走って行った。
ユウトは、そんな先生とアキラを交互に見比べた。
「何だ、お前しゃべれるじゃん」
「だって、今までホントに声が出なかったんだ……」
アキラ自身も驚いているようだった。
そして、改めて聞いてきた。
「君、『ユウト』っていうの?」
「そうだけど、それがどうかした?」
「オレのおにいちゃんと同じ名前なんだ」
「ふーん」
「あと、誕生日、オレも七月三日……同じ日だよ」
「へー、そうなんだ! すごい偶然だな」
「何時に生まれたの? オレ夕方の五時くらいなんだけど」
そこまで聞く? と思いながらも、ユウトは律儀に答えていた。
「えーと、多分朝早くに生まれたって聞いたような」
「じゃあ、君のほうがおにいちゃんだ! ねえ、おにいちゃんって呼んでいい?」
「はあ? さっき『ユウト』って呼び捨てにしろって言っただろ。それにしても良くしゃべるなお前」
そうこうしている内に先生たちが戻ってきて、アキラはそのまま連れて行かれた。
「またあとでねー」と、言い置きながら。
二人の出会いはこんな感じだった。
それからのアキラは、本当によく話すようになった。
元来明るい性格だったのだろう。施設の人間ともすぐに打ち解けた。
そんな中でもアキラの興味はユウトへと注がれた。
「ユウトのその目、いつ治るの?」
「さあ、分かんない。今はかろうじて見えるけど、その内見えなくなるかもだってさ」
先生たちがそう話しているのをしっかり聞いていたのだが、まるで他人事のように言う。
「お前は何でここに来たの? 虐待って訳じゃなさそうだけど……嫌なら話さなくていいし」
「……みんな死んじゃったんだ」
アキラが唐突に言った。
「車がガケからおっこちて。おとうさんも、おかあさんも……おにいちゃんも」
見開いた大きな目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「おにいちゃん『すぐに帰ってくるよ』って、そう言って頭を撫でてくれたのに……」
「お前、兄ちゃんと仲よかったんだな……」
兄弟のいないユウトは、少しアキラが羨ましくなった。と同時に、大切な家族を一度に失ってしまったという不運を哀れにも思った。
そういう意味では自分の方がマシかもしれない。自分にとっての家族は、実の父親ただ一人だけだから。
「もう泣くなよ。俺がお前の新しい家族になってやるからさ」
そう言うと、ユウトは自分の手をぽん、とアキラの頭に置いた。
するとアキラはすぐに泣き止んだ。
「……ユウトってやっぱりおにいちゃんみたいだ。おにいちゃんもよくこうやってくれたんだ」
そして、思いついたことを言う。
「あ! ユウトって、もしかしたらおにいちゃんの生まれ変わりなんじゃないかな?」
「いや、それは無いだろ。俺とお前、同じ日に生まれてんだから」
と、的確な突っ込みを入れた。
それからのアキラは、何をするにもユウトと行動を共にした。まさに金魚の糞の如く、ユウトの服の裾を掴んで離さなかった。
(何かえらく懐かれたな……まあ、いいけど)
不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
ユウトにとって、退屈でただ生きているだけの日々を、アキラは変えていってくれた。
やることなすこと危なっかしいアキラは、見ていて飽きがこない。
「馬鹿だなお前」と、口癖のようにそう言って、いつもフォローをしてやるのが常となっていた。