14 言い知れぬ不安
それからと言うもの、子犬はすっかりアキラに懐いてずっとその後を付いて回っていた。
子犬には名前が無かった為、アキラはもう勝手に『チビ』と呼んでしまっている。
(おいおい、その犬絶対すぐにデカくなるぞ)
声には出さずに心の中で、ユウトはアキラにそう突っ込みを入れた。
「おじいちゃん、食事作りたいからキッチン借りてもいい?」
「そりゃ有り難いのう。ある物は何でも使ってくれて構わんよ」
「すごい! 調味料とかも色々揃ってる!」
アキラは楽しそうにエプロンを着けると、キッチンに立った。
(エプロン姿……いいかもしれない)
などと、ユウトが密かに思っていた矢先――
「ユウトくん、実はちょっと見て貰いたい物があるんじゃが、いいかな」
「は、はいッ? 何でしょうか!」
教授に突然声を掛けられ、慌てて答えた。
「アキラちゃんはエプロン姿も可愛いのー」
「はい……いや、それじゃないですよね、一体何ですか!?」
「さて、こっちじゃ」
教授は、ユウトを研究室にある、土の入った水槽の前まで連れてきた。
「アキラちゃんの前では言えなかったんじゃが。実はさっき話した子犬の亡骸で、浄化作用の進行具合を確かめてみたのじゃよ」
「え……!」
ユウトは水槽に手を付いて、中を覗き込んだ。
「小さな子犬じゃからのう、三日もすると跡形もなく土に還ってしまった」
「そうか……じゃあ、さっきの話はもう確証を得たものだったんですね」
こくり、と教授は頷いた。
「それと、あのアザじゃな」と話を続けた。
(そうだ、あのアザ…あれは一体)
ユウトは固唾を飲んで、教授の次の言葉を待った。
「君はアキラちゃんに惚れとるね」
「……は?」
まるで頭を軽い鈍器でカーンと殴られたような突然の衝撃。
真面目に身構えていたというのに、思わぬ不意打ちにユウトは内心で慌てた。
「『黄金比』というのは正解かもしれん。現に君は、アキラちゃんに惹き付けられて夢中になっとるじゃろ」
「いや、あのですね! 先程も言いましたけどあいつは元々『男』だし、しかも俺とは兄弟同然に育った幼なじみで……」
「なんじゃあ、あんなに可愛い娘とずっと一緒にいて何もしとらんのかあ? 情けないのー」
小馬鹿にされたようで、思わず少しむっとなった。
早い話が誘導尋問だったのだが。
「な、何もって言われると……キス、くらいは」
するにはしたが、初めてキスをしたのはつい最近のことである。
「なんじゃ? チューしかしとらんのか?」
「いや、というか関係ないでしょう! もうプライベートなことは放っておいて貰えませんかっ?」
ユウトはいい加減に苛立ってきた。
「なるほど、やはりそうか」
「え?」
自分とアキラに何があるのか。
聞き方に問題はあるが、少なくとも教授は面白半分に聞いてきている訳ではなさそうだ。
「話が全く見えないんですが、俺たちに何か関係があるんですか?」
「ありありじゃて。ちなみに、ユウトくんは経験済、アキラちゃんは未経験。当たっとるじゃろ」
びしっと言い当てられて、ユウトはたじろいだ。
「な、何でそんなことまで……」
この人はどこまで深入りしてくるつもりか、少し怖かった。
「あのアザはな、雌雄が決定すると消えるんじゃ。アキラちゃんの場合、純潔を失って初めて正真正銘の『女』になれるという訳じゃ」
それはユウトにとって、重大な内容だった。
「それって……アキラはまだ『男』でも『女』でもない、と言うことですか? じゃあ、『男』に戻る可能性もあると――」
「アキラちゃんの心ひとつと言う事じゃろう。『女』になったきっかけは分からんが、少なくとも未だに『女』でいると言う事は、ユウトくんに対して何か強い想いや好意を持っているからとしか思えんのじゃが」
「アキラが? 俺に? で、でも昔から俺に対してはあんな感じで、好意と言ってもどういったものかは……」
「アキラちゃんの場合、恋愛とはまた違うような気がするが……何じゃろうの。ユウトくんと違って分かり難いんじゃなあ」
「……俺、そんなに分かり易いですか……」
軽くショックを受けた。
樫木教授……やはり生物学の権威と言われるだけの人物ではある、侮れない。
「しかし身体が女性になった事によって、感情にも何かしらの変化は現れてくる筈じゃ。『男』と『女』は全く別の生き物じゃからな。さて、ユウトくんはどうしたいんじゃ」
「え?」
「君が決定する事も出来るぞ。アキラちゃんに話すも良し、このまま内緒にするも良しじゃ」
「それは……」
もし今アキラが『男』に戻ってしまえば、アキラに対して自分は以前のように接することが出来るかどうか、どうにも自信がない。
アキラはまだこのことを知らない。知ってしまえば『男』に戻りたいという感情が芽生えてくるのではないか?
そうなったら自分の気持ちの行き場はどうなるのだろう。
そんなことを考えていた矢先――
「ええええ~~~ッ!」
突然、けたたましい声がキッチンからこだました。
ダダダダダダ――――ッ
忙しない足音が聞こえてきたかと思うと、子犬を抱えたアキラが大慌てで入ってきた。
「ど、どうしたアキラ?」
「ユウト、おじいちゃん、この子って女の子だったよね? 今抱き上げてみたら……」
教授が子犬を覗き込んだ。
「なるほど……オスに戻っとるな」
ユウトは自分の表情が凍り付くのを感じた。
アキラがこれを見て何を思ったのか、気が気でならない焦燥感に襲われる。
「あと……」アキラが付け加えた。
「ご飯、出来たんだけど」
◇◆◇
三人はとりあえず食事を取ることにした。
考えてみれば、朝早くから行動していたにも関わらず、何も食べていない。
気が付くと太陽は西に傾きかけている。もう昼をとっくに過ぎていた。
「こんなまともな飯を食べたのは、本当に久しぶりじゃ。それにしても美味い。 アキラちゃんは料理が上手じゃのう」
「えー、ホントに? 良かった!」
教授とアキラは、のほほんと普通に食事を取りながら会話を楽しんでいた。
そんな中、ユウトは口を開く気にもならず、せっかくの食事も喉を通りそうにない。
がつがつと美味しそうに餌を食べている子犬を、複雑な気持ちで眺めていた。
「ねえ、おじいちゃん。ところでさ、この子何でいきなり男の子に戻っちゃったのかな」
唐突に、アキラが話題を切り込んで来た。
ユウトは、ぎくっとして顔を上げた。
「そうじゃのう。きっとアキラちゃんの事が好きになったからじゃろう。相手がどうであれ、種を残すにはオスとメスが必要じゃからな」
「よく分かんないけど、オレが『女』だから、それで『男』になったの? ちょっとびっくりしちゃったな」
(ちょっとって……今の会話の意味も重要性も……全然こいつ分かってないよな)
ユウトがそう思って、少しほっとしていたその時、
「犬も人も同じだよね。だったら……もしかしたらオレも戻れたりするの?」
「戻りたいのかね?」
教授が問い返す。
ユウトは、息を呑む思いでアキラの言葉を待った。
「そうだなあ……正直女の子っていろいろ面倒なことが多いっていうか。そもそも、何でオレ『女』になったんだろ? ユウトがなってもおかしくないんじゃないの?」
「……オレは無理。『女』にはなれないの」
「えー、何で? 何かずるくない?」
何だか頭の中がごちゃごちゃして考えがまとまらない。
このまま話しても苛立ちだけが募るばかりだとユウトは思った。
「ごめん、何かもう食欲無いから――俺、外に戻ってる。すみません教授、また明日いろいろ聞かせて下さい」
「え、ユウト大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。アキラはここに泊めてもらえよ。夜は外、冷えるから」
「あ、じゃあユウトも……」
ユウトは何も答えずに席を立ち、そのまま出て行ってしまった。




