10 初めての生存者
自分は今までに何人もの女の子と付き合ってきた。
それにも関わらず、恋をしているという感覚はこれまで一度も無かった。
自分から彼女たちに何かを求めようという気にもならなかったし、逆に求められるとうっとうしいと思うことさえあった。
アキラは誰よりも長く自分の側にいて、誰よりも自分のことを知ってくれている、自分にとってかけがえのない存在だ。
けれども『男』であるアキラは、当然自分の恋愛の対象にはなり得なかった。
それが今、その垣根は取り払われて障害と呼べるものは何も無い。
(アキラが好きだ。俺は今、間違いなくあいつに初めての恋をしている)
アキラが『女』になったのは、もしかして自分がそれを望んでいたからなのかもしれない。
こういう事態にならなければ、一生知らずに終わっていたかもしれない想いだった。
(とりあえず今は、自分のことが信用出来ない……)
あれから、アキラとはキスもしていない。
暴走しそうな自分が怖かった。
「ねー、ユウトー?」
アキラが声を掛ける。
「何でいつもそんなに遠くで寝んの? 夜は冷えるんだから、もっとこっちで寝ればいいじゃん」
焚き火を挟んで十メートル程先、寒々とした場所にユウトは寝床を構えていた。
「いいんだよ、俺はここでいいんだ」
「えー、なんでー? 風邪引いちゃうよーっ?」
アキラからのブーイングを無視して、ユウトは毛布を頭から被った。
そうやって自分の視界にアキラの姿が入って来ないようにした。
ここ数日はずっとこんな感じだ。
(この間あんなことがあったってのに……俺のこと信用してるからか、そういう対象には見ていないだけか……それとも、全く何とも思っていないのか)
最後の選択肢が一番しっくりきてるな――そう思ってしまう。
自分の気持ちが分かってしまっただけに、何だか切なかった。
◇◆◇
「ハクシュン!」
ユウトは自分のくしゃみで目を覚ました。
世界が常春になっているとはいえ、昼夜の気温差はあるので夜はそれなりに冷えた。
東の空が白み始めている。まだ早朝だ。
ユウトはもう一度寝ようとした。
その時、自分の毛布が二枚に増えていることに気が付いた。
「え? これ、アキラの……」
燃え尽きた焚き火の向こう側にいる筈の、アキラの姿が無かった。
ユウトはアキラを捜そうと、眼鏡を手に慌てて起き上がった。
「……あれ?」
眼鏡を掛けた瞬間、ユウトはふと目の違和感に気付いた。
違和感と言っても悪い意味ではない。とにかく、何だかいつもと違う感じがした。
その時、聞き覚えのあるメロディーが微かに耳に響いた。
聞き慣れた歌声とは少し違うけれど、凛とした少し特徴のある歌い方は変わっていない。
ユウトは歌が聞こえてくる方へ顔を向けた。
目線の先に巨樹が見える。
あの日以降、植物の成長や進化が目覚ましくなっている。
この樹もその影響を受けている為か、目を見張る程の大きさに成長していた。
(『あの日』に一体何があったんだ? アキラの変化にも、何か関係があるんだろうか。それに、もしかして俺も――)
そんな考えが頭をよぎったが、とにかくアキラの所へと急いだ。
巨樹のすぐ側には、透き通った水辺が広がっていた。
瓦礫の山から、その水辺を見下ろすように突き出したコンクリート壁の上、そこにアキラは腰掛けていた。
心地よい風に吹かれながら、目を閉じて歌うことに夢中になっているようだった。
以前は良く通る澄んだ少年の歌声をしていたが、今は硝子細工のように繊細な、それでいてよく響く少女の歌声になっている。
その声に、ユウトはあっという間に魅了された。
声を掛けようとはせずに、静かに聞き入った。
一通り歌い終わったアキラが、「ふう」と息をついた。
「お前の歌、久しぶりに聞いたな」
ユウトの声にびくっと反応して、アキラが振り向いた。
「びっくりした! ユウト起きてたの?」
少し顔を赤くして言う。
「声が変わっちゃったせいか、音程が上手く取れなくて……恥ずかしいからこっそり歌ってたのに」
どこがおかしいのだろう? とユウトは思ったが、その辺のこだわりは本人にしか分からない。
「あ、そうだ! ほら、ユウト見て見て~」
「……え」
そんなアキラの手には、以前見た覚えのある小鳥がしっかりと握られていた。
「お前、どうしたんだそれ……」
「歌ってたら寄ってきたから捕まえたんだ。こう『ぱしっ』て感じで」
「…………」
天使の歌声に惹き寄せられた獲物が、思わぬ触手に捕らえられたと――
まるでクリオネの補食を見た時のような衝撃だった。
「……『バッカルコーン』って言ったっけ、あれ……」
「え、なんて言ったの?」
「いや。それ、放してあげれば? そんな小鳥じゃ、食べるとこあんまりないだろうし」
「でも、ダシくらいなら取れるよ?」
「いや……もう放してあげてくれ、頼むから」
ユウトは思わずアキラに懇願した。
「はいはい分かったよ、ユウトがそんなに言うんなら。まあ、ダシになるだけじゃかわいそうだしね」
そうして自由になった小鳥は、忙しなく羽をばたつかせながらどこかへ飛んでいってしまった。
本当はこのくらい逞しくならなければ、サバイバルは生きてはいけないのだろう。
だが、そんなアキラの姿はあまり見たくない……そう思ってしまった。
「ところで、なあ、そこ危なくないか? もう降りてこいよ」
「やーだ! ユウトがこっちにおいでよ。風が気持ちいいよー」
悪戯っぽく言ってユウトを誘った。
仕方なくユウトは、アキラのいる瓦礫の上へと登り始めた。
「そっちに行ったら、俺のリクエスト聞けよ」
「えー、どうしようかなあ――」
ズズズズズ……
突然低い地鳴りと共に、瓦礫に振動が走った。
「わ……っ」
コンクリート壁が傾き始め、アキラの身体が前方へ投げ出されそうになる。
「アキラっ!」
ユウトは咄嗟にアキラの腕を掴んで引き寄せた。そのままその身体を抱き止める。
コンクリート壁の滑り台の上を、ユウトはアキラを抱えたまま背中から滑り落ちた。
落ちた角度自体は大して無かった為、幸い瓦礫に激突すること無く停止した。
「あつつつ……アキラ大丈夫か?」
摩擦で背中が燃えるように熱い。
「オレは大丈夫だよ、ユウトが庇ってくれたから。ユウトは? 大丈夫なの?」
「ああ、背中がちょっと……まあ大丈夫だよ」
「ごめんねユウト、ホントにごめん……」
余程責任を感じたのか、アキラは泣きながら謝り続ける。
(こいつ、昔っから泣き虫なのは変わらないなあ)
ユウトはふっと笑いが込み上げて、アキラの頭に手を乗せると、子供をあやすようにポンポンと軽く叩いた。
「ホントに大丈夫だって。だから泣くなよ」
その時だった。
「詳しい事情は分からんが、女の子を泣かすのは関心せんのー」
「いやだから、これは泣かせているのでは……」
言いかけて、ユウトはアキラと思わず顔を見合わせた。
バッと同時に声のした方を見る。
瓦礫の間から、つるりとした物体が見える。
「え……タコ……?」
「何言ってんのユウト!」
アキラはユウトの肩をバシバシと叩いて言った。
「あれ人だよ! おじいちゃんだよ!」
「え、せ……生存者?」
二人が出会った初めての生存者は――
見るも眩しい頭をした、齢八十程の老人だった。




