09 確信
さわやかな朝だった。降り注ぐ陽射しが心地いい。
アキラはしなやかに体を反らして伸びをした。
「ん――! 結構寝たからかな、だいぶマシになったみたい!」
眩しい笑顔を見せて言う。
「そ、そっか。大丈夫なら、良かった」
どうやら自分は大丈夫ではなさそうだと、ユウトは思った。
朝からどうしても、アキラの顔をまともに見ることが出来ない。
(くそ、今この眼鏡がサングラスだったら、どんなに良かったか)
「どうしたの、ユウト?」
明らかに様子のおかしいユウトを、アキラが心配そうに覗き込んだ。
「な、何でもないから! 大丈夫……」
ふと、アキラが手に何かを持っていることに気づいて、ユウトは冷や汗が吹き出した。
(しまった、片付け忘れてた――)
ユウトの目線にアキラが気付いて言った。
「ああこれ、ユウトが飲ませてくれたの? 昨日は何か朦朧としてたせいで全然覚えてなくて。でもおかげで楽になった、ありがとう」
屈託のない笑顔を見せる。
アキラの手にあったのは、昨日飲ませた薬の箱だった。
「ああ、うん……」
良かった……夕べの自分の過ちまではアキラにバレていないようだ。
少しほっとして胸を撫で下ろした矢先――
「それでさ」
アキラが言葉を続けた。
「口に……何か感触が残ってるんだよね。そう、柔らかい物がずっと触れていたような――」
ユウトは、背けた顔から脂汗がだらだらと流れ出るのを感じた。
バレてる?
しかも、遠回しに責められてる?
いや、アキラはそういうことをするヤツではないし……
「? どうしたのユウト、大丈夫?」
キョトンとした顔で聞いてくる。
罪悪感がヒシヒシとのし掛かってきた。
ダメだ。もう言おう、言ってしまおうと、ユウトは心に決めた。
「あの、それは……!」
勢いよく向けた顔の間近に、アキラの顔があった。
焦りのあまり心臓が飛び出しそうになるのを、言葉と一緒に飲み込んだ。
「ユウト、顔が真っ赤だよ? もしかして熱ある?」
アキラは更に顔を近付けて、コツンと自分の額を当ててきた。
その瞬間――ユウトはフリーズした。
せっかく押さえていた理性が吹っ飛んだ。
頭で考えるより先に本能が体を動かし、気付くとそのままアキラを抱き寄せていた。
「え? ユウ……」
開きかけたその唇を唇で塞ぐ。
たっぷり十秒。
その間、アキラは微動だにしなかった。
ユウトはそろそろと目を開けた。
そこには、大きく目を見開いて呆然としているアキラがいた。
急激な自己嫌悪に襲われて、ユウトは慌てて体を離した。
「ご、ごめん! 俺……」
「…………」
アキラは無言でその場から動かない。
この先どうアキラと接すればいいんだ……そんな考えが頭の中を駆け巡った。
「ユウト」
今まで無言だったアキラが口を開いた。
その声にはっとなり、ユウトは逃げるようにアキラから離れた。
「え、そんなすごい勢いで離れなくても」
アキラの方は意外にも落ち着いていた。
「いや、だって俺、このままじゃお前に何するか分からないし――」
「何って?」
「さっきみたいな……夕べ俺、お前に口移しで薬を飲ませたんだ。それから……もう、とにかくおかしいんだよ俺」
少なくとも自分はもう、アキラを『女』として意識してしまっている。
今回、否応なしに確信した。
ただ、アキラは家族同然の幼なじみであり、ついこの間まで普通に『男』だったのだ。
心境が複雑なのである。
とにかく、もう今までのように普通に接することなど出来る訳がない。
「あ、そっかあ」
唐突にアキラがぽん! と手の平を叩いた。
「ユウト、そんなに女の子とキスしたかったんだ?」
突然出た脈絡のないアキラの言葉に、ユウトは「は?」となった。
「えーと、欲求不満ってやつ? いいよもう、キスくらいなら別に減るもんじゃないし。まあ、オレ初めてだったから思わずびっくりしちゃって、一瞬頭の中が真っ白になったりもしたけど」
「……誰が欲求不満だ」
アキラの台詞は半分、自分自身に言い聞かせているようにも感じられたが、とにかくユウトを否定しようとはしていなかった。
アキラなりに二人の仲が険悪にならないよう、懸命になっているのだろう。
(こいつ、心広すぎ……しかもファーストキス奪っちゃったとかって、俺……最低だろ)
心の中で自分を蔑んだ。
「初めてのキスが男でがっかりだろ」
ユウトは自分を皮肉るつもりでそう言った。
「でもオレ今『女』だし、相手がユウトだったから……それならまあ別にいいかなって……」
(ん?)アキラの言葉が妙に引っかかった。
「何で、俺だったらいい訳?」
「え、何となく……でも、他の男だったらって思うと……それはやっぱり嫌、かな」
やはり、アキラの中でも何かが変わりつつあるような感じがした。
ユウトは確認するように聞いてみた。
「じゃあ、俺がもう一回キスしたいって言ったら?」
今度はアキラの顔が真っ赤になった。
「い、いいけど……オレでいいの? てか、オレしかいない……よね……」
目をきょろきょろとさせながら、わざとユウトから目線を逸らせているようだった。
「ホントにいいのか?」
もう一度聞く。
「あ――……う、うん……」
一度いいと言ってしまった手前、もう後には引けないといった感じだった。
ユウトがアキラに近付くと、反射的にアキラは少し後ずさる。
(何だこれ。大丈夫かな、やりにくい……)
頬に手を添えると、アキラはびくっと震えた。
ユウトはゆっくり顔を近付けて行く。
初めてのまともなキスに、緊張の為かアキラはふるふると小さく震えている。
「えと……いい加減に目、閉じてくれないかな」
「あ、そっか、ごめん! こ、こう??」
アキラは慌ててぎゅっと目を閉じた。
「…………」
(な、何かこいつの仕草、ウサギみたいなんだけど)
思わず吹きそうになりながら、そんなアキラをユウトは可愛いと思わずにはいられなかった。
そして、今度はゆっくりと丁寧に口づけをした。
震えが唇からも伝わってくる。
(ヤバイ……やっぱりこいつの唇、気持ち良すぎて……こんなの初めてだ)
完全にはまってしまう前に、ぎこちなくアキラから自分を何とか引き剥がそうとした。
その時、アキラが少しぼーっとしながら、小さな声で言った。
「何かキスって、気持ちいいかも……」
その台詞を耳ざとくユウトは聞いた。
「え、今なんて?」
アキラは、はっと我に返った。
「あ、ち、ちが……ごめん! 何か今オレ、恥ずかしいこと言った……」
「いや、アキラが本当にそう思うんだったら、その、もう一回……いい?」
「……うん」
ユウトの申し出にも、今度はあまり躊躇がなかった。
再び唇を重ねた時には、もうアキラの震えは止まっていた。
いつの間にか二人抱き合うようにして口づけを交わす中で、ユウトは確信を得た。
(本当に単純だと思うけど……俺こいつのこと)
「―――好きだ」
声に出してみた。
小さな声で、呟くように。
アキラに聞こえていてもいなくても、どちらでも良かった。