敬老列車
「ぎゅうぎゅうに詰めて喜ばれるのは、1袋いくらの詰め放題だけだな」
「…同感(^^;」
とある田舎の村に、5両編成の列車が走るローカル線があった。
村と街とを1時間で結び、村人たちが外に向かう際の唯一の足となっていたそのローカル線も昨今、村に移住してくる人が増えたため「混雑」が目立ち始めていた。
利用者増加により、通勤時間には通勤ラッシュが発生。
数年前にはガラガラだった車内が今では常に満員状態となり、車内の治安は徐々に悪化。
それを示すように、列車内で怪我を負う人の数も増え始めていた。
そんな状況の中、地方再生と活性を旗印にするその田舎の村役場が
画期的な案を提示した。
それが他に先駆けて導入された「老人用列車」制度だった。
朝9時から夜21時までの間、その車両には「65歳以上の老人」しか乗れないというルールが決められた。
破れば罰金が課せられ、最高1万円の支払いが即時命じられる。
人口が少なく違反者を特定しやすいのも罰金制にした理由だ。
通報者の安全も考えられており、携帯などで違反者を撮影して役場に届ければ後日、警察が捜査し違反金を徴収する仕組みも用意された。
撮影して通報した者には罰金の3割が報酬として支払われた。
最初は5両ある中の「1両」を老人用にする形で導入された。
また、乗降時の安全を考えて、老人専用は最後尾の車両とされた。
改革がいざ始まってみると、導入前まで増加が止まらなかった「列車内で老人を巻き込む人的事故」が劇的に減少するという効果が顕著に表れだした。
通勤ラッシュ中でも安全が確保されているという話が利用者を通じて村中に伝わると、街のデパートが開店する朝10時の到着を狙って出かける年寄りが増加。
ほどなくして村の役場には、この改革に対する村人の感謝の声が多く届けられるようになった。
また、利用者の増加に伴い新たな意見も出るようになった。
「老人用列車の数を増やしてほしい」
「もっと快適な座席配置にしてほしい」
「名称が年寄りなので、変更してほしい」
その声に応え、列車名は「敬老列車」になり、車両数が2両になった。
「昼間の時間は車両数を増やすべきだ」
そして、昼間の間だけ3両となった。
敬老列車となった車両内は混雑することがなく、動きの遅い年寄りたちには好評だった。
家にこもっていた老人たちも、安全という安心と、無料という利点に目を付けて、このローカル線を利用するようになった。
敬老列車に乗って出かけるのが、街に行く老人の日常になりつつあった。
ただ、問題もあった。
「俺は老人扱いされたくない」というプライドの高い老人もいるという事実だ。
彼らは頑なに通常の車両に乗り続けたが、その中の一人がある日、通勤ラッシュの流れに巻き込まれて転倒し、骨折した。
この事件の報告を受けた村役場側は利用側の抵抗感を下げることも必要と考え、今回の事故に対する村の医者の見解を、有名な学者先生の論文にからめて広告として駅に貼り、敬老列車の必要性を訴えかけた。
そんな宣伝効果もあってか、村人たちは敬老列車に賛同するようになった。
数ヶ月後
5両編成のローカル線の中で3両が常時「敬老列車」扱いとなった。
それと共に専用車両の内装はさらに改良された。壁にそって貼り付けられてた長椅子は順次「リクライニングシート」に変更となり、利用者の長旅をサポートした。
さらに、それらを聞きつけたTVが「『敬老列車』こそ利用者の安全を確保し、長距離間での消費者ニーズを作りだした、高齢化社会に必要不可欠な新しい改革である」という見出しで放送したため、ちょうど話題に飢えていたメディアに一斉に取り上げられ、敬老列車は全国レベルで有名になった。
連日、大量の観光客が列車を見に村を訪れたために村の観光収入が増大。
足の速いチェーン店が次々と出店し、かつて閑散としていた駅周辺を短期間で一気に発展させた。
その一方で、改革を実施した村長は人々の支持を集め、任期をさらに伸ばした。
いいことずくめの状況が続いた。
しかし1年後、事態は急変する。
村に移住してきていた若者が大量に「流出してしまった」のだ。
その流出は止まることなく、やがて村内の老若の比率は「敬老列車」の車両比率と同じ3:2にまで落ち込んだ。
だがそこに追い打ちをかけるように、客不足から利益減少となった店舗の閉鎖や撤退が相次ぎ、ついに元から村にいた若者までが流出。ほどなくして村は老人だけとなり、3年後には限界集落に認定されてしまったのである。
やがて税金は入らなくなり、ローカル線までも赤字に転落。
車両数や運行数を減少させて対応するも赤字は解消せず、電気代や維持費の高騰を期にバス路線に引き継ぎを申請し、村から撤退した。
初代「敬老列車」として有名になったローカル線が廃線となってから数ヶ月後
近隣の街に行く唯一の交通手段となった村営バスの車内では、「敬老列車」の時代に優遇されて味を占め、生活パターンを変えられなくなった大量の老人たちが席を争い、現状に不満を言いながら、ぎゅうぎゅうにひしめきあう状況が連日のように目撃されるようになったという。
そんな村の状況をよそに、隣の村は若者の人口が増えはじめていた。
その隣の村も「敬老列車」を同じく3両分導入していた。
だが、最初5両編成だった車両を、最大10両にまで増やした。
また同時に、通勤ラッシュ中の運行数を増やし、
昼間の時間帯に出る赤字を村が負担したのだ。
隣の村は「敬老列車の先駆者」にはなれなかったが、
数年後、ベットタウンとして大成功を収めたという。
アイディアに大切なのは奇抜さだけではない。
初期の評価に固執し、進化や変化を拒否してはならない。
時々、書き直すかもしれません
修正1回目:済