知恵ゆえの疑問の鍵
見つけたぞ
その一言さえなければ、その人物に出会わなければ…
私は囚われの身にならずに済んだのだろうか?
「おい起きろ。今日はサード様がいらっしゃっているんだ」
固く冷たい地面に眠る私の朝はいつも最悪だ。逃げないようにと鎖で拘束され、舌を噛んで死のうとして以来、口枷も付けられた。決して快適な睡眠を行える環境下ではない。
そんなことを訴えようにも…私は人間の言葉が話せない。文字の読み書きや聞き取りはできるのに、人間の声帯を持たないので言葉は話せない。どうにか口を動かし、喉から声を出そうとするが、母音を発するのがやっとだった。
「ほら、今拘束を解いてやるから」
私を拘束した彼らはそのことを知っていて、私からエルフの知恵を聞き出そうとして、何度となくペンを握らさせられた。そして、すべてを紙に書き留めろと脅すのだ。
はぐれのエルフと呼ばれる私はすでに120歳に達する。だから囚われる前の状況を知っている。
今では国際講和条約が世界で成立し、紋章付きのエルフ族の安全は保証されたが、昔は違う。各国がエルフの知恵を求め、エルフ族を襲撃していた。逃げ場もなく、大勢のエルフが捕まる前に…エルフの知恵を奪われる前に…自殺を図った。私はそこで両親を失い、生き残ったエルフたちとも離れ、1人で知恵を頼りに暮らした。その80年後に国際講和条約が誕生したものの、私は1人で暮らしたため、エルフ族の証を得るに至らなかった。こうして…はぐれのエルフは誕生した。そして数十年の時を経て、はぐれのエルフを探していた彼らデイビス家に囚われた。
「まったく…サード様は王女様の旦那様だ。粗相のないように頼むぞ」
エルフの知恵を要求された時、私は押し黙るに徹した。少なくとも奴隷などを取り扱う汚い男に教えてはいけないと思った。この知恵は未来永劫、世界を豊かにする者にのみ明かしていいとされていたからだ。
しかし人間というのは少しだけ賢い種で、私が話さないと確信すると、私を他の人間にチラつかせ、私を圧倒的脅威として利用し始めた。「エルフの知恵の鍵を俺らは保有しているんだぞ」と言い、周りの権力から身を守ったのだ。
「さ、もう来たらしいぞ」
私の「飼育員」が私の拘束具を撤去してから首輪に繋ぎ、半ば強引に地下牢から連れ出す。私はペットなんかではないのに酷い扱いだ。首輪に繋がれた鎖は…犬の散歩か何かか。
しかし何にせよ、脅威としての効力が薄まってきたので、デイビス家はいよいよ私を最後の政治利用をするらしい。私を王族の側妻にするとか何とか…たぶん、知恵を言わずに殺されるか、今と大して変わらない待遇を受けるのだろう。
「これはこれはサード様」
「どうも、マーセナスさん」
「もうお怪我は?」
「何のあれしきでくたばってしまえば、王女の夫にはなれないですよ」
「護衛は…お1人で?」
「ええ、大勢で動くと目立って厄介が増えます。でしたら事情を知っている彼女だけを連れてくる方が安全かと。別にあなたは俺を殺すつもりはないでしょう?なら護衛は1人で十分です」
「まったくその通りだ!ハハハ!」
久しぶりに地上のハンセン商会の最上階に連れていかれ、窓から入り込む日差しが眩しい。完全に目が光で焼かれ、前が見えなくなる。しかし飼育員は待ってくれず、そのまま私をマーセナスがいる部屋に押し込んだ。
「それで彼女を側妻に…」
私が無理やりマーセナスの隣に座らせられる。向かいにいるであろう相手は…声からして一昨日、マーセナスと話していた白髪の人物だろう。目が見えないせいで断定はできないが。
「まずは彼女と話がしたい」
「エルフの言葉はわかりませんぞ?」
「向こうはこちらの言葉を理解しているんですよね?筆談なら大丈夫なはずです。それと…意思疎通のできない方と俺を結婚させるおつもりで?」
ようやく目が慣れてきた。そして目の前にいる白髪の青年の顔を正面から捉えることに成功する。だけど…
『あ…あなたは…何者?』
青年が一瞬で他者と違うことがわかる。それは白髪だからではない。この青年…何かを宿している?でも何を?
「え?あの…俺に言ったのかな?」
「サード様、エルフの言語ですのでお気になさらずとも」
「そうですか。エレーナさんやマーセナスさんは席を外してください。筆談で話がしたい」
彼は少し緊張した面持ちで、他者を部屋の外に追い出す。気づけば小さな部屋だったようで、人がいなくなると多少は開放的になる。
『え~っと、初めまして』
部屋に私と青年以外に誰もいなくなるのを確認した彼は…エルフの言葉で話しかけてきた。でもなぜ?エルフの言葉は人間にはわからないはず。
『あなたは…何者ですか?』
疑問を持ったまま、最初の問いを聞き直す。
『サードと言います。すみません…驚かせてしまいましたか?』
すると、はにかむように笑う彼ではあるが、やはり不思議だ。なぜ理解できているんだ。
『あなたはエルフ族と繫がりがあるのですか?』
『ないよ。俺は普通の人間。たぶん、俺自身が1番驚いているところ』
『では言葉をどこで覚えたのですか?』
『う~ん…勘かな?君が最初に声を出した時、なんとなく…理解できたんだ』
ありえない。だって何不自由なく会話が成立しているじゃない。どうしてそんなことがありえるの?
『首輪、キツくないかい?』
『な…慣れてますから』
疑問しか湧かない私の隣の席に移動してきた彼は…金属の細い鉤爪を2本、両手に持って、私の首に付けられた首輪の鍵穴に入れる。
『一体何を?』
『昨日覚えたんだ。ピッキングをさ』
『ピッキング?聞いたこともない』
『人間様の叡智だよ。この手の鍵穴は大抵がシリンダーを操作すれば開錠が可能なの』
『その細長い鉤爪で?』
『これはピックって言うんだ。それで作業するからピッキングというわけ』
しばらく彼はそのピックとやらで私の右の首筋に付けられた首輪の鍵穴をいじり、ほどなくして…カシャンと音がなると同時に、長年取り外すことができなかった首輪が外れた。これがピッキング…
『あ…ありがとうございます』
『いや、出会ってすぐに外してあげたかったんだ。その首輪を一目見た段階で…単純な構造だなって思ったから』
彼は私から外した首輪とそれに付随する長い鎖を静かに椅子の後ろへと下ろすと、これまた満足そうな笑顔を浮かべる。
明らかに…私が知っている人間ではない。でも…
『あなたも欲しいんでしょ?エルフの知恵が』
私を優しく懐柔し、油断した私から知恵を聞き出そうとする罠かもしれない。
『うん?俺は別にいらないかな』
……なんで私は彼に驚かされてばかりなのだ。
『嘘ですよね?欲しいから私に近づくんですよね?』
『君の希少価値は痛いほど理解できるけど…君自身が話してくれなければ意味ないし、それを見定める能力がエルフにはあると言う。だったら君に委ねるしかない。俺の願いとしては、君が拘束されない生活を提供したい』
『そうやって関心のないフリをするつもりですか?』
信用するな。人間は…
『俺はエルフの知恵なんて存在を一昨日知った。内容には興味がある。でも俺にはいらないものだから。その知恵がどれほどすごいか知らないし…すべてを知る必要もない。知恵がないと死ぬというわけでもないしね』
私の隣で平然と語る彼は…本音を話している。決して私とは目を合わせないつもりらしいが、目に迷いがない。
『そもそも、俺は側妻もエルフの知恵もいらないんだ。ただ…すんげぇ怖い王女と汚い当主の間で政治利用されているだけだし』
『そんなこと言っては…』
『この言葉なら彼らじゃ理解できないんだろ?』
本当に何者なの?その灰色の瞳の奥にいるのは誰?
『あなたは人間じゃない』
思わず言葉が漏れた。エルフの知恵が私にはあるのに、右に座る彼は私の、エルフの理解をはるかに超える。
『ひどいことを言うもんだ』
『じゃあ答えてください。あなたは何者なの?』
私のエルフとしての探究心が久々に目覚める。それに対して彼はニヤリと笑う。
『俺は龍だ。信じるかい?』
白髪で、灰色の瞳を持ち、優しく、正直者、そして…自分を神聖なる龍と言い、エルフの知恵には見向きもしない。そんな人間を私は…見たことがない。




