十五歳の令嬢、六十歳の第五夫人になるくらいなら魔境でドラゴンを食べます
とある春の一日。
アイゼンヴァルト公爵家の別荘、その広大な敷地の隅にあるボロボロの物置小屋。
メイド服を着た一人の少女が、その小屋の扉を叩く。
「ローザリンデお嬢様〜戻られました〜?」
返事はない。
「開けますよ」
その時、隣接する森の方から声が聞こえた。
「マリー! 今日はホーンラビットですわ!!」
土埃を上げながら、平民用のボロボロの服を着た血まみれの金髪の令嬢がこちらに向かってくる。
「あの……お嬢様……」
マリーはプルプルと震えていると、あっという間にローザリンデがマリーの目の前まで来た。
ローザリンデが、ツノの生えたウサギの魔物、ホーンラビットをマリーの方に突き出す。
「ふっふっふ! 褒めなさい! 大物よ」
「あの、一週間も森にいて、水浴びしてませんよね? 早く川で血を洗ってください」
「……わかったわ、マリー」
これがローザリンデとマリーのいつもの日常だった。
♦︎
「さーて、じゃあ食べましょうか! 久しぶりの肉でウキウキですわ!」
ホーンラビットの死体を目の前にして、体を洗ったローザリンデが嬉しそうにいう。
この小屋に調理器具はない。
どうやって食べるのかというと——
ドンっ!
扉が乱暴に開いた。
「何この臭い……獣小屋の方がマシね」
「レティシア様……なぜここに」
マリーが目を大きく開いた。
そこには鼻を摘む一人の金髪の少女が立っていた。
レティシアは、ローザリンデの従姉妹だ。
叔父の娘であり、ローザリンデと同い年の令嬢である。
豪奢だが動きやすいドレスを着ており、いかにも金のかかっている令嬢だった。
「お父様がさっさと来いって言っているわ。本館に早く来なさい」
レティシアがローザリンデの全身をジロジロと見る。
「はっ。平民でも、もうちょっとマシな服を着ているわ。お父様と会う時は、ちゃんとした服で来なさい」
その視線は侮蔑の色を隠そうとしていない。
「……あいつぶっ飛ばしていい?」
ローザリンデが無言でマリーの方を見る。
マリーは首を横にふる。
「ああ、どうして私が豚小屋みたいな場所に来ないといけないのかしら。本当に無能の面倒を見ないといけないのは困るわ」
ローザリンデは拳を握りしめる。
「じゃあ、さっさと来てね。ああ、馬などはないから歩いてきてね」
そう言ってレティシアは扉から出て行った。
「ローザリンデ様……」
「ええ、わかっていますわ」
ローザリンデが頷く。
「ホーンラビットは後にしますわ」
マリーはガックリした。
「……そうではありません。まあいいです。早く着替えましょう」
♦︎
小屋に残されている古びたドレスに着替え、ローザリンデは屋敷に来た。
マリーは呼ばれていないので、小屋でお留守番だ。
「久しぶりに来たわね……」
「黙ってついてきてください」
本館の中を先導する執事が、ローザリンデを馬鹿にした調子で言う。
荒い鼻息をしながら、深呼吸をして怒りを鎮める。
そうしていると、豪華な装飾のついた部屋の前についた。
こんこん。執事が扉を叩く。
「旦那様。ローザリンデ嬢を呼んでまいりました」
「入れ」
扉が開く。
中には、でっぷりと太った、頭の禿げた男が執務机の前に座っていた。顔は脂でギトギトだった。
「ローザリンデ、よくきた」
「ポルコ叔父様。ごきげんよう」
ローザリンデはカーテシーをする。
「さてお前も、もう十五歳だな」
「……はい」
ポルコがニチャアと唾の音を立てて笑った。
顔を下に向けたまま、眉を顰めるローザリンデ。
「喜べ、出来損ないのお前に結婚の話が来ている。相手はセブルス伯爵だ。年齢は六十歳、第五夫人として迎えてくれるそうだ。まあ年齢も身分も多少離れているが問題ないだろう」
ローザリンデは見えないように拳を握りしめた。
「ああ、家督のことだが心配しなくていい。お前の家督の相続権は、嫁ぎに行くことで自動的に失われると王国法で定められている。そうなったら、今までは代理だった私が、正式に引き継ぐ」
機嫌良さそうに喋り続けるポルコ。
「お前の両親が不幸にも事故で死んで、七年ほどか? 今までただ飯を食わせてやって、住まわせてやっていたが、これで終わりだ。縁談の手続きをしておくから、明日出発するように」
考える時間さえ、残されていなかった。
「じゃあ、さっさと戻れ。ああ、しっかりと体は綺麗に洗っておけよ? すぐに使うことになるからな」
ニチャニチャと笑いながらポルコが言う。
ローザリンデは黙ってカーテシーをして、退出をした。
「これで結納金でガッポガッポだ、はっはっはっはっは」
笑い声が扉の向こうから聞こえてきた。
ローザリンデは血が出るほど、拳を握りしめた。
♦︎
物置小屋に戻ったローザリンデは、マリーに事情を話した。
「お嬢様! そんなのひどすぎます!」
「そうね……」
ホーンラビットは、レティシアの従者が持って行ってしまったらしく、小屋に残されていなかった。
服の大半も、ゴミとして処分されてしまっており、小屋にはほとんど何も残されていなかった。
「マリー」
「はい、お嬢様」
ローザリンデは、マリーのことを見つめる。マリーもローザリンデのことを見つめた。
「……私、逃げ出しますわ。成人したら、王国法に則って家督を取り戻せるかと思いましたが、このままでは難しそうですし」
「お嬢様……」
ローザリンデはにっこりと笑った。
「マリー、私についてこなくてもいいわ。マリーくらい美人さんなら、きっと何かしら仕事を見つけて、幸せに暮らせるわ」
「お嬢様!」
マリーが怒った表情をする。
「私の両親がお嬢様のご両親と共に事故で亡くなる前から、私はお嬢様に仕えていました。これからもずっと仕えます」
「マリー……」
ローザリンデは思わず、涙ぐんだ。
溢れそうになる涙を拭う。
「……ありがとう」
「いえ、メイドとして当然です」
マリーがローザリンデの手を取った。
その日、物置小屋から二人の人影が森に入って行った。
そのことに、公爵家の人間は誰一人気が付かなかった。
♦︎
三日後。
熟練の冒険者も油断すればすぐに死ぬと言われている、木々がうっそうと生い茂る、どこまでも静かな死の森。
その森の太陽の日差しを遮る枝の下を、ドレス姿の令嬢がスキップをしていた。
その数歩後ろには、メイド服の侍女がトボトボと歩いている。
二人の服は、泥で汚れ、あちこちがほつれてボロボロだ。
「ここまでくれば大丈夫かしら? それにしても、歩いて体温が上がって、あっちいですわ! 水! 飯! お腹が減りましたわ!」
「……そうですね、ローザリンデお嬢様。結婚前の淑女としてその言葉遣いはどうかと思いますが」
ローザリンデが顔を顰める。
「お嬢様、人形のようなお綺麗な顔が台無しですよ」
「マリー。人形だなんて分かっているじゃない」
ローザリンデが腰に手を当て胸を張り、顎を引いて地面を見下ろす。
「お嬢様、胸がないから、地面がよく見えそうですね」
「マリー、ぶち殺しますわよ?」
低い身長にスレンダーな体型。ローザリンデの顔はとても小さく人形のように美しいが、その胸はお世辞にも立派とはいえない。
マリーが口笛を吹きながら、話を逸らそうとする。
「そういえば、お嬢様。ここはどこなのか分かってらっしゃるのでしょうか? 私には全くわからないのですが」
「大丈夫! 私に任せなさい!」
マリーが、ほっとした顔をする。
そうして二人はしばらく歩いていく。
「お嬢様……ここ、さっきも来た気がするのですが」
「心配しなくても大丈夫よ! 私に任せなさい」
「……お嬢様。根拠を聞いても良いですか?」
ローザリンデがふっと笑う。
「大丈夫! こっち側が寒いの! だから向こうが北よ! つまり合ってる!」
「お、お嬢様……」
マリーが涙を浮かべている。
しょうがない。主人として安心させてやろう。
「大丈夫よ。アイゼンヴァルト公爵家のローザリンデ・アイゼンヴァルト様に任せれば、全てうまくいくわ!」
ローザリンデは、親指を立ててにっこり笑い、胸を張る。
「私、ここで死ぬんだわ」
マリーのぶつぶつ声が聞こえる。
鼻歌を歌いながらスキップするローザリンデ。
そうして、突然二人は少し開けた場所に出た。
広場のようになっており、岩山が中心にある。
太陽の光が差し込み、その広場からは青々とした空が見える。
ローザリンデの金髪に光が反射して輝く。
「なんでしょうかね、ここ?」
「ちょうどいいわ。日向ぼっこでもしましょう」
「そんな場合ではないと思います、お嬢様……」
その時だった。
「グギャアアア」
上空から声がした。
空を見上げると、ワイバーンがローザリンデたちを見下ろしていた。
人間で言うと十人分くらいの大きさ。
赤い鱗は血のように煌めいていて、口は人間など丸々と食べられそうなほど大きい。
その鋭い爪は、人間の柔らかい皮膚など簡単に切り裂くだろう。
「ひっ!」
マリーが腰を抜かしてへたり込む。
「こんなの、公爵領にはいなかったのに……」
次の瞬間、ワイバーンが上空から勢いよく地面に降り立った。
地響きが鳴り響き、土埃がたつ。
「ああ、格好良くて、優しくて、私だけを見てくれる、そんな男性から愛されたかっただけなのにどうして」
マリーの頬を涙が流れていく。
ワイバーンが、怯えるマリーを見て楽しげに笑う。
人間の腕くらいありそうな、鋭い牙が見えた。
「マリー」
「お嬢様、今までありがとうございました。不束者でしたが、大変お世話になりました」
マリーが泣きながら、ローザリンデの方を見た。
「マリー。良かったわね」
「はい?」
ローザリンデは両手をあげ、何度もガッツポーズをする。
「お嬢様、気が狂ってしまわれたのですか?」
「三日ぶりのご飯よ!」
「え?」
目の前のワイバーンが、天を向いて咆哮する。
「グギャオオオオオオオオオ」
大気が震える。
「あの、ローザリンデお嬢様。食べられるのはワイバーンではなく、私たちだと思いますが……」
ローザリンデは、マリーに向かって親指をグッと立てた。
にこりと笑って、白い歯を見せる。
次の瞬間。
ローザリンデの姿が消えた。
土埃を立てながら、ローザリンデはまっすぐにワイバーンに向かって走っていく。
「お、お嬢様ーーーー!!!!!」
天を見ていたワイバーンの目が、大きく丸くなった。
ワイバーンがローザリンデの方を向き、口を大きく開く。
まるで、獲物が自分から口の中に入ってきてくれると言わんばかりの態度だ。
鋭い牙に蛇のように蠢く舌が見える。
マリーが「ヒッ」と悲鳴をあげている。
走り続けるローザリンデ。
ワイバーンがニヤリと目を細めた。
「ローザリンデ様! やめて! 逃げて!」
次の瞬間、ローザリンデが飛び上がった。
ワイバーンの口を越え、頭上までふわりと浮かぶ。
ワイバーンの目が、また大きく開いた。
瞳がローザリンデを追うので精一杯だ。
ローザリンデはニヤリと笑った。
そして拳を振り上げ握りしめた。
「おりゃああああですわああああああああ」
思いっきり振り下ろす。
ガツン!
金属が凹んだような音がする。
頭部の鱗がバキバキに割れている。
どん!
殴られたワイバーンの頭が勢いよく地面に叩きつけられ、轟音と共に土埃が立つ。
ふわりとドレスの裾が広がる中、ローザリンデはワイバーンの首の辺りに着地する。
マリーは口をぽかんと開けている。
ローザリンデは、ワイバーンの上でカーテシーをする。
そして顔を上げた。
獰猛な笑みが張り付いている。
「今日の夕食はお前で決まりですわ!」
そう言って、手刀を作ると、一気に首元に振り下ろした。
その日、死の森から一頭のワイバーンの命が消えた。
ワイバーンの遺体の背中から、軽やかに地面へ飛び降りるローザリンデ。
「お嬢様〜!!! 今回ばかりは無理だと思いましたよ!!!」
マリーが泣きながら、ローザリンデの元に駆け寄ってくる。
ローザリンデの傍には、首が胴体と離れたワイバーンの死体が横たわっている。
「くさっ!!」
マリーが、ローザリンデの手前でピタッと止まる。
鼻を手で摘み、もう片方の手を前に出して近づかないでと伝えてくる。
「ちょっと! 淑女に失礼じゃない?」
「やめて! お嬢様! 近づかないで! 血の匂いがひどい!」
マリーがくるりと後ろを向いて、逃げ出す。
「こら〜! 待て〜!」
ローザリンデはマリーを追いかけ始めた。
「あの、殺人犯にしか見えないです! 怖い! 臭い! 来ないで!」
「ガハハ! 待て〜!!」
「待ちません!!」
そうしてしばらく二人でかけっこをしていると、
マリーがぴたりと止まった。
「お嬢様!」
「つーかまえた!」
「あの、臭いので離れてください。それよりちょっと音を聞いてください」
「どうしたの?」
ローザリンデは首を傾げた。
「なんか人っぽい声が聞こえません?」
ローザリンデは耳を澄ませた。
広場のはるか先から、何かと戦っているような、怒声が聞こえてくる。
「どうします?」
「……まずは様子を見に行ってみましょう。私たちを追っている人間のようだったら、申し訳ないけど逃げましょう」
マリーが頷く。
「じゃあ、行くわよ!」
ローザリンデが駆け出した。
再び森に飛び込む二人。
木々の間を抜け、薮をかき分けながら勢いよく進んでいくローザリンデの後ろを、マリーが少し遅れながらついていく。
助けを求める叫び声が、はっきりと聞こえてきた。
「少しスピード上げるわ」
「わかりました。後ほど追いつきます」
ローザリンデはチラリとマリーを見ると、スピードを上げた。
マリーが遠ざかっていくのがわかる。
叫び声が近い。もうすぐだ。
木々の間隔が、どんどん開けてくる。
何かを構えている男性が遠くに見える。
一人だ。
どうやら追手ではなさそうなので、ローザリンデは足をさらに速める。
「このっ! なんで当たらないんだ!」
「エミール! やっぱり僕も一緒に戦う!」
古びた街道跡で、一人の泥だらけの執事服を着た男性が、細身のレイピアを振るっている。
相手は眉間にツノが生えた兎、ホーンラビットだ。
「ユリウス様! お願いですから、隠れていてください!」
「そんなっ! エミール、君だけに負担を押し付けるわけにはいかない!」
執事の青年がレイピアを突く。
しかしホーンラビットはちょこまかと動き、執事のレイピアはかすりすらしない。
執事まで、もう数メートルのところ。
森の終わりまできて、ローザリンデは走るのをやめた。
木の影からこっそりと何が起こっているのかを見る。
戦っている男性の他に、壊れた馬車の残骸の近くに一人の青年がいる。
黒髪に金色の瞳。
綺麗な色だ。ローザリンデはそう思った。
黒髪の青年が、レイピアを構えた。
剣はなんとか持ち上がっていたが、遠目から見てもわかるほど手がプルプルしている。腰は完全に後ろに引けている。
「何このへっぴり腰」
ローザリンデは思わず木の影から顔を出したまま言ってしまう。
二人がローザリンデの方を向いた。
「あ」
慌てて口を塞ぐがもう遅い。
その瞬間、ホーンラビットがその尖った角を黒髪の青年に向けて走り出したのが見えた。
青年はローザリンデの方を向いたままだ。
「ユリウス様!」
執事が叫ぶ。
ユリウスが目の前のホーンラビットを見るが間に合わない。
胸元に角が突き刺さろうとしたその瞬間。
ゴキッ。
ホーンラビットの首が、握りつぶされる音がした。
「「え?」」
青年たちのシンクロした声が、街道跡に響く。
ユリウスの前にホーンラビットの首を握りしめるローザリンデが立っていた。
「だ、誰だ!!」
執事がローザリンデにレイピアを向ける。
ローザリンデはホーンラビットをポイと地面に捨てると、腰に手を当て胸を張った。
「私を誰だか知らない? 私の名前はローザリンデ・アイ……」
「お嬢様ああああああああああああ」
ローザリンデの名乗りは、マリーの叫びによって遮られた。
三人とも、叫び声のあった方を向く。
ドタバタと色々なものにぶつかる音がしながら、マリーが森から出てきた。
「ご無事でしたか! お嬢様!!」
マリーの額に皺がよる。
「お前ら! どこの誰だか知りませんが、うちのお嬢様に何をするつもりですか、万死に値しますわよ」
「いや、これは!」
「さっさと、お口を閉じて武器を捨ててくださいませ。張り倒しますわよ! あと三秒!」
マリーの物言いにあっけに取られる男性二人。
「マリー」
「はい、お嬢様。なんでしょう」
「淑女として、少し言葉遣いが乱れているのではなくて?」
「その通りですわ。てめえら命だけは助けて差し上げますわ、とっとと武器を捨ててくださいませ」
その言葉に満足そうなローザリンデと、ちゃんとできたと自慢げなマリー。
「な、バカにするな! 誰がお前らみたいな怪しい奴の言うことを聞くんだ! お前なんて、血まみれじゃないか!」
「お前?」
マリーが執事を睨みつける。
「……あなた、です」
「よろしい」
マリーの突っ込みに思わず姿勢と言葉を正す執事。
「怪しくなどありませんわ! 私の名はローザリンデ・アイ……」
「お嬢様!」
「そうでした。私はただのローザリンデですわ!」
眉間に皺を寄せる執事。
「おい、エミール。どうやら敵意はなさそうだ。それに先ほどの動きを見ただろう。彼女がやる気なら、すでに殺されている」
「……その通りですね」
渋々エミールがレイピアを下ろす。
「ふん!」
マリーが鼻を鳴らした。
「ローザリンデ、と言うんだね」
ローザリンデはユリウスの方に振り向く。
身長はそこまで高くないが、清潔感と品の良さを感じさせる。
「その通りですわ。あなたは?」
「……僕は、ユリウス。ただのユリウスだ。そしてこっちはエミール。僕に仕えてくれている執事だ」
エミールが嫌そうな顔で一礼する。
「助けてくれてありがとう」
「全然問題ないですわ! でも、あのへっぴり腰では最強にはなれませんので、直した方が良いですわ!」
苦笑するユリウス。
「そうだね。でも僕は剣術はからっきしなんだ。それにしても、ホーンラビットを一撃で仕留めるとはね。恐れ入ったよ」
「ただの角の生えたうさぎですわ」
「いや、兵士三人で相手にするような魔物なのですが……」
エミールがボソリと突っ込む。
「そうだ! あなたたち!」
ローザリンデが思い出したように言った。
「ご飯はもう食べまして?」
エミールとユリウスのお腹がなる音がした。
♦︎
「さあ、今日のご飯ですわよ!」
「「え?」」
先ほどローザリンデがワイバーンを倒した広場にて。
胴体と首が離れた一頭のワイバーンの死体の前で、ローザリンデは得意げにエミールとユリウスに言った。
「あの、この死体は何だい?」
「何ってワイバーンですわよ?」
「いや、それはわかるが……」
ユリウスの問いに、ローザリンデはクエスチョンマークを頭の上に浮かべる。
「なぜ首がちょん切れてる……? いや、あの……切れているのですか?」
エミールが、つい敬語になる。
「そんなのチョップしたからに決まっているじゃない」
ローザリンデはふっとバカにするように笑った。
「「……」」
思わず真顔で黙り込む二人。
「じゃあ食べましょうか!」
そう言って、ローザリンデはワイバーンの頭部を持ち上げた。
エミールとユリウスの目が真ん丸になった。
次の瞬間、ローザリンデはワイバーンの首の断面にかぶりつく。
「「え」」
「お、お嬢様……」
「ファフィ?」
口の周りを血だらけにしながら、ローザリンデが返事をしようとする。
「お嬢様!」
期待のこもった目で、エミールとユリウスがマリーを見つめる。
「先に食べてずるいですわ」
そう言って、マリーがワイバーンの胴体から肉を引きちぎり、食べ始めた。
エミールとユリウスの表情が絶望に染まった。
そんなエミールとユリウスをよそに、ローザリンデが話そうとする。
「フォウ? ファフェファイフォ?」
「え、なんて言っているんだい?」
ユリウスが思わず聞き返す。
ローザリンデが口の周りを血まみれにしながら、膨らんだ頬でモゴモゴ何か言おうとしている。
しばらく口を動かした後、やっとごくりと飲み込む。
「あなたたちも食べなさいよ」
「……」
先ほどかぶりついたところから少し離れた部分の肉を、首から素手で引きちぎって、ユリウスの方に差し出す。
ユリウスは、助けを求めるように、エミールの方を向く。
エミールは諦めたような目をして、首を横に振った。
絶望が表に出ないように気をつけながら、ユリウスはローザリンデの方を向いて、震える手を伸ばす。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう」
生肉。
とても温かい。
手が血だらけになっていて、手のひらから血が滴っている。
ユリウスは、もう一度エミールの方をチラリと見た。
エミールは遠い目をしている。助けになりそうにない。
ユリウスは覚悟を決めた。
震える手で口元に持っていく。
「えいっ!」
かぶりつく。
「……これは……!」
キラキラした目で、マリーとローザリンデがユリウスのことを見つめる。
「クソまずい!!!!!!」
沈黙が場を支配した。
「ネッチョリした血が口に広がるし、肉は全く噛みきれないし、鉄みたいな味が強すぎるし」
ユリウスが血まみれの口で話し続ける。
「……出されたものに、文句言ってんじゃないですわよ?」
ローザリンデが笑顔で脅す。
「いーや、これは料理への冒涜だね」
ユリウスが言い返す。
足はプルプルと震えている。
「最低でも、焼けばもっとマシになる。というか、なんで焼かないんだい?」
「ふっ」
ローザリンデが笑う。
ごくり。ユリウスが唾を飲み込む。
「焼かなくても食べれるのに、わざわざ焼く必要がないだけですわ」
「……お嬢様、素直に火魔法が使えないだけとおっしゃった方がいいかと」
再び沈黙が訪れた。
「……そういう事情なのはわかった。僕は火魔法が使える。ちょっと料理してもいいだろうか?」
ユリウスが聞く。
「まあ、変わるとは思えないですけど、いいですわ」
ローザリンデが頷いた。
「ユリウス様。こちらを」
エミールがアタッシュケースを差し出した。
ユリウスが受け取り、開ける。
「これは……?」
ローザリンデが覗き込みながら聞く。
「……僕の命と同じくらい大切なものさ」
中には、包丁やまな板などの調理器具が入っていた。
一本の包丁を取り出す。
「ワイバーンの肉を切るのは初めてだが、なんとかなるだろう」
「包丁の良し悪しはわかりませんが、相当に高価そうですわね」
ユリウスが、ワイバーンの方に歩いて行き、そこから肉をスライスする。
「まあ、こんなもんか」
ユリウスがキョロキョロとしていると、エミールがいつの間にか馬車の破片を持っていた。
「ここじゃどうせ直せませんし、このまま火種にしてしまいましょう」
そう言ってそこら辺にあった石を持ってきて、簡易的なかまどを作る。
「ファイヤーボール」
木に炎がついた。
「石を簡易的なフライパンがわりにする」
エミールが平たい石を持っていた。
「ウォーター」
エミールが水魔法を発動して、汚れをごっそりと落とす。
「よし、こんなもんかな」
エミールが、炎の上に石を置く。
しばらく待ってから、ユリウスがワイバーンの肉を石の上に置く。
じゅわ。
煙と共に、脂の溶ける音がした。
「おお……これは期待できそうだ」
ユリウスが笑顔になる。
「……早く食べたいですわ」
そわそわするローザリンデ。
マリーも涎を垂らしている。
ユリウスが苦笑いをする。
「もうちょっと待ってくれ」
アタッシュケースから取り出した二本の歯を持つ巨大なフォークで、肉を反対側に裏返す。
「オニール草だ。こいつと一緒に焼くと香りがつくんだ」
そう言いながら、乾燥した草を入れる。
オニール草の、わずかな苦みの混じった、松に似た香りが漂う。
「よし! では切ってみよう!」
アタッシュケースからナイフを取り出して切り取る。
「ほら、お食べ」
差し出されたフォークを受け取って、ローザリンデは肉のかけらを口に運んだ。
「……おかしいですわ」
ローザリンデが次の瞬間に呟いた。
「何がおかしいんだい?」
「肉が口の中で、とろける脂と共にいきなり消えましたわ?」
ユリウスがにっこりと笑った。
「それが、料理ってことさ」
ローザリンデがプルプル震えた。
「決めましたわ……! 私、あなたと一緒に旅しますわ!」
ユリウスとエミールは顔を見合わせた。
♦︎
アイゼンヴァルト公爵家の別荘にて。
ドンっ!
机を叩く音が、執務室に響き渡った。
「なぜっ! あの小娘がいないのだ! どうなってる!」
「すみません、見張りを置いていたはずなのですが、寝ていたらしく……」
公爵代理であるポルコは、青筋を立てながら、目の前に立っている執事を怒鳴りつけた。
「無能は首だ! 他家への紹介状もなしで、即刻首にしろ!」
ポルコは爪を噛んだ。
「結納金が入らねば、我が家は大損失だ……このままではまずい……」
執事は黙って俯いている。
ポルコが顔を上げた。
「おいっ! 敷地内は探したんだろうな!?」
「は、はい。メイドも総動員で探させました」
「ちっ。本当にどこに行ったんだ……」
ポルコはいらだたしげに机を蹴る。
「小屋は森に隣接していますが、流石に慣れていない者が森を歩くのは困難でしょう。どこか近隣の村に逃げたのではないかと」
「そうだな。よし、近隣の村に手配書を出せ。そうだな……誘拐されたことにしておこう」
「はっ、承知しました。早速手配してまいります」
執事が出ていく。
扉が閉まるのを見て、ポルコはいらだたしげに立ち上がり、机の上の書類を部屋に撒き散らす。
「くっそ! クズのくせに! 手間取らせやがって!」
ふー! ふー!
鼻息荒く、ポルコは叫んだ。
「これでは、あいつの両親を……兄貴夫婦を事故に見せかけて殺したのも意味がないではないか!」
このままローザリンデが行方不明のままだと、死んだと正式に認められるまで数年かかってしまう。
そうなったら、ポルコはそれまで正式に公爵になることもできない。
「伯爵には、なんて言い訳すれば……」
ポルコはセブルス伯爵に多額の借金をしていた。
今回の婚姻は、その借金の帳消しだけでなく、結納金も追加で得られる契約だったのだ。
「とにかく、あの小娘がいないとダメだ……何としても見つけ出さねば」
ポルコの瞳が怪しげに光った。
♦︎
「えーっと、僕たちと旅をしたい?」
「ええ、一緒に行きたいですわ」
ユリウスは目の前の少女のことを爪先から頭のてっぺんまで見た。
「ユリウス様。この森を我々だけで抜けることは不可能。であれば、少なくともこの森を抜けるまでは一緒にいてもいいのではないかと」
エミールがユリウスに、耳打ちする。
ユリウスは地面を見つめる。
「……ホーンラビットに我々は勝てなかった。この先、もっと強力な魔獣がいるかもしれない。我々に拒否権はないか」
ユリウスは顔を上げ、にこやかに笑うローザリンデの方を見た。
「……ローザリンデ殿。こちらこそ、少なくとも森を抜けるまでは一緒に旅をしていただきたい。その代わり、できるだけ料理を振る舞おう」
「わかりましたわ。よろしくお願いしますわ」
どちらともなく、手を差し出し握手をする。
これが後に王国を揺るがす出会いであったことは、まだ誰も知らない。
たくさんの作品の中から、本作をお読みいただきありがとうございました。
最後まで読んでいただけたこと、とても嬉しいです。
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