真っ黒森の魔法使い
「あ、鍋がない」
「鍋って、まさかシチューの入った、あの鍋か?」
「そうそう、それそれ。
そうだ。お前が急に来るから、シチューを作り直したんだ」
「君の夕食を横取りして申し訳なかった。
しかしそれはそれとして、呪いを解くための薬をシチュー鍋で作るのか?」
「料理も製薬も一緒だよ。
使い慣れたもので作る方が失敗が少ない」
まあ実際には失敗することはないんだけど。
俺は台所へ行くと残ったシチューを小鉢に移し、鍋を洗った。
真っ黒森の奥深く
魔法使いが潜んでる
彼に用事がある者は
魔法の呪文を探さなきゃ
これは三百年ぐらい前から歌い継がれている童謡である。
魔法使いは普通の人間よりも少しばかり長生きだが、さすがに三百年は生きない。
それに魔法の呪文というのはなんなのか?
そもそも魔法の呪文を唱えるのは魔法使いだから、ちょっと妙な歌詞である。
結局この歌は、真っ黒森の奥に魔法使いが住んでいることだけしか伝えていない。
それはさておき現在、真っ黒森の奥に潜む魔法使いといえば俺のことだ。
昔はひょっとすると呼び出しの呪文があったのかもしれないが、俺には伝わっていない。
それに実際、わざわざ呼び出されなくても森の入り口付近でうろうろしている者がいればわかる。
魔法使いは耳がいい。
二人以上で森に来る者はたいてい会話するから、だいたいの用事はわかる。
惚れ薬だとか毒薬だとか、足が付いては困るようなヤバい薬をご所望の場合は放っておく。
諦めずに長時間うろうろしていると、森に住むオオカミやらフクロウやらが不気味に鳴いたり姿を見せたりして追い払ってくれるのだ。
昨夜は独り言を言うやつが来て煩いと思ったら知り合いだった。
『あ、まずい。森まで来たけど呼び出しの呪文を知らなかった』
聞き覚えのある声に、すぐに転移魔法で家まで呼び寄せる。
奴は何事かがあって、ひたすらにここまで来たように見えた。
いかにも疲れて空腹そうだったので、自分の夕食用のシチューを出したら食い尽くされた。
そのままソファで眠り込んでしまったので、仕方なく自分用にシチューを作り直したのだ。
渾身の出来だったはずのシチューを食べそびれた恨みで休む気になれなかった俺は、眠っている奴を観察した。
どうやら呪いをかけられて困っているらしい。
魔法使いの目は誤魔化せない。
こいつは、学生時代の友人だった。
俺は人づきあいが悪いから、たった一人の友人だ。
親友と言っても過言ではない。
俺はしがない男爵家の三男坊。
貴族学園に入学する時『学費と寮費は払ってやるから、後は自分でなんとかしろ』とありがたい言葉と共に放り出された。
恨んでいないが感謝もない。
それ以来、実家とはぷっつり縁が切れた。
利の無い相手とは馴れ合わない、それが貴族というものである。
学園でいろんな授業を受けるうちに俺は魔法の才能に恵まれていることがわかり、魔法学においてはトップで卒業した。
しかし、社交的な素養が皆無な俺は就職先を得ることが出来なかったのだ。
卒業直前になってから就職相談に行って呆れられた結果、舞い込んできたのが真っ黒森の魔法使いという仕事。
大昔、真っ黒森は凶悪な魔物の生まれる森として知られていたのだが、三百年前に現れた魔法使いが森に住み着いて以来、魔物たちは性格が丸くなり人間とトラブルになることもなくなったと聞く。
魔法使いは何回か代替わりしており、ちょうどそのころ引退したくなった先代が学園に求人を出したのだ。
グッドタイミングである。
だがしかし、真っ黒森の魔法使いといえば国中に知られる存在。
学園で学んだだけの経験不足の若者では役に立たないのではないかと思った。
ところが、もしも駄目なら森が拒否するので、その時は次を探すから大丈夫と言われた。
真っ黒森はともかく、俺の次の就職は探してもらえるのか不安だったが、とりあえず森へ赴くしか道はない。
初めて森に着いた時、前任者はすでにいなかった。
道案内はどうすればと思ったが、フクロウだとかオオカミだとか拳大のクモだとかが興味津々の顔で入り口あたりに集まり、こちらをうかがっていた。
「こんにちは。新しい真っ黒森の魔法使いとして来たんだけど、家はどこかな?」
人の気配もないし、物は試しと彼らにあいさつしてみた。
すると、彼らは円陣を組んでなにやら相談を始めたのである。
やがてフクロウが俺の目の前まで飛んできて、着いてこいと森の中へ入っていく。
どうやら森の承認を得られたようだ。
森の奥には畑付きの小屋があり、小屋の中身は想像以上に広かった。
寛げること間違いなしの立派なソファがあり、そこへ座ると正面の白い壁に大きな映像が映し出された。
そこは今居るこの部屋と同じ場所で、中央には一人の男が立っていた。
『これを見ているということは、君は実力ある魔法使いだろう。
儂は初代の真っ黒森の魔法使いだ。
儂は君に知恵を授けよう。
魔法の勉強にかまけてきた者は、たいてい社交性がないし世事に疎いからな。
儂は異世界から転生して、ここで魔法使いになったのだ。
元の世界ではニジカンドラマのオタクで有名だった。
この壁には、儂が記憶していた限りのニジカンドラマが映し出される。
ニジカンドラマは偉大だ。
人間心理、人間社会のすべてがここにある。
時間の許す限り、この映像を観て、しっかり学ぶがよい』
画面の人物は消え、たくさんの文字が並ぶ。
一つを選ぶと、見慣れない風景の中に不思議な衣装を着た人間たちが現れた。
どうやらニジカンドラマというのは異世界の芝居のようだ。
翻訳されたセリフは、ところどころわかりづらいが、話の筋は明確だ。
何本か観ていくと主人公を務める役者はある程度決まっているようだ。
俺は中でもナコッシュさんという男性の役者が気に入った。
彼は崖っぷちが好きなようで、そこでよく事件の解説をしている。
風通しが良くて気持ちよさそうな場所である。
ニジカンドラマで勉強しつつ、真っ黒森を探検したり、家に付属した畑を耕したりする日々が始まった。
魔法に必須の薬草はその辺にいくらでも生えている。
真っ黒森は魔力にあふれた場所らしく、ごく普通の雑草は生えることすら無理なようだ。
最初は珍しい薬草の数々を確認しては喜んでいたが、すぐに飽きてしまった。
家から少し離れれば、薬草図鑑でしか見られないはずの幻の薬草まで生えているのだから。
家と畑には結界が張られていて、ごく普通の作物が取れる。
ただちょっと、野菜のほかに肉の生る木と卵の生る木と割ると牛乳が出てくる実のなる木があるけれど、まあ真っ黒森だからそんなものなのだろう。
食べ物の入手に手間がかからないおかげで研究はし放題。
真っ黒森までやって来た善男善女の悩みを解決するなんて、簡単すぎて暇つぶしにもならないのであった。
だがこれもすべて、先達が授けてくれたニジカンドラマのおかげである。
あれを見せてもらっていなければ、心の機微を察するのに時間がかかりすぎてお悩み解決にたどり着けなかっただろう。
学生時代の唯一の友は翌朝、急に訪ねてきた理由を話した。
「婚約したんだ」
「それはおめでとう」
「ありがとう。
お前、森に引きこもっているのに臨機応変におめでとうの言葉が出てくるなんて、変わったな」
「俺も大人になった」
「そうか。それはよかった」
「それで?」
「可愛い婚約者の姿が、ある日から妙な具合に見えるようになって」
「具体的に言え」
「身だしなみに気を使う彼女に、チョビ髭が生えていた日があった」
「チョビ髭」
「最初は、僕を笑わせようとしたのかとも思ったが、場所が人目の多い街中のカフェだったし、有り得ないだろう?
それに、周囲の店員や客の反応は普通だった。
まるで、何も変わったことはないようにふるまっていた」
「ずっとチョビ髭が?」
「いや、その次会った時には角が生えていた。
帽子を突き破って生えているのに、脱いだ帽子には穴がなかったんだ。
それで、これは魔法とか呪いに関するものなんじゃないかと思って。
お前に相談することを思いついて、ここまで来た」
「そうか。よく来てくれた、力を貸すよ」
本当に、俺に相談して正解だ。
会うたびに変化する見た目ということは、だんだん見た目が酷くなっていく可能性もある。
本心ではないのに、若い女性を見て驚いたり嫌悪感を示したりしたら、お互い取り返しがつかない心の傷になることも在りうる。
ナコッシュさんのニジカンドラマにも、嘘で恋人同士がすれ違うように仕向けられ死に別れるという悲惨な話があったぞ。
「とりあえず、お前は呪われている。
たぶん、婚約者の姿だけが妙な具合に見える呪いだな。
それを指摘しても他の人間には見えていないから、悪くすれば婚約解消へ話が進むだろう。
それを望む者に心当たりはあるか?」
「素行が悪くて婚約解消されたばかりの、年上の従兄がいる。
俺の婚約は婿入り予定だから、羨ましがっていた。
おそらくあいつじゃないかと」
「そうか。
じゃあ、呪い返しを付けとくから、従兄の様子を見ておけ」
「ありがたい。
お礼はいかほど出せばいいだろう?」
「金なら要らん。
ここでは必要ないからな。
ああそうだ。披露宴には招待しないで欲しい。
それで十分だ」
「来てくれないのか?」
「済まん。これでもここで忙しくしているんだ」
それなりに困っている人間が訪ねてくるし、まだまだ観なければならないニジカンドラマも残っているからな。
俺は洗った鍋に水とそのへんで摘んできた呪いポイポイ草を入れて火にかけた。
そのままだと苦くて臭いので、無味無臭の魔法もかけておく。
沸騰してから三分煮だし、カップに注いで少し冷ます。
「ほい。解呪の薬湯だ。今すぐ飲め」
「いただきます……適温だ。しかも不味くない」
薬湯と聞いて覚悟していたらしい奴は、無味無臭に驚いたようだ。
それから、奴を森の入り口まで送った。
この程度の相談なら、いつでも受けてやると言って。
ちなみに、呪い返しの内容は『私が犯人です』と書かれた誰の目にも見えるタスキがかかるというものだ。
外しても外しても現れ、どんなに素晴らしい装いをしても、いつの間にかその上にタスキがかかる。
そう、王城の夜会に正装で向かおうとしても、礼服で葬儀に参列しても必ず『私が犯人です』のタスキがかかってしまうのだ。
呪いの解き方は簡単だ。
呪いをかけた相手に正直に話して謝ればいい。
自分の心の醜さを認めさえすれば解けるのだ。
さあどうする、犯人よ。
お前は今、崖っぷちに立たされた。




