第6話 告白、そして溶ける心
第6話 告白、そして溶ける心
轟音の余韻が、まだダンジョンの奥に残っていた。
崩れた岩。焦げた床。熱を帯びた空気。
巨大な変異サラマンダーは討伐されたが、その代償はあまりにも大きい。
倒れ伏す冒険者たち。その中心で、膝をついたまま動かない青年――ルーク。
レティシアは大量の回復薬を抱えたまま、足を止めた。
視界が、揺れる。
「……ルーク?」
返事はない。
血に濡れた背中。焼け焦げたマント。肩口から滴る赤。
次の瞬間、彼女は走っていた。
抱えていた回復薬が床にぶつかり、鈍い音を立てる。そんなことはどうでもよかった。
彼の前に膝をつき、震える手で頬に触れる。
冷たい。
いや、まだ温もりはある。
「しっかりして……!」
声が掠れる。Aランクパーティに同行する許可をもぎ取ってここまで来た。嫌な予感が消えなかったからだ。
それでも――間に合わなかったらどうするつもりだったのか。
治癒術師が駆け寄り、霊薬の小瓶を差し出す。
「……これが最後だ。使えば、我々の備蓄は空になる」
「構わないわ」
即答だった。
全財産を投じてでも揃えた超希少の回復薬。その最後の一本を、レティシアは迷いなくルークの唇へ運ぶ。
とくり。
喉がかすかに動く。
数秒の沈黙。
永遠のような時間。
そして――
ぴくり、と指先が動いた。
ゆっくりと、まぶたが開く。
焦点の合わない瞳が、やがて彼女を映した。
「……え」
かすれた声。
レティシアの胸が強く跳ねる。
「今の……もう一回、いいですか?」
「……は?」
間の抜けた言葉に、一瞬思考が止まる。
ルークはゆっくりと体を起こした。焼け焦げた服と血の跡は残っているが、致命傷は完全に塞がっている。
「……体は治ったけど、体力はまだ戻ってないな」
かすかに苦笑しながら胸に手を当てる。
治癒術師が低く呟く。
「……あの霊薬がなければ、確実に死んでいた」
その一言が、重く胸に落ちた。
指先が震える。
(全部なくなってもいい)
金も、備蓄も、誇りも。
(あなたが生きているなら)
「回復薬、すごすぎですね……」
ルークは自分の胸を触りながら苦笑する。
「でも、その……レティシアさんが近すぎて……」
「何よ」
「顔、綺麗すぎて……抱きしめられてて……俺、心臓止まるかと」
ぴしり、と空気が凍る。
「……治ってるの?」
「はい。ぴんぴんしてます」
満面の笑み。
次の瞬間、彼女の拳が彼の胸を叩いた。
「馬鹿……!」
怒鳴ったはずなのに、声は震えている。
「死にかけてないの?」
「死にかけました。でも」
ルークの瞳が、真っ直ぐに彼女を射抜く。
「あなたの顔が浮かんだんです」
ギルドで見せた笑顔。
心配そうな瞳。
あの優しい視線。
「……こんなところで、死ねないって思った」
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
「あなたを安心させたい。あなたの隣に立ちたい。だから、最後の一撃を振れました」
飾らない、真実の声。
理性が、崩れ落ちた。
レティシアは彼を強く抱きしめる。
「あなたが好きなの……!」
溢れ出す涙。
「お願いだから、死なないで……!」
失う恐怖が、言葉となって零れ落ちる。
「今度は、私から言うの……!」
ダンジョンの熱も、崩れた岩も、何もかも消えてしまったかのように。
ルークは目を見開き、やがて困ったように笑う。
「……聞いちゃいましたよ?」
「忘れなさい!」
「無理です。一生覚えてます」
「無理じゃないのよ!」
「無理です!」
言い合いながらも、その距離は離れない。
彼の瞳に迷いはない。
「俺、Aランクになります」
はっきりとした宣言。
「あなたに並びます。守られる側じゃなくて、守れる男になります」
それは第5話で芽生えた誓いの続きだった。
次は彼女を守る、と。
レティシアは涙を拭い、かすかに笑う。
「……馬鹿」
「はい」
「本当に、馬鹿」
「はい」
素直な返事に、胸が温かくなる。
「今度、無茶したら許さないわ」
「じゃあ、生きて帰る理由が増えましたね」
その笑顔に、恐怖の残滓が静かに溶けていく。
失うのが怖くて閉ざしていた心。
愛すれば、また奪われるかもしれないから。
――それでもいい。
この人となら。
「約束よ」
「はい」
「必ず、生きて帰ること」
「あなたの隣に立つまで、絶対に死にません」
焼け焦げたダンジョンの中で、二人は静かに手を握る。
その誓いが、やがて現実になることを、まだ誰も知らない。
だが確かに、この瞬間。
未亡人だった受付嬢の凍った心は、完全に溶けた。
そして、若き冒険者は新たな目標を胸に刻む。
――Aランクへ。
彼女の隣に立つために。




