第4話 不在と不安
第4話 不在と不安
ルークがギルドに姿を見せなくなって、三日。
遠征だろうと、最初は思っていた。
五日。
七日。
十日。
胸の奥が、静かに軋みはじめる。
◇
「北方深層迷宮で、死傷者多数だ」
その言葉が耳に入った瞬間、ペン先が止まった。
北方深層迷宮。
ルークが向かった場所だ。
「Bランク以上が巻き込まれたらしい」
「若いのもいたとか」
呼吸が浅くなる。
受付嬢として、表情は崩さない。
だが、耳は勝手に噂を拾う。
◇
夕刻。
暫定報告書が届く。
負傷者多数。
死亡者確認中。
そして――
「生死不明」
その欄に、彼の名前があった。
ルーク・ハイド。
視界が歪む。
“死亡”ではない。
だが、“生存”でもない。
あの日の記憶が蘇る。
死亡証明書。
冷たい指。
遺体安置室の匂い。
やめて。
心が悲鳴を上げる。
◇
ギルド内は騒然としていた。
「深層で変異種が出たらしい」
「救援は出せないのか」
「まだ内部が安定していない」
レティシアは静かに書類を整える。
「続報が入り次第、掲示します」
完璧な声。
だが、胸の奥は崩れかけている。
祈ることしかできない自分が、悔しい。
冒険者ではない。
戦えない。
ただ、待つだけ。
◇
夜。
一人になった途端、張りつめていた糸が切れた。
「……お願い」
机に伏せる。
「無事でいて……」
強くなると言った。
約束すると言った。
Aランクになったら、と。
まだ、答えていない。
何も。
もし。
このまま帰ってこなかったら。
想像した瞬間、呼吸が止まる。
――嫌。
それだけは。
もう、あんな朝は嫌だ。
名前だけが残る世界は嫌だ。
胸の奥で、はっきりと自覚する。
好きだ。
彼が。
失いたくない。
誰よりも。
◇
翌朝。
続報が入る。
「深層に取り残された者がいる」
「救助は困難」
変異サラマンダー出現。
炎熱域。
救援班編成中。
その言葉を聞いた瞬間、レティシアは立ち上がっていた。
「……同行許可を」
周囲が凍りつく。
「正気か」
振り向けば、父――ギルド長。
「ただの受付嬢だぞ、お前は」
「分かっています」
震える手を握りしめる。
「ですが、回復薬の管理と運搬は私が最適です」
理屈を並べる。
本音は言えない。
助けたい、などと。
「私が行きます」
父は長く沈黙した。
やがて低く言う。
「……自己責任だ」
父の言葉に、レティシアは静かに一礼した。
その足で向かったのは、ギルド地下の保管庫だった。
薄暗い石造りの通路を進み、奥の鉄扉を開ける。
取り出したのは、小さな水晶瓶。
淡く金色に輝く液体が、静かに揺れている。
――特級回復薬。
王都の錬金術師から極秘に取り寄せた、超希少品。
四肢欠損ですら繋ぎ止めると噂される、奇跡の霊薬。
その代価は、彼女の全財産。
亡き夫が遺した補償金も、これまで蓄えた給金も、すべて。
本来なら、老後のための備えだった金。
けれど今、その価値はただ一つ。
「……生きていてくれれば、それでいい」
瓶を胸に抱きしめる。
もう、何も惜しくはなかった。
初めて、自分から踏み出す。
祈るだけでは終われない。
失いたくないなら、動くしかない。
◇
大量の回復薬を抱えながら、思う。
もし間に合わなかったら。
もし、遅かったら。
怖い。
足が震える。
それでも止まらない。
もう、隠さない。
認める。
私は。
ルークを失いたくない。
愛している。
その想いを胸に、彼女はダンジョンへ向かった。




