第1話 凍りついた心の受付嬢
第1話 凍りついた心の受付嬢
ギルド本部の大理石のホールは、今日も喧騒に満ちていた。
剣戟の音、怒号、笑い声。
命を賭ける者たちの熱気が、空気を震わせている。
その中心に立ちながら、ただ一人、静かな存在があった。
受付嬢――レティシア・アルヴェイン。
二十八歳。元ギルド長の娘。未亡人。
「次の方、どうぞ」
柔らかな声で呼びかけながら、彼女は書類を整える。
依頼内容、危険度、討伐区域の重複。
冒険者の癖や過去の負傷歴まで、すべて頭に入っている。
「あなたは前回、右肩を負傷しています。無理はなさらないでください」
「……よく覚えてるな」
「受付嬢の仕事ですから」
にこり、と微笑む。
完璧な笑み。
だがその瞳の奥は、凍りついている。
◇
「受付さん、今日も綺麗だな」
「今夜、空いてます?」
昼下がり、若い冒険者が声をかける。
レティシアは迷いなく答える。
「申し訳ありません」
一拍置いて、
「私は未亡人ですので」
空気が変わる。
左手の指輪が、静かに光る。
夫、アレクシス。
Aランク冒険者。華やかな武勲を持つ男。
任務中に死亡。
――そして後に発覚した、ヒーラーとの裏切り。
愛していると言いながら、別の女にも同じ言葉を囁いていた。
泣き尽くしたあの日から、彼女は決めた。
誰も、信じない。
◇
夕刻。
依頼の波が落ち着き、ホールに西日が差し込む。
そのときだった。
ギルドの重い扉が、ぎぃ、と軋む。
振り向いた冒険者たちの視線の先。
立っていたのは、見慣れない青年だった。
まだ若い。二十代前半だろうか。
装備は簡素。新品の革鎧はまだ硬そうだ。
だが――目が違った。
きょろきょろと辺りを見回しながらも、どこか楽しそうで、期待に満ちている。
初めて来た新人だ。
彼は一瞬迷い、そして一直線に受付カウンターへ歩いてきた。
「えっと……すみません」
声は明るい。
近くで見ると、なおさら若い。
「ここで、冒険者登録ってできますか?」
ああ、とレティシアは思う。
本当に、初めてなのだ。
「はい。登録証をお持ちですか?」
「これです!」
元気よく差し出されたカード。
Eランク。つい先ほど発行されたばかりだ。
手が、少しだけ震えている。
緊張しているのだろう。
それでも目は輝いている。
「本日が初依頼ですか?」
「はい! ずっと冒険者になるのが夢で!」
屈託のない笑顔。
その無防備さに、レティシアはほんのわずかに眉をひそめる。
――危うい。
この世界は、そんな顔で生きていけるほど甘くない。
「最初は低難度依頼を推奨します。森の薬草採取が無難です」
「分かりました!」
即答。
素直すぎる。
普通の新人なら、もう少し虚勢を張る。
「危険を感じたら、すぐ撤退を」
「はい!」
返事がまっすぐすぎて、思わず目を上げる。
青年は、じっと彼女を見ていた。
値踏みするような視線でも、色を含んだ視線でもない。
ただ、まっすぐに。
まるで、眩しいものを見るみたいに。
「……何か?」
「いえ。すごいなって思って」
「何がですか」
「なんか、全部分かってそうで」
屈託なく笑う。
その言葉に、レティシアの胸が、わずかに軋んだ。
全部分かっているわけではない。
分からなかったから、失ったのだ。
「依頼書をお渡しします」
感情を切り離し、事務的に処理する。
青年は依頼書を受け取ると、ぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます、受付さん」
その呼び方が、妙に耳に残る。
名乗っていないことに気づく。
「お名前は?」
「あ、すみません! ルークです!」
にっと笑う。
「ルーク・ハイド」
その名が、静かに胸に落ちる。
「無事に戻ります」
軽く手を振って、彼はホールを出ていった。
◇
夜。
依頼帰還の報告が次々と上がる。
薬草採取――成功。
負傷なし。
提出された袋の中身は、丁寧に仕分けされていた。
「初日でこれは上出来ですね」
思わず口に出していた。
そのとき。
「受付さん!」
振り向くと、朝の青年――ルークが立っていた。
土で少し汚れているが、怪我はない。
「無事に戻りました!」
誇らしげな笑顔。
胸の奥で、小さく何かが揺れる。
安堵。
それに気づいた瞬間、レティシアは自分で驚いた。
ただの新人だ。
それだけのはずなのに。
「ご苦労さまでした」
いつも通りの声で返す。
だが。
彼が帰る背中を、なぜか目で追ってしまった。
――どうして?
凍りついているはずの心が、ほんの少しだけ温度を持つ。
その理由を、彼女はまだ知らない。
これが、すべての始まりだった。
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