波乱
翌日、魔界のSNSは大炎上だった。
ハッシュタグ『#ヴァルプルギスの夜』で検索をかけると、セルジュが魔法を使ったところが切り抜かれて続々と投稿されている。
ヴァルプルギスの夜って魔法禁止じゃなかった?
悪夢を呼ぶなんて何考えてるの?
自業自得。
こわぁい。
コメントが追えないほどスクロールしていくのを見て、セルジュはため息をついた。
「ミカエラはさぁ、ほんとに俺をパートナーなんかにしちゃって良かったの。ネットニュース見てよ、非難囂囂じゃん」
わざわざ変装して、ミカエラの大学に来たセルジュは、中庭のベンチで脚を組みながら画面を見せた。
「くどい。私からお前がいいといったのだぞ。そも、悪夢と王国は統一されたのだ。私の父は悪夢出身であるし、差別に聞く耳を持つ方が愚かしい」
ミカエラはセルジュの端末を奪い、タスクキルしてフーディのポケットに突っ込んで返す。無抵抗にそれを眺めていたセルジュの鼻を摘んだ。
「そうは言ってもねえ、プリンセスが俺みたいなのに誑かされたと知ったら、みんなあなたから離れていくよ。距離を取るなら今のうち」
「取ると思うか? この私が」
「思わないかなぁ」
「ならば今の時間は完全に無駄だったな」
「俺はプリンセスのことを思って言ってるのに」
「ならば最初から話しかけるべきではなかった」
「ぐうの音も出ねえ」
んはは、と乾いた笑いをこぼし、セルジュははぁ、とため息をついた。端末を服越しに撫で、ミカエラに向き直る。
「いいよ、俺もプリンセスの覚悟に付き合ってあげる」
「……嬉しい」
二人は指を絡め、そっと額を合わせる。
「浮気したら許さないぜ、ダーリン」
「するわけないだろう、ハニー」
二人は中庭の木陰に隠れてひっそりキスをした。初めてのキスは、少しほろ苦くて、甘かった。
「……ミカエラ、最近悪夢の匂いがする」
「本当か、シャワーには毎日入っているが」
「危ないことしてない? 」
「してないしてない」
擦り寄ってくるアデーレを宥めてやる。最近の炎上騒ぎもあって、アデーレの方がナイーブになりがちだった。当事者であるミカエラはケロッとしているもので、
「有象無象の言葉なぞどうでもいい」
と言い放った。むしろ差別する心理の良い見本になると、SNSを眺める始末。肝が座り過ぎているのも恐ろしいものだ。
アダムはそんなミカエラを悩ましく思っていた。女王も王配も、自分たちが恋愛婚なため強く出ない。むしろ歓迎して今の所見守っている状態だ。世論をいまいち見極められていない。女王たちが恋に落ちた時と今では事情が異なるのを、二人は理解していなかった。
元老院はといえば、魔界統一の象徴として二人の婚姻を願う悪夢派と、悪夢を排除したい王国派で意見が真っ二つに割れており、軋轢を生んでいる。このままでは新たな火種になりかねない。
アダムとて本心は悪夢派だ。魔界統一の象徴がどうの、ということは置いておいて、二人が幸せになればいいと思う。セルジュは特に、辛い幼少期を過ごしてきたことを知っているから好きな人と共にあれたらそれがいい。
だが、そうもいかないのが王族だ。一般人と変わらぬ日々を生きるだけで国に影響を与える。セルジュはダメだ。相性が悪すぎる。ただでさえ闇の盾として名が知れている男は、ミカエラの隣に立つには劇物すぎた。
──何もなければ良いのだが。
ミカエラはイライラしながらスマホの画面を見ていた。ぼんやり光ったまま、十分ほど変化のないチャット画面を見て、布団に飛び込む。
「……既読すら付かない! 」
ここ最近、セルジュと会えていない。苛立ちからカツカツと爪で画面を叩いてしまう。セルジュは以前なら無理に時間を作ってミカエラに会いにきたものを、最近はそれもなくなった。代わりに濃密な時間を過ごせはするのだが、それもいずれ消えていくだろう。
理由はわかっている。
セルジュはミカエラの邪魔になりたくないのだ。初対面の時、彼は
「ミカエラが戴冠する日を見たい」
と言った。その気持ちが強くなったのだろう。SNSの反応を見て、やはり自分とは釣り合わないと判断したのだ。それならキスしたり抱いたりしなければいいのに。やることがいつも中途半端なのだ。
「生い立ちを憂いているのか? くだらない。取り替え子の悪夢などよく聞くことだ」
セルジュは、実は王国民の生まれだ。だが、母親が目を離したその一瞬で、悪夢の母親が自身の子の幸せを願うあまり、子をすり替えた。それから、セルジュは母の代わりに労働をし、闇の魔法を覚え、命じられるままに命を屠ってきた。
「いい人生とはいえない」
とベッドでポツリとこぼしたその瞳の暗さを、ミカエラは覚えている。
SNSで拡散されるうち、セルジュのことはすぐに特定された。今まで姿を見せなかった闇の盾が、将来は王配になり独裁者となるかも知れないと陰謀論に怯える民に、セルジュ自身も危機感を持ったかもしれない。ほとぼりが覚めるまで関わらぬつもりか、それともこれで本当に縁を切るつもりかわからない。
あの男は馬鹿なのだ。避けることで守ったつもりになっている愚か者。一度添うと決めたなら、最後まで貫き通せと頬を張りたいくらいだった。
ミカエラはついに決心する。家に突入だ。
普段、セルジュは闇の魔法で存在を秘匿された魔法の屋敷に住んでいる。そこでミカエラとひっそり甘い時を過ごすのだが、おそらく今日もそこに篭ってソングライティングをしているはずだ。ならば行くしかあるまい。仕事の邪魔をするのは忍びないが、ここまでされるとミカエラの案外短い堪忍袋の尾も切れる。
私に構わずして、差別と向き合わずして、何が覚悟か。甘っちょろいことを言うな。
瞬間移動魔法に透明魔法を使ったミカエラは、屋敷の前にたどり着くと一度ドアを開こうとした。当然、鍵がかかっていて開かない。ならばこうするまで。結界を張り、杖でドアの鍵を叩く。
「解錠」
カチン、と音を立ててドアの鍵が開く。光魔法で無理やり解錠したため、屋敷内はアラートが鳴り響いているだろう。知ったことではないが。
「セルジュ! いるな! 」
次の瞬間、どたん! と二階からセルジュがスッ転んだ音が聞こえた。途中までは格好良く様子を伺っていたのだろうが、いい気味だ。それから、ドタドタと階段を降りるやかましい音が聞こえ、スウェット姿のセルジュが顔を見せた。
「み、ミカエラ……」
「お前、覚悟とやらはどうしたのだ。私に寄り添わずして何がダーリンだ、馬鹿者」
「……ごめん。でも俺、やっぱり離れた方がいいと思って…」
「それが馬鹿だと言っているのだ! 向き合わずして事の収束はないと思え! 」
ミカエラの叱責がビリビリと響く。もともと声が通るから迫力は凄まじかった。悪夢の中でも指折りの魔法使いであるエリアスや、王であるエーミールの威圧感を知るセルジュが、反射的に身を縮めたくらいには。
「……うん、ごめん。俺、中途半端だったね……」
「理解したようでよろしい」
「話、しにきたんだよね……応接室で話そう」
セルジュに案内されるまま応接室に行く。いつもは館に来ると寝室に直行するので、入るのは初めてだ。
「座って、紅茶も出すよ」
黒の天鵞絨が張られたソファは、王宮にあるものに負けず劣らず座り心地が良い。安心して身を預けると、魔法をかけられたティーポットたちが踊り、ミカエラの前に紅茶が用意される。上質なストレートのダージリンだ。実に香り高く美味で、良い茶葉を用意していることがわかる。
「それで、お前は私から逃げて安寧は掴めたのか」
「……ううん。君が誰かのものになる未来を想像して嫉妬してたよ。だから、音楽に逃げてた」
俯き暗い顔でセルジュは応えた。手遊びをしながら、落ち着きがない。多分、本心を話すのが怖いのだ。悪夢たちは、弱みを握られれば生きていけない弱肉強食の世界を持つ。そこで生き残ってきた彼は想いを言葉にすることが苦手だった。
「音楽はお前に応えたか? 」
「ダメだね、出てくる歌詞も曲も全部ゴミ箱行き」
「ほら見ろ。お前はもう私がいないとダメなんだ」
「そうみたい」
苦笑するセルジュに、ミカエラは脚を組み替えて、肘をついた。
「私もお前がいなきゃダメだ。連絡が来ないだけでイライラする」
スマホの画面を指でつつきながら、ミカエラはセルジュを見て微笑む。その仕草で、呆然としたようにセルジュは
「……ミカエラもなの? 」
と呟いた。
「当たり前だ。私とて人だぞ」
「……ごめん、俺、本当に酷いことをしたね」
「もういい。反省したなら構わない。ところでセルジュ、お前はこの先私と、どうなりたい。理想でいい、言え」
その問いにセルジュは口を噤んだ。それから、何かを探すように瞳を彷徨わせ、下唇を噛み、意を決して口を開いた。
「ミカエラと、ずっと一緒にいたい……」
ほろりと呟かれた言葉は、蚊が鳴くように細く小さかった。それを聞き逃さず、しかと拾ったミカエラは、満足そうに、
「よろしい」
と言った。
セルジュから引き出したその言葉に、ミカエラは挑戦的に笑う。
「ならばその言葉通り、今度こそともに歩んでもらう。私の伴侶になれ」
セルジュは目も口も開いて驚いた。いきなり伴侶ときた。逆プロポーズだが、そんなことも言っていられない。甘やかな空気では全くないのだから、無理難題を引っ掛けられるに違いない。
「で、でも。王国民も、元老院だって黙ってない。SNSの炎上っぷり、見たでしょ」
「悪夢の立場を改善すればいい」
「誰も俺たちの声なんて聞かない。だから数千年の間、王国と悪夢は分たれてたんだぜ」
「聞かせれば良いのだ。我が母が実行して見せたろう、言い訳無用だ。明日から私と慈善活動周りに出るぞ。イメージアップにつながる。敵ではないと、認識を変えることが大切なのだ。連れて来られる悪夢は全員連れてこい」
「わ、分かった。今から声かけるからスマホ触るね」
「好きにしろ」
慌ててぽちぽちとスケジュールを確認しながら、片っ端から人間界の悪夢たちに声をかけていく。一番初めに捕まったのは当然というかなんと言うか、ドミニクだった。彼も自身が知っている悪夢に声をかけてくれるらしい。
「人間界のも、魔界の慈善活動もする。私からアダムに伝えて向こうのイベントをピックアップしてもらうから、共に行くぞ」
「はい……」
呆気に取られたセルジュは思い知る。自分が愛した女は、メチャクチャな行動派だということを。
「私が研究の成果を出すまで二年と少しある。これは差別意識の改善の研究にピッタリでもあるから、無理にでも付き合ってもらう」
「……二年か、意外と長いね」
「そうだ。時間はたくさんある。やれることは全部やろう」
「わかった。じゃあ……俺は魔界向けに曲を書くよ。差別に抗う、曲を」
「素晴らしいことだ。できたら私に一番に聴かせろよ」
「もちろん」
くすくすと笑い合って、二人は額を合わせ見つめ合う。目標が決まれば腐らず、迷わず進める。
二人は応接室を出て、寝室に向かった。
もっと個人的で、深く語らいたいことが、たくさんある。扉の向こうには、溶け合う確かな温度が待っている。
その翌日、早速集まった二十と余名の悪夢たちは、魔界のスラム近くで炊き出しをした。人手が足りないまま開催になりかけていた事業を、アダムが見つけてきたのだ。
炊き出しは最初、場の凍るような空気から誰も近寄らず、遠目から見ている者ばかりだったが、ミカエラの
「腹が減っているなら来い! 誰も取って食ったりせん!」
という一喝で人々は恐る恐る寄ってきた。
子どもは素直なもので、
「悪夢だ! 」
「怖い! 」
と喚いたが、ミカエラが悪夢の生い立ちと統一までをわかりやすく語って聞かせてやると、
「悪夢って実は悪いばかりじゃないのかも? 」
と認識を改めていた。柔軟な子どもにこそ、教育はきちんとせねばなるまい。
次第に子どもが手の空いた悪夢たちと遊び始め、炊き出しは和気藹々としたものになった。敵意剥き出しの者も居なくはなかったが、空腹には勝てないようで、ひったくるようにして粥を食べていた。
炊き出しが終わると面倒そうにしていた悪夢たちも楽しげにしていて、
「また来ます」
と笑って帰って行った。誰かの役に立つことは楽しいのだ。それがわかれば悪夢たち自身の、捻くれた心自体も変わっていく。誰かのために、という思いが社会を作り、人を変える。それは必ず、良い方向に動く波になる。ミカエラはそう信じて、悪夢のイメージアップ作戦の一歩を踏み出した。
ミカエラは炎上の際に増えた、自身のSNSフォロワーを上手く使った。魔界のSNSには頻繁に悪夢のボランティア画像を載せ、自身の内面の投稿も増やした。我々は恐れられることは何もしていない。あなたたちにも知ってほしい。知ってくれたら嬉しい。そんな想いを込めて、SNSの活用を図った。
当初はプロパガンダだの、印象操作だの言われたが、そういうコメントは見ないようにした。誹謗中傷が酷い時はミカエラ自ら出て開示請求をし、容赦無く罰した。傷つけられる悪夢たちの盾となったのだ。
セルジュはというと、魔界のクラブにも人間界の仕事の合間を縫って訪れ、魔界のラッパーたちとバトルをした。彼は魔界でも最強で、口喧嘩は連戦連勝だった。その実力に、魔界のラッパーは震え上がったが、同時に強い刺激を受けたらしい。ディフェンディングチャンピオンとして立ち塞がるセルジュを打倒すべく、彼らは悪夢の歴史についてよく学び、差別を知り、自然と意識を変えて行った。
もしかすると、エンターテイメントの分野にいるセルジュが、受け入れられるのが一番早かったかもしれない。音楽は人の心に馴染む。魔界のデパートや服屋では彼の曲が流れ、ブームを作った。
悪夢は着実に人々に受け入れられて行った。躙り寄る冷気も慣れれば涼しく心地よい。また、絶望に触れて
「なぜあなたは悪夢になったの? 」
と聞いて、生い立ちに同情し、寄り添うようになった人々も増えた。悪夢たちにアンケートを取っても、やはり以前より過ごしやすい、という回答がちらほら増え始めていた。
その頃にはアデーレもミカエラの行動に理解を示すようになり、共に慈善活動に赴くようにもなった。
「最近の悪夢たちはどっか楽しそうだね」
「冷気が薄れてきた者もいる。心の絶望が消え去れば、悪夢ではなくなるのかもな」
「論文に書けんじゃん! 」
「書くぞ、仮説としてな」
「やられたー! あたしもそれ書きたかった! 」
「ふふふ」
魔界の空は今日はオレンジ。人々を包む温かな色だ。悪夢と王国の人々を繋ぐ慈善活動の輪を、空は優しく見守っている。
セルジュとミカエラは久々に被った休みを、人間界のセルジュの館でのんびりと過ごしていた。ひんやりしたセルジュの肌に、自身の三十八度の体温を持つ稀有な体を乗せる。
「こうして使命の途中、肌を重ねていると露見すれば、流石に元老院どころか女王直々にお叱りを受けそうだ。ふふ」
「その時は俺も一緒に怒られてあげる」
ミカエラの長い黒髪をセルジュが撫でる。銀河のような煌めきを伴った黒髪はとても美しい。
「ほう、頼もしい。うちの母様は怒ると怖いぞ」
「ミカエラと引き離される方が怖い」
ぎゅうと互いを抱きしめ合う。すると、セルジュがポツポツと語り出した。
「これでもミカエラと出会ってから、諸々マシになったんだ。君は俺の光だよ」
ミカエラの顔にかかる黒髪を耳にかける。少し照れたような憮然とした顔が愛おしくて、自然と笑みが溢れる。
「よせ、柄じゃない」
「じゃあ灯火だ。君の扱う炎は正しく俺の道標だから」
「……そうか」
「うん」
視線が重なり、唇が重なる。何度も啄んで角度を変えながら繰り返しても飽きることはない。時折下唇を甘噛みして戯れあって、二人は闇の中で溶け合った。




