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夜の世界


 結局、ミカエラはセルジュと再び会ってしまった。魔界にいた頃から散々

「悪夢には近づくな」

と言われていたのにだ。それでも、セルジュが上目遣いでミカエラの指先へキスした姿が忘れられなかった。

 しかも、会う時間はよりによって門限の二十二時を通り越して、夜中の二時である。でも、どうしても確かめたかったのだ。夜がミカエラを呼んでいる。その夜とは、二十二時だなんて生ぬるい、真夜中なのである。

 こっそり部屋から瞬間移動魔法を使って、セルジュと待ち合わせのクラブの裏路地に転移した。先にセルジュは到着していて、隣には同じ悪夢だと言うドミニクという男が立っていた。

「おー、マジでプリンセスじゃん。ども、初めまして。ドミニクだよー」

「ミカエラだ」

多くのタトゥーが刻まれた太い腕と握手をする。がっしりしていて安心感のあるドミニクが、今晩のミカエラのボディーガードらしかった。

「いやぁ、俺今日ステージ出なきゃなんで。プリンセスを守れないんですよ。なので代わりに信用できる男を置いていきます。じゃ、俺裏行きますねぇ! 楽しんで! 」

「はっ?! 」

 ドミニクとミカエラを置いて、セルジュは颯爽とクラブの裏口から入っていってしまった。初対面同士で残していくな。先に言え。気まずいとミカエラがちら、とドミニクを見上げると、

「あいつ昔っからああなんで、気にしないでね。僕、初対面相手で気まずいとかないから、適当に話そうよ」

と気安く笑った。ピンク色に染められた髪がクラブの明るいネオンに照らされ、キラキラ輝いている。

「……髪、綺麗だな」

「よく言われる! 」

 

 二人が身分証明書を出しクラブに入ると、爆音でEDMが流れ、MCやDJが培ってきた技を披露し、人々が熱狂していた。むせ返るような熱気とアルコール臭、踊り狂う人々をかき分け、ドミニクとミカエラはバーカウンターにたどり着く。

「く、クラブなんて初めて来た……! こんなに人がいるのか!? 」

「そお! みんな音に身を任せて、熱に焦がれて踊るんだ」

 ドミニクがテキーラとオレンジジュースをバーテンに頼む。オレンジジュースはミカエラの分だ。プリンセスを泥酔させて何かあったらたまったもんじゃない。

「音が大きい!」

「え、平気? 耳痛い? 耳栓要る? 」

「いや、違う高揚だ! こんな場所があるだなんて知らなかった! 」

「そりゃ結構! あ、そろそろセルジュ出番だよ」

 そういうと、ステージのライトが上手から出てきたセルジュを照らした。スピーカーの低音が横隔膜を揺らす。悪夢の魔術で輝かせた紫のスモークの中から、マイク片手にへらへら笑い、大きく手を振って

「盛り上がってんねー! 」

と叫ぶ。すると、会場の熱は推定二度は上がった。

 「あいつ、こ、こんなに人気なのか?! 」

ギョッとしたミカエラはぎゅっとグラスを握った。冷たいグラスが冷静さを保ってくれる。このままだと会場の熱に飲まれる! 

「プリンセス来たばっかでわかんないでしょ。セルジュ、人間界における世界的ラッパーだよ」

ドミニクはミカエラに顔を近づけ、端末を見せた。そこにはSNSのフォロワー数六桁のセルジュの画面が見えた。

「ば、化け物……」

「そう、悪夢の期待の星ってワケ」

 ミカエラが若干引いていると、セルジュのパフォーマンスが始まった。

 畳み掛けるような早口、苛烈なリリックに会場のボルテージはマックスになる。絶望的で退廃的な歌詞ながら、それを感じさせないアップテンポな曲に会場は支配される。ミカエラはそこに、悪夢の鼓動を感じた。彼らも生きているのだ。

 口をぽかんと開け、感動に震えるミカエラを見て、ドミニクは

「声出してこ!」

と声をかけた。ハッとして、恥ずかしいやら分からないやら、なんとなくでミカエラは声を出した。

「セルジューッ! 」

「いい感じ! 名前呼ぶだけでもいいもんだよ! 」

 セルジュはバーカウンターを見て、ミカエラを見つけ、ウインクを飛ばした。それに、ミカエラの心臓は撃ち抜かれる。

 ──格好いい!

 セルジュはスポットライトの熱とパフォーマンスの熱で汗だくになって二、三曲を終えると、また手を振って上手からはけていった。それを残念に思っていると、フロアの熱が少し引く頃にひょこりとセルジュがバーカウンターに顔を出した。

「ど? 格好良かった? 」

「最高だった! 」

「静かに感動してたよぉ」

「嬉し! 」

 両頬に手を当てて笑うセルジュの幼い仕草に、ミカエラは更に心奪われる。夜がこんなに苛烈で、情熱的なんて知らなかった。あんなに悪夢に近づくなと、悪夢である父からすらも言われていたのに。

 嗚呼、こういうことなのだ。悪夢とは、絶望で人を抱擁する。誰もが抱える小さな絶望に寄り添い、伝播させて夜の熱に変えるのだ。

 これは、惹かれる。

 ミカエラは酒も飲んでいないのにクラクラしていた。悪夢がなぜ悪夢なのか、何故近づいてはいけないのか、ようやく理解した。

「プリンセス顔真っ赤〜」

「え?! 酔った?! 」

「僕が酒飲ませるワケねぇだろ、分かれよ鈍感」

「えっそうなん? じゃあなんで? 」

「分からなくていい!」

 照れ隠しにミカエラはバチン! とセルジュの顔を真正面から平手打ちした。

「痛そ」

ミカエラは下唇を噛んで、オレンジジュースを一気飲みした。私の初恋、まさか悪夢の男に奪われるなんて!

「はは、痛えけど嬉しーよ! ようは俺のパフォーマンスで心躍ったワケでしょ? こんなに嬉しいことはないね! 」

 もう戻れない。だって恋した男はこんなに格好いい。無邪気に笑って、ミカエラの心を奪い去った。一体どうしよう。

 「あー、プリンセス、もう朝来るよ」

「えっ?! 」

ドミニクが端末を見る。時刻は午前四時五十分。朝日が昇る時間だ。夜明けを見るためにアデーレも起き出してくる。不味い。

「か、帰る! シャワーを浴びなくては」

「えー、今日くらいサボろうよお。俺ん家で寝ようよぉ」

「行かない! 」

「ケチィ」

断る理由は悪夢の家になんて危なくて行けない。ではなく、セルジュの言いなりになりそうで危ないから行かない。が正しいことはミカエラだけの秘密だ。

 結局、三人は急いでクラブを出てまた裏路地に入った。

「ありがとう、今宵は楽しかった」

「また会おうねえ」

「じゃあね、プリンセス!良い一日を〜! 」

セルジュが手を振ると、ミカエラは照れたように振り返す。そのままパッと瞬間移動の魔法で消えてしまった。

「くぅ〜〜! プリンセスかわいい〜〜! 」

「直接言えカス」

「痛え! 」

 ドミニクに背中を強めにどつかれ、セルジュはその場に沈んだ。力はドミニクの方が圧倒的に強かった。


 ミカエラが部屋に戻り、シャワーを浴びて慌ててリビングに朝食に出ると、仁王立ちのアダムとアデーレに出迎えられた。

「ミカエラ、悪夢の匂いがする」

「門限破ったな」

 バレている。

 昔からアデーレは犬かと揶揄されるほど鼻が効くから、シャワーを浴びても無駄だったらしい。アダムにバレたのはもう年の功と言わざるを得ない。

「一度だけだから見逃すが、あまり派手に遊ぶなよ。お前は次期女王で、役割があってここにいる。そちらが疎かになるようであれば罰も考えるからな」

「……承知した」

 とは言っても、きっとミカエラはまた夜にセルジュと会うのだろう。この心臓は彼に射抜かれてしまったから、この先どうあれ彼と過ごすことになるはずだ。

 あの熱狂が耳にこだまする限り、ミカエラはセルジュを忘れられない。


 それから、門限を厳守する形でセルジュとミカエラは逢瀬を続けた。クラブにも行ったし、様々なコンセプトのバーにも行った。セルジュは自分が知る限りの夜遊びをミカエラに教え、ミカエラはいけないと思いながら、ずぶずぶと夜遊びにはまって行った。

 アダムはそんなミカエラを心配して止まない。論文やフィールドワークなど、使命に関することはきちんとこなしているので見逃していたが、夜遊びへの傾倒の仕方が少し異常だ。二十二時には寝ていたミカエラをこんなに夜遊びに誘っているのは誰なのだ? ミカエラに聞いても、

「ナンパされた相手に友人として仲良くしている、その縁だ」

としか返ってこない。アダムとしては、むしろ夜を知る者こそ、知らぬ者への対応は慎重になると考えている。

 何かおかしい。ミカエラのことがアダムは心配だったが、残酷に時は過ぎる。

 季節は春、もう四月。二人がやってきて半年以上が経過したある日だった。

「お前たち、今年のヴァルプルギスの夜の準備は出来ているな? 金の招待状が届いたぞ」 

「もちろん」

「論文、ちゃんと仕上げたよ。あとはパートナー用意してくれれば完璧! 」

二人は紙にまとめた論文を入れた書類ケースを出して見せた。準備は万端だ。

「よろしい、研究結果提出の大事な機会だ。知り合いを増やすチャンスでもある。上手く使えよ」

「はぁい」

「お前たちのパートナーは、王国の近衛兵から選出される予定だから安心しろ」

 四月三十日、ヴァルプルギスの夜は人間界にいる魔法使いが一堂に会する社交の場。運営委員会から招待状が届き、それを持つものだけが入場を許される。必ずパートナーとの同席を必要とする。

「ラッキー!じゃあギルベルトと会えるんだ!」

「そうだ、単身赴任中のグスタフも来るから、その二人になるだろうな」

 そう言うと、少し考え込んだミカエラはアダムに提案をした。

「私のパートナーは自分で決めたい。構わないだろうか」

アダムは目を見開いた。今まで自己主張はしてきたものの、基本的に上が決めたことには口を出さないミカエラが、自身の意思を出してきた。この時、アダムは喜ばしく思い、

「決まったら誰なのか教えろよ」

とだけ言ったが、それが間違いだった。

 

 「セルジュ、話がある」

「ん?なあに、プリンセス」

魔法使いしか見つけられない裏路地のバーで二人、のんびり酒を飲んでいる時、ミカエラは話を切り出した。

「四月三十日の夜は空いているか」

「ああ、ヴァルプルギス。空いてるけど、なんで?」

「私のパートナーとして、共に参加してくれるか」

 そう言うと、セルジュは酒を吹きかけた。なんとか吹かずに飲み込んだところで、目をまんまるにしてミカエラを見る。

「……あなたには、王国の近衛兵からパートナーが付けられるもんだとばかり。よりによって俺?招待状も届いてないんだぜ」

「選ぶ権利は私にある。パートナーは招待状がなくても問題がない。というか、招待状が届かないなんて差別では? 」

「そういうもんなんだって。生卵の雨あられになっても知らないよ」

「構わない。私はお前と共に歩きたいが、嫌か? 」

 そう言われると弱い。セルジュは頭をガリガリとかいて、それから大きくため息をついた。

「喜んで。必ずあなたを守ります」

椅子からわざわざ降りて跪き、大仰にミカエラの手を取って指先に口付けをする。

「ふふ、ありがとう」

 これで、ミカエラのパートナーは決まった。

 次の日、さっそくミカエラはアダムにパートナーを報告した。

「アダム。パートナーが決まった」

「おお! 早いな、誰だ? 」

「セルジュという男だ。知っているだろう、お前なら」

その言葉を聞いて、アダムはしっかりプロテインを吹いた。キッチンのシンクをビチャビチャに汚し、ミカエラに酷い目で見られる。

「汚い」

「お前のせいだぞ! 」

 これで全てわかった。ミカエラに夜遊びを教え、意図的か無意識かは分からぬが、悪夢の道へ引っ張り込もうとしている。最悪だ。あれは世界的なラッパーで知名度もある割に、パパラッチもされたことがない身辺に気を遣っている男だ。それが、女といると騒がれればミカエラの使命を果たすこと自体危うくなる。

「あの男はダメだ。関わるのをやめなさい」

「嫌だ。何故お前に交友関係を決められなくてはならない?」

 腕を組み、徹底的に口論するつもりらしいミカエラにため息をつく。まだ若く経験もないプリンセスは視野が狭くなっていけない。アダムは丁寧に何故ダメなのかを説いたが、ミカエラは丁寧に話を聞いた上で、出した答えは

「パートナーとして連れていく」

だった。

 アダムは、ミカエラの母にして現女王エリスを思い出す。思えばあの女王も頑固者だ。一度言い始めたら聞かない。

「悪夢と近づくな、はどうした」

「それが疑問だったんだ。悪夢差別は悪夢を知らねば始まらない。なのに、文献とだけ睨めっこしても意味がないだろう。私は生きた悪夢差別と向き合いたい」

「王国民がどう見るか」

「王国に他民族がいるような言い方だな、アダム」

「……」

「われわれはひとつ。闇も光も既になく、一つに溶け合って元の形になったのだ。」

「……とはいえ、軋轢はまだある。油断はできない。悪いことは言わん、やめておけ」

「やめない」

そう言って譲らないので、結局アダムはミカエラの主張を通すことにした。

「その代わり、女王には報告をあげるからな。叱責を覚悟しろ」

「構わない。生卵に塗れても、私は私の道をゆくまで」

 アダムは強い女に弱い。すぐさま自室の鏡を使い、緊急連絡という形で報告を上げたが、女王は特に懸念を示さなかった。

「それもまたミカエラの試練です。人間界でまだ悪夢差別が多いのなら、差別される側だったあの子が背負うべきでしょう」

「左様ですか」

「一波乱起きても構いません。見守ってあげて、アダム」

「女王陛下の仰せのままに」

 そうしてヴァルプルギスの夜が、来る。


 ドレスアップしたアデーレは王宮から派遣されたギルベルトと共にブロッケン山に入場した。ギルベルトは絵に描いたような優男で、きっちり分けられた前髪が特徴の、アデーレの幼馴染である。アデーレはギルベルト、今は近衛兵ながら人間界でモデルをしているグスタフと三人で王宮で遊ぶことが多かった。だから、久々に会えて飛び跳ねて喜んでいた。

 一方ミカエラは予定通りセルジュを伴っての入場となった。闇の盾の顔は広く知られ、二人が会場入りすると、ホール内はザワザワと困惑と疑念でいっぱいになった。

「だから言ったでしょ、やめとけって。アダムに言われなかった?」

「言われたが。これが私の覚悟だ」

「生卵まみれ」

「上等」

 アデーレとミカエラは無事に次期女王としての挨拶、それから論文の発表を行い拍手の渦に包まれた。ミカエラの発表は特に力の入った演説気味のものとなってしまい、その熱量に圧倒され拍手はまばらだったが、別にそれでよかった。問題は、表面化された悪夢差別だった。

 壇上から見ていても明らかだ。セルジュの周りだけ人がいない。綺麗に円形にぽっかりと人の穴が空き、半径五メートルに誰も近寄ろうとしない。露骨な差別にミカエラは眉を顰めた。

「セルジュ」

「おかえり、プリンセス。少し熱が入りすぎだったね」

「反省している。ああ、この話題になると加減ができない……」

「そりゃ、あなたは当事者だったんだからそうでしょう」

 がちゃん!

 二人が談笑していると、ミカエラの前にワイングラスが投げつけられる。無惨に割れたグラスを前に固まるミカエラを見て、周囲の魔法使いたちは嘲笑った。

「……っ、」

流石にグラスはやりすぎだ。アデーレが声を上げようとしたその時、ミカエラとセルジュは小さく笑って互いを見やった。

 セルジュが指を鳴らすと破片が浮き上がり、形を変えて星屑になり空中を舞い始める。豪奢な造りの天井を覆い隠すように夜の帳が下りる。星屑はシャンデリアの光を乱反射して虹色に輝き、会場を穏やかに照らした。

 人々がその光景に魅入る中、ミカエラはこんな穏やかな光の下で、人々の差別意識は無くならないことを思った。どれだけ差別について説いてもこの様なのだから、自分たちの研究が身を結ぶか分からない。

 それでも、ミカエラは知っている。悪夢も自分たちと同じように生きて、苦しみ、笑うことを。

「我が女王捧げます」

ミカエラは優雅に笑って、セルジュの腕に身を預けた。その光景と背後の魔法は人々に感嘆と静寂をもたらす。

「お前の姉貴が連れているパートナー、ずいぶん機転が効くな。あの男、本当に悪夢なのか?」

「うん、そう……聞いてるけど……」

「彼の近くによったけれど、冷気がした。確実に悪夢だよ」

 グスタフの問いに、ギルベルトが答える。悪夢はその絶望から凍えるような冷気を放つ。それで見分けられるのだ。その者がいるだけで、周りの温度が下がり、草木は枯れる。

「彼は特に冷気が強いね、凍えるかと思ったよ。闇の盾、危険なんじゃないかな」

ギルベルトの発言に、当然アデーレが噛み付いた。

「ちょっと。聞き捨てならない。ギルベルトは私たちの発表の何を聞いてたの?差別撤廃のために動いてる私たちへの侮辱? 」

「……すまない、そうだね。彼は僕たちに何もしていない」

「そうだよ。危ないこと、何もしてないんだから。悪と決めつけるのは早過ぎるんじゃないの」

「叱られてやんの」

「反省してるよ」

 ギルベルトは肩を落とした。この場での加害者はむしろ自分たちだ。何もしていない人間相手に、グラスを投げつけたのだから。彼が本気を出せばこの場にいる全員殺せる。現役近衛兵のギルベルトとグスタフが掛かっていっても勝てるか怪しい。そんな相手を侮っていたことも反省する。

「ほんと……差別意識って怖いね……」

「そうだよ! 」

 ぷん、と怒るアデーレを尻目に、ミカエラとセルジュは退場していく。いる価値なしと判断したようだった。慌ててアデーレがチャットを入れると、

『心配しなくても、バーで飲み直す』

と返ってきて胸を撫で下ろした。傷付いてはいないようだ。

「姉貴、なんだって?」

「バーで飲み直すって。人間界に戻るんだと思う」

「そか、まあセルジュがついてんなら安心だろ」

「そーね、強いし」

 そうして、アデーレたちの談笑は他愛もない内容に移り変わっていった。


 この時彼らは知らなかった。

 魔界に暗いざわめきが起こることを。


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