婚約破棄の現場で~ヒロインは身分を失いました。さようなら~
貴族たちが通う学園の卒業パーティーで婚約破棄を宣言された公爵令嬢だったが――
「婚約者のエスコートもせず、部外者を連れて参加されるとは」
公爵令嬢は閉じた扇で口元を隠して笑う。
「何を言ってる! お前は婚約破棄されたんだぞ!!」
「婚約破棄は構いませんことよ。公衆の面前での婚約破棄如きでわたくしに傷がつくとでも? 傷がつくのは殿下、貴方のほうでしてよ」
「何だと?! 痩せ我慢もいい加減にするんだな。お前は王子妃になるマロンを虐げておいて、ただで済むと思っているのか?!」
「目が覚めていらっしゃらないようね。その女は王子妃になれませんわ」
「はあ?! 男爵令嬢だからと馬鹿にしているのか?! そんなもの、高位貴族が養子にすれば事足りる!」
「殿下。残念ながら、平民を養子に迎える高位貴族はおりませんわ」
「平民だと? マロンは男爵令嬢だぞ!」
「そうよ! 平民じゃないわ!」
「貴族籍を抜かれてしまえば、立派な平民でしてよ」
「貴族籍を抜く?」
「??」
ここは貴族の通う学園である。貴族籍を失った者は編入試験を受けて、平民として学籍を登録しなければ部外者になる。
公爵令嬢の第一声の部外者はそのことを指していた。
「貴族籍になかった状態に戻っただけでしてよ」
「マロンが貴族籍から抜けたら、男爵家はどうなるんだ?」
「キャロ?」
「グラッセ男爵令嬢は元々、男爵家の跡継ぎとして引き取られたことをお忘れになって? 殿下と交流を深めて婚約破棄までさせて、――ああ、殿下は男爵家に婿入りなさるお積りでしたのね!」
「男爵家に婿入り? 私は公爵になるのだぞ」
「グラッセ男爵令嬢はグラッセ男爵家の跡取りとして引き取られましたのよ。王子妃にはできませんわ」
「それは養子を取ればいいだろうが」
「そうでしたわ。グラッセ男爵令嬢は跡取りになる必要がなくなったので、貴族籍を抜かれたのでしたわ」
「跡取りになる必要がないなら、王子妃になれるではないか」
公爵令嬢は扇を広げて笑う。
「庶子の男爵令嬢が王子妃になることと、男爵の庶子の平民が王子妃になるとでは、大違いですわよ」
「何が違うのよ。同じじゃない」
「貴族籍のない庶子は王子妃どころか、女男爵にもなれなくてよ。貴族籍がなくても爵位を継げるなら、村人が貴族の嫡子を殺して跡取りを名乗ることもできるでしょう?」
「そんなことまでしないわよ」
「・・・貴族籍のない貴族の庶子は自称、庶子」
血の気が引いた顔の王子が呆然と呟く。彼は公爵令嬢の言いたいことを理解したのだ。
グラッセ男爵令嬢は貴族籍を失って、元男爵令嬢のただの平民。
庶子だったので、元男爵令嬢を名乗れば、不敬罪が適応されてしまう。
「貴族の庶子を名乗ることは不敬罪に問われる」
「ええ、その通り。貴族籍のない自称男爵の庶子は王子妃はなれない」
たとえ、一時は庶子と認められて貴族籍を持っていたとしても、除籍されたら貴族の庶子とは認められない。これは養子も同様である。
貴族籍だから、貴族として認められる。
貴族として生まれたわけでもなく、貴族の庶子として認められて貴族籍に入れられてもいない平民。
不敬罪に問われかねない存在を養子にするということは、血縁もない他人の言動に責任を持つということである。
「どうして、跡取りじゃなくなったのよ?! わたししか、お父さんの跡を継げる子どもはいないでしょ?! もしかして、養子でも取ったの?!」
「貴女、グラッセ男爵夫人の言い付けを守らなかったのではなくて? 夫人は大層、気分を害されていたわよ」
「なんで、あのおばさんの言うことを聞かなきゃいけないのよ?!」
「家庭教師を付けても勉強しない。言葉遣いも直らない。マナーは憶えず、婚約者のいる殿方にすらはしたない距離感で付き合う。学園の長期休暇は家に戻らず、男友達の家を転々とする。どのような賢夫人も見捨てる所業よ」
「小さいこと、気にしすぎ! みんなが良いって言っているんだから、あのおばさんの言うことを聞く必要ないじゃないの!」
「だから、グラッセ男爵夫人が跡取りを産む愛人を迎え入れて、不要になった貴女はもういらないの」
「まだ生まれていないんでしょ。なら――」
「生まれたわ。夫人はスペアも必要だとおっしゃっていて、早ければ来年にスペアも生まれるわよ」
グラッセ男爵令嬢が王子の傍を許されるようになってすぐ、公爵令嬢はグラッセ男爵夫人に連絡をとり、跡継ぎを産む愛人を紹介していた。愛人は公爵家で働いているメイドの一人。正妻にはなれなくても、男爵家の跡継ぎの母親という立場に喜んで承諾した。
貴族の家で働く女使用人は貴人に見染められる夢を一度は見るが、その結果は愛人か愛人未満であることが多い。
貴族の跡継ぎを産む立場など、夢のまた夢。
それが、正妻に歓迎される形で跡取りを産む立場になったのだ。
思わぬ立身出世に喜ぶな、というほうがおかしい。
「子どもなんかすぐに死ぬわ! そんな時になってわたしに泣き付いて来ても遅いんだからね!」
「今更、心配しなくても大丈夫ですわ。跡取りがいない状態で男爵が亡くなっても親戚がおりますし、子どもが死んでも養子を取ればいいだけ。貴女を貴族籍に戻すことだけはグラッセ男爵夫人は許さなくてよ」
「・・・!!」
グラッセ男爵令嬢も現実を理解できたようで、顔色が変わった。父親の正妻の言い付けに逆らい、好き勝手して嫌われて、正妻公認の愛人が自分の代わりの後継ぎを産んでいる。
貴族籍を抜かれたということは、グラッセ男爵の娘としては認められないということ。
この学校は貴族だけでなく、優秀な平民も通うことができる。だが、グラッセ男爵令嬢は優秀ではない。自力で学校に残ることなど不可能だ。
だからといって、愛人が産んだ子が死んだとしても、正妻はグラッセ男爵令嬢を貴族籍に戻す気はないから、貴族として残ることもできない。
正当な血縁者の家が貴族籍から外した庶子など、余程のことがなければ誰も自分の家の貴族籍に入れたいとは思わない。それが庶子でも貴族にできる国の貴族の考え方だ。
片親からしか地位も財産も受け継がない庶子は、優秀な伴侶を得て家を繁栄させるなり、家の利益の為に愛人になるなり、役目が決められている。それを果たせず、トラブルしか齎さない庶子など、社交界に居場所はない。
王子が男爵令嬢と出会って、まだ一年。
されど、一年。
公爵令嬢は一年もの間、屈辱を味わった。
その時間は、男爵家に紹介された愛人が跡継ぎを産むには充分な時間だった。