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scene8 ティータイム

 ある日のこと。

 香澄はマリーに呼び出され、マリーの部屋にいた。

 マリーは香澄が走るのを快く思ってはいない。

 走りに行くたびに、いやな顔をする。

 それを優しい笑顔で隠そうとするのが、なにげに痛々しいように思う。

 そんなマリーと香澄の間で、こんな会話がされていた。

「ねえカスミ。あなたと一緒に走っている人について聞いておきたいんだけど」

「え、いいよ。何?」

「その人達とはお友達なの?」

「友達じゃないわ。ただ一緒に走ってるだけよ」

 マリーは、優と香澄から龍と貴志の事は少し聞いていたが。ホントに少しだけなので、詳しい事は判らなかったし。名前すら知らない。

 走り屋に好感が持てなかったマリーは、あまり自分から聞こうとしなかったのだが、今日はなんだか違っていた。

「でも、お喋りとかもするでしょ、少しくらいは」

「ええ、まぁ」

「その人達とは仲が良いの?」

「うーん、それが私にも分からないの。それを知るために走っている、って言ったほうが良いかな」

「それは。どういうこと?」

「だから、私にもわからないの。それを知りたくて走っているのよ」

「それで楽しいの?」

「楽しくないわ…」

「それでも走るの?」

「うん、走るしかないからね」

「なんだか可哀想だわ…」

「そんな。マリーがそう思う事はないよ。楽しくないけど、これは私が選んだことなんだから」

「……」

 マリーが少し黙った、その間会話が途切れた。

 しばらくして、マリーはまた香澄に話しかけた。

「その人達は良い人なの?」

「うん良い人だと思うわ。一人はね」

「一人はって。じゃあもう一人の人は良い人じゃないの?」

「私には、ね」

「どうして?」

「私が、彼より速く走るのが嫌なのだと思うの」

「速く走るって、レースをしてるの? あれはもう終わったんじゃないの?」

「もう終わらせたいと思っているけど、まだ終わらせてくれないの」

「どうして? 香澄が勝ったんでしょ? なのにどうして」

「さっきも言ったでしょ。私が速いのが嫌なのよ彼は」

「再挑戦っていうこと」

「そうだね」

「じゃあカスミは、その人が再挑戦をする理由が知りたくて、走っているのね」

「うん、それもあるけど……」

 ふと香澄は思った。

 お嬢様としてぬくぬくと育ったマリーにはわかりにくい事かも。

 いつか、皮肉たっぷりに優がそんなことを言っていたのを思い出した。

 だけど、香澄が走る理由は、それだけじゃない。

 マリーはしばらく考え込んだ後、こんなことを口走った。

「その二人をウチに招待できないかしら」

 これには香澄も意表を突かれてしまった。

「え、なぜいきなりそんな?」

「やっぱり話を聞いただけではわからないから、会ってみたいの。どんな人なのか私の目で確かめてみたいと思って」

「本気なの」

「ええ、本気よ」

「でも、走り屋してる人は好きじゃないんでしょ」

「そうね、でも会ってみたいと思うの。会って話をしてみたいと、ね。まさか襲われるわけじゃないでしょ」

 マリーは少し微笑んだ。

「いいけど。話なんてできるの? 車のこと全然知らないのに」

「なにも車の話しかできないってことは無いでしょ。走り屋と言っても」

「そうだと思うけど」

「話せばなにか共通の話題がきっとあるはずだわ。国や人種は違っても、同じ人間ですもの。大丈夫よ」

 同じ人間、その言葉に香澄は何かを思った。

 でもその何かを言わなかった。

 言わなくてもマリーは、いや人間なら誰でもわかることなのだから。

 そして今更のようにマリーは人間なんだと思った。

 そうだ、龍も貴志も、峠の走り屋達も、優もマリーも同じ人間なんだ……。

「わかったわ。じゃあ峠で会ったら言ってみるわ。来てくれるかどうかは保証できないけど」

 するとマリーは悪戯っぽく笑い。

「まぁ。こんな美人が家に招待するというのに断られるわけないじゃない」

「それは。マリーの事を言ってるの?」

「うふふ、あなたの事よ。まぁ私も少し入ってるかな」

 今度は二人で笑った。

「そうだね。美女二人が招待するんですもの。絶対に断らせないわ」

「ところで。二人はハンサムかしら」

「うーん、どうだろう。ハンサムの部類に入るかな……、一応」

「一応、なのね……。でも楽しみだわ」

 マリーはさっきから微笑んでいる。だけどそれは興味本位でもなく、一応ハンサムな男性二人を招待するからでもないらしい。

 まさか友達が欲しいと言う訳でも無いだろうけれど。

 ともかくこうして、龍と貴志を家に招待することが決まったのだった。


「は……」

 ガレージでコズミック-7のチェックをしていた優は、くわえていた煙草をあやうくぽろりと落とすところだった。

「それってマジか?」

 香澄はこくんと頷いた。

「一体どういう風の吹き回しなんだか。マリーが源と井原を招待したいなんてな。まぁマリーをこいつに乗せて峠に行く、なんて事もできないからウチに呼ぶしかないか」

「二人はハンサム? なんてことも聞かれたわ」

 それを聞くと、優はがくんと頭をたれた。

「なんじゃそりゃ~。まさかあいつ、ハンサムなボーイフレンドが欲しいのか?」

「そんな事はないと思うけど……」

「まさかあいつ年下好みか? てっきりダンディーなおぢさま好みだと思っていたが」

「だからそうじゃないと思う、って言ってるでしょ」

 香澄は呆れながら優に言った。

「しかし、あの二人はハンサムか? そんな感じはせなんだがな」

「聞いてよ、人の話」

「おお、すまんすまん」

 優は笑って誤魔化す。

「もう、優ったら」

「いやまぁなんだ。珍しいなと思ってな」

「確かに珍しいよね。マリーがそんなこと言うなんて」

「そうだな。ところで香澄」

「なに?」

「お前は女として、あの二人をどう思っているんだ?」

「どうって?」

 いぶかしげにしている香澄を見て、優は可笑しそうに。

「もしあの二人がお前を抱きたいと言ってきたら、どうする?」

「なっ」

 優の直球な質問に、香澄は唖然としてしまった。が、顔が赤らむことはく。

「イヤ」

 と、キッパリ応える。

「いやか?」

「当たり前でしょう、私は人間とセックスできないのよ。それに、それを一番嫌ってる優がどうしてそんな質問をするの?」

 優はふん、と笑うと。

「それはお前が女だからさ」

「女って。それだけのことでそんな質問を?」

「そうだ。お前は女としても創られてもいるんだぜ」」

 平然と応える優、呆れる香澄。

「オレはお前のことを知ってるから、なんとも思わんが。あの二人はお前の事を知らないだろう。だからお前のことを知らない人間は、少なからずそう思うだろうよ」

「まさか、龍と貴志が私を抱きたいと思っている、と言いたいの?」

「そうは言わないさ。それにオレが聞きたいのは、お前があの二人をどう思ってるかだ。女としてな」

「別になんとも思っていないわ。だた同じ場所を走るドライバーだとしか思ってないわ。男だとも、もちろん女だとも思っていないわ。自分が女だとしてもね」

 香澄は毅然として言い放った。

 別に優に言われたからでもなく、自分の正直な気持ちを言ったまでだ。

 それ以前に、自分に迫る龍と貴志だなんて想像も出来ない。

「そうか。そうだよな」

 香澄の言葉を聞いた優は、安心したように頷いていた。

「言っておくけど。セクハラよ、その質問は」

「こ、これは一本取られたな。ははは……」

 優の口からぽろっと煙草が落ちた。


「源ー」

 夜も更けた仕事の帰り道、美菜子が龍を呼び止めた。

「ん、なんだよ東雲」

 鬱陶しそうな疲れた顔で龍は応える。

「そんな顔しなくてもいーじゃんよ」

「あのねオレは疲れているの」

「つれないねー。同僚無視して自分だけさっさと帰ろうだなんて」

 美菜子はからかうように言った。

 そんな美菜子を無視して。龍はポケットからタバコとライターを取り出し、煙草を吸いはじめる。

 そんな龍を見て、美菜子は溜息をつく。

「いつも源は無愛想だね。そんなんだと彼女出来ないよ」

「余計なお世話だよ……」

 美菜子の言葉に龍も溜息をつく、すると。

「まさか車が恋人だなんて言わないよねぇ」

 などと美菜子は言い出す。

「マテ……」

「だってよく聞くよ。車好きは車が恋人だって。違うの?」

「全然違う」

「なーんだ。つまんないの」

 龍は少し呆れたように頭をたれる。

「もしそうだったら面白いのかよ」

「うん」

「うんって。お前な」

「だって。そうだったら車に名前付けてそうじゃない」

 と、愛嬌のある笑顔で美菜子は笑った。

「そこまでしねーよ……」

 苦笑いをおさえつつ、龍はふと優のことを思い出した。

 あのトリプルローターのマシンにコズミック-7だなんて名前をつけているのだ。

 そのくらい、あの男は車が好きなのだ。

「まぁ。そういうヤツもいるけどな」

「源は違うの」

「オレは別に車が好きってわけじゃない」

 それを聞いた美菜子は驚いた顔をして、龍に問いかける。

「え、じゃあなんで車乗ってるの? 源の口からそんな言葉がでるなんてホントに驚きだよ」

「お前に言ってもわかんねーよ。きっと」

「えー、そんなこと言わないで教えてよ。なんで車好きでもないのに車乗ってるの? あのMR2結構お金かけてるんでしょ?」

 せがむ美菜子に龍は再び溜息をつき、つぶやくように言った。

「考えたこともないな」

「……」

 龍の言葉にしばし絶句する。考えたこともない、だなんて。

「気がつきゃ走ってた、って感じだな」

「それじゃ理由になんないよ」

「いちいち人にあーだこーだと理由をいわなきゃいけないのかよ」

「そんなこと言わないけど。じゃあさ、走るのは好きなの、嫌いなの?」

「そりゃあ、好きさ」

「好きなんだ」

「ああ」

 ああ、というのを見て、何気にほっとするような気持ちになる美菜子。なーんだ、ちゃんと理由があるじゃない、と。

「オレは走るのが好きなんだ。車で走るのが」

「だからスポーツカーのMR2乗ってるんだ」

「ああ、そうだよ。オレは峠やサーキットをガンガンに走りたいんだ。MR2はそのために乗ってるんだ」

「そうなんだ」

 なんだか納得したように頷く美菜子だが、その後すぐに。

「ふーん、結構源ってHなのかも」

 などと言い出した。

「はぁ、なんだよそれは?」

 その言葉に少し怒りを覚える龍、しかし美菜子はお構い無くいった。

「これが女の子だと。まずHがしたくて付き合ってるって感じだね」

「一体どういう例えだよ」

「そういう例えだよ」

 思わせぶりに、得意気に笑う。

「やっぱり相性って大切だよね」

「……?」

 美菜子の言葉に龍は戸惑いを隠せない。

 何と言って良いかわからない、という顔をしている。

「まぁなんにせよ……」

 その言葉のあと美菜子は少し考え込み、龍は続きが聞きたくてうずうずしている。

 そして、やっと美菜子は口を開いて続きを言った。

「良い車と出会えたんだね」

 美菜子の言葉に、龍はいささか驚いたものの。まんざらでもなさそうに、美菜子に気づかれないようにふっと笑った。

「ああ、まあな」

 しかし美菜子はそれを悟ったのか。

「あ、なんかいいことあったの? 機嫌良さそうじゃない」

 笑顔で龍の顔を見やった。

「別になんでもねぇよ…」

 そうこうしてるうちに十字路がやって来る。

「じゃあね、源」

「ああ、じゃあな」

 美菜子は右に曲がると、たたた、と小走りしたが。しばらくして止まると龍の方に向き直って。

「源ー。車もいいけど、彼女も見つけるんだぞー」

 と、あたりに誰もいないのを良い事に大声で言った。

 美菜子のこの意表を突く行動に龍はたじろぎながら。

「余計なお世話だー!」

 と、大声で返す。

「そう思ったらさっさと見つけなさーい。それじゃーねー」

 言いたいことを言い終えると、美菜子は家の方角に向き直り走り出す。

 そんな美菜子の背中を見ながら龍は。

「なんだよ一体。あいつってホントわけわかんねー」

 ふうっと三度目の溜息をつく、でも龍はなんだか気分が良かった。

 美菜子によって誘発されたと気づかずに。

「まったく、おせっかいなヤツだな。こりゃ明日来なかったらますますおせっかいになりそうだぜ」

 と言って、今夜峠に行くのをやめて、明日の仕事に備えるのだった。


 数日の後。やっと香澄、龍、貴志が揃った。

 何故かここ数日三人揃う事がなく、いずれか二台で走るということが続いた。

 香澄は毎晩行ける身だが、龍と貴志はそうはいかない。

 龍も貴志も走り屋である以前に、普通の社会人なのだ。それぞれに都合があり、そうそう毎晩峠に行けると言う訳ではない。

 もっとも毎晩行ける時は毎晩行くのだが、とにかくここ数日は三人揃わなかった。

 そんな状況で香澄は家に招待することをなかなか言い出せなかったが、今夜やっとそれを打ち明けた。

 もちろん走り終えた後で。

「なんだって?」

 龍はいぶかしげに顔をしかめる。

「だから、私が世話になっている人があなた達に会いたいから。家に招待したいって」

「香澄ちゃん、それほんとなのかい?」

 うん、と香澄は貴志に頷いた。

 世話になっているというのは潮内ってヤツだけではないようだ、しかしどんなヤツだ。

 ふとふと龍と貴志はそんなことを考えた

「まぁ、会って損は無い美人だよ」

「はぁ?」

 香澄の言葉に、龍と貴志はすっとんきょうな声を上げた。

 なにをポン引きみたいな事を言ってるんだ。龍と貴志は少し呆れながら思った。

 香澄も何を変な事を言って誘ってるんだか、と思ったが。これが一番シンプルでベターな言い方だとも思って言ったのだった。

 実際マリーもそんなことを言っていたわけだし、悪い言い方はしてない、筈だ

「まあ、折角誘ってくれたんだし。行かないと悪いかな」

 貴志はにこやかに応えた。

 どうやら会って損は無い美人、と言ったのが効いたらしい。貴志はまんまとその手に掛かった、が。龍は。

「興味無いな。悪いが断るぜオレは」

 と、そっけなく応える。

 どうやら龍には効目が無かった。なんともストイックな性格なことか。

「でも、是非会って話がしたいって言ってたから。そんなこと言わないで……」

 そっけない龍に、香澄は是非と頼みつづけた。

 香澄がこんなに龍に頼み込むなんて初めての事だ。最初会った時は、龍がバトルの申し込みをするのに必死だったのに。

 そこまでして会わせたい人って、どんなヤツなんだ?

 香澄がなんとか自分を誘おうとしているのを見て、龍はあきらめたように。

「わかった、オレも行くよ」

 と、やっと応えた。

 面倒臭いと言うのが本音だが。よくよく考えれば龍自身。香澄に、オレとバトルしろとやや強引に誘ったのだ。

 それを考えると、断るのもなんだな…、と思った。

「ありがとう。マリーも喜ぶよ」

 その名前を口にした時、貴志の顔がこわばった。

 龍が外人なのか? と問うと、香澄は頷いた。

 するとさっきまで美人に会える事を楽しみにしていた、少しだらしない顔がさらにこわばった。

「香澄ちゃん、今なんて?」

「え、マリーの事? 私が世話になっている、あなた達と会いたいって人よ。マリー・ヘンゲルス。それがその人の名前よ」

 香澄の言葉に、貴志はただ呆然としている。それを香澄と龍は、不思議そうに見ている。

「どうした貴志、顔色悪いぞ。どこか具合が悪いのか?」

 いぶかしげに龍は貴志を見る。

「そうだよ貴志。どうかしたの?」

 香澄も不思議そうだ。

 香澄と龍に問われ、貴志は重い口をやっと開いた。

「ねえ、香澄ちゃん。そのマリーさんは音楽は好きかい?」

「うん。大好きだよ。よく街に音楽CD買いに行ってるし」

 何故そんな事を? と思いながら香澄は応える。

「じゃあ、そのお店は……」

 貴志が店の名前を言い。マリーに薦め、買っていってもらったCDのタイトルを言うと、香澄は驚いた。

 マリーが最近よく行くCDショップと、よく自分に聴かせてくれた音楽のタイトルを貴志が口にしたからだった。

 何故貴志がマリーがよく行く店を知り、そこで買ったCDを知っているのか? と思った時、貴志は一人呟くように言った。

「その人はサングラスの似合う美人かい?」

 そこまで、と何故貴志がマリーの事を知っているのか。本当に驚きだった。

 龍はなんのことがわからない。

「そうだよ。だけどどうして貴志の言うことがそんなに当たるの?」

「マリーさんは、オレが働いている店の常連さんなんだ」

「え、じゃあ。マリーはお店の人の音楽を選ぶセンスが良いって言ってるけど、そのお店の人って」

「おそらく、それはオレの事だろうね……。オレよくマリーさんにお薦めのCDを買っていってもらってるんだ」

 龍は話を聞いててもいまいちよく飲みこめなかったが。なんとなく、貴志がそのマリーという人物を知っているという事は飲み込めた。

 だからと言って、なにも顔色を悪くするような事ではないような気はするが。

「そうだったんだ。マリーと貴志が知り合いだったなんて」

 香澄は驚きを隠せなかった。

 こんな偶然があるという事実に、ただ驚きだった。

 ただ香澄も、貴志が顔色を悪くするのがわからなかった。

「そうか。マリーさんそう言ってくれてたんだ、嬉しいな……」

 自分の薦めた音楽を、マリーは本当に喜んで聴いてくれていることがわかって貴志は嬉しかったが。それ以上に、マリーに対するジレンマが増大してしまった。

 それは、自分が走り屋なのをなるべく知られたくなかったということだった。

 いつかマリーをドライブに誘いたい、と思っている貴志にとって。これが大きなダーニングポイントであり、自分が走り屋なのを言うべきか言わざるべきかと迷いつづけ。まさかこんなことで真実を述べる機会がやってこようとは、夢にも思わなかった。


 とにかく、龍と貴志と約束を取りつけた香澄は家に帰って行った。

 もちろん。あの優と、香澄、そしてマリーが一緒に暮らしてるというのも言ってある。

 とある事情があって、と一言付け加えて。

 20Bのエグゾーストを聴きながら、貴志はただただ物思いにふけっている。

 なんてこった、香澄ちゃんが会わせたい人ってマリーさんだったんだ…。これでオレが走り屋だってバレてしまうけど、マリーさんどんな顔するかな?

 等等思いは尽きない。

 とにかく、マリーがどんな反応をするのか怖い貴志。

 それを見た龍は、貴志の背中を思いっきり叩いた。

 ポンっと良い音がして、貴志は驚く。

「な、いきなりなにすんだよ!」

「全く、大の男が何をそんなに考え込んでるんだよ。見てて情け無いぜ」

「うるせーな。お前にはわかんねーよ。こればっかりは」

「分かる訳ねーじゃん。オレは何にも知らねーんだからよ」

 龍の言葉に貴志はムカっときたものの、その通りなのだから何も言えなかった。

「何でお前そんなに考え込んでるんだよ。イヤならイヤだって言えばいいじゃん」

「別にイヤとは言ってないさ…」

「じゃあなんで顔色が悪くなってるんだ。都合の悪い事でもあるのか?」

「別に」

「あのマリーとかいうのと会うのが、なんだかおっくうそうだな」

 マリーとかいうの、なんて言い方するな! と密かに心の中で叫びながらも、確かに龍の言う通りだった。

 なんだか龍に見透かされているようだ。

「別に走り屋ってことがバレたからって、店に来ないってことはないだろ。だいたい走り屋が嫌いならオレ達を誘う訳は無いし」

 ふと龍が口にした言葉に貴志はすがるように。

「そうだよな。確かにお前の言う通りだよ」

 と今はそう思いたかった。

 そうだ、オレは何を考え込んでたんだ、考え過ぎだよ。なんとか自分にそう言い聞かせ、貴志は家路についたのだった。

 龍も一緒に家路についた。

 香澄は家に帰りつき、いつものチェックをしていた。

 そしてマリーに貴志の事を言うと、マリーのキーボードを叩く手がぴたりと止まった。

「イハラさんが走り屋だったなんて……」

 本当は走り屋が嫌いなマリーにとって、これはショッキングな事だった。

 あの真面目な、いつも自分に良い音楽を教えてくれるあのイハラさんが。香澄と一緒に走っている走り屋だったなんて。

 とても信じられなかった。

 以前危ない追い抜き方をした、ということを思い出した。

 あのイハラさんがそんな事を…。

 しかし香澄が嘘をつくなんてことがあるはずは絶対にないし。

 現実はとは、なんて意地悪なんだろう……。

 ふとマリーは思った。

「そう、そんな偶然もあるってことね」

 マリーは複雑だった。

 今まで自分は、嫌いな走り屋から薦めてもらった音楽を聴いていたのだ。だけど、あのイハラさんは走り屋ではない、純粋に音楽が好きな人だった。

 音楽が好きだから、CDショップで働き、同じ音楽が好きな自分や他のお客さんと音楽を聴く喜びを共有している。そんな人だった。

 自分にお薦めCDを紹介しているときのイハラさんの顔を思い浮かべると、とても走り屋をしてるとは思えなかった。

 店の収益を上げる為では無く、ノルマの為でも無く。本当に本当に音楽が好き、そんな顔をしていた。

「マリー。マリー、どうしたの。あなたまで何か変よ。貴志が走り屋なのがショックだったの?」

 心配そうに自分を見つめる香澄を見て、マリーは溜息をついた。

「いえ、なんでもないわ。ちょっと眠たいだけよ…」

「貴志も何か様子が変だったし。どうしたの、二人して…?」

「イハラさんも?」

「うん。なんだか様子が変だったわ…。いきなり元気が無くなって…」

「そう…」

 イハラさんも…?

 どうしてイハラさんが元気が無くなったのかはわからないが、香澄が自分のことを知ってることに驚いたのだろう。

 だけどそれで元気が無くなるなんて、やはりわからなかった。

 そうこうしているうちに、チェックが終わった。

「いつも通り、何も異常無し。ずっとこのままだといいわね」

 マリーはつとめて笑いながら言った。

 香澄もそれに応えて笑った。

 全ての仕事を終え、自分の部屋に戻った時。マリーは音楽を聴き始めた。貴志に薦めてもらった音楽だ。

 良い音楽ね、と指でリズムを取りながら音楽に聴き入る。

 一番最近買った音楽だ、おとついに買った。ついおとついだ。

 その時のイハラさんは、とても親切で、音楽が好きな人だった。その人が、夜になると峠で香澄と一緒に走っている。

 とても想像がつかない、とても…。

 でも、それで良かったのかもしれない。

 マリーが二人を誘った訳を考えれば。


 約束の日の約束の時間。

 陽が空の真ん中に差し掛かった頃。

 龍と貴志は、香澄に教えてもらった住所の家にいた。そこで二人は、ただ家を眺めながら呆然としている。

「はぁ、いい家に住んでるよなぁ~」

 貴志は溜息交じりにぽそっとつぶやいた。

 龍も同じくただ呆然としている。

 二人とも車で来ている。停める所があるということで。今、それがわかった。

 完全にお金持ちが住む家だ。ビルドインガレージのある、三階建ての洋風住宅。

 いったいこんな家を手に入れようと思ったら、何年働かないといけないことか。

 庶民的な二人には縁遠い人が住んでいる事を、容易に想像させた。が、何かの縁があって、この家を訪れる事になってしまった。

 一体どんな人間が会いたいと言うのだろうか、と龍は思った。

 一方貴志は、自分を誘ってくれた人がマリーだということで緊張したまんまだ。

 龍も貴志も生唾をごくっと飲みこみ、玄関のインターホンを鳴らそうとした時。

 ドアが開いた。

「おー、お前ら来たのか」

 優だ。

 いきなりの登場にちょっと驚く二人を前に、優が二人を笑いながら出迎えた。

「ああ、まぁな」

 龍が無愛想に応える横で、貴志は無言で頭を下げて礼をする。

「外でそれっぽいエグゾーストが聞こえたんでな。良い音させてるな」

「そりゃどーも」

 またも無愛想に応える龍、その横で貴志はハラハラしている。

「ふん、生意気なヤツだな。ま、それはいいとして車を中に入れろ、いつまで道に停めるつもりだ。ガレージに入るからそこにな」

 そう言うと優はガレージのシャッターを開けてやり、自分の出番は終わったと言いたげに、さっさと家の中に入っていってしまった。

「ふう。龍、お前もちっと礼儀正しくしたらどうだ? 向こうが年上なんだぞ」

「わかってるさ、だがあの男なんか気に入らねぇ」

「気に入らねぇって。お前なぁ」

 貴志は呆れながら、龍と一緒に道に停めている車をガレージに入れた。

 そしてガレージの中にMR2とRX-7が入り、龍と貴志が車から出ると。先に入っている車をじっと眺めている。

 そう、ガレージの中にはあのコズミック-7があったのだ。

 パープルメタリックのその車は、今はガレージの中で静かに眠っている。だが、一度息を吹き返せば、たちまちモンスターと化して暴れ狂うのだ。

「まったく…。こいつがオレ達の前に現れてから…」

 龍が憎々しげに呟き、貴志はなんの感情無くじっと眺めるだけだ。

 よく考えれば、この車が来たのと同じ時期にマリーが店にやって来た。

 貴志にしてみれば、この車があったからこそ、こうしてマリーが自分を誘ってくれたのだ。

 それを考えると、良かったのかもしれない。

 この車が来た事が。

 すると奥から聞こえた。

「いつまでもここにいないで、出てきたらどうですか。美味しい紅茶を入れてますよ」

 女性の声だった、少したどたどしい日本語で外国人なのがすぐにわかる。

 龍には始めて耳にする声でも、貴志には耳に馴染みのある声だ。

 二人が声の方向に目をやると。暖かな微笑みを浮かべ、来客を出迎えるマリーがいた。

「マリーさん…。こんにちは」

「こんにちは、イハラさん。まさかこんな成り行きでお会いするなんてね」

 少し物悲しそうな表情を浮かべるマリーに、貴志はぎくっとする。

 龍は、温和で穏やかな物腰の彼女に一瞬拍子抜けしてしまったが、それと同時に真面目そうな印象も受けたし。そこはかとなく、抱擁感のある大人の女性の魅力も感じた。

 なるほど、確かに会って損は無い美人だった。

 だが、どうしてそんな女性が優や香澄と暮らしてるのか、理解に苦しんでもいた。

 マリーは龍の方に振り向く。

「初めまして、マリー・ヘンゲルスです。香澄がお世話になっているそうで」

「あ…。こちらこそ初めまして。源龍です…」

 なんだかやりにくいな、と思いながら龍も挨拶を返す。

 世話をした覚えは無いが、挨拶としてはそう言うしかないか…。

「さっきも言いましたが。美味しい紅茶を入れてますよ、冷めないうちに…」

 そう言って龍と貴志を家の中に導くマリー。

 二階に上がると、龍と貴志はリビングの中をきょろきょろ見まわしてしまった。それほど日当たりがよい、明るく広くて開放的なリビングルームだった。

 さらにリビングから眺めのよいバルコニーに出る事もできる。

 そのバルコニーも広く。木製の丸テーブルが置かれ、そのまわりに椅子が四つ。

 その一つに、先に香澄が両肘をついて座っている。

 テーブルには紅茶が入ったカップが三つ置かれている。

 どうやら優はいないようだ、一人トンズラしたんだろうと思ったが。その実マリーからちょっかい出さないで、と言われていることを龍と貴志は知らない。

 ふと思ったが紅茶が一つ足りない、四人でなら四ついる筈だが。

「来たんだね、待ってたよ」

 三人に気付いた香澄は手を振ると、バルコニーの窓を開けてやった。

 なんだか笑っている。

 笑った香澄を見るのは、龍と貴志は始めてだ。

 マリーの前ではよく笑うのだ、香澄は。

 今、リビングにマリーがいる。少し後ろに龍と貴志を連れて。

「香澄が、愛想良く笑ってる……」

 まだ、あどけなさの残る可憐な少女。そんな言葉がぴったりだが、峠と違い愛くるしい笑みを浮かべる香澄に、龍は違和感を感じていた。

 貴志も同じだった。

 ま、しかし。美女二人と言っただけのことはあるということだった。

 さあどうぞ、と言うマリーの言葉で龍と貴志はバルコニーに出て椅子に座った。貴志とマリー、龍と香澄が向き合う位置で。

 外は太陽の光がさんさんとふりそそぎ、バルコニーで時間を過ごすには最高だった。

 下手なカフェテラスなんかよりずっといい。

 龍と貴志は、この成り行きに少し固くなっていた。

 それこそ、女性にお茶に誘われたからというだけでなく。自分たちが、思いっきり場違いな場所にいる気がして仕方なかった。

 闇に紛れて走っている二人には、太陽の光は眩しすぎた。

 それから自己紹介に始まった、たわいもないお喋りで時間が過ぎて行った。

 マリーは龍が看護士であることに尊敬の言葉を送った。龍は少し謙虚しながら照れる。誉められ慣れていないのがここでばれてしまったが、何も悪い事ではない。

 しかし、それ以降は龍はあまり上手く会話に参加できないでいた。

 香澄と貴志はそれでも楽しそうに会話に参加していたが、龍はつまらなさそうにしていた、なんとかマリーに悟られぬように。

 時折相槌を打ち、自分に振られるとすかさず話題を香澄か貴志に譲ったりして。

 何しに来たんだろう…、と心の中でつぶやく龍。

 口下手なところもあって、それは尚更だった。

 別にマリーを悪く思っているわけじゃないけれど…。

 そんな龍をヨソに、貴志は楽しそうだ。それもそうだろう。心配が杞憂に終わったことに心から安心し、会話が弾む。特に音楽の話題に関して。

 今流行りの歌、昔懐かしの歌、心に残った歌、etc、etc。

 音楽で結ばれた縁なのだから、やはり自然と音楽の話題が中心になるのだ。

 そんな貴志につられマリーも楽しそうだ。

 そして香澄も。

 そんな三人を見て、龍はふと空しさを覚えてしまった。

 自分は本当に車しかないんだな、と。

 車の話題になれば自分も会話に入っていけるし、マリーの好意を無にする事もないのだろうけど。

 マリーという女性は、車とは無縁な女性だ。そんな女性に車の話題など振ることも出来ず。

 一番盛り上がっている音楽にしても、龍は音楽なんて殆ど聴かないからどうすればいいのかわからない。

 どうやら他の三人もそのことに気付き始めてるかもしれない。

 まいったなぁ、と思いながらマリーの入れてくれた紅茶を飲んだ時、美味しい紅茶だと思った。

「紅茶、けっこう美味しいですよ」

 と言った。

 すると。

「そうですか、そう言ってもらえると嬉しいです。腕によりをかけて入れましたから」

 少しはにかみながら応えるマリー。

「この紅茶を飲みにここに来るのもいいかもしれないな」

「ええ、是非私の紅茶を飲みに来て下さいね。いつでも待ってますよ」

 紅茶を誉めてもらったことがよほど嬉しかったのか、マリーは満面の笑みを龍に向けている。

「え、ええ……」

 いつでも飲みに来て下さい、という。自分でも思いがけなかった展開に、龍は戸惑ってしまった。

 何か言わないと、という気持ちから出た言葉で、実際美味しかったのだが。わざわざ飲みに行こうとまでは思わなかった。

 これで行かなかったら、マリーに悪い。

 こりゃ行かなきゃいけないかな。

 するといきなり貴志も。

「オレも紅茶飲みに来ていいですか?」

 なんてことを言いはじめた、どうやら龍に対抗心が芽生えたようだ。

 マリーに誘われた龍に、貴志は少し妬いた。

「ええ、どうぞ。お二人で一緒にいらして下さいな」

 笑顔で応えるマリー。

 お二人で一緒に、の部分にちょっと抵抗があるものの。貴志は元気よく、「はい」と応えるのだった。

 どうせならマリーさんと二人っきりが良いなぁ…。

 そんな事を考えながらも、いつでも来ていいと言うマリーの言葉が貴志は嬉しかった。

 そしてまた時間は過ぎてゆく。

 話も出尽くし、いくらか時間が経ったので、良い頃合と二人は帰ることにした。

 なんだか龍はかなり長い時間いたような気がした。

 挨拶をして車に乗りこみ、家路につく龍と貴志を見送りながら、マリーは思った。

 貴志はもちろん、話してみれば龍も普通のいい人だ、と。

 走り屋という、自分の知らない世界の中の人間だからといっても。人より多く車に接しているだけで、何も特別というわけではなかった。

 ただそれは、車から降りている時のことで。車に乗ると、自分の知らないもう一つの顔があるという事も、わかってしまったのだった。



 それから何度か、龍と貴志はマリーのもとを訪れては紅茶をご馳走になっていた。

 たまに抜け駆けで、貴志が一人でやって来る時もあった。もちろんその時も香澄は一緒だ。

 優もたまに顔を出す事もあったが、あまり中に入らなかった。

 憩いの場として定着した感のある、この家のバルコニー。

 貴志はともかく龍は渋々と来てるといった感じではあったが、悪い気はしなかった。

「まぁ、たまにはいいんじゃないか」

 と、言いながら貴志と一緒に来て紅茶を飲む龍。

 美味しい紅茶をご馳走になれるわけだし。なによりマリーに「また来て下さいね」と笑顔で言われると、いやと言えなかった。

 しかしまぁなんでまたオレ達を誘う気になったんだこの人は?

 と、龍はマリーの真意が読み取れなかった。どうも何か裏があるような気がしていた。貴志はそんなことを考えずに、素直に喜んでるようだが。

 香澄も龍と同じだった。何故、今まで走り屋を嫌っていたマリーが、いきなり態度を軟化させたのか。

 時折、龍や貴志に何か言いたそうにしてるのを、香澄は見逃さなかった。

 実際に会ってみて、警戒心が解けたようではあったものの、どこか引っ掛かる所があるというのだろうか?

 しかし、何か言いたそうにしてるのは貴志も同じ事だった。

 特に一人で来た時は。

 その時は体温が、特に顔の部分がいつもより温度が上がっていたのを、香澄の中に内蔵されたサーモグラフィーが感知していた。

 まさかね、と思いながら貴志を見てると。当たらずと言えども遠からず、と言った感じで何か可笑しかった。

 優も気付いているらしく、裏でこそこそと笑ってたりする。

 マリーはマリーで、気付いてないのか、気付いてないフリをしてるのか。

 もし後者だとしたら、したたかなものである。

 何せ言えずじまいで帰ってゆく、というパターンが続いてるのだから…。

 そんなこんなで、なにかしらの思惑がありそうながらも、龍と貴志と香澄とマリーの憩いの一時は続けられるのであった。

 でも、もう龍や貴志はマリーと打ち解けているのは間違い無いから、そんなに深く考える事は無いのだろうけれども。

 やはりそこは人間、一人を除き、いずれはそう言う時が来るのであった。

 口火を切ったのはマリーだった。

 ある日の憩いの一時。

「今日は、あなた達に大切なお知らせがあります。香澄、あなたも良く聞いてね」

 いつも通りたわいないお喋りをしている時、突然マリーは改まった。

 マリーの言葉に龍と貴志は何事かと思い。はいと言って、静かに聞く構えをしている。

 香澄も同じだった。

 一体何の話なんだろうか?

 いつになく、マリーは真面目な顔をしている。

 いつも真面目な女性だが、この時はさらに真面目な顔だ。

 龍はきょとんと、少しいぶかしげに。

 貴志はごくりと唾を飲みこみ。

 香澄はじっとマリーの言葉を待っている。

 マリーは三人を見て、一息ついて言った。

「実は、カスミには重大な秘密があるんです。今日話した事を一切他人に言わないと約束してもらえますか?」

 その言葉に龍と貴志の頭には、「?」マークが溢れてしまった。

 一体何を話そうとしているのか、それ以上に秘密って何だ?

 当の香澄は驚き、平静を保てないでいる。

 周囲の空気が春のぽかぽか陽気を遮断しつつあった。

「マリー、まさか」

 香澄は椅子から慌てたように立ち上がるが、マリーは動ずる様子も無く。平然と、すっと右手を上げて香澄に座るように促す。

 香澄はそれに従うものの、なんだか顔がこわばっている。

 こんな香澄を見るのは龍と貴志は初めてだ。

 いつも済ましてクールな印象があっただけに、驚いてしまった。

「か、香澄ちゃんの秘密って…」

 おそるおそる貴志が聞く、しかしマリーは。

「これはあなた達を信頼して言っているのです。秘密を守ってもらえると、誓ってもらえますよね?」

 静かに、しかしどこか気迫ある物言いだ。

 龍と貴志は、マリーの気迫に圧され気味にじっとしている。

 なんなんだ、一体。秘密って、ここの人間は皆どうかしてるのか…。正直、内心穏やかではない。

 秘密を守れという事自体尋常ではない、もし守らなかったら何があるというんだろうか…。

 龍がそれをマリーに尋ねてみれば。

「それは、私にもわかりません」

「わかりませんって…」

「ただ、今までの当たり前だったことが、当たり前で無くなるでしょう」

 静かに淡々と語るマリー、龍と貴志はなにがなんだかわからない。

 香澄は押し黙ったままだ。

「ばれたらマズいことなんですか?」

「はい、とっても」

「とっても、って」

 貴志はいつもと違うマリーがなんだか怖い。

 優といい、なんだか怖がってばっかりだが。怖いと思ってしまうから仕方ない。

 なんとも小心なことだが、今の貴志にはそんな事を気付く余裕などなく。

 戸惑う龍と貴志を見据え、マリーは返答を待っている。見つめている、ではなく、じっと静かに見据えて。

 マリーにじっと見られれば、貴志は黙っていられないはずだが、今のマリーは憧れのマリーさんではない。

 全くではないが、別人に感じてしまう。自分の知らない側面を見て、貴志はマリーが怖かった。

 が、当のマリー自身貴志が走り屋なのを驚いていたから、おあいこだ。

「は、はい。守ります。守ります……」

 貴志はごくっと唾を飲みこんだ後、マリーに同意した。

 マリーに秘密を守って欲しいと言われれば守らないわけがない、がマリーの言った事が怖いからと言うのもあった。

 そんな貴志を見て、マリーは少し困った様にクスっと笑った。

 龍は少しうつむいて何やら考えている。

 はっきり言って訳がわからん、なんなんだ一体。だいたい、秘密って何だ? ばれたらマズイ事でもやってんのか、と。

 それ以前に何故それを自分達に言う必要がある、いや必要があるからこうして言っているんだろうが。

 なんだか釈然としない。

 まぁしかし、だからと言って命まで取られることはあるまい、秘密を守れば。

「まぁ、黙ってほしいんなら。誰にも言いませんけど」

 龍もしぶしぶ同意した。

 香澄はこの状況の中、何も言わずに黙ったまま。時折。龍、貴志、マリーにかわるがわる目を移すなど、落ちつかない様子だ。

「そうですか。ありがとございます」

 マリーは静かに、二人に頭を下げた。

 なにか覚悟を決めたと言う感じだ。

 そして一息ついて、言った。

「実は、カスミは……。アンドロイドなんです」


「は……?」

 龍と貴志はマリーの言っている意味が理解出来ず。二人ともポカンとしている。

「だから。カスミはアンドロイドなんです」

 念を押すように、マリーはまた言った。

「アンドロイドって。SFに出るあの……」

 貴志はおずおずと、香澄を見ながらマリーに聞いた。

 香澄はまだ黙ったままだ、何を言っていいかわからなさそうに。

 龍はぽかんとしながら香澄を見ている。

「そうです」

 マリーはこくっと頷いた。

 目は真剣そのものだ。

「な、そんなバカな。冗談でしょう」

「嘘ではありません。ホントです」

 マリーはそう言うと、香澄に向き直り。

「カスミ。証拠を見せてあげなさい」

 と言った。

 香澄はマリーの言葉が信じられないと言いたげに、助けを乞うようにマリーを見ているが、マリーは聞き入れてくれそうに無い。

「ちょっと待ってくれ。なんだ一体? あんたもあの男と同じようにオレ達をからかっているのか」

 初めて龍がマリーに食って掛かった、いきなりの展開に戸惑いと驚きを隠せない。マリーはまともそうだ、と思っていたのに、裏切られた気分だった。

「落ち着いて。ミナモトさん。今証拠を見せますから」

 マリーは動じず、龍をいさめる。しかし龍は聞き入れようとしない。

「バカバカしい。オレは帰る」

 そう言って龍が立ち上がろうとした時。

「待って! 龍」

 香澄がやっと口を開いた。

 龍は香澄を一瞥して、構わず立ち上がろうとする。

「今証拠を見せるわ」

 龍が自分を無視してるのも構わず、香澄は左手を差し出し。右手で左手の袖を肘までめくった。

 細い、白い腕があらわになる。

 右手を左手の肘にもっていき、なにやら指でまさぐっている。すると、パチンと乾いた音がした。

 そして香澄の指が何かを掴み、それを一気に引っ張ると。まるで手袋を脱ぐようにして表皮が剥がれ、内部の機械部分が現れた。

 大きな工場でよく見られる、ロボットハンドをかなり精巧にしたような手だった。

 それを見た龍と貴志は呆然としてしまった。

 なにも言えなかった。

 どうやって組んでいるのかわからない、精密機械の腕、それが今目の前にある。香澄の左腕として。

「な、な、な。か、香澄ちゃん。その腕……」

 貴志はやっと口を開いたが、うまく喋れない。

 龍はただただ呆然と、香澄の左腕を眺めている。それしかできなかった。

「ね、マリーの言った通りでしょ」

 香澄は観念したように、悲しそうに、ふっと笑った。そして表皮を元に戻す。

 細い、白い腕に戻す。

「ごらんの通りです」

 と言うマリーの言葉に、龍も貴志も返す言葉が無い。

 今、目の前にいる香澄がアンドロイドだという事実が、二人を金縛りにかける。

「このことは、絶対にご内密に…」

 と、言われたが、人に言っても信じてもらえそうに無い。

 しかし約束は約束、ちゃんと守る事は守るが…。二人とも、もうなにがなんだか、と顔が言っている

 そんな二人にマリーは語った。

 香澄が何でも出来る万能アンドロイドとして、本部のあるドイツで製作された事。

 日本人女性という設定上、そのテストの為に日本に来てると言う事。

 マリーと優がそのプロジェクトのスタッフであると言う事。

 マリーは人工知能=AIプログラムの担当プログラマーで、優は機械部分の担当メカニックだということ。

 秘密を打ち明けるのは、これからも長い付き合いになりそうだから、と言う事。

 それを聞いた龍は、慌ててマリーに問いかける。

「本部って? まさか本部には他にも香澄がいるなんて言うんじゃないでしょうね?」

「本部については、何も申せません。でも、カスミは一体のみですが。他にも数体のアンドロイドが製作されています」

「え、それはホントですか!?」

 それを聞いた貴志は慌てた様子で聞き返す。

「はい。男女の性別はもちろん。人種、民族別に様々なタイプがあります」

 龍と貴志はマリーの言葉を聞いて、香澄の他にもアンドロイドがこの世に存在することに驚きを隠せない。

 さっき見たような、機械で出来た人型ロボットが他に数体創られているなんて。想像しただけでぞっとする。

 二人の頭の中には。白衣をまとったマッドサイエンティストの博士が、どことも知れぬ実験室で、人型の機械を狂気めいた顔つきでバラしては組みたてる。というSF映画で見た事あるような光景が浮かぶ。

 優しい顔をしているが、マリーはそんな博士の一人だったということだ。言わんや、あの潮内優も。

 狂気めいた顔つきのマッドサイエンティストが、今はマリーと優の二人にかわり、バラされては組みたてられるのは香澄。それも殆どの部分を、機械で出来た体をさらして……。

 改めて、龍と貴志はぞっとした。

 そんな二人を前に。マリーは、今度はアンドロイドの存在の意義について語り始めた。

「アンドロイドは疲労も無いし。人間と違い怪我、つまり壊れても修理が効くというメリットがあります。人間は失った部分を取り戻すということは出来ないでしょ、でもアンドロイドなら出来るのです」

 マリーは一呼吸置いて、龍と貴志の二人を見ると、香澄にも目をやった。

 龍は無言のままで。貴志は心拍数が上がった。

 香澄は、静かにマリーを見つめるだけだった。

 マリーは続けた。

「それを生かして。放射能に汚染された地域、数千メートル級の標高の高い山や深海、果ては宇宙空間。内戦のあった地域での地雷撤去等、危険な地域での作業に当てる事が出来ます。それに、害のある細菌に侵され命の危機にさらされる危険もありませんので、感染力の強い危険な病気にかかってしまった方の治療に当たり、カウンセラーとしても接するなど、医療の現場でも活躍出来ます。そうなれば、有能でも無骨な機械の姿のままよりも、人の姿をしていた方が温かみがありますよね」

 雄弁に語るマリー。

 最後に、こう付け加えて。

「機械は与えられた仕事に対してミスをおかしません。それどころか人間以上の働きをします。それが自分の意思を持てば、あらゆる状況で完璧な仕事をこなすでしょう」

 マリーはまた一呼吸置いて、紅茶をすすった。

「この価値は、お金では手に入れられません。それほど、素晴らしい事はないじゃないですか」

「どんな状況でもですか」

 貴志はマリーの言葉に、何か色々と言いたそうに言った。

「はい。どんな状況でもです」

 臆せず、マリーは力強く頷いた。

「なるほど」

 龍と貴志は今までの、香澄と走った夜のことを思い出していた。


scene8 ティータイム 了

scene9 アクロス・ザ・ランニングウェイ に続く

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