scene7 本気(マジ)
靡木峠。
今夜も走り屋が集まっていた。
車が数台、思い思いに走っている。
その中に青いRX-7の姿もあった。
黒いMR2の姿はまだ無い。
どうやらRX-7の方が先に峠に着いていたようだ。
「車の調子もいい、オレも乗れている……」
なのに、どうして速く走っている気がしないのか、わからない。
貴志は舌打ちした。
どうも心と体がちぐはぐだ、今は体が覚えた動きをしているに過ぎない。
他の車は貴志に追いつかれる度に、ハザードランプを点灯させて道を譲った。バイクのころとは全く逆だ、あのころはみんなに道を譲っていた。
今はみんなが道を譲ってくれる。
あの二台。龍のMR2と香澄のコズミック-7を除いては。
だけど楽しくない。
たった一台で淡々と走っているみたいで。
貴志は西側駐車場まで来ると、車を停めた。こんな気持ちで走っていても、ただガソリンを無駄使いするだけだ。
「やめた」
車から降りて、貴志はぼそっと呟いた。
つまらない、走っていてもつまらないなんて感じた事は初めてだ。
なんでだ? 前は一台で走っているだけでも楽しかったのに。
ふと、貴志はマリーの事を思った。昼間、店に来たマリーは自分の薦めたCDを買っていってくれた。
「あれ喜んでもらえたかな?」
峠を走っていてもこんな気持ちでいるなら、マリーが来るのを期待しながら仕事をしてる方がまだましだった。
龍も来そうに無いようだし、もう帰るかなと思った時。
黒いMR2が駐車場に入ってきた。
龍だ。
龍はMR2を適当な場所に停めると、車から降りて貴志を見つけると、こっちの方にやって来る。
「よう。今日も来たんだな。来ないかと思ってたけど」
貴志の言葉に龍は苦笑いして。
「そのつもりだったが、なんだか峠に来たくなってな。落ちつかなくてよ」
「いいのか? お前の仕事大変なんだろ。少しは休んだ方がいいんじゃ」
「いいんだよ」
「そうか」
心配そうな貴志をよそに、ふっと笑うとあたりを見まわした。
「今日も香澄は来てないのか」
「ああ、来てない」
「来てないのか……」
龍は溜息をついた。
来ないのなら、やっぱり寝とけばよかったかな。全く、また来るって言ったのはどこのどいつだよ。
と思っても、来ないものは仕方ないし。連絡先も知らないのでは、どうしようもない。
今夜の龍と貴志の二人はテンションが低かった。とても走ろうという気分にならない。
「やっぱり帰るわ」
と、つぶやいた。
「来ていきなり帰るのか」
貴志は思わず呆れてしまった。
今まで、龍が峠に来て走らずに帰るなんて無かったのに。香澄に負けたのがやはり堪えているのか。
しかしその香澄も、来ると言っておきながら、来ない。まさか、もう見切りをつけられてしまったんだろうか。
いくらなんでもそれは無いとは思うものの。
その時、なにか音がした。
一瞬なにか虫が飛んでいるのかと思ったが。違う、その音は徐々に大きくなっている。
徐々にこちらに近づいているようだ。
やがてその音が聞こえるにつれ、龍と貴志は冷めた気持ちから解き放たれてゆく。
それと入れ替わりにテンションが上がる。
条件反射のように、その音は龍と貴志の心を昂ぶらせる。
パブロフの犬の実験は正しかった、なんて思ってしまった。
なにも言わずに、龍と貴志は急いで車に乗りこみ、イグニッションをスタートさせた。
他の走り屋たちもそれに気付き、にわかに駐車場が騒がしくなる。
香澄がコズミック-7でやってきたのだ。
F1のような鼓膜を突き破りそうな、猛烈に甲高いエグゾーストノートを響かせながら峠を疾走するコズミック-7。
その姿を見て。追うか、それとも引くか。
まるでそう問いかけるように、その速さは挑発的であり、脅威的であった。
そして、その問いに答えが出る。
他の走り屋達は引き。
龍と貴志は追う。
「本気で走るけど。いい?」
「ああ、そうしてくれ。そうでなきゃお前のヨコに乗った意味が無い」
「じゃ、いくよ」
香澄はアクセルを踏み込み、コズミック-7を高いアベレージスピードをもって走らせる。
今まで香澄によってセーブされていたパワーが、溢れみなぎる。
それと同時に、優の体に走る衝撃がより強くなる。
体中をシェイクされる、それが快感だった。
スピード、G、マシンの横揺れ縦揺れ。
全てが快感だった。
なにより、マシンを駆る香澄のドライビングテクニックは完璧そのものだ。
当たり前だ、そのように創り上げているのだから。
目の前の風景が、吹き飛ばされるように前から後ろへと流れて行く。
それを目にしながら、優は香澄のヨコに乗ることへの喜びを存分に味わっている。
もうすぐ西側地点駐車場だ。
はたして、今夜は龍と貴志はいるのだろうか?
「来てるぞ来てるぞ……」
峠の山々に響き渡る20Bのロータリーサウンドを聴きながら、駐車場の走り屋達は駐車場沿いの道路を凝視していた。
相変わらず耳をつんざく甲高い音だ。
ハイチューンの施された20Bは、ただひたすらやかましく轟音をがなりたてている。
駐車場の出入り口で、龍と貴志が並んで香澄を待ち構えている。
はやる気持ちを押さえ、すぐにダッシュ出来るようアクセルを踏みこんで高い回転をキープしている。
はたして、コズミック-7が姿を現した。
初めてこの峠に現れた時と同じ、疾風のように有無を言わせぬ猛烈な速さで駐車場を通り抜けて行くコズミック-7。
その後を追う為に、MR2とRX-7が一気に道路に飛び出した。
RX-7が前、MR2が後ろ。
スタートで貴志が少し龍を出し抜いた。
「悪ぃな。前のポジションはもらったぜ」
得意げにバックミラーをチラッと覗くと、MR2のヘッドライトがミラーを照らしている。
「前に出た以上は、チンタラ走るなよ!」
少し悔しそうに、龍は前のMR2を睨みつける。
以前香澄の相手をする順番を決めるジャンケンでも負けて、なんだか貴志にしてやられているような気がした。
が、今はそんな事を言ってられない。
貴志が遅かったら抜くまでだ。
危ないこと、に折角来たのにあやうく走らずに帰る所だったのだ、こうなったらとことん走ってやろうじゃないか。
「おい、後ろから追いかけているんじゃないか」
優の言葉に香澄は少し微笑んだ。
「それはMR2とFCだよ」
「わかるのか?」
「うん、私を追いかけて来るのはその二台しかいないから」
「なるほどな」
納得した顔で優も笑った。
「いいのか、待ってやらなくて」
「そんな必要はないし、そんなことをする気もないな」
「そうか、じゃ好きにしな」
香澄は二台を無視し、そのままのペースで走り続ける。
そうして走るうちに、何台かの車と遭遇したが。皆ハザードを点灯させて道を譲り、何台かは車を端っこに停めた。
「おいおい、お前が来た途端にみんなやめてるじゃねーか」
「そうだね。みんな私と走りたくないみたいだね」
「まぁ無理からぬことだわな」
ハッキリ言って香澄と他の走り屋とでは、スピードのレベルが違いすぎる。とても相手にならないくらいに。
優はそれを見ながら、ほんとに可笑しそうだ。
根性無しめらが、と言いたげに。
「ま、道が空いて走りやすくなっていいな」
龍と貴志は、香澄を追い掛けアクセル全開で走っている。
前を走る貴志ののペースは速い。龍もうかうかしていたら、置いていかれてしまいそうだ。
「なっかなか乗れてるじゃねーかよ!」
前のRX-7を睨み毒づく。
だがこれなら香澄に追いつくかもしれない。
峠を西から東へと走ってゆく三台。
龍と貴志はひたすら香澄を追い掛ける。
前へ前へ、車の性能を限界ギリギリまで引き出しながら。
香澄も後ろの二人を待つなんて、野暮なマネはしない。
今はとにかく、コズミック-7で本気で走りたい。
それにゆっくりと走るのは、この車がいやがる。
だから、今夜はずっと本気で走っていこうと思った。
それが出来るのは自分だけだ、人間はどこかでセーブしないといけない。
セーブをする事無く、ずっと本気の全開走行を続けられるのは。高度なAIを搭載し、高度な機械で出来た体を持つ香澄でしかなしえないことだった。
それをヨコで優は満足気に見ている。
スピードとGに激しく揺られながらも、優は手塩にかけて育て上げた香澄の完成度の高さに心躍らせていた。
「くそ、まだテールランプすらちらつかない」
貴志は歯軋りしながら前を睨みつけた。
ヘッドライトが照らす前方には、何もない。
コーナーを抜ける度に、コズミック-7がいるのではないかという期待感。しかしその期待は、コーナーごとに裏切られていた。
それもそうだ、そんなにすぐに香澄に追い付けるわけもない。
後ろの龍は貴志のRX-7を見据え、その後を走っている。
なかなかいいペースで走ってはいるが、人の後ろを走ることが嫌いな龍は前のRX-7をどうしようかと考えていた。
いっそ抜いてやろうか、やろうと思えば出来ない事もない。が、今は香澄を追い掛けるのが先決だ。
つまらない意地で、つまらないバトルをすることは、もっとつまらない。
龍はこのまま貴志の後ろにいることにした。
貴志のペースは良い、このまま後ろについて一緒に追い掛けた方が得策だ。
だが遅くなれば、無理にでも抜いて行ってやるとも思っていた。
香澄は後ろから追いかけて来る二人を思いながら、淡々と走っていた。と言っても、いつも彼女は淡々としているのだが。
コズミック-7が、狭い狭いと駄々をこねているのが気がかりだった。それはヨコの優も感じていた。
思いっきり曲がりこんでいる、キツくスピードの乗らないコーナーはなおさらだ。
一見良い感じで飛ばしていても、香澄にとってもコズミック-7にとっても、後ろからゴムで引っ張られている思いだった。
優はふと思った。
狭い檻に閉じ込められる怪物。
無理もねぇか。この車をそんな風にしたのは自分だ。
今更戻す事も出来ないし、戻す気も無い。
オレが望んだことなのだ、そのために犠牲もいとわない。
体の自由がきかないのは、ここだけのことだ。
ヨソヘ行けば、いくらでも暴れさせるところはある。
今だけなのだ、この車がしんどいのは。
だからなにも悲しむ事は無い。
狭い狭いと駄々をこねる車を、香澄はなだめすかしながら走らせている。
それを見て優は笑った。
「何が可笑しいの?」
「ん? いや、お前ら似合いだな、と思ってな」
「何をバカな」
香澄も笑った。
「バカなもんか、オレはマジで言ってるんだぜ」
「はいはい。マリーにもそう言われたね」
「そうだな。出る時いじけながらな」
いじけながら、の部分だけ優は声を立てて笑いながら言った。
なかなかどうして、よく分かっているじゃないか!
そうだよ、香澄はオレらよりも、走ることを選んだんだ。このコズミック-7で走ることを、選んだんだ。
東側駐車場にいた走り屋たちは、いきなり現れたコズミック-7にあわてふためいていた。
コズミック-7は駐車場に入るなり、Uターンをしてそのまままた走り出して行った。
龍と貴志はもうすぐ駐車場につくという時に、香澄とすれ違った。
「なんだよもう折り返して来たのかよ!!」
貴志は苦虫を噛み潰すようにうめいた。
後ろの龍はちっと舌打ちする。
そして龍と貴志も東側駐車場でUターンをして、すぐさま香澄を追い掛けて道路に飛び出していった。
駐車場の走り屋達は、何がなんだか分からずにみんなポカンとして。しばらくしてやっと、香澄がコズミック-7に乗ってやってきて、それを龍と貴志が追い掛けているのだということに気付くのだった。
今度はバトルコースを、きちんとスタート地点から、東から西へ走ることになる。
「いいぞ香澄、無理にペースをキープしなくても」
優は、あえぐコズミック-7を気遣って香澄に言った。
香澄のドライビングなら、なにもそんなことは言わなくとも良さそうだが。とりあえずということで言ってみたまでだった。
しかしやはり自分の造ったコズミック-7が可愛い。ここは少しくらいペースを落として走ってもらいたいというのが、本音だった。
そう思った時、優は心の中で苦笑いをした。自分も香澄のペースについて行けないということか、と。
後ろの二台との差はあまり変わっていないのは、優にもわかっていた。
香澄もわかっている。
そしてその通りに、そのまま西側駐車場まで来てしまった。
Uターン、道路に飛び出すコズミック-7。
飛び出していくらか後に、龍と貴志、MR2とRX-7とすれ違った。二人がこっちを睨みつけているのが、痛いほどわかった。
龍と貴志もUターンして香澄を追いかける。
追いつく事は出来ないが、諦める事もしなかった。
西側駐車場の走り屋達は、ただそれを見守るしかできなかった。
誰もあの中に入って、一緒に走ろうなんて気が起きない。
こうして、三台のコース貸し切り状態のまま、時間だけが過ぎてゆく。
その間、順位の変動は無かった。
香澄がリードを保ったまま。貴志、龍の順番で。見えない糸に引っ張られているかのように、三台はずっとそのまま走りつづけた。
峠道を何往復したか、数えるのも面倒なくらい。
香澄は、きっちりと何往復したかわかっているけど。
いい加減、待ちくたびれた他の走り屋達があくびをして帰ろうかという頃。
コズミック-7が駐車場に入ってきて停まった。
いくらコズミック-7でも、永遠に走ることは物理的に不可能だった。
ガソリンが尽きようとしていたのだ。
ロータリーエンジンの泣き所は燃費の悪さだった。
香澄自身はまだ走りたかったが、こればかりは仕方無い。
龍と貴志も駐車場に入ってきて停まった。
貴志も香澄同様、ガソリンがヤバくなっていた。
龍はそれを見て走るのをやめた。
それを見ている走り屋達は、やっとやめたのか、と思った。
本当にこの三台、永遠に走っていそうな感じがしていたのだった。
龍と貴志が車から出た。
香澄も車から出た。
優も。
龍と貴志、他の走り屋達は。初めて見る優に少し戸惑い、向こうの出方を待った。
優と香澄は龍と貴志の方へ歩み寄ってくる。
「男……。だれなんだ?」
いぶかしげに龍は優を見た。
「わからないけど、香澄チャンのヨコにいたんだから知り合いなんだろ」
わかりきったことを、と思いながら貴志は応えた。
優はいつものように不敵な笑みを浮かべていた、それが龍と貴志の警戒心を一層強くしていた。
ただならぬ雰囲気を持っているような気がするけれど、とにかくアヤしい。
自分を警戒の目で見る龍と貴志に、優は不敵な笑みのままだ。
優と香澄が龍と貴志の元までやってきた。
真っ先に口を開いたのは優だった。
「君らのことは香澄から聞いている。香澄の相手をしてくれたんだってな」
その言葉に貴志は黙って頷き。龍は怯む事無く。
「そうだけど。誰なんだあんた?」
二人の反応の違いを面白がりながら、優は応えた。
「オレは潮内優、あのコズミック-7を造った男だ。と言ったらどうする?」
二人の表情が一瞬固くなった。
まわりの走り屋達も騒然としている。
あのモンスターマシンの製作者が、今目の前にいる。
龍も貴志も、平常心でいられない気持ちなのをぐっと押し殺している。
不敵な笑みを浮かべ、まるで龍と貴志を十年来の友のように見ている。
「あんたが、あの車を造ったのか」
龍は内から沸きあがる興奮を抑えながら、優に言った。
「ああ、そうだ。あの車はオレが造った。名前もオレが付けた」
優は、龍と貴志と対峙する今の瞬間を、とても楽しそうにしていた。
「香澄から話を聞いて、オレも君らに会ってみたいと思ったものでな」
久しぶりに会う峠の走り屋に、胸踊る気持ちだ。
貴志は龍の隣にいて、なに一つ話そうとしなかった。なんと言っていいかわからず、ただ押し黙っているだけだった。
それを見た優は、ふっと笑うと。
「FCに乗っているのは君なんだな。嬉しいな、速いロータリー使いとこうしてあいまみえるのは」
貴志は優に話しかけられ、ぎくりとしていた。
速いロータリー使いと言ってくれても、なんだかこの男からは得たいの知れない雰囲気がかもし出され、それがなんだか怖かった。
しかしなにも言わないままでは、相手に舐められきってしまいそうな気がし、なんとか声を平常心を装って出した。
「いや、オレはまだまだですよ」
「ははは、謙虚だな。香澄も君を認めている。もっと胸を張ってもいいぞ」
優の言葉に、貴志は戸惑い香澄の方を向いた。
香澄は優の少し後ろにいて、よそ見をしていた。
なんのこと? とすっとぼけているようだ。
その時、龍が横合いから優に話しかけた。
「速いってわかるのか? ずっとオレ達はあのFDの後ろを走っていたんだ。差をつけられたまんま。それでどうやってオレ達の速さがわかるって言うんだ」
「わかるさ、香澄の相手をしてくれたってだけでもな。下手なヤツは香澄の相手をしたがらないからな。違うか?」
優は悪びれもせず、まわりに聞こえる声で平然と言った。
「あぁ、そうそう。コズミック-7と呼んでくれないかな。結構気に入ってるんだが、このネーミング」
とも、一言付け加えた。
相手をしたがらない、それが自分達のことだとわかったまわりの走り屋達は、優に下手呼ばわりされて怒りをあらわにするものもいた。駐車場はさらに騒然となった。
しかしそれを見ても、何も香澄は言わない。
肯定しているわけではないだろうが、かといって否定しているわけでもないようだ。
龍も貴志も、優の言葉にどう言って良いかわからなかった。
駐車場は一気に険悪な雰囲気になった。
優はこの状況になっても、まだそれを楽しんでいた。
龍も貴志も、職業柄今まで色んな人間を見てきたが。こんな不敵な人物は見た事がない。
おそらく、ムキになってなにか言い返した所で、動じる事もないだろう。
「どうもいかんな、オレは思った事をすぐ口にするタチなんだ。まあ気に障ったら許してくれ」
まわりの反応を見て、優はこれまた楽しそうに言った。悪気は無かった、ということはまず無いのがすぐわかる口調で。
貴志はまわりをきょろきょろと見まわして様子をうかがって、険悪なムードなのを悟ると、次になにを言って良いのかますますわからなくなってくる。その狼狽ぶりは、さっきまでコズミック-7を追い掛けていたとはにわかに信じられないくらいに。
龍は、無表情だが目は優をしっかりと見据えていた。
目の前にいるのは敵。
そう目は言っている。
優は二人が違う反応を示しているのが、ほんとうに楽しそうだ。
しかしこのFC乗りは本当に普通の人なんだな、と思っていた。
それでも香澄を驚かせるくらいの走りができるのだから、人とは本当にわからない。それが人の面白いところなんだろうけど。
「あんた、オレ達をからかいに来たのか?」
龍は、今にもつかみかからんばかりに、優に食って掛かった。
乗り手の香澄と言い、造り手の優と言い、いけすかないヤツらだった。
「からかいに? まさか、冗談はよしてくれ」
「冗談じゃない、オレは本気だ。本気で走っていたんだ。香澄とバトルした時も、さっきも! あんたはそれを冗談だと言うのか!?」
優の言動に怒った龍の勢いの良さにも。優はひるむことなく、平気な顔をしてなんの反応も示さなかった。
貴志はただ呆然としているだけだった。
そんな龍に反応を示したのは、香澄の方だった。
「龍!」
とっさに香澄に呼ばれた龍は、鋭い目つきそのまま香澄の方に振り向いた。
「この前言った通り、私はまたここに来たよ。それで満足出来ないの?」
香澄のその言葉に、龍はあっけにとられてしまった。
「龍も言った通り、また来た私を追いかけたじゃない。それでは満足出来ないの? 他に何がいるの?」
「……」
龍は、さっきまでの勢いはどこへ行ったのか。ただ香澄の方を向いて、黙っているしかなかった。
貴志はまだ呆然としているままだ。
優はそれを見て、満足気に笑っている。
その目は生徒をみつめる教師のそれのようだった。
他になにがいる? その言葉が龍に強く心に突き刺さった。
他にいるもの、それはわかっているが、言葉にだすのがはばかられてしまう。それは貴志も同様だった。
ただ、今それを言っても仕方がなかった、それが悔しかった…。
香澄の言葉は、龍の一番痛いところを突いていたのだ。
もっとも、香澄はそんな自覚は無かった。
ただ、優に食ってかかる龍に自分の純粋な気持ちを言ったまでだった。
龍を怒らせるような事を言った優も優だが。
「ふふ、なるほどな」
優は意味ありげに笑うと。
「じゃあ帰ろうか、もう用は済んだしな」
そう言うと、龍と貴志に背を向けコズミック-7の方へと歩き出す。
香澄は素直に優に従って、優の後ろについてゆく。
それを見て龍と貴志は、まるでロボットだな、と思った。
あながち間違いではないどころか、大正解なのだが、もちろん香澄の正体を龍と貴志は知らない。
コズミック-7のもとまでやって来くると、何か思い出したように優は振り返った。
「あ、そうそう肝心な事を聞いてなかったな。名前はなんと言うんだ?」
「香澄から聞いてなかったのか?」
龍は、いきなりなんだ? と言わんばかりに問いなおす。
「いや、名前を聞くなら本人に会って直に聞きたかったんでな」
なんだよそれは、と思いながらも二人は名乗った。
「オレは源龍」
「い、井原貴志、って言います」
「源龍、井原貴志、か。覚えておくぞ、その名前」
そう言うと、優は助手席に乗り込んだ。しかし香澄はドアを開けたまま、龍と貴志の二人を見つめて、何か言った。
「また、ここに来るよ」
それを聞いた龍と貴志は、その言葉に何も言えなかった。
言いたくても、言えなかった。
言い終えた香澄は運転席に乗りこみ、イグニッションをスタートさせる。
耳をつんざく20Bの咆哮が、闇に包まれた駐車場に響き渡り、山々にこだまする。
龍、貴志、まわりの走り屋達がそれを黙って見守る中。コズミック-7は駐車場を出、街の方面へと走り出した。
龍と貴志はそれを見て、なんだか置いてけぼりにされたような気分だった。
また来るよ。その言葉が本当だとしても、いつか本当に置いてけぼりにされそうで。
それから何日か経った。
香澄は靡木峠にやってくる。
そして走る。
それを龍と貴志が追い掛ける。
ずっとその繰り返しだった。
毎晩ではないものの、三人が揃えばいつも追いかけっこをしていた。
誰も中に割って入ろうとしなかったし、出来なかった。
この数日の間、龍と貴志は速くなった。以前と見違えるほどに。
だが、香澄には勝てない。
二番三番は龍と貴志が入れ替わり立ち代わりでも、一番は香澄だった。
ずっとそのままだった。
これからも、ずっとそのままなんだろうか。
誰かがそれを口にした。
すると回りの連中も、うんうんと頷いた。
香澄ちゃんに勝てるわけが無い。
誰もがそう思っていた。
だけど龍と貴志はそう思わなかったし、思いたくなかった。
いつかきっと香澄に勝てる、そう信じて香澄を追いかけていた。
香澄のいない夜の峠なんて考えられないほど、龍と貴志は香澄を追い掛ける事に夢中になっている。
ただただひたすら香澄を追い掛ける。
これが、今の全てだった。
そんな香澄は、龍と貴志を後ろに従えて、いつも思うことがある。
走る、この車で走る
こればかり思う。
優は何も言ってくれない。
負けてもなお挑みつづける人間のことを知りたいと思うなら、走るしかない。
だから走る。
だけど、まだ分からない。
だから走るしかない。
「優の意地悪……」
ぽつっと、香澄は呟いた。
いや、皆意地悪だ。
どうして、どうして私に勝つことばかり考えるの?
どうして、どうして優は何も言ってくれないの?
マリーも、なんだか私のことをちゃんと分かってくれていない。
それとも、そんなことを考える私がわがままなのかな?
わかってくれているとしたら、それはこの車だけ。
この車だけは私に応えてくれる、だから私も応えられる。
でもこんなことの為に走るのは、いや……。
走りたい、このコズミック-7で好きなように目一杯走りたい。
束縛されず、自由に、好きなように走りたい。人間の下らない考えなど放っておいて。向こう側にむかって、走りたい。
初めて走った時のことをAIユニットのドキュメントから引っ張り出す。ドイツにいたころ、アウトバーンを走った。人間と同じように車が運転できるかどうかというテストのために。
車はなんでもない一般大衆車だった。
どこまでも続くような道路、小さな点となっても、そのまた向こうにまだ続いている。その向こうに何があるんだろう。そう思ったことがきっかけで、ユニットに変化が生じた。
アクセルを踏んでいた。向こう側に行くために、スピードを求めていた。
担当が優だったのが、それに拍車をかけた。助手席でノートパソコンをひざに置いて、ノートパソコンは香澄と接続されていて。プログラムの変化をみとめた優が、何かに感心したように唸っていた。
「なんてこった、ははっ、こりゃあいい」
とかいっていた。
スピードが欲しいか。その香澄の求めに、優は応えてくれた。こんなもんより、もっといいものがあるぞ、と。
もっといいもの、それが、コズミック-7だった。RX-7のボディにコスモの20Bを搭載した異端のモンスター。香澄にこそふさわしいと。コズミック-7にこそふさわしい、と。
マシンもドライバーも最高傑作。
優にとって、それこそがまさに理想のかたちだった。
様々なテストがあった、それらは全て、外からの刺激が人工知能にどのような影響を及ぼすのか、というものだったが。それによって、香澄はスピードを求めるようになった。
それから、日本人女性として創られているため、テストの場は日本へとうつって。龍と貴志と出会うことになった。
日本の狭い峠道。暗闇をヘッドライトで切り開き、切り開かれた景色を吹き飛ばしてゆく。コズミック-7の叫び声が、すべてにぶちつけられる。香澄にもぶちつけられる。香澄がそうさせているのだ。
それを追う、二人の人間。
私を認めていながら。
何故、どうして、諦めようとせず追いかけてくる?
一人は親しみをこめて。一人は憎しみをこめて。
私に挑んでくる。
私を追いかける。
私はそれを追い払うでも無く、導くわけでも無く。
後ろを走らせている。
私がわかる為に、この二人をわかる為に。
そんなことは初めてだった。
人間を理解せよというのだろうか、十分に理解してるつもりだった。
なのにわからなかった、この二人のことが。
だから走って、この二人をわかろうとしている自分がいる。
そうだ、この二人は私がアンドロイドだと言う事を知らない。
なら、そのことを知れば、私に挑んでくることが無くなるかもしれない。
勝てるわけが無いわけだ、と。
きっとそうかもしれない。
ならいっそのこと。
秘密という名のベールを剥がせば、分かってもらえるかもしれない。それは人間の世界でも、往々にしてある事なのだから、きっと。
そうすれば、自由に走る事が出来るかもしれない。私が求めているのは、人間と競うことではないし、それが目的で存在しているわけじゃない。
行きたい、向こうへ行きたいという、AIユニット、プログラミングの求めているもの。スピードの中、突っ走る向こうに何があるのか。
「香澄!」
龍の叫び。
すぐ前に香澄がいて、聞こえているかのように。
追いつけない苛立ちから。どんなに飛ばしても追いつけない、差をつけられたまま。
後ろには貴志がいる。
貴志も同じ気持ちだった。
どうして、どうして追いつけない。
オレとあのコでなにが違うんだ!?
わからない、才能が違うとでもいうのか?
だけど、そんな簡単な答えではないような気がする。
二人は、逃げ水のように追っては遠ざかる香澄を追いかける。
諦めず、勝てると信じ、追いかける。
追いかけるしかなかった。
scene7 本気 了
scene8 ティータイム に続く




