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scene5 決戦

 完全に日は落ち、月が空に浮かんでも香澄は帰ってこなかった。

 二人は二階のリビングで香澄の帰りを待っている。

 マリーは心配で心配でたまらなそうに、バルコニーを行ったり来たり。

 しかし優は平然としている。

 今までそんなこと無かった。

 何を思ったか、香澄からは何の連絡も無かった。

「香澄の身に、なにかあったのかしら」

 昼間の穏やかムードから一転、マリーは動揺を隠せない。

 優は心配するな、と喉まで出かかった言葉を止める。

 自分が言ってもマリーは納得しないだろうし、下手をすれば余計に心配をさせるだけだ。

 やれやれと思いながら、優は煙草に火をつける。

 そういえば、明るい時間の峠を走るのもいいかな、なんてことを言っていたが。まさか昼から靡木峠に行って、そのままなのだろうか。

 昨日のバトルで、香澄に何か思うことがあったのかもしれない。

 ただ香澄を心配するマリーが気がかりだった。

 せめて電話くらいしろよな。と、溜息混じりに優は煙りを吐き出す。

 その時。龍は仕事が終わってすぐに、靡木峠に向かってMR2を走らせていた。まだ早い時間だ、ひょっとしたら誰もいないかもな、と思っていたのだが。

 靡木峠の西側駐車場についてみれば、なんとコズミック-7と香澄がいるではないか。

 他にはまだ誰もいない。

 これには龍も少し驚いた。

 香澄も龍に気付き、車から降り立つ。

 結構早く来てるんだな、と思いながら。車を停め、MR2から降りると香澄のもとに歩み寄る。

「よお、早かったな」

「うん、まぁ。家にいてもする事無いからね」

 相変わらずの、冷めたものの言い方だった。ただ、どこか憂いを含んでいるようにも聞こえないこともなかった。

「そういう龍こそ、早かったね」

「まぁ、オレも家にいてもすることないからな。バトルまでに練習でもしようかと思ってな」

 龍は少し自嘲気味に言う。それを見て、香澄は少し、表に出さないように、わからないように笑った。

「ところで、いつからいたんだ?」

「昼間からずっとだよ」

「昼からずっと!?」

 龍はあっけにとられてしまった。

 いくらなんでも早過ぎだ。

 それよりも、普段はなにをしているんだ?

「なんだって、そんなに早くから」

「言ったでしょ、家にいてもすることがなくてね」

 だからと言って、昼からいるやつがあるかと。龍は半ばあきれながら香澄を見やった。

「ねぇ龍。昼間ここ(靡木峠)に来た事ある?」

「ああ、何度かあるけど」

「昼と夜と、全然雰囲気違うよね。ここって」

 一体何なんだ? 龍は香澄の言おうとしている事が、いまいち理解できなかった。

「明るい時のここは、明るくて、緑があって、ところところで桜も咲いていて。山が色づいているよね。でも夜になると夜の闇がみんな覆い隠しちゃって、ヘッドライトは道しか照らさない。まるでなんにもないみたい……」

 だからなんなんだ、そんなことはバトルとは関係ないだろう。と、淡々と語る香澄に龍は苛立っていた。

「でも、ここから見える夜景はきれいだね」

 なにもないような夜の峠で、唯一なにかあると思わせる夜景が香澄は好きだった。ただなんとなくだけど……。

 でも走っている時は夜景は見えないし、夜景はここでしか見えない。

「いつの間に、詩人になったんだ。香澄は」

「別に詩人になったつもりじゃないわ。ただ自分が思った事を言っただけよ。龍はなんとも思った事はないの?」

「別に、そんなことは気にした事無いな。峠は峠だ。走ること事以外、オレは興味ないよ」

「そう……」

「そうさ。オレにとって、ここは走るコースでしかない。それだけだ」

 龍にとって、速く走ること以外は興味の対象外だというのが、香澄にはよく分かる。

 まるで、一つしか命令が与えられていないような、簡単なプログラムのAIのようだ。龍を見ながら、香澄はそんな事を考えていた。

「それじゃあ、オレはひとっ走りしてくるよ」

 そう言うと龍は、香澄から離れ。MR2に乗りこみ、イグニッションをスタートさせる。

 アクセルを吹かすと、3S‐GTEのエグゾーストノートが夜の闇に包まれた駐車場に響き渡る。

 四点式シートベルトを締め、ヘッドライトを灯し。ハンドルを強く握り締め。

 龍はMR2をスタートさせた。 

 香澄はコースインする龍を見送りながら、コズミック-7に乗りこんだ。

 しかしイグニッションキーを捻るわけでもなく、ただ時間が過ぎるに任せるだけで、何もしようとしない。

 ただ優やマリーに何も言わずに靡木峠にいる事が、少し後ろめたかった。

 優はともかく、マリーは心配してるだろうな。

 夜空を見上げ指でハンドルを弄びながら、香澄は過ぎ行く時間に身を任せていて、ふと気付いた事がある。

 ここにいるのは自分だけ、夜空の向こう、夜景の中に自分を待ってくれる人がいるのがわかってても。何か今一つ実感が沸かなかった。

 そうだ、自分は今ここに一人だけなんだ。

―これが寂しいっていうものなのかな。―

 そうこうしているうちに、他の走り屋、ギャラリーがやってきて。

 貴志、智之もやってきて。

 龍も戻ってきて。

 バトルの時がやってきた。

 だけど何故か、寂しさらしき気持ちは消えてはくれなかった。


 皆が集まり、バトルの確認が終わると。龍と香澄はスタート地点の東側駐車場に向かって走り出す。

 智之は先に行って、二人を待っている。

 貴志は西側駐車場でバトルの決着を見届けることにした。

 コース上のギャラリー達は安全な場所に退避して、バトルを心待ちにしている。

 なんだか、空気が重かった。

 峠全体に張り詰められた糸のように、緊張感が二台より先に走っていた。

 昨日貴志が敗れ、今日龍が敗れればこの靡木峠最速は香澄が獲る事になる。

 この靡木峠にやってきて、いきなり最速をもぎ取るかもしれない香澄の存在は、まさにセンセーショナルだった。

 二人はスタート地点の東側駐車場に着いた。

 そこで智之が、二人にバトルのスタートの段取りを説明した。

 龍も香澄も黙って頷き車をスタート地点に並べた。

 その少し前、道路の真ん中に智之が立ち、両手を高く上げている。

 スタートの準備だ。

「それじゃあ。カウント始めるぞー!」

 智之は目一杯の声で二人に語りかける。

 龍と香澄は真剣な眼差しで智之を見ている。

 その二人の眼差しに少しビビリが入りながらも、智之はカウントを始めた。

「ごお! よん! さん! にい!」

 指を一本一本、カウントごとに折り曲げて行く。

 カウントの声を掻き消す、MR2とコズミック-7のエグゾーストノートが上下する。

 駐車場のギャラリー達は黙ってつばを飲みこみ、二台を見守っている。

「いちぃ!、ZERO! ゴォー!」

 カウントが終わると同時に智之は思いっきり両腕を降り下げた。

 それと同時に智之を二台の間に挟みながら二台は猛然とダッシュした。

 智之は音とスピードに怯みながら振り返り。

「お、おお~~!」

 と、声にならない声を出す。

 ギャラリー達も同じく、二台を見て騒然としていた。

 香澄のコズミック-7が出遅れ、龍のMR2が前に出ていたからだ。

 スタートをミスったのか?

 誰もがそう思った。 

 龍はルームミラーを一瞬覗いた後、苦々しげに舌打ちして。

「やってくれるよな……」

 と、つぶやく。

―全く、可愛い事してくれるじゃねーかよ。―

 後ろの香澄は、前のMR2を見据えながら。少し控え目に、コズミック-7のアクセルを踏んでいた。

 無表情なポーカーフェイス。

 テレビ画面を漠然と眺めているような目。

 だけど綺麗な黒い瞳の目。

 その目を通じて、MR2の走りを自身のAIの中に刻み込んでいた。

 二台はエグゾーストノートを残し、第一コーナーの奥に消えてゆく。

 そのエグゾーストノートも、星空に吸い込まれていくようにして、徐々に小さく小さくなりながら、消えてゆく。


「昨日、貴志にケツ突つかれまくって抜かれたからな……」

 龍は吐き捨てるように一人ごちた。

 おそらくは、自分の走りをじっくり観察しようというつもりなのだろう。

 しっかり後ろについていれば、コーナーで前に出られなくとも、後半の直線で抜くことは出来る。

「いいだろう。ついて来い、ついて来いよ!」

 前には何もないのに、龍はまるで前に香澄がいるかのように、前を睨みつけていた。

 前に見えるのは、MR2のヘッドライトが照らす道。

 MR2はその道をあらん限りのスピードで駆けぬけて行く。

 ゴール目掛けて打ち出された黒い弾丸のように、峠のワインディングロードを突っ走る黒いMR2。

 コズミック-7がそれに続く。

 タイヤのスキール音とマシンのエグゾーストノートを撒き散らすように峠に響かせ、二台のマシンはゴールに向かってひた走る。

 巧い……。

 香澄は龍の走り方を見てそう思った。

 後ろについたからよく分かる。

 貴志の走りはダイナミックだが、荒削りなところもあった。

 しかし龍にはそんなことはなかった。

 一切の無駄の無い、スムーズな流れるようなドライビング。

 香澄と同様、タイヤが路面を掴み取り、オン・ザ・レールのキレイなライン取りで素早くコーナーをクリアしてゆく。

 言うだけの事はあったということか。

 香澄は龍の駆るMR2を見据え何か考えていた。

 龍の後ろについたのは、最初から狙っていたわけではなく。スタート直前に思いついたものだ。

 前に出ようと思えば出られるのだが。後ろについて龍の走りを見てみたい、そう思ったからワザと龍を先に行かせた。

 龍のMR2は、水を獲た魚のように前へ前へと向かって突っ走る。

 ドライバーとマシンの息が合っている。

 龍はMR2を信じていることはもちろん、MR2も龍を信じているかのようだ。

 そういえば昨日の貴志も、やはり同じようにRX-7を信じていたのだろうか。

 だからあんな危険な真似を。

 確信は持てないが、それに間違いはないのかもしれない。

 こちらのコズミック-7はやはり、昨日と同じように狭い狭いと駄々をこねている。

 人間ならじれったそうに舌打ちするところだろうが、香澄は淡々とコズミック-7を走らせていた。

 前のMR2とはコーナーの突っ込みで差が開き、立ち上がりで差が詰る。というパターンだが、本気を出さなくてもついて行くだけなら楽なものだ。

 二台はまるで〝糸〟で結ばれているようだった。

 端から見れば、仲良くランデヴーしているように走っている。龍のMR2が、香澄のコズミック-7を引っ張っているかのように。

 香澄はその〝糸〟を指で弄ぶかのように、淡々と淡々とコズミック-7を駆っていた。


 龍は前を向いたっきり、ミラーを覗いて後ろを見ることなく。前へ前へとMR2を走らせている。

 後ろから響き。地響きにも聞こえる3S‐GTEのエグゾーストノートが、背中を通じ体中に響き渡り胸に心地良い。 

 これは一人の時はもちろん、バトルしている時でも同じだった。

 ただ、バトルの時は相手の音が混ざりそれが耳障りだった。

 だから、後ろにつかれると引き離す。

 混ざりけのない、純粋な3S‐GTEの音だけを聞きたいと思った。

 今、コズミック-7の20Bの音が混ざり。3S‐GTEの音を掻き消そうとしている。

 ハッキリ言って鬱陶しかった。

 タチの悪いヒス女が、叫びながら追い掛けている。

 どこまでもぴったりと、後ろについて追い掛けて来る。

 上等じゃないか、どこまでもついて来るというなら、ついて来いよ。

 加速、減速、コーナーリングのG、スピード、エトセトラ。

 そして後ろの香澄の存在が、龍の脳を麻痺させ、その脳が高揚感を吐き出し龍を昂ぶらせる。

 コーナー立ち上がり、龍はアクセルを踏んだ。

 カタパルトから突き出されるような鋭い加速感、これはミッドシップを駆る者にしか味わえない。

 エグゾーストノートは大きくなり

 タコメーターの針は一気にレッドゾーンにまで達した。

 シフトアップ、エグゾーストノートの雄叫びが一瞬途切れ、また雄叫びを上げる。

 タコメーターの針は少し下がり、またすぐ上がった。

 そしてまたコーナー、シフトダウン。

 コーナーリングでエグゾーストノートは少し低めの一定のメロディを奏で、タコメーターの針は微妙な間隔で定位置に留まっている。

 MR2はそれに合わせて。軽やかに行進するように、かつ速くコーナーをクリアする。

 全てが一つにまとまり、車の音や動作が巧く調和されている。

 車の演奏会があれば、文句無くトップを狙える。龍の名演奏者ならぬ名ドライバーぶりの走りだ。

 どんなに昂ぶりを覚えようとも、体に沁みついたドライビングは乱されなかった。

 むしろ研ぎ澄まされてさえもいた。

 人車一体、その言葉を龍は自分自身とMR2で表していた。

 たがしかし、言い替えればそれは機械的で単調なものでもあった。

 どんな車でも基本は変わらない、龍はその基本を忠実にこなしているにすぎないのだ。 

 そんな龍の走りを前に、香澄はポツリとつぶやいた。

「私と、同じ……」

 違うとすれば。乗り手が人間かアンドロイドか、それだけの違いだった。

 だがそれだけの差は、とてつもなく大きい差だった。

「しつこい女だぜ」

 龍はぽつりとつぶやいた。

 一瞬ルームミラーを覗いた、まだ香澄のコズミック-7はぴったり後ろにいる。

 このまま引き離すのは、不可能だろうか。これ以上のスピードで走るのは無理な話だった。

 龍は限界で走っているのだ。

 それでぴったりと後ろにつけられてしまっては、どうしようもない。こうなったら、後ろにつかせるに任せるしかないだろう。

 だが直線に来たらどうするんだ?

 そのまま抜かれて終わり。

 冗談じゃない! 結局初めて会った時と同じかよ!

 龍は口をつぐみ、歯を食いしばりながら、MR2を走らせていた。

 それでもペースを乱さず、高いスピードを保っているのは。場数を踏んだ龍だから出来たことだ。

 龍はプレッシャーに強かった。とは言うものの、なぜか後ろの香澄からプレッシャーを感じることが出来なかった。

 香澄は龍にプレッシャーをかけていないんだろうか。

 なんで何もせず、ずっと後ろについているんだ?

 直線を待っているのか。

 だとしたら、それはマシンのパワー差勝負で、テクニック勝負で無くなる。そんな負け方は、龍が一番納得いかない負け方だった。

 しかし、何と言おうと。負けは負けだ。

 峠は無差別級。どんなにマシンに性能差があろうと、同じステージに立ち闘う以上は、何も言えないのだ。

 それが抑えていたイライラ感を徐々に目覚めさせていた。

 そして、もうすぐ峠で一番長い直線がやってくる。

 後ろで香澄は何を思ってコズミック-7を駆るのか。

 そして糸を直線で切るのだろうか。

 その頃、貴志は香澄のことを考えていた。

 RX-7にもたれかかり、腕を組み夜空を見上げながら。色々と思い巡らせていた。

 香澄はミスをしない、正確なドライビングをする。だが、どうしてあそこまで正確なドライビングが出来るのだろう。

 一切のミスをおかさないのだ。

 今思っても、不思議でしょうがなかった。

 いったい、あのコとオレらと何が違うんだ?

 場数にしても、どう見てもあのコは若く。昔からどこかの峠を走っていたとは、とても思えない。

 もしかして、子供の頃からカートでもしていたのだろうか、とも思った。しかし、カートで鍛えられたなら。どうしてわざわざ峠道なんか走る必要がある?

 カートで実績を積んだなら、そのままサーキットでプロとして走ってもおかしくない。

 そしてあのマシン。

 あれは、どこの誰が造ったんだろう?

 考えれば考えるほど、明確な答えは出ず分からなくなってくる。

 さっき智之からの携帯電話で。スタートは龍が前、香澄が後ろ。という連絡が入ってきた。

 智之はスタートをミスったと言ってるけど。あのコのことだから、ワザと龍を前に行かせたに違いない。

 スタートでミスするなんて間抜けをおかすようなドライバーではないことは、一緒に走った貴志だからこそわかることだった。

 龍もそのことに気付いてる筈だ。

 何を狙っている香澄?

 なんとなく、貴志は胸騒ぎを覚えていた。

 龍、悪いけどオレは香澄ちゃんの勝ちだと思ってる。

 どうしても彼女が負けるなんて思えない。

 奇跡、なんて起こらないんだよ。

 全ては必然のことなんだ。

 と、この時だけ。貴志でも不思議に思う程、感覚が一瞬ではあるが、研ぎ澄まされたような気がした。


 徐々に夢から覚めるような感覚。

 意識が現実へと引き戻されて行く。

 認めたくない現実がおころうとしている。

 いやな予感が龍の意識内に芽生え始める。

 もう後しばらく走れば直線だ。

 このまま直線で抜かれて…。

 龍は憎々しげに、何も無い前を見ていた。

 直線が終われば、あの時と同じようにコズミック-7が前にいる。

 初めて遭遇した時のことがフラッシュバックする。

 だが、どうしようもなかった。

 MR2とコズミック-7。

 二台はゴール目掛けて打ち出された戦闘機よろしくハイスピードで峠のワインディングロードを駆け抜けて行く。

 もう直線まであとコーナー数個もない。

 コズミック-7はぴったりと、MR2の後ろにつけている。香澄はそれでも淡々とコズミック-7を走らせていた。

 そのしなやかな指で、ハンドルを握り。右に左に動かす。

 その動作数回で、直線にやってくる。

 逃げるMR2のテールランプを見つめ、香澄はコズミック-7の挙動を確かめるように、体中でコンタクトする。

 体内のセンサーが、コズミック-7の微妙な動きまでキャッチする。

 優がアンダー気味のセッティングにしてくれたおかげで、リアによく荷重が掛かるようになっている。

 これなら中速以上のコーナーで、いくらかアクセルを踏める。

「大丈夫、行ける」

 香澄はコズミック-7に語りかけるように言った。

 コズミック-7はもちろん応えない。

 応えるとしたら走りで。

 香澄の思い通りに走ることが応えることなのだから。

 はたして、直線がやってきた。

 龍は覚悟を決め、思いっきりアクセルを踏み込んだ。

 ミッドシップ特有の、カタパルトから突き出されるような鋭い加速感。

 その勢いのまま、MR2は前へ前へと突き進んで行く。

 速度はぐんぐんと上がって行く。

 だがそれを凌駕するパワーで、コズミック-7がMR2を追い越してゆく。

 と、思っていたが……。

「んな……」

 龍はルームミラーを覗きながら、我が目を疑った。

 コズミック-7は、MR2の後ろについたまま、抜こうとしなかった。

 これは龍にとって大誤算だった。

 てっきりこの直線で追い越しをかけるものとばかり思っていただけに、信じられない気持ちだった。

「トラブッたのか?」

 何か、コズミック-7に搭載された20Bが異常をきたしたのかと思ったが。

 いやそんなわけは無い。

 なにかトラブルがあればすぐにバトルをやめる筈だ。

 香澄がトラブルを抱えたマシンで、無理に走るような愚かをおかすとは考えられない。

 ではなぜこの直線で抜かない?

 直線が終わればコーナーは六つしかない。

 ゴールはすぐなんだ

 なのに何故抜かないんだ!?

 龍の当惑をよそに、香澄はコズミック-7を目一杯左、直線後の右コーナーでアウト側になるようにマシンをよせていた。

 そこまで龍は気付けない。

 どんどんと前に進む二台。

 直線の残りは少なくなって行く。

 吹き飛ばされるように、景色が前から後ろへと流れて行く速度の中。

 二台は糸に結ばれているように、今まで一緒に走っていた。

 香澄は糸を切る場所を決めた、今決めた。

 だけど龍はその糸がどこで切られるのか、わからなかった。

 そして直線が終わり、少し緩めの中速の右コーナーがやってきた。

 ブレーキング、シフトダウンで直線で出たスピードを一気に殺す。

 龍はMR2をコーナーイン側につけようとした、その時。

 香澄のコズミック-7がいきなりプッシュしはじめた。

 MR2がインについて、がら空きになったアウト側に割り込もうとしてきたのだ。

「馬鹿な、何考えてる!?」

 龍はまたもや信じられなかった。

 今まで何も仕掛けてこなかった、ただついてきてるだけの香澄がコース残り少なくなったところで、プレッシャーをかけてきたのだ。

 まるで、今からバトルが始まったかのように。

 いや、香澄にとって今こそバトルだった。

 糸を切る時だった。


 コズミック-7はガードレールギリギリのところまで、マシンを目一杯アウト側に寄せて。前のMR2に並ぼうとしていた。

 ガードレールがサイドミラーにこすれるかこすれないかの、ギリギリまで迫ってきているが。

 香澄は躊躇なく、MR2のアウト側に飛び込んだ。

 コズミック-7がMR2の左側に、アウト側に並ぼうとする。

 ラインが膨らむ?

 それともいきなりオーバーステア?

 コズミック-7がどういう動きをするか、香澄は体中のセンサーを最大限に発揮させて挙動を読み取る。

 それに合わせ、Dシェイプステアをしなやかな指で微妙な感覚でゆれ動かし。

 左足ブレーキを駆使しつつ、右足でアクセルをコントロールする。

 コズミック-7はそれに見事に応え、香澄の意のままに動いている。

 ミリ単位の動作でのミスも許されない、ギリギリの範囲の中で。

 大胆さと繊細さをもって、マシンをコントロールする。

 MR2のアウト側に飛びこむ為、直線で出したスピードを香澄は龍ほど殺さずに、アウト側に飛び込んだ。

 それを香澄は当たり前のように、やってのけようとしている。

 なんの感情も無い、機械そのものとして。

 龍はコズミック-7がアウト側に飛び込むのを察したものの、香澄の予想外の動きに翻弄されてしまい、成す術を見つけられなかった。

 ただ前に出られないように、イン側を素早く抜けて行く事しか出来ない。

「クソッタレ、なんなんだよ一体。何考えてやがるんだ!」

 龍の中で怒りが一気に爆発した。

 わけわかんねーことしやがって!

 なんでわざわざ、パワーを生かして直線で抜かずに、コーナーが残り少なってから仕掛けようとする?

 しかもアウト側から。

 まったく、何を考えているのか全然わからない。

 だが、どう怒ったところでどうしようもない。

 龍は苦虫を噛み潰したような顔をして、ちらっと左サイドミラーを覗いた。

 そんな龍などお構いなく、コズミック-7がミラーに顔を覗かせている。

 MR2の左後輪とコズミック-7の右前輪が並んでいる。

 なんとかしなくては、と思ったものの、横からぶつけるなんて出来るわけもなく。

 龍はアウト側にコズミック-7を引き連れ、共にコーナーをクリアして行くしかなかった。

 二台ほぼ並んで、コーナーを抜けようとする。

 この時、龍はすでに自分の負けをやっと自覚しはじめていた。

 もう怒りで隠す事すら出来ない。それでも、怒りで無理矢理包み隠そうとする。

 無駄足掻きだとわかっていても、包み隠そうとする。

 二台が並んでコーナーをクリアした、するとコズミック-7はMR2の前に少しだけ出た。

 少しだけ前に出るのなら、なにも全力を出さなくても簡単なものだった。

 ちょいと、右足に力を入れてやればいいだけの事だ。

 コズミック-7にとって小さな一歩でも、MR2にとっては大きな一歩だった。

 そんなコズミック-7を、龍はなす術なく見送るしかなかった。

 次のコーナーは左。

 コズミック-7が少し前でイン側。MR2は少し後ろでアウト側。

 前と後ろとインとアウトが入れ替わり、龍はそれを挽回することができなかった。

 糸は完全に絶ち切られた。


 心の中で、なにかが崩れ落ちるような気がした。

 聞こえるはずも無いのに、がらがらがら……、と。

 コズミック-7のテールランプを見つめながら、全身から一気に蒸気が吹き出すように、全ての感情が抜け出してしまったような脱力感を、龍は感じていた。

 ハンドルを握る手と、アクセルを踏む右足から、するりと力が抜け落ちる。

 香澄は、直線でなくコーナーで抜く事で、自分のテクニックを龍に見せつけたのだ。

 自分はこんな事も出来て、お前を抜く事もできるんだ、と。

 直線ではなくコーナーで抜く事で、マシンとテクニックの両方で勝っていることを知らしめるために、香澄は直線が終わるのを待っていたのだ。

 ということは、そう、まんまとかまされてしまったのだ。

 そう思うと、脱力感に加えて疲労感までが心にいっぱいひろがってゆこうとして。

 今まで、香澄の手のひらで踊っていたにすぎない。

 一人で勝手にいきがって。一人で勝手にかっ飛ばし。

 まだ、昨日の貴志の負け方のほうが、まだましだ。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 一番肝心なのは、一度抜かれただけでも、こうまでもやる気が失せる事だった。そんなことは、今まで走っててはじめてのことだった。

 そして、香澄のコズミック-7はゴールした。

 龍のMR2が少し遅れてゴールした。

 駐車場にいる貴志や、他の走り屋、ギャラリーたちが歓声を上げた。

 このバトルで、靡木峠最速の走り屋は香澄に決まった。

 異口同音に、やっぱすげぇよな香澄ちゃん、と言う声があちらこちらで聞こえる。

 貴志は予想したことが当たり、ほっとしていた。

 皆と同じように、やっぱりすげぇと思っていたし。やっぱり龍は負けたか、とも思った。

 そうしているうちに、コズミック-7とMR2が駐車場に入ってきて。適当な場所をみつけて停まった。

 貴志はどっちの方に行ったらいいか迷った。

 迷ううちに、龍も香澄も車から降りて、お互いに近づいて行く。

 貴志はそれを見て、二人の方に歩き出した。

 龍は、何を言っていいのかわからない、渋った顔をしていた。

 香澄はいつも通り、平然とした顔をしている。この勝利に対し、特に何の感情も抱いていないようだ。

 周りの仲間達は、龍と香澄、貴志を遠巻きにして見ている。どんな会話がされるのか、興味津々といったところか。

 龍と香澄、そして貴志は。話が出来る距離まで近づいた。

 香澄は何も言わない、ただ龍がなにを言うのか待っているようだ。

 龍は、それに応えるように言った。

「オレの負けだ……」

 伏目がちに、その一言だけを言うと。回れ右して、MR2の方に歩き出そうとする。

 それを見た貴志は、慌てて龍を引き止める。

「オレの負けだっ、て言う事はそれだけなのかよ。龍?」

 引き止められた龍は貴志を睨みつけ、反論する。

「そうだよ。他に何の言いようがあるって言うんだ。負けた理由でも説明しろって言うのかよ?」

「そういう訳じゃないけど。負けた、の一言だけなんてないだろ。他にこう……、いい走りだったとか、またやろうぜとかあるだろ?」

 貴志の言葉を聞き、龍は苦々しく舌打ちした。

 周りの連中は龍と貴志のやりとりを見て、口をつぐみ事態を見守っている。

「オレは仲良しの馴れ合いでバトルしてたんじゃねぇ。バトルをする以上は勝つか負けるか、それだけだと思っている。それ以外になにがある?」

「またここに来るよ」

 不意に香澄が口を挟んだ。

 龍を静かに見据えている。

 香澄は、ふてくされてるような龍を見て。ふと、その言葉が口に出た。

 そんな香澄を見て、龍は一瞬戸惑い。元に戻り。

「そうか、じゃあその度にオレはお前を追いかけるぜ」

 何を言っていいか分からない貴志を間に挟み、龍と香澄はお互い顔を合わせたまま、しばらく何も言わなかった。

 その沈黙を破り、香澄が口を開いた。

「いいよ。好きなだけ追いかけてきても」

「ああ、そのつもりだよ」

 バトルが終わったと言うのに、あたりは緊張に包まれ、誰も龍と香澄に割っては入れなかった。

 だけど、その緊張の真ん中にいるはずの香澄からは、まるで緊張感が感じられない。

 龍からも緊張感はおろか、敗北感さえ感じられない。

 ただ、今この現実に身を任せているだけのようだ。

 二人はじっと相手を見据えていた。

 だけど、もう今日は終わり。

 だって、マリーと優が心配しているから。

 香澄は何も言わず、コズミック-7のもとまで戻り乗り込むと、イグニッションをスタートさせて駐車場を後にした。


scene5 決戦 了

scene6 終わり、そして始まり に続く

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