scene3 ツインローターVS.トリプルローター
朝が来て、昼が来て、夕方が来て。
夜が来た。
出番を終えた太陽に代わり、月が沢山の星星を引きつれて空に浮いている。
バトルの時はだんだんと近づいて。峠には、昨日の香澄とコズミック-7の話を聞きつけたギャラリーたちがあちこちで陣取って、バトルはまだかと心待ちにしている。
ゴール地点の西側駐車場にも数台が集まって、そこには龍と貴志の姿もあった。
智之はバトルのスターター役として、先にスタート地点についている。
「貴志、調子はどうだ?」
龍はさっきまで練習で一っ走りしてきたばかりの貴志に声を掛ける。
「ああ、悪くないよ」
「今日のバトル勝てるか?」
「それはわからないな、やってみないことには」
「ま、まずは勝てないだろうな」
「おいおい。いきなりそんな事言うか」
貴志はムッとしたものの。
「でもそうかもな、あのコはマジで速かったから」
昨日の事を思い出し、弱気なことを言う。
龍も半ば吐き捨てるように言った。
「ああ、速い。クルマも速い。今のオレ達のレベルじゃ到底勝てっこ無いだろうな」
勝てっこないと思いながらも、香澄に挑もうとする自分たちを思うとなんだかナンセンスなことをしているような気がしてきたが、引き下がる事も出来なかった。
遭遇した次の日いきなりは、いくらなんでも早すぎたかもしれない。
いくら成り行きや勢いとはいえ。
せめて一週間空けといて、その間走り込みをするべきだったか。
しかしいずれにせよ、ナメられたままで終わるわけにはいかない。
つまらないプライドって、こういうことをいうのかもしれない。
ふとふと、そんなことを想う。
「だけど、弱点が丸っきり無いわけじゃないよ。あのクルマといえども」
「弱点?」
思わぬ貴志の発言に龍はいぶかしげにして。そんな龍を見て、貴志はあのFD3Sの弱点について語り始める。
「FDのコーナーの鋭さはツインローターの13B‐REWあってのものなんだ。ボディとエンジンのバランスがいいからな」
「それで?」
「ツインローターより重くて長いトリプルローターなんか積んだら、エンジンとボディのバランスが崩れてしまって、FDの良さがなくなってしまうのさ。いくら細工しようが、足回り改造って(いじって)誤魔化そうとも、一度崩れたバランスは元に戻らない」
貴志の話を聞きながら、龍は相槌を打つ。
「なまじっかパワーを上げてるだけに、下手にアクセルも踏めない。おそらく、コーナーは必死にアンダーステアと格闘してるんだろうな」
「お前よく知ってるな」
思わず、龍は貴志の博学ぶりに龍は感心してしまっていた。
「まぁ、持ってるRX-7関係の本に時々載ってるんだ。トリプルローターのFDのことが。それで知ってたんだよ」
「そうか。だとすると勝とうと思ったら、とにかくコーナーで食らいついてスキを見て仕掛けるしかないわけだ」
「まぁ、でもよしんばコーナーで抜いたとしても。直線で抜かれないように引き離さなきゃいけないけど。それができるかどうか……」
貴志は昨日のことを思い出していた。
「コーナーは遅いかもしれないけど、立ち上がり加速はシャレにならないくらい速かったからな。コーナーでも抜けるかどうか」
「貴志、お前弱点知ってるってのに弱気だな」
龍はなんだか心配になっていた。ほんとにこんなことで大丈夫か、と。
よくそれで香澄にリベンジかまそうなんて思ったものだ。
「弱気だなんてよしてくれ、オレは弱気になんかなっちゃいない」
「じゃあなんだよ?」
龍の問いに貴志は応えた。
静かに、しかし熱く。
「今までオレは自分がロータリー遣いだなんて特別意識した事は無かった。ただ単に乗ってる車がロータリーエンジンのFCってだけで」
想いを語るうちに。普段は大人しい貴志の顔が、だんだん上気しているのが龍には見てわかった。
「だけど、昨日あのコのFDを見て思ったんだ。同じロータリーマシン。同じロータリー遣いとして勝負してみたいと。オレのFCとあのコのFD。ツインローター対トリプルローター。一対一で勝負してみたいと」
「そうか……」
なんだかいつもと違う、熱い貴志に龍は圧されていた。
「オレは今まで以上に、自分がロータリー遣いだということを意識してるよ。
とにかくあのFDと一緒に走るのがすごく楽しみなんだ」
その時、いきなり龍が貴志の背中を力強く手のひらでたたいた。
ポンっといい音がした。
「なんだよやる気まんまんじゃねーか。その意気だ。がんばれよ」
「ああ、ありがとな」
言いながら貴志は龍の背中をたたきかえした。
龍も貴志も笑っている。
今夜自分が走れないのは正直面白くないと言えば面白くないが、貴志が気合十分で臨んでいるのを見て嬉しくなった。
それでこそオレのライバルだ、と。
貴志が香澄とどんなバトルをするのか、とても気になるところだった。
そのころ香澄は、あの広く大きい家のガレージにいて。
かたわらに、優とマリー。
コズミック-7のエンジンは既に掛けられていて。
優が香澄に先駆けて、エンジンの最終調整を終えたばかりだった。
「エンジンの調子もいいぜ。今夜も目一杯走れるぞ」
優は楽しそうだ。
香澄のバトル日本デビューなのだから、自然と気合も入る。
「気をつけるのよ」
それに対して、マリーは心配そうに香澄を見る。
「ええ、大丈夫。いつも通りちゃんと帰ってくるから」
香澄は、マリーが無理に自分を止めないことに後ろめたさを感じると共に、感謝もし。微笑みながら応える。
マリーも正直なところ、香澄が峠に行くのを止めたい気分なのだが、言っても聞かないだろうし。
下手に止めるよりか、行きたいなら行かせてやればいい。
香澄の事を考えれば、余程の事が無い限りクラッシュはありえないだろうし。ヤバそうだと思ったら、香澄の方から走るのを止めるだろう。
マリーは、香澄の無事を信じて行かせたのだ。
「ありがとう優。あなたにはいつもFDを貸してもらって感謝してるわ」
「言ってるだろ。お前が乗るならいつでもオッケーだ、と」
優は得意げに笑った。
「で、今夜の相手の車はなんなんだ?」
「FCよ」
「なに、FCか」
FCと聞いて優は益々楽しそうだった。相手が同じロータリー使いだということに心踊る思いだ。
「で、上手いか? そのFCのドライバーは」
「人間としては、上手い方だと思うわ」
「そうか。それは楽しみだな」
「そうだね」
「勝てる自信はあるか?」
「もちろん」
香澄は笑顔で優に応えた。
はたして、RX-7の井原貴志はどんな走りを見せてくれるのか、いくらか楽しみなところだった。
「だけど人間を甘く見るなよ。相手も必死になれば、なにするかわからんからな」
「そうなる前に引き離すわ」
「まったく強気だなお前は」
優はまた笑った。
香澄が走るだけでも楽しいのに、バトルをするとなると益々楽しくなる。
今、優は香澄のプロジェクトのスタッフではなく、一人の車好きになっていた。
そんな優を、マリーはどうしても認めることはできなかった。そんな事をさせるために、香澄を創ったのではいというのに。
「それじゃあ、行ってくるね」
香澄はコズミック-7に乗り込み、シートベルトをして。エンジンをかけ
る。そうすれば。
眠りから開放されたコズミック-7は、目覚めの雄叫びを上げ。獣の唸るようなアイドリング音をガレージに響かせる。
その唸るアイドリングに思わず、マリーは手で耳を塞いだ。
優は腕を組み、その様子をおかしそうに見ている。
横目でそんな優を睨んで、耳から手を離したマリーは、窓越しに香澄に何か語りかけようとして。それに気付いた香澄が窓を開ければ。
「気をつけてね」
という、言葉。
「ありがとうマリー」
マリーを安心させようとありったけの親しみと愛情をこめて、香澄はまた微笑んだ。
ギアを一速に入れ、クラッチを繋ぐ。
コズミック-7が動き出す。
靡木峠に向かって。
もうすぐ九時になろうかという時。
「来たぞ」
誰かが言った。
それを聞いた龍と貴志は一斉に道路を覗き込んだ。
「来たな……」
龍が憎々しげに言うと、コズミック-7が姿を現した。
昨日のように、とてつもないスピードは出していない。比較的ゆっくりとしたスピードで、こちらにやってくる。
そして駐車場に入り、適当な場所を見つけると、エンジンはかけたまま、コズミック-7を停めた。
20Bはさえずり、空気は揺れて。
駐車場に集まった者の心まで揺らせたか、みんなコズミック-7に注目する。
それに構う事なく、龍と貴志はコズミック-7の方に歩み寄る。
香澄が降りると、駐車場にいるギャラリー達から歓声が上がった。皆、その容姿に見とれているのだ。
昨日もそうだった。
モンスターマシンを駆る美少女ドライバーの出現に、何人かは心を奪われたのは間違い無く。おそらくは、応援は香澄に集中するだろう。
しかし龍と貴志にとって、そんなことはどうでもいいことだ。応援がほしくて、走っているわけじゃない。
「よく来てくれたね。待ってたよ」
「勝負を受けた以上は、逃げるわけにはいかないでしょ」
昨日と同じ、どこか冷めた感じの物の言いかただった。
これをマリーが見たらどう思うか。
「その通り。是非とも昨日の借りを返したいと思ってるからね」
「それでスタートはどこなの? ここはゴールなんでしょ」
貴志ははやる気持ちを押さえながら、香澄に説明する。
「スタートは峠の東側の駐車場からなんだ。そこから、ここの西側駐車場まで走るんだ」
なるほど、と思いながら香澄は貴志を見れば。
他の者とは違い、自分に見とれて浮かれていない。完全に自分を敵だと思っている。なにより、目がそれを物語っている。
穏やかなものの言い方をしてても、そこまでは誤魔化せない。
ふと貴志の傍にいる龍を見た。
龍も同じだ。
何も言わないが、完全に自分を敵だと見なしている。昨日あんなマネをされたのだ、自分に好意を持つことは出来ないだろう。
その時に、AIユニットが感知するもの。生まれて初めて、感知するもの。優とマリー、そしてドイツのスタッフたちから、感じたことのないもの。
今自分が日本にいる理由。そのためにいるのだと思った。
「一通り走って、練習をしなくてもいいのかい?」
「それは、必要無いわ」
貴志の気遣いの言葉。だが、香澄はその申し出を断った。
「ほんとに練習しなくていいのかい?」
「心遣いは嬉しいけど、私にその必要は無いわ。スタート地点に行くまでに、コースはちゃんとインプットするから」
「え、でも」
「本人がいいって言ってるんだから、いいんじゃないのか」
龍にたしなめられて、貴志はしかたなさそうに、わかったと言った。
「じゃあスタート地点まで行こうか。そこからバトルだ」
「ええ、いいわ」
お互いがそれぞれの車に乗り込む。
貴志がRX-7に乗り込むと、ウィンドウ越しに龍。何か言いたいらしくて、ウィンドウを開ける。
「余裕だな、あのコ。それだけ自信があるってことか。まぁ、気張っていけ」
貴志は頷く。
そこにはいつもの貴志ではない、一人のロータリー使いとしての貴志がいた。
四点式シートベルトを締め、イグニッションをスタートさせ13BTを起動させる。香澄も四点式シートベルトを締め、貴志を待っている。20Bが、さえずっている。
そのさえずりを感じて、窓から手を出し、ついて来い、と合図すれば。
香澄は頷く。
龍と駐車場にいるギャラリー達の見送る中。二台のロータリーマシン、RX-7とコズミック-7は駐車場を出て。道路に出たロータリーマシンはスタート地点に向かって走り出した。
峠にツインローターとトリプルローターの快音が響き渡り。夜空や山々に吸い込まれていくように、徐々に小さくなってゆき。やがて、音そのものが消え去る。
消え去った先に思いを馳せながら、龍は夜空を見上げる。そばのMR2は、静かに眠っていた。
無理には飛ばさない。軽く流す程度の速度で、RX-7はコズミック-7を先導している。ヘッドライトで照らし出されるアスファルトが、ベロのように闇から這い出てくる。
それは右に左に曲がりくねり、曲がりくねるコーナーを抜けるたび、心地よい揺れを感じて。バトルまでのひとときの間、愛機と戯れる。
しばらくして、貴志はちらっとバックミラーを覗く。後ろから照りつけるヘッドライトが枠一杯に広がり、今にも飛び出て貴志を飲み込もうとしているような威圧感を覚えた。
バトル前だというのに、もう今から相手に圧倒されている。その相手は、まだハタチになるかならないかの、若い女の子だというのに。
思わず、大きく深呼吸をする。体の中で空気が流れている感じがした。
―大丈夫かオレ?―
と、自分に問いかける。
―オレのウデとFCで、どこまで彼女に迫れるんだ?―
ふと、昔バイクで走っていた頃の思い出が頭をよぎる。
グランプリライダー、ケビン・シュワンツに憧れて、愛機はそのシュワンツにあやかってスズキRGV‐Γ(ガンマ)をチョイスして、ヘルメットもシュワンツと同じデザインのものを使って。
免許を取って、バイトでこつこつと貯めたお金でΓを買った。嬉しくて嬉しくて、いつもいつも走った。走りまくっていた。
右手でアクセルを開けるのが楽しかった。愛機と共に風を切って走るのは格別だった。
でも、遅かった。いつも皆の後ろを走っていた。
皆に馬鹿にされながらも、Γで走りつづけていた。バイクが好きだから、バイクで走るのが好きだから。
だけど、自分が遅いという事実が貴志の胸を締め付け。そうしているうちに、バイクで走るのが楽しくなくなって。
「相変わらず貴志は遅いよな」
友達だと思っていたバイク仲間から、投げつけられる言葉。
置いてけぼりにされて、いつしか悲壮感だけで、アクセルを開けるようになってしまって。なんとかして、速くなって皆を見返してやりたい。
そんな気持ちから貴志は無茶な走りをしてしまって、クラッシュ。
アスファルトに叩き付けられたあと、割れたヘルメットのシールド越しに見えた、横たわる愛機の姿。
チャンバーはへこみ、二本並んだサイレンサーはピースサインをするように開いてあらぬ方向を向いて。
カウルの割れ目からしたたるオイルは、アスファルトの染みになってゆく。
エンジンは息絶えてしまっていた。
一発廃車だった。
幸いにも体の方は無事だったが、無理な走りからΓを廃車にしてしまったことに、貴志は深く心を傷付け。それと同時に、バイクに対する想いも無くしてしまった。
やっぱり自分は才能が無い、と。こんな自分がバイクに乗っても、意味なんかないさ、と。
そんな貴志を見かねて、智之が貴志に車の走り屋を教えてくれた。
智之の誘いにあまり気乗りはしなかったが、少しは気晴らしになるだろうと思って誘いに乗った。
智之のS13シルビアに乗せてもらったこともあった。
それを機会に、貴志はどんどんと車の走り屋の世界にのめりこんでしまった。
なにかに目覚めたように。
RX-7という新しいパートナーを得て、RX-7で走る貴志。
その走りはバイク時代とは明らかに違い、速かった、ようだ。
だから、龍とバトルをすることになったのだけれど。
そんな中で、貴志が思っていたこと。
バイクで出来なかった事を、車でやろう。それは、誰よりも速く走ること。
そのことを思い出してまた深呼吸をすれば。
気持ちと一緒に、空気が身体の中を流れる感触がした。
スタート地点。
峠の東側の駐車場は、トイレと自販機のある狭い駐車場だ。
バトルの時は、その駐車場の前に並んでスタートする。
その駐車場に智之と何人かのギャラリーがいた。
「来たぞ。FCとFDだ」
智之がそう言ったのを機に。
「来たか来たか。待ってたぜ」
と、主役の登場に、にわかに駐車場が賑やかしくなり。
貴志のRX-7と香澄のコズミック-7が、駐車場に入ってくる。
「貴志。バトル頑張れよ」
智之は貴志のもとまでやって来ると、貴志を激励し。
「ああ、頑張るよ」
と、ウィンドウを開け貴志は智之の激励に応える。
気が付けば、香澄は何時の間にか車から降りて。RX-7までやってくると、貴志はスタートのやり方を香澄に説明した。
傍で見ている智之は、完全に香澄に見とれていた、が香澄は気にしない。
香澄は説明を聞とコズミック-7に乗り込んだ。
「やっぱすげぇ美人だなぁ、香澄ちゃんは。あのコがあのFD運転してるなんて、いまだに信じられねーよ」
香澄を間近で見られてご満悦の智之を見て、貴志は呆れたようにため息をついた。
「まぁな。にわかには信じられねーけど。マジで速い、あのコは」
「そ、そっかぁ」
ほんとうに信じられない、といいたげに智之はコズミック-7と香澄を見た。
「それじゃ、スタートのカウント頼む」
「わかった」
貴志に頼まれ智之は道路に出て、こっちに来い、と合図をすると。それに合わせ、二台は駐車場を出て誘導に従って並ぶ。
車線を跨ぎ道路の真ん中、二台の少し前の位置に智之はつくと。
「よーっし。並んだぞぉ! じゃカウント行くぞー!!」
と声も高々に叫んで。
駐車場にいるギャラリー達は皆一斉に二台に注目する。
いよいよバトルが始まるのだ。
あたりに緊張感が漂う。
見てる者でも緊張しているのだ、ドライバーともなると緊張はさらに高まるはずだが、香澄は平然としている。
貴志は深呼吸をした。
空気が体の中を流れるのがわかった。
智之は手を広げ、両腕を目一杯上げ。
カウントを始める。
「ごー! よん! さん!」
カウントごとに一本づつ指を折りたたむ。
貴志も香澄もカウントの指が折りたたまれるのを見ながら、ギアを一速に入れ、アクセルを吹かす。
ロータリーエンジンのサウンドが響き渡る。
ロータリーエンジンの大合唱だ。
「にー! いち! ZERO! GO!!」
指が全て折りたたまれ、スターターの腕が思いっきり振り下ろされる。
スタートの合図だ。
智之を間に挟み、二台は勢い良く後輪をホイールスピンをさせながら一斉にダッシュする。
一瞬、智之は爆音とスピードにひるんでしまったが。すぐ後ろを振り返り、二台を見た。
頭を取ったのはコズミック-7。
パワーに勝るコズミック-7が、見事なロケットスタートを決める。
一コーナーに差し掛かる頃には、完全に貴志は前に出られていた。
「やっぱり行かれたか!」
思わず「ちっ」と舌打ちした。
「だけどまだ始まったばかり。勝負はこれからだ!」
コズミック-7はスタートダッシュで前に出て、それをRX-7が猛追する。
上ったり下ったり、右に左にコーナーを曲がったり。
二台のロータリーマシンは互いに叫び合いながら、靡木峠のワインディングロードを疾走する。
リアを流しながら、なおかつ青い稲妻のように、高いスピードでコーナーを抜けて行く青いRX-7。まるで、スケートリンクの上を滑走するかのように。
見ていて気持ちの良い、迫力のある速いドリフト。それが貴志の走り方だった。
それは四輪で走り始めてわずか半年とは信じられないほど、レベルの高いマシンコントロールを見せている。
「はやい……」
そんな貴志が前の香澄を見てつぶやく。
貴志のつぶやき通り、香澄は速い。
セオリー通り。アウトインアウト、スローインファーストアウトでコーナーを抜ける。
パワーを路面に確実に伝えるために、確実にタイヤを路面に食いつかせてマシンを前に押し進めて走るグリップ走行。
地にしっかりと足のついた走り方だった。
一見地味だか、基本に忠実なその走りはなかなか隙をみせず。抜く機会を簡単には与えてくれない。
確実に路面にパワーを伝えて走るだけに、エンジンもそれに応えるようにパワーを絞り出す。特に立ち上がり加速は尋常ではなかった。
マックス460馬力は伊達ではない。
それを香澄は、体の一部のように手なづけている。
「なかなかやるよなぁ、やっぱり」
コズミック-7のテールを睨みつけながら、貴志は呟いた。
やっぱり香澄は速くて、自分の愛機を速く走らせるコツを心得ている。
あのコズミック-7でも弱点はある、といっても。その弱点を突く前に逃げられてしまうのではないか。
―これはマジで手強いぞ、どうする?―
だが香澄が手強いのはわかっていたし。その分打ち負かすことができたら、これはかなりでかいけど。ゆっくりと考えている余裕なんて無い。
どんどんとコーナーは迫ってくる、二台はどんどんとコーナーをクリアして行く。
二台の走りを見て、道端のギャラリーはやんややんやの喝采だ。
特に香澄の駆るモンスターマシンの爆音と迫力に興奮している。
うおーすげーすげー、あのFDめちゃくちゃすげー。
ギャラリーの間でこんな声がちらほらと聞こえることがあった。
もちろん香澄と貴志に聞こえるわけなんかないが、そんなことを言っているのはあらかた予想はつく。
マシンはモンスター、ドライバーは美少女。
そしてめちゃっ速。
この組み合わせに、ファンが沢山ついたとしてもなんら不思議は無かった。
そんな香澄はというと、昨日マリーに語ったように狭い思いをしていた。
怪物を暴れさせるにはこの峠は狭い。
手も足も満足に伸ばせない狭い檻の中にいるようだ。
とても走らせづらい。
人間ならこの狭さに苛立ち、ミスの一つや二つでもおかしそうなものだが、香澄はそんなことはなかった。
冷静にコース状況を分析し、うまく車をコースに合わせて走らせていた。
この靡木峠を走るにおいて、どこまでスピードを出していいのか、どこまでが限界なのか、あらゆる動作がどこまで許されるのか。
正確な判断、正確なコントロール。
淡々と香澄はコズミック-7を駆る。
ささいなミスもなく、限られた条件の中でキッチリと仕事をする。
このときの香澄は完全に機械になっていた。
マシンを走らせるための機械に。
傍目から見ると速くても、香澄自身は慎重に車を走らせていた。
車が感じる路面の凸凹、うねり、コーナーの曲がり具合を確実に自分自身も感じ取り。的確な判断、動作でコズミック-7をコントロールする。
この峠の東側は、西側に比べて低速コーナーが多くて。そこでは本来のスピードは出せない。
やっぱりと言うか何と言うか、マシンが狭い狭いと駄々をこねる。低速コーナーでのアクセルコントロールによって、低く上下するエグゾーストノートが、まるでもっともっとアクセルを踏めとごねているようだ。
香澄はそれををなだめすかして走っていた。わかっていた事とはいえ、やはりこの車に峠道は向いていない。
だから無理に飛ばさず、慎重なドライビングをしている。
貴志が龍に言った通り、このマシンの弱点はコーナーだった。特にスピードの乗らない低速コーナー。コーナーリングマシンと呼ぶにはつらいものがある。
本来ならコーナーでこそ実力を発揮するFD3S・RX-7が、エンジンを載せ換えた事により曲げづらい車になってしまっていたのだ。
それでもコズミック-7はタイヤに路面を食いつかせて。出せるだけの高い速度で、レールの上を走るかのごとくキレイなラインを描きながら走っている。
香澄のドライビングによって。
それを前にして、焦燥感が貴志の心に染みのように徐々に浮きあがってゆく。
「上手いな、あのコ……」
吐き出すようなつぶやき。
全くミスをしないで走るマシンの姿に戦慄すら覚える。
どこでドラテクを鍛えたんだ?
今ついて行けるのも、相手がやたらと飛ばさないだけで。あの直線に出れば引き離されてしまうかもしれない。
ごく、っと貴志は生唾を飲みこんだ。
今車一台分の差だ、頑張れば抜けない事も無い、かもしれない。
いつの間にか汗が吹き出している。
体中が火照ってきている、が。貴志はそれに気付かずにいるほど、前に集中していた。
コーナーが来た、右だ。
香澄はヒールアンドトーで、ギアを三速から二速に叩きこむ。
貴志も同じく、ヒールアンドトーでギアを三速から二速に叩きこむ。
ブレーキングポイントをギリギリに遅らせて。
そのまままっすぐ突っ込むんじゃないか、と冷や汗ものだった。
少し差が詰る。
二台とも右コーナーを抜けた。
立ち上がり加速でコズミック-7がRX-7を一気に引き離す。
三速に入れる間もなく、またコーナーだ。今度は左。
コズミック-7のブレーキランプが点灯した。
少し遅れてRX-7のブレーキランプが点灯した。
また差が少し詰った。
そして左コーナーを抜けて立ち上がりでコズミック-7が引き離す。
そしてまた次のコーナー……。
と、コーナーだらけで、コーナーでげっぷがでそうなくらいコーナーが続いた。
「……。おぉ!?」
そんな中で貴志は思わず声を上げる。
「詰まっている?」
コーナー手前、突っ込みの度に前のコズミック-7の姿が大きくなっているのに、貴志はやっとのこと気づいた。
いや最初から気付いてたかもしれないが、それを今やっと意識したと言った方が良いかもしれない。
それほどまでに、前の香澄を追い掛けるのに夢中になっていた。ということだろうが、それは同時に貴志の四輪での経験の少なさを物語っていた。
もしこれが龍なら、とっくに気付いて仕掛けている事だろう。
「これは、イケるかもしれない!」
やってやるぜ、やってやろうじゃないか、昨日いいようにされてそのままだなんて真っ平ゴメンだ。
と、俄然やる気にエンジン以上のハイブーストがかかって、コズミック-7をプッシュする。
コーナーの立ち上がりこそ引き離されるものの、突っ込みで確実に差を詰めている。
とにかくチャンスだ。
攻めて攻めて攻めまくるしかない。
―来る?―
香澄はルームミラーで貴志のRX-7を確認する。
決して慌てる事はない、これまで通りの走りをするまでだ。後ろにつかれても、抜かれなければいいのだ。
やるじゃない、私に挑むだけはあるわね。優にいい土産話ができた。
香澄はそんな事を考えながら、コズミック-7を走らせた。
貴志は前に食らいつくのに必死だった。
コズミック-7との差はすこし少なくなった、半車身分といったところか、しかし後ろからぶつけるんじゃないかというところまでくっつくのがいいんだ、と攻め立てる。
あらんかぎりの力を振り絞り攻める。
「あと少し。もう一息なんだ」
貴志はうめくように言った。
これはひょっとしたらひょっとするかもしれない。
貴志には、コズミック-7テールランプが希望の光のように思えてきた。その希望の光に向かってひたすら走る。
アクセルを踏みこむ足にも自然と力が入る。
右に左に踊るようにコーナーをクリアして行くRX-7。
前のコズミック-7を後ろから突っつきまくる。
貴志は今、最高に乗れていた。
後ろから迫る貴志に、香澄は慌てふためくこともなく。予想通りと言いたげに、ルームミラーを一瞬覗き込んだ。
当たり前の事だ。
香澄もコズミック-7の弱点は心得ているし、香澄自身今その走り方をしている。
それに対する貴志のRX-7は、この峠に合わせたセッティングがされていることも予測がついていたし、貴志自身この峠を走りこんでいるのだ。
ついて行かれて当然だ。
だが大切なのはプロセスよりも、結果なのだ。どんなに差を詰めようが、抜かなければ意味が無い。
それに、あの長い直線でさらに差を広げて終わりだ。
人間はミスをする。香澄を抜けない苛立ちからミスをおかし、また差が開くことも考えられた。
それに対し、香澄は一切のミスをしない。
どんなにコズミック-7が狭い狭いと駄々をこねようとも。限界ギリギリのところまで、それをなだめすかせて走らせ続けることが出来る。
それが香澄であり、そういうことが出来るように創られているのだ。
香澄を抜こうと思えば、香澄を超えるしかない。
人間にそう言う事が出来る者が、はたしているかどうか。また貴志もしかり。
心配なことがあれば、貴志がつまらないミスからクラッシュをするのではないかということだ。
バトルの最中に、しかも後ろから突っつかれていても他人の心配をするなんてことは、余程余裕が無ければ出来やしない。
そういうことが当たり前に出来るのも、また香澄だった。
貴志は香澄との差を詰める為に、かなりコーナーを攻めていた。あらゆるコーナーでギリギリまでブレーキングポイントを遅らせ、出来るだけ早くアクセルを踏む。
慎重でスムーズな香澄に対し、貴志は荒くアグレッシブなドライビングだった。
一見無茶な事をしているようだが、貴志自身は無茶をしているという自覚は無くて。なにも考えず、ただひたすら香澄を追いかけている。
無我夢中だった。
あと少し、もう一息。
自分にそう言い聞かせながら、必死の走行を続けている。
それが香澄を心配させているのだが、貴志にそれがわかるわけもない。
それでも貴志は攻めつづける。
ここで頑張れば、きっと香澄を抜くチャンスはやって来ると信じて。
そしてそのチャンスはやってきた。
下りの、かなりきつめの超ヘアピンの左コーナー。
ラインをアウトに振ってコズミック-7が減速する。
きつい曲がりのため、かかなり減速している。止まるのではないか、というくらい。
「今だ!」
とっさに貴志はアクセルを踏み、一気にコズミック-7に近づいた。
―インが開いている、行くなら今だ!―
と、コズミック-7のインに無理矢理ねじ込んだ。が、しかし、明かにオーバースピードだ。
このままではまっすぐ突っ込んで、アウト側のガードレールと激突してしまうかもしれない。
にもかかわらず、貴志は躊躇なく、コズミック-7のインに飛び込んだ。
「なにを考えているの、このままでは……」
貴志の行動に驚いた香澄は、ブレーキをさらに強く踏みこんでRX-7を避けるように、前に行かせる。
下手にRX-7を阻もうものなら、自分も巻き込まれる危険性がある。
RX-7が鼻の差少し前に出て。
貴志は思いっきりブレーキを踏んだ。
RX-7が前のめりになり、フロントタイヤがロックする。ロックされたフロントタイヤから白煙が上がる。
―クラッシュする……。―
香澄はそう思った。
―信じてるぜ、FC!―
貴志は歯を食いしばり、祈りながらコーナーの出口を睨みつけながら、ブレーキを踏んでいた。
曲がれる、曲がれる筈だ! とRX-7を信じ。
はたして、FC3Sはかろうじて減速し。貴志はハンドルを思いっきり左に切って、超ヘアピンコーナーをクリアした。
コーナーをクリアすると、貴志は思いきりアクセルを踏んだ。
RX-7は勢いよく加速する、コズミック-7がそれに続く。
前には何もない。
自分が前だ、前に出たのだ!
とっさの、いちかばちかのレイトブレーキング決まったのだ。
「いよっっしゃー!!」
思わず大声を上げてしまった。
抜くかクラッシュか、二つに一つの賭け。
それだけに貴志の興奮は一気に加熱して、脳内のアドレナリンが一気に分泌されたようだ。
「まさか……」
香澄は、抜かれたことが信じられないのはもちろん。貴志のオーバーテイクに空恐ろしさすら感じていた。
まさかそう来るとは。なぜそんな危険をおかしてまで、抜く必要があるのか。自分には、絶対真似できない。
もしアウト側のガードレールと激突すれば、RX-7も貴志自身も、ただでは済まない。そうなってもいいというのか。
それだけの覚悟で臨んだというのか。
それ以前に、こんな公道のバトルに、そんな危険をおかす価値があるとでも言うのか。
理解しかねることだった。
とにかく抜かれてしまった以上、抜き返さなければならない。
香澄は前に出たRX-7をじっくりと見据え、反撃のチャンスを伺うことにした。
追う者と追われる者、その立場が逆転した。
抜いた、香澄を抜いたのだ。
このまま120パーセントの走りをかまして、逃げるだけ逃げるだけだ。
貴志はあらん限りのスピードで香澄から逃げる。
自分でも信じられなかった、だが香澄を抜いたのだ。
クラッシュ覚悟、いちかばちかののレイトブレーキング勝負で。
「オレが、オレがこんな事が出来るなんて……」
信じられなかった。RGV-Γ(ガンマ)に乗っていたころ、あんなに遅くてヘボだったのに。RX-7で走り始めてから、自分でも信じられないくらい速く走れるようになって。
しかもクラッシュ覚悟のレイトブレーキングまでこなして、コズミック-7をパスしたのだ。
「もう、オレはバイクに乗っていたころのオレじゃないんだ!」
貴志は叫んだ。
そうだ、もう自分はヘボじゃない。
後ろから香澄が迫っている。だが、いける、このままぶっちぎってやる!
貴志はかなりハイになっている、が、しかし。一瞬ルームミラーを覗いた。
ミラーには、コズミック-7の発するヘッドライトの光が写っている。
やっぱり抜いても引き離せないか。と、思わず舌打ちをした。
その時。
―どうして後ろなんか見るんだ。―
前に向かって走っているのに、なぜ後ろを見た。
そんな自分に少し腹立たしくなって、アクセルを開け。勝利に向かって突っ走る。
香澄は、コーナーで自分のような無理な追い越しをすることはないだろう。
直線に来れば楽に自分を抜ける。
それを考えれば、香澄はリスクをおかす必要などないのだ。
だがそれは分かっていた事だ、今さら文句は言えない。
香澄はRX-7を見据え、このまま引き離されぬように走っている。
後ろから無理にプレッシャーをかけることはしない。
直線まで待てばいいのだ。
直線に来れば、コズミック-7のパワーを生かす事が出来る。
人間なら口元を歪ませて、にやりと笑うところだろうが。香澄は無表情のまま。一定の距離を保って、貴志について行き無理に近づこうとはしなかった。
貴志は香澄から逃げるのに必死だ。
抜く前も抜いてからも、必死の走りをするのは変わらなかったが。
後ろの香澄から逃げるのに必死で、抜く前よりも必死だった。
―同じ限界走行でも、前と後ろではこんなにも違うのか。―
バトルでは、後ろから追う方が楽ということを、前に出て改めて思い知った。
だけどそんな事を言っても始まらない。
コズミック-7のヘッドライトが、前のRX-7のテールを照らす。
そのヘッドライトから逃れるように貴志は走る。
右に左にコーナーをクリアしながら。
もうすでに香澄とすれ違った場所は過ぎている。
香澄に追いつかれた場所も過ぎ去った。
残りは少ない。
直線の手前のS字に来た。
二台ともS字をクリアした。
直線に入ると、貴志はアクセルを思いきり床まで踏み込んだ。
RX-7が加速する。
その後ろでコズミック-7が、怪物になった。
香澄がアクセルを床まで踏み込むと、怪物は雄叫びをがなり立てられるだけがなり立てて、猛然と全速力で走り始める。
全てのパワーを路面に叩きつけ、前のRX-7に襲いかからんばかりに。
こうなったときのコズミック-7は、誰にも止める事は出来なかった。
雄叫びを上げながら、貴志のRX-7の横をすり抜ける怪物。
抜かれる一瞬、貴志は横目でコズミック-7を見た。
吹き飛ぶように景色が前から後ろへ流れる激流の中、コズミック-7だけはその流れに逆らうように前へ前へと進んでいる。
そしてその中で景色と共に自分が前から後ろへと流れている。
前に進んでいるのに、後ろにさがっているような錯覚。まるで出来の悪い映像でも見ているようだった。
香澄はまっすぐ前を向いて、貴志のことなど気にもとめずに走り去って行く。
完全に抜かれてしまった。
手も足も出せず。
「やっぱり直線は、はえぇ……」
貴志はハンドルを強く握りしめ、うめく。
この時、ふと何故あのマシンが造られたか分かったような気がした。
コーナーを犠牲にしても欲しかったパワー。
そのパワーを与えくれた、トリプルローター20B。
脳裏に昨日見た20Bか浮かぶ。
だが素直に負けを認めるほど、今回の貴志はお人好しではなかった。
「だけどまだバトルは終わったわけじゃない。ゴールはまだなんだ!」
自車線に戻りRX-7の前についたコズミック-7は、貴志にリアテールを、「COSMIC-7」のエンブレムをまざまざと見せつける。
そしてどんどんと貴志から遠ざかってゆく。
それでも貴志は決して諦めはしなかった。
直線が終わりコーナーは残り六つ。
一つ目の右コーナーをコズミック-7が先にクリア。
続いてRX-7。
ニつ目の左。
同じくコズミック-7が先にクリア。
続いてRX-7。
だが、進入スピードが高すぎた。
―ヤバイ!―
そう思った時には遅くて。RX-7は貴志の意に反して、さらにコーナーを回りこもうとする。オーバーステア、つまりスピンしようとする。
慌ててカウンターを当てるものの、RX-7はそのまま180度向きを変えて止まってしまった。
言い訳の出来ない、完全な貴志のミスだった。
scene3 ツインローターVSトリプルローター 了
scene4 敗北と勝利 に続く