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2nd scene10 アウトスカーツ page3

「処理が追いつかない……」

 吹き飛ぶ景色に砂嵐が混じるのはどうしてだろう。コズミック-7の鼓動が途切れ途切れに伝わるのは、ドライビングのテンポが遅れぎこちなく動く身体。

 それこそ油の切れた機械のように。

 パルスのリズムは激しく全身を流れている。ドライビングに必要な情報が間断なくAIユニットに流れ込んでくる。まるで風船に水を一杯に入れて膨らませて、それでもなお水を入れ続けているような。

 溢れる情報量、それは、龍から逃げろ、だった。龍から逃げるための情報がこれでもかとAIユニットを攻めたてる。

 だがAIユニットはそれを処理し切れない。あまりにも溢れる情報量をもてあまし、パルスを送るリズムが狂ってしまっていた。

 処理能力はすでにレッドゾーンに達していた。情報処理の速度が龍のペースに追いつけない。これ以上の走りは無理だった。

 さらにこれ以上走り続ければフリーズの危険性もあることをAIは告げた。フリーズすれば、機能はすべて停止、いわんや身体機能もだ。

 コズミック-7の動きも香澄に合わせてぎこちなくなる。

 ギクシャクとして、足元がおぼつかず。まるで酔っ払い運転をしているように。

 ……高い速度域で。

 彩女は呆然とCOSMIC-7のエンブレムを眺めていた。

 言葉もない。

 あの香澄が、そればかり考える。

 横を向き、龍を見る。龍はやっぱり眼光鋭くNSXをドライブしている。減速の様子はなさそうだった。

 NSXのノーズがコズミック-7のテールをつっつきまわす。

 テールにそびえ立つGTウィングが龍の威圧でへし折れそうなほど震えているように感じるのは気のせいだろうか。

 しかし、と彩女は思う。

 よくこんな状況になっても減速しないで走れるなんて。

 ぎこちないくせにペースはさほど落ちない。ほんとうにギリギリのハイスピードロデオで香澄は走っていた。 

 突っ込みでは前につんのめったかと思うと。立ち上がりでは大きくスライド。

 それを追う龍。同じコクピットの中にいるのに、まるで運転席だけ異世界に入り込んだようだ。

(限界を超えた?)

 NSXの動き、走り。あきらかに自分と違った。違ったばかりでなく、速かった。

 グリップしすぎずスライドしすぎず、流れるような走り。

 F1は一見タイヤを路面に食いつかせて走っているが、その実かなりスライドをしている。グリップをしているように見えるのはマシンの性能もさることながら、それを扱いこなすドライバーのテクによるものが大きい。

 限界を超えた走り、その速度域。

 龍はNSXをその領域で走らせていた。

 地味系グリップ走行、それがみんなから言われていた龍の走り方だったが、なるほどぱっと見はグリップで走っているようにも見える。

 が、彩女が神経を研ぎ澄ませれば腰から伝わるスライド感。

 コーナーでは、リアは後ろのエンジンを重しにして路面に食いつき地を蹴り加速しながら、じりじりとスライドしてゆく。

 そのとき軽いフロントはインへとノーズを切り込ませようとするが、リアから押し出されるようにアウト側へとスライドし、スピンを防いでいる。

 立ち上がり、キレイにラインに乗せてアクセルを踏めば、リアのエンジンが重しとなってタイヤは路面に押し付けられ地を蹴り加速する。

 が、それと同時に重しとなるエンジンが慣性に乗って横に振られ、タイヤをスライドさせようともする。ここでヘマすりゃあっという間にスピンだ。

 後ろに重しのあるミッドシップのスピンは、それゆえに慣性の力が強く働き、「あっ」という間もなくくるっとまわって、どん!

 といってしまいかねない。

 龍も彩女もその怖さは骨髄に染み付いている。だがそれは、それだけ走りこんだということでもあった。

 経験とカン、気合と根性、鍛え抜かれたドライビング。

 そのドライビングための情報は性格に保存され、全身に何の隔たりもなくいきわたり。3.2リッターV6V-TECのミッドシップマシンを走らせる。

 龍のドライビングをコンピューターに換算すれば、一体何テラバイトとなるだろう。それも、上限がない。

 それがあまりにもスムーズでカウンターも当てずにライン上を走るため、スライドしているように見えない。

 しかし、龍はそこまで意識しているわけではなく、やはり香澄を追うために全神経を研ぎ澄ませている。無言で前を見据えている、その黒い瞳がコズミック-7のリアテールを映し出す。その黒い瞳の輝きようが、何よりもそれを物語る。

(ZERO、か。このクルマとおんなじように、ゼロになっちゃってるね)

 このマシン、NSXのグレードは、TypeS-ZERO。マシンもZEROなら、ドライバーもZEROだった。

 無我の領域とでも言おうか。

 香澄に引っ張られて、ついにそこまで来てしまったか。

(龍はもうあたしを超えた)

 いささかのショックも覚えたが、龍の走りに吸い込まれるように、惹き込まれる自分も覚えた。それでこそマシンを託した甲斐があったってもんだ。

 だが事態は楽観できないものだった。貴志は戦線離脱し、闇の中で眠っている。

 香澄は龍に追いつめられて、そのプレッシャーから乱調をきたし、リズムを崩して。

 ついに来てしまった領域に入った途端の、香澄の乱調。

 まるで怖い怪物に追いかけられて、身を隠すために闇へと逃れようとしているみたい。

 警告はとまらず、しきりに減速を要求するが、溢れた情報量が妨げになり減速指示が身体機能全体に行き渡らない。

 先に出た龍から逃げるという指示を途切れ途切れで遂行している。

 そのため、減速をするにもできない状態になってしまっていた。人間ならばこんな馬鹿な話はない。アンドロイド・ロボットであるために、なってしまったことだった。もう意識と身体はバラバラだ。

 マシンは助けてくれず、トリプルローター20Bより引き出されるモンスターのハイパワーが香澄に襲い掛かる。

 ワンテンポ遅れのマシンコントロール。それは、風に吹かれ、綱渡りの綱がら転げ落ちそうな様だった。

 コズミック-7は足掻くようにうなり、力の限り手足を振り回すように暴れ、中の香澄をもみくちゃにしようとする。

 ともすれば香澄を道連れにして、己の身もろともそのハイパワーで叩き潰しかねない。

 視界にノイズが走る。

 マシンの叫びも途切れ途切れに聞こえる。

 視聴覚機能が重かった。それに合わせて身体の動きも重かった。

「助けて……」

 一筋の涙が、香澄の頬をつたった。

「助けて、龍が追いかけてくる。怖いよ、助けて……」

 次から次へと涙が頬をつたう。

「私の道、私の道」

 見えかけた道が、ノイズに掻き消されようとしていた。

「怖いよ、助けて、怖いよ、助けて」

 念仏でも唱えるようにつぶやく香澄。

 容赦ない龍。

 眼光鋭くCOSMIC-7のエンブレムを見据えている。

 人がそうであるように、香澄=AIもギリギリの限界値にいることで悟ったことがあった。

(所詮、私は機械……)

 思えば機械である以上、機能に限界があり。それは自力で引き上げることは出来ない。その機械を作るのは人間。完璧な人間がいないように、人間の作るものにも完璧はない。

(そして、龍は人間)

 完璧ではない代わりに、人間には、いわゆる無限の可能性というものがあるという。よくきれい事が好きな人間たちが口にする言葉だが、だからといって、それは嘘ではなかった。

 龍は香澄を追ううちに、NSXの助けもあって己のポテンシャルを無意識に引き上げてしまったらしい。

(でも、それにしても、なんて呆気ない)

 限界を超えたら、こんなにも呆気ないものだったのか。

 彩女は、もう前は見ずに龍の横顔ばかり眺めていた。吸い込まれるように、黒い瞳の奥深くにあるものに惹きつけられて。

「果てがない……」

 ぽそっとつぶやいた。

「何か言ったか?」

 地獄耳か、龍は香澄を追いながら聞き返すが、彩女は首を横に振っただけで何も言わなかった。唇をつぐみ、龍がこれから走るであろう果てのない道を知りたいと思った。

 それと同時に、無意識に自分の中にある女さえ感じていた。

 龍は、どこにゆくのだろう。できれば、一緒にいきたい。

 東側駐車場から西側駐車場までの十数キロの道のり、それは100キロのように、とても長く感じられた。

 オーバーフローの警告はとどまることを知らず、出っぱなし。

 限界を感じた香澄は、さるSFのように、プログラマーに教えてもらった歌を歌い出す前にこの場から離れる必要があると判断した。

(優とマリーは驚くだろうな……)

 後のチェックでこの状態を見てひっくり返らなければよいが。という、その判断ができるうちに、離れなければ、ほんとうに取り返しのつかないことになる。

 ユニットがギリギリの状態でシュミレートを弾き出す。

 フリーズした香澄。身体機能は停止し、コントロールを失ったコズミック-7はコーナーで曲がらずまっすぐにガードレールか山肌に突っ込む。

 そしてクラッシュ。

 コースも終わりに近づき、もうすぐ直線に入る。そこでようやく、減速の指示が身体機能に行き渡る。まったく、重かった。

 減速をするとともにオーバーフローの警告も消えてゆき、香澄はミラーを覗く。NSXのヘッドライトが光っている。

「バイバイ」

 掻き消されそうな香澄の声。 

「つぅ!」

 まさかそれが聞こえて反応したわけではないだろうが、激痛が龍を襲う。思わずハンドルから左手を離して、頬をおさえてしまったほどだ。

「どうしたの?」

 突然の事にただ事ではないと驚く彩女。しかし龍は何も言わず。左手をハンドルに戻して、体勢を立て直した。

 目は、コズミック-7のリアテールを見据えたままだ。すると、ブレーキングでNSXはやや前のめりになりながら減速する。なぜかペースが落ちている。コズミック-7のブレーキランプも灯っている。

 背中から甲高く吼え猛っていたV6V-TECサウンドが、空気に吸い込まれてゆくように静かになってゆく。

 室内の熱気もおなじように空気に吸い込まれてゆくように冷めてゆく。

 目が覚めたというか、トンネルが突然終わって放り出されたようだった。

 頬の痛みを感じながら、龍は歯を食いしばった。

 香澄のペースダウン。これはただ事ではないことをさとったのだ。

(なぜだ)

 と心の中の声がしきりにコズミック-7・香澄に向かって問いかけられる。突然の乱調、減速。龍に香澄の今の状況がわかるわけもないし、龍自身も自分のことがわかっているわけでもない。

 それこそ必死で香澄を追っていた。それしか意識しておらず、まさか香澄がおかしくなるまで追いつめていたなど考えも及ばなかった。

 それでも、減速してから本能的に何かを感じ取って。

(なぜだ)

 オレはどうしてしまったんだ。

 と、香澄への問いかけは、いつしか自問自答に変わっていた。 

 そんな龍の様子に、彩女は心が掻き毟られそうだった。

 そうこうしているうちに直線に入った。だが直線は貴志・RX-7のまいたオイルのせいで飛ばせない。ともにタイミングよく減速し、直線をやりすごし、差のないままコーナーへ。

 くるか、と龍の目が光る。

 しかし、香澄・コズミックー7はペースはそのままで……。龍も彩女も呆気にとられる思いでそのテールを眺めていた。

 抜こうと思えば抜ける、しかし戦意のない者を相手にマジになったところで意味もない。

 なんだか、やけに静かだった。闇夜に包まれた森の静寂に身を包まれているようだった。

(なぜだ)

 再び香澄への問いかけ。

 だがテールに問いかけなど届かず、そのまま西側駐車場まで来た時、龍と彩女はその進む方向が信じられなかった。

 コズミック-7はそのまま駐車場を通り過ぎ、街へと帰っていくではないか。

「……」

 この不意の出来事に、彩女も龍も声が出なかった。

 香澄がそのまま帰るだなんて。この目で見ても信じられなかったけど、これは紛れも無い事実だった。

 コズミック-7のテールランプは、そのまま闇の中に消えていった。

 しかし、龍はコズミック-7を、香澄を追わなかった。問いかけもしなかった。

 折り返してまた走り出そうとする。

「りゅ、龍! どうして? 香澄ちゃん帰っちゃうんだよ」

 龍は応えない。

 心の中で、何かが崩れたような気がした。これで二度目だ。

 一度目は、香澄に抜かれたときだった。

 せっかく崩れたのを直したところで、また崩された気分だった。

 そのせいか険しい目とは裏腹に口元が震えているようだ。左の頬も連動して脈打っている。心なしか、赤くなっているみたいだ。

 まだ、痛みはつづいている。

 龍はその痛みを振り払うように、悔しそうに。

 目は闇を見据えて。走りつづけた。

 もう、コズミック-7と香澄は来ない。

「また来るよ」

 その言葉も、もう聞けない。

 それどころか、最後に言葉を交わすことも無かった。

 こんな別れ方をするなんて、思ってもいなかった。

 今までの事が、幻となって闇夜に浮かび消えてゆく。

 静寂と暗闇の峠道を駆け抜けた夜と、マシンたち。今乗っているNSXも、コズミック-7も、RX-7も、MR2も……。

 浮かんでは消え、また浮かんでは消えてゆく。

 まるでゴーストのように、かわるがわる龍と一緒に走っている。

 特に、コズミック-7は鮮明で、強烈だった。どこまで行っても、届かない、追いつけない。挙句の果てに、届きそうになったと思ったら、目の前から突然消えて。

 龍の目が険しくなる。

 するとそれにひるんだように、すう、と頬の痛みも消えようとしていた。痛みに続いて、コズミック-7も、MR2さえも、消え失せようとしていた。

 龍は消えゆくものに向かって言った。

 言わずにおけなかった。

「一緒に走ろうと約束はしても。一緒に止まろうだなんて、約束はしてないんだ」

 

エピローグ


 朝が来て、峠道に染まっていた闇は払いのけられてゆく。

 西側駐車場にはRX-7がぽつんと残っていて、朝日に闇から救い出されるように日の光に照らされていた。

 そのRX-7の中で、赤子のように眠る貴志。

 頬には涙の跡が残っていた。

 貴志はRX-7の中で、どんな夢を見ているのだろう?

 その夢は、目覚めた後でも記憶に残るのだろうか……。

 朝の街。

 街も人も眠りから覚めて、一日は始まろうとする。

 歩道には通勤通学の人々が行き交い、道路には自動車やバスが並んで走っていた。

 その街の中のどこかの道の隅っこで、赤いNSXが止まっている。

 朝日が昇ると同時に、NSXはそこにやってきたのだった。

 中にいるふたりは、何も言葉を交わすことがなかった。

 ただじっと、朝日が昇るのを見つめていた。

 朝日に掻き消されたあの夜のことは、もう過去の中。

 背中の後ろの声も、おとなしくさえずっている。

 龍はおもむろにドアを開けて降り立ち、NSXをそのままにして。無言で勤め先の病院に行こうとする。その後姿に、彩女も慌てて降り立ち、声をかけ引き止める。

 声を受けて、龍は無表情で彩女に振りかえった。

「待って、龍……」

「ん、なんだい?」

 NSXをドライビングしていたときとは違う、そこには走り屋としてではなく、ただひとりの人間としての源龍の姿があった。

 その変わりようにはっとしながら。

「ね、ねえ。あたしたちも、終わりなの?」

 という彩女。悲しげに何か期待する眼差し。

 しかし。

「ああ、もう終わりだよ。それじゃオレは行くよ。遅刻したら、あのおせっかい焼きがうるさいからな。今まで、ありがとうな」

 らしくもなく、優しげに言う龍は、彩女に最後の言葉をかけると、そのままポケットに両手を突っ込んで病院に向かい。

 朝の街の人々の中に紛れ込み、溶け込み、見えなくなってゆく。

 もう、走り屋としての龍はいなくなったのだろうか。

 あのときの龍も、夜と一緒に朝日に掻き消されてしまったのだろうか。その心の中で何かが崩れたこと。龍は黙っているので、彩女が知る由もない。

 NSXのアイドリングのさえずりを感じながら、彩女は溢れる思いを抱いて、龍の消えていった方向をじっと眺めていたが。

 ふと、空を見上げた。 

「ありがとう、か……」

 ぽそっと、つぶやいた。

 見上げる空には、澄んだ青空が広がっている。

 そこに、一筋の飛行機雲が青い空に白い線を描いていた。

 彩女はその飛行機雲を見上げて、見つめて。

 その飛行機雲が消えるまで、見つづけていた。


metallic girl 2nd 完

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