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2nd scene10 アウトスカーツ page2

(なりたい)

 貴志は強く思った。速く走れるようになりたい。

 バイクでは出来なかったけど、車でなら出来る、かもしれない。そんな可能性のちらつきから、貴志は四輪にはまり、今に至った。

 前には何もない。

 それなのに、道が狭く感じる。何もかもが怒涛のように押し寄せては通りすぎてゆく。そんな景色の吹き飛ぶ中で、手に汗握ってハンドルをにぎる。

 青い稲妻は、轟音を轟かせひたすら走る。

 酔っ払いみたいにふらつこうが、持ちうるパワーにものを言わせてひたすら走る。

 怖いけど、アクセルを踏む。

 マシンはがなり、ドライバーにまくし立てる。

 まばたき一回さえ許してくれないほど、前を見つづけなければいけないような世界。

 その中で、貴志は生きている。

 外に出るなんて考えられない。

 闇を切り裂きぶち破り、空気を揺るがし。

 震える右足はひたすらアクセルを踏みつづける。

 メーターの針は時計回りに回りたがる。一瞬でも反時計回りに回る事を嫌った。

 1トンを超える鉄の塊を、鞭打つ。それがどんなことなのか、頭の悪いヤツでもわかる。

 それをすることの怖さ。愚かさ。わかっちゃいるけど、やめられない。

 馬鹿になれ。もうこうなったら、とことん馬鹿になれ、と自分に言い聞かせる。

 どうせ、オレは見当違いの方向に突っ走っていたんだから。今更まともぶるなんて、それこそ本当に馬鹿馬鹿しい。

 それでも、カセットデッキが気になるのはどうしたことか。

 後ろからはNSXがしつこく付きまとってきて。そのまた後ろにはコズミック-7がストーカーのように付きまとう。 

 特に、NSXが鬱陶しく感じた。

「どうしてお前、女ヨコに乗せてるんだよ……」

 憎悪にも似た気持ちが、心の中のノイズを掻き乱す。

 ノイズは心にからみつき、時折棘を出す。棘が刺さる度に、右足に力がこもる。

 マシンは吼える。

 マシンが吼える度に、棘がまた刺さる。その痛さが心地良い。

「いけぇ、いけぇ」

 と、馬鹿の一つ覚えのように繰り返す。もう馬鹿になってしまっているから仕方無い。

 アドレナリンが沸騰しそうだ。いや、もう沸騰してるかもしれない。

 脳味噌がぐつぐつ煮えたぎっているようだ。

 それすら、意識出来ない。麻痺してる。

 ただ、パワーとスピードに身を任せるのみ。それが、今貴志が出来ることなのだから。

 他の事なんて、何も出来やしなかった。

 背中の後ろの声がけしかける。

 走れ走れ走れ。

 と、ひたすらけしかける。

 アクセルを踏めアクセルを踏めアクセルを踏め。

 天まで突き抜けそうなマシンの声は、背中にも突き刺さり。脊髄をひっかきまわしてくれる。それが、脳味噌までおかしくしてくれそうだ。

 NSXは前のRX-7、後ろのコズミック-7に挟まれて窮屈そうだけど。構わない。

 マシンも、ドライバーもこのままで構わないと思っているから。構わない。

 始まったばかりだぜ、なにをそんなに慌てる事がある。

 夜は長い、たんまりと楽しもうじゃないか。

「ほら、いいのかい?」 

 彩女がそう言うと、NSXはRX-7のリアテールを突っつきまわす。追突でもしそうなくいらい、近付いている。

「いくよいくよ……」

 彩女が言葉を発すれば、NSXはRX-7に鼻先をちらつける。そんなのは朝飯前だ。

 それでも、抜かない。このままRX-7がどうなるのかをしばらく見てみたい。

 ネズミをいたぶる猫のように、RX-7を追いかけまわす。

 彩女の目は見開かれ、RX-7の行く末を占っているようだ。

 RX-7も、NSXも、思いのまま。

 自分でドライブしてるわけじゃないってのに。

 どうしてこう、自分の思ったとおりになるのか。怖くなるくらいだ。それだけ、男どもは単純なのか。

 そんな男どもは、たった一人の女に振り回されて。とち狂ってしまって。なんともかんとも間抜けな事だ。

 それに気付けもしない。

 背中の後ろの声に混ざる叫びが、それを助長するように。

 みんなスピードを上げて走る。

 引き金は、あまりにもゆるい。まさに、無鉄砲だ。

 そんなのに、身をさらけ出したのか。

 まったく、とんでもねえ女だと自分で思う。

 横顔から見える龍の目は、前を見据えているけど。

 心の目は、後ろを向いているみたいだ。

(後ろ向きは良くない。だから、早く前向きになりたいね)

 彩女は祈るように心でつぶやいた。

 NSXの後ろ、コズミック-7は狭い狭いと駄々をこねる。

 それを香澄はなだめすかしながら走る。

 どこまでアクセルを踏んでいいのか。どこまでスピードを上げていいのか。どこでブレーキを踏んで減速しなければいけないか。

 どこまでハンドルを曲げていいのか。

 今何キロの速度で、次に何キロ出せばいいのか。

 どこのラインにマシンを乗せればいいのか。

 走る曲がる止まる、全て計算処理される。

 限界ギリギリのラインで、少しの誤差も許されない範囲内で。

 モンスターマシンを駆る機械として。走る。

 マシンは、それでも駄々をこねる。本来、わがままなのだ。機械というものは。

 人間の言う事なんか、はいそうですかと素直に聞きやしない。

 ミスを許してくれる寛容な心も持ち合わせていない。

 それに言う事を聞かせると言う事が、どんなに大変なことか。

 限界に近付かないと、わからない。

 でも、誰も近付きたがらない。だって、無理に近付く必要なんか無いんだから。

 そこそこで構わないのだから。

 なのに、その機械はそこそこで済まさなかった。その代わり、限界も超えなかった。

 限界を超える事がどんな事か、機械にはわからない。なんとなく、怖いというくらいはわかる。

 それでも、実感が無いから。限界なんて超えようと思えば簡単に超えられる。

 マシンの限界なんて、たかが知れている。

 いわんや、人間のさえも。

 低い限界に合わせて走っているに過ぎないのだ。

 もうしばらくは、そうしよう。

 限界の低い人間が、どこまで自分を後ろに従えられるのか。

 最後の夜に、ちょっと意地悪するなんてと思うけど。なにも最後までというわけじゃないから。

「いいよね。みんな」

 と、声をかける。

 その声はコズミック-7の声が掻き消してしまったけど。

 前を走る二台と、三人を。しっかりとインプットして。データとして残しておきたかった。

 ただ、あの黒いMR2がいないのは。やっぱり寂しいような気もした。

 あの時前を走っていたMR2は、もう無い。

 例え、時計を反対に回しても戻らない。二度と取り返せない、実体の無い時間というもの。

 一秒一秒が刻まれるたび、遠のいてゆく。

 それが、ときの移り変わりというものなのかな、と。

 香澄はふと思った。

 マシンは駆け抜ける。

 張り裂けんばかりのエグゾーストノート、タイヤ。ついでに、RX-7は火も噴く。

 一気に濁流が押し寄せる。それすら突き破る。

 何もかも切り裂き突き破り揺さぶり。

 静かな闇夜の峠道を光と喧騒でぶち壊す。

 東側駐車場を折り返し。順番はRX-7、NSX、コズミック-7のまま。

 青と赤とパープルメタリックのマシンは、それぞれの色の閃光を描く。三つの色の虹のように。

 三つの色の虹は、靡木の峠道を三つの色に染めてゆく。

 それを見届けるものは、誰もいない。

 見届けるものがあるとすれば、それは昔々から峠の歴史を見守りつづけていた木々や雑草だった。

 それらは喧騒をぶちまけるマシンたちには、とんと無関心を決め込み。そ知らぬ顔をする。

 時折、木の葉や雑草が迷惑そうに。ぼそぼそと隣同士とささやき合っている。

 月や星星は下界を見下ろし、人々の営みを見守っている。

 マシンの叫びが、はたして彼らには届いているのだろうか?

 それも、我関せずとキラキラと光るだけだった。


 誰もいない峠道で、限界に近い世界で走るマシンとドライバー。

 ちょっとした事で「向こう側」に行ける。

 長い長い年月を経てきた木々や雑草、月や星星。それらに見守られながら。

 ただ、「向こう側」に近い位置で走る。

 人も機械も。ただそれだけの行為を繰り返す。

 闇に紛れて。闇に覆われ。その闇を切り裂き、切り裂いた闇の向こうへと。

 走るだけ。

 ただ、それだけのことだった。

 傍から見れば。

 何も、変わったことは無かった。

 コーナーの度にRX-7はNSXに詰められ。それを後ろから見守るコズミック-7。

 コーナー区間でのマシン性能の差は歴然としていた。

 コーナー入り口で、いつも詰められるRX-7。詰めるNSX。

 リアテールが、ひときわ大きく目に写る。

 しかし、立ち上がりはRX-7がNSXを引き離す。それでも、すぐコーナーはやって来て元の木阿弥に戻ってしまう。

「さすがに、コーナーはきっついぜぇ」

 思わず愚痴がこぼれる。

 ハイパワー、ハイスピード。それはドライバーに負担を強いるばかりか、スピードを殺す為により早くより強くブレーキを踏まないといけない。

 これで高いコーナーリングスピードをキープできるわけも無い。

「まったく、NSX様様だよなあ」

 後ろに毒づいてもなんら状況は変わらない。

 RX-7はコーナーを狭い狭いと駄々をこねて仕方がなかった。

 それは、コズミック-7も同じだった。でもついてゆくだけなら楽なものだ。

 要は、視界から消えなければ言いだけの事だから。

 龍はずっと、RX-7を見据えて。RX-7をもてあそぶようにくっつき離れなかった。

「乗りこなせもしねえのに。チューンするからだよ」

 前のRX-7の不安定な動きを見て、毒づく。

 どんなにパワーがあろうと、アクセルを踏めなければ意味は無い。

 その点、NSXはコーナーでもアクセルを踏める。

 タイヤは路面にへばりつき、パワーを確実に伝えてくれる。

 それが出来てこそ、まともに走れるってもんだ。

 それもわからなかったのか。いや、無理もない。

 香澄と一緒に走っていれば、誰でもそうなる。

 だから、貴志を責められない。

 かと言って、攻めの手は緩めない。このままずっと後ろについて、と思った時。龍の目は見開かれ。彩女も妖しい笑みを浮かべた。

 インが空いた。中速右コーナー、RX-7はアウト側に膨らんだ。

「ちぃ!」

 いけると思って減速を怠り、その結果アンダーステア(曲がらない)を誘発してしまたのだ。

 こうなったら、アクセルはもちろん踏めず。ハンドルも曲げられず。ブレーキを踏んで安全に曲がれる速度になるまで減速するしかない。

 その隙に、NSXはRX-7のイン側に並んだ。

「もらったよ」

 彩女は少し左を向いて、窓越しに貴志の苦渋の表情を見た。それは憎悪にも似たものを感じさせた。

 刹那、殺気を感じた。どうしてそんなに感じたのかわからないが、とにかく感じた。

 NSXのすぐ後ろにコズミック-7。

 漁夫の利、と言わんがばかりに。RX-7に並ぶ。

 香澄は、前を向いたままだった。

「なにやってんだ」

 冷たく言い放つ龍。

 NSXがコーナーを抜けた時。コズミック-7もすぐ後ろについていて、一緒にRX-7を抜いたのだ。

 RX-7は先頭から一転、しんがりになってしまった。貴志自身のミスのために。

「くそ!!」

 大声で叫ぶ。でも、後の祭りだ。

 13BTも一緒に叫ぶ。

「また、直線で抜き返してやるさ」

 コズミック-7のリアテールを、その先に見えるNSXのリアテールを見据え。さらにアドレナリンが沸騰する。

 今夜は、是が非でも負けられない。

 再び先頭に立つために、貴志は虎視眈々と直線がやってくるのを待つことにした。

 いくつものコーナーをぬけ、スピンに気をつけ。直線を待った。

 目の前にはコズミック-7。その前にはNSX。

 コズミック-7はどうかわからないが、NSXなら抜ける。

「待ってろよ」

 その言葉が発せられた時。何故か彩女の背筋が氷が滑ったかのように寒くなった。

 得も言われぬ不気味さをRX-7から、貴志から感じて仕方が無い。

 これを龍に言えば一笑に伏されるだろうが、そう感じるのだから仕方が無い。

 あの純粋でひたむきな男が、どうして?

 それより、一番気になるのはやはり香澄だった。絶対、直線で抜きにかかる。

 龍もそれをわかっているようだ。目が険しくなっている。

 直線ではどう足掻いてもパワーで負けている分、手も足も出ない。

 香澄は、淡々とコズミック-7を駆っていた。

 NSXのリアテールは一定の大きさを保ち、共に濁流の中を突き進んでゆく。

 ミラーには、RX-7のヘッドライトが灯されている。

「一緒に来る?」

 香澄は後ろの貴志にそう語りかけた。

 果たして、直線がやって来た。

 彩女は思わず右手に顔を向けた。龍はまっすぐ前しか見据えなかった。

 貴志の歯が、かちっと鳴った。

 香澄は、淡々としていた。

 コズミック-7とRX-7。二台のロータリーマシンはモンスターへと変貌を遂げて、野獣そのものの雄叫びを上げ、ありったけのパワーを路面に叩きつける。

 パワーを開放されたモンスターは、全てそこのけの勢いでNSXに迫る。

 磁石が引き寄せ合うように距離が縮まる。

 対向車はいない。対向車線に出る。NSXはそのまま。

 コズミック-7とRX-7は隊列を組み、NSXを抜き去ってゆく。

 窓越しに見える二台のロータリーマシン、その手前の龍の横顔。

 彩女は息を飲み込み、呆然とするしかなかった。

 そして龍と彩女の目に、「COSMIC-7」のエンブレムが飛び込んでくる。その後にRX-7のエンブレム。

 それでも、終わらない。

 今夜はまだあるのだから。

 そのまま三台は西側駐車場を折り返し、再び走り出す。

 誰も、これが終わる事は無いと錯覚しながら。

 それから、ずっとずっと。三台は走りつづけた。

 誰も降りようともしない。

 ひたすら馬鹿の一つ覚えのように走る。

 そのために、今夜があるのだから。

 どうして降りられようか。

 もうどのくらい走ったんだろうか、わからない。

 香澄はわかっているけど。

 貴志は、何度アンダーステアを出して後ろに下がった事か。そのたびにまた直線で抜き返して。

 龍は直線で抜かれる度、コーナーでRX-7を抜き返す。一進一退のバトルを、コズミック-7の後ろで繰り広げていた。

 コズミック-7はずっと、先頭だった。

 一度前に出れば、二度と下がらない堅実な走り。

 そんな香澄を追う権利を奪い合う二人の男。

 すぐそばに、他の女性がいてもお構いない。

 彼らの目には、香澄しか見えていないのだから。瞳の中には、パープルメタリックのマシンのリアテールしか入れたくなかった。

 ヒステリックな叫び声を上げつづけるマシンを駆り、自らの心もヒステリックに叫んでいる。

 握り潰さんがばかりに、ハンドルを握りしめ。床が抜けそうなほどの力でアクセルを踏む。

 タコメーターの針はレッドゾーン付近を指し示す。

 針のみならず、ドライバーもレッドゾーン付近に身を置いて。

 そんな後ろのふたりに構わず、前を走りつづけるコズミック-7。

 うかうかしてると置いてけぼりにしようとする。

 それがいやなら、ついて来い、ついて来いよと。リアテールの「COSMIC-7」のエンブレムがヘッドライトに照らされて、挑発的に光り輝く。

 それも、今夜が見納めだった。今夜が終われば、そのエンブレムを見ることはもうなくなってしまうだろうから。


 十分脳裏に焼き付いているはずのエンブレムを、ふたりはさらに焼き付けようとする。

 彩女も、目に飛び込むエンブレムを脳裏に焼き付けようとする。

 でもその前に、黒いMR2がいるような気がして、なかなか焼き付けられないような気がした。

 龍はあの時まで、こんなことを毎晩のように繰り返していたのだ。

 まったく、恐ろしい。

 でも、何かが変わろうとしていた。

 それは結局、自分がいてもいなくても変わらなかったかもしれない。おそらくそうかもしれない。

 今身を置いていて、そんな事を思った。自分のせいで変わったなんて、自惚れだったかもしれない。

(せいぜい、引き金がいいところなんだろうね。その引き金の代わりなんて他にもあるんだろうね)

 思えば、運が良いのか悪いのか。わからない。今思えることは、自分のマシンを龍が駆り。

 香澄を追いかけている。それだけだった。

 東側駐車場を折り返し、西に向かう三台のマシン。

 RX-7の13BTブリッジポートチューンエンジンはよく回り、ハイパワーを絞り出す。

 直線に入れば、NSXをいとも簡単に追い越し。コズミック-7にぴったりとついてゆく。

 買った時とはまったく違うマシンになっていた。最初買った時は、二百数十馬力しかなかったのに。今や二倍近い460馬力だ。

 正直、怖い。マシンのパワーに振り回されて怖くて怖くて仕方無い。

 なのにどうしてここまでしなければいけなかったのか、考えるまでも無い。

 香澄がいるからだ。

 それ以外に理由は無かった。

 ハイパワーが怖いとはいえ。本来のエンジンでパワーアップを図ったおかげで、マシンバランスは良い。

 本来のエンジンより重い、違う車のエンジンを積んでバランスを崩したコズミック-7よりはコーナースピードは速かった。

 上手くコントロール出来れば、の話だけど。

「またあの時みたいに、抜けないのか」

 思わずうめく。

 まだ乗りこなせないうちに、香澄がドイツに帰ることになってしまって。そう言う意味では悔いが残る最後の夜となってしまった。

 だけど、そんなこと言いどころではない。だからこそ、悔いの残らないように走る。

 コズミック-7がコーナーに入ろうとする度に、極端までにスピードが落ちる。重くなったフロントを慮って(おもんぱかって)無理はさせられないからだ。

 限界ギリギリで走っていることを考えると、少しでもブレーキを踏むタイミングが遅れればコズミック-7はそのままアウト側へと真っ直ぐ進んでガードレールか山肌に激突してしまう。

 それに対し、貴志は無理がさせられる。フロントの重さは以前とさほど変わっていない。だからレイトブレーキングもやろうと思えばやれないこともない。

 が、出来ない。スピードが思った以上に出てしまい。結局は自分も早めのタイミングでブレーキを踏まないと減速が間に合わない。

 このパワーは、峠では狭すぎた。

 おかげでコーナーの度にNSXにいいようにあしらわれてしまう。今しがた、ドアンダー(かなり曲がらない)を出してしまい、抜かれてしまった。

(まったく、これじゃチューニングした意味がないじゃないかっ!)

 香澄は、どんな思いをしながら走っているんだろうか?

 やっぱり、同じ事を考えているんだろうな。と思った。

 その通りだったけど。正解を香澄から聞き出していないので予想の範囲内でしかなかった。

 だからと言って、このままの状態を続ける気なんか。さらさら無かった。

(今夜の為に、捨てたものがあるじゃないか!)

 歯が、かちっと鳴った。

 前のNSXのリアテールを見据え、追いかけて、心の中に冷たさを感じさせる青い炎が浮かび上がった。

 カセットデッキが異様に気になり。おまけに、一緒にだとか助手席にだとか。なんてことも考える。

「捨てきれなかったんか……!」

 そう思えば思うほど、NSXが何故か恨めしく思えてくる。心の隅っこから、それが顔をもたげて来る。それが貴志に、こっちを向いてと叫びだす。

 その叫びが何故か、RX-7の叫びより大きく聞こえるのはどうしてだ?

 今まで必死に抑え付けていたのに、どうしてここに来てこうなるんだ。

「うるせぇ!」

 貴志は叫んだ。その叫びはRX-7の叫びをも掻き消してしまった。なのに、心の中の叫びは掻き消せなかった。

「鬱陶しいんだよ!!」

 また叫ぶ。でも、同じだった。

 叫ぶ度に、前が離れていく。ドライブに集中しなければいけない場面で余計なことをするからだ。

「ちきしょう、ちきしょう……。ちきしょうー!」

 またも、余計なことをしてしまった。さらに前との差は開く。

 それがどうした。RX-7はパワーがあるじゃないか。そんなの、すぐに取り戻すさ。

 直線に来れば、簡単だ。アクセルを踏めばいいだけのことだからな。

 貴志の目は、前のNSXではなく。さらに前のコズミック-7でもなく。もうすぐたどり着く直線を見据えていた。

 また歯が、かちっと鳴った。

 果たして、直線がやってきた。

 コズミック-7はNSXに追い立てられながら直線に入ろうとし。NSXはコズミック-7を追い立てながら直線に入る。

 それに貴志のRX-7も続く。

 峠で一番簡単な操作で走れて、かつ一番怖い。直線。

 貴志はアクセルを踏み込んだ。

 一斉にマシンの大合唱が始まる。

 パワーが二台のロータリーマシンをモンスターへと変貌させる。真ん中にいたミッドシップマシンはこればかりはなす術がなかった。

 龍も彩女も、苦い顔してロータリーマシンのパワーを呪うしか術が無かった。前には引き離され、後ろからは追い越される。

 さすがのNSXも直線ではいいとこなしだ。

「いけぇ!」

 見えない糸に引っ張られるように、前へ前へと突き進むRX-7。対向車線に出れば、左サイドに赤いNSXが見える。

 その少し離れた前方には、コズミック-7がいる。コズミック-7のリアテールを目に入れた途端に、また聞こえた。

 あの叫びが。

 我知らず目が険しくなる。また歯が鳴った。

 心の中にノイズが走り出し、棘も出してくる。

 その姿をマリーが見たらどう思うか……。

 香澄はミラーで後方の動きを確認した。貴志がすぐ後ろにやってくる。龍は後ろに追いやられてしまった。

「貴志、おいで……」

 香澄は、自分に迫ろうとする後ろの貴志に優しい声をかけてやった。

 本当に追いたいものを追わず、自分を追いつづけた貴志。その為に捨てなくてもいいものを捨てて、走っている。

 ならせめて、捨てたものも含めて。自分が受け入れてあげよう。龍だけでなくて、貴志も受け入れてあげよう。ただ同じ場所を走るドライバーというだけじゃなくて、一人の人間として。

「貴志にも。同じことしてあげたらよかったかな」

 RX-7はコズミック-7に迫る。リアテールをNSXに見せつける。全てと引き換えにして得たパワーが、炸裂する。

 13BTは狂気の雄叫びを上げつづける。もう、正気にはもどれっこないくらいの、狂気の雄叫びを狂ったように上げまくる。

「え……」

 一瞬、彩女は悪寒を感じ、思わず息を飲んでしまった。

 RX-7から立ち上がる不気味な青い炎を見たような気がした。それは冷たくて、触るもの皆凍りつかせるような、青い炎だった。

 抜かれる時、その青い炎に頬を撫でられた気分だった。

 龍も、同じ事を感じたのか。目が一層険しくなっていた。

 RX-7のミラーにNSXのヘッドライトが灯る。目の前にはコズミック-7。

 コズミック-7、いや、香澄もろともをも青い炎で凍りつかさんがばかりに、貴志は迫る。

 全てはこの夜のために。そのために捨てた。

 捨てた? 何を?

 そう思って、一瞬だけカセットデッキを見た。電源がオフにされたカセットデッキはうんともすんとも言わず。ただのお飾りに成り果てていた。

「あ……」

 一瞬だけだから。そう思って、前から、メーターから、香澄からさえも目を離した時。タコメーターの針はレッドゾーンの奥深くまで入り込んでいた。

 目を戻した時。瞬時に、目の前が真っ赤になった。

 13BTは、断末魔の悲鳴を上げていた。


 ボンネットのすき間から飛び出たオイルがフロントガラスに飛び散っていた。

 エンジンがブローしたのだ。

 オーバーレブ。要するにエンジンをこき使いすぎ、そのためにエンジンが息絶えたのだ。

 もう、460馬力はおろか一馬力だって出せやしなかった。

 一瞬だけ目を離した隙に、エンジンは限界点を越えてしまったのだ。

 限界に近い場所にいつづけるのは難しくても。限界を超えるなんて、本当に簡単なことだった。

 息絶えたエンジンは、大量出血よろしくオイルをぶちまけた。それがボンネットからも飛び出しフロントガラスにぶちあたった。

 視界が真っ赤になってて、何も見えなかった。

 なのに、コズミック-7とNSXが視界から消えてゆくのだけは、はっきりと見えた。

 同時に、心の中のノイズは消え去り。棘も抜かれていた。

 惰性で進むRX-7の中、貴志は呆然自失となって、デク人形のようだ。西側駐車場まではなんとか行けそうだけど。

 惰性で進み、直線を抜け。コズミック-7とNSXとすれ違った。

 もはや、無力な自分に見向こうともしないようだった。

「馬鹿だね、貴志クン……」

 彩女はすれ違ったRX-7に目をやり。哀れそうにつぶやいた。

 もちろん、龍に止まれなんて馬鹿な事は言わない。エンジンブローは本人のミス以外のなにものでもない。それでなんで止まってあげられようか。

 龍も同じことを考えていた。でも、何も言わなかった。ただ、ひとつ終わったと思った。

「どうして……」

 香澄は、貴志にどうしてと繰り返す。貴志に聞こえるわけも無いけど。繰り返した。

「どうして、止まったの? どうして……」

 もちろん、応えは無い。

「私じゃ、ダメだったんだね……」

 RX-7なんか見えもしないのに、ついミラーを見てしまう。もちろん貴志のようなミスはしなかった。

 もう、RX-7は見えない。

 香澄は再び前を見据える。

 三台から二台に変わった、もうそうなってしまったんだから。

 前を見るしかなかった。

 RX-7は惰性のまま、西側駐車場までなんとかたどり着いた。少し下りになっていたのが幸いだったが、貴志の心にはそんなものはなかった。

 ブレーキを踏むまでも無く、RX-7は適当なところを見つけて勝手に止まってくれた。

 不意に夜景が目に飛び込んできてしまった。

 その夜景の中にあるもの。

 すぐに目を離し、頭を下げる。異様に頭が重かった。

 目に涙が溢れてくる、そのせいだろうか。涙も頭と一緒で重たいんだろうか。

 膝の上に置いた手に、落ちてきた。

 ちょっと、冷たかった。目頭は熱くなっているのに。

「最低だ」

 冷たさを感じて、喉から押し出される声。

「こんな終わりかたって、最低だ……」

 それからは何も言わず。ただ、手に涙が落ちるに任せるだけだった。

 涙が一粒一粒落ちるたび、冷たさを感じる。

 冷たさを感じるたび、今までの日々が涙で洗い流されているようだった。

 息絶えたRX-7は自ら光を発することも出来ず、闇に飲み込まれ。闇の中に消えていった。

 残された二台は、いまだ走りつづけていた。

 貴志のRX-7がブローしてオイルをまいた場所では、本気で飛ばせない。オイルに乗ってしまえば、一瞬にしてスケートリンクでコケたかのようにどこかへと飛んでいってしまうから。一度安全な速度まで減速して、再び加速する。

「あの馬鹿、オイルまいてくれやがって」

 龍は憎憎しげにつぶやいた。

 彩女は何も言わなかったし、言えなかった。ただ貴志が哀れだった。

 香澄はもう貴志を見ていなかった。貴志に必要なのは、自分じゃなかったのがわかったから。

 最初から、そうだったんだ。香澄と龍と貴志、そして彩女。みんなが一緒、なんて最初から無かったのだ。

 そう思っていたけど、そうじゃなかった。

「一緒に走ろう」

 龍とそう約束したけど。あれは、貴志も入ってた。でも、最後まで履行される約束にはなりえなかった。

 なのにそれでも走りつづけて。

 本当に意味の無い行為だった。

 マリーが快く思わなかったのが、今はよくわかる。

 優は最初からこうなるのがわかってたのかもしれないけど。止められないから、止めなかった。

 高度なAIを搭載した高性能アンドロイドだなんて、ちゃんちゃら可笑しい。

 たとえさっきみたいに膨大な情報量を走っている最中に弾け出せたとしても、所詮は機械だ。機械が人の心なんか判るわけも無かった。

 でも、求めていた。

 この場所を。この場所にいる彼らを。

 コズミック-7はNSXを後ろに従えて走っている。NAサウンドが高らかに夜空に叩きつけられる。

 香澄は走りながらAIユニットを操作し、眼前にMR2とRX-7のゴーストを浮かび上がらせる。AIユニットは瞬時に膨大な計算量をこなし、MR2とRX-7の走りをシミュレートしてゆく。

 リアルな3D映像が吹き飛ぶ景色の中を突っ走ってゆく。

 香澄は無言でそれを追う。

 龍はコズミック-7のテールを見据え、ステアを握りしめアクセルを開ける。

 その黒い瞳には、コズミック-7が映っている。その奥には、何が見えているのだろう。

 コクピットの中揺られながら、拳法使いのような大きな息を吐いた。

 背中からの声がけしかけ、けしかけられるままに、アクセルを踏んだ。

 だがコズミック-7のテールとの距離はかわらない。派手なGTウィングがにくたらしく風を切る。

 闇の中へと滑る込むように、残された二台はランデブーをつづけていた。

 だが香澄の目では四台で走っていた。

 その四台でハウリングを起こしているようだった。

 先頭のMR2とRX-7が後ろから逃げようと必死で走っている。

 右に左にうねるコーナーをクリアしながら、香澄は容赦なく前を追い立てた。RX-7のテールが目前まで迫ってくる。ちらっとミラーを覗いた。ミラーの中には、NSXのヘッドライトが張り付くように灯っていた。

 それを見て、ふっと笑い、また前に向き直った。

 しばらくコーナーが続く。タイヤのグリップを確かめながらコズミック-7を走らせ、まだいけるというOKサインが表示されてさらにアクセルを踏み込む。

 香澄の視界には数本の棒グラフが表示され、それがミクロン単位でうごいている。ある程度上に行くと赤くなって、そこからがレッドゾーンだということを示している。

 その赤にすこし近づいた。

「!!」

 龍はコズミック-7のペースアップに気付き、慌ててペースを上げた。気を抜くと、あっというまにテールが闇に飲み込まれようとする。

(まだ余裕があったのか)

 龍も彩女も驚いていた。

(いっぱいいっぱいだってのによ)

 吐き捨てるように心でつぶやく。コズミック-7のテールから突き放されるような、磁石の同極を近づけたような感覚が放たれているのは気のせいだろうか。

(人間は機械に勝てないのか)

 苦々しい龍。

 最後の夜にぶっちぎられておしまいなんざ、あまりにもかっこ悪すぎる。それこそ、今までのことはなんだったんだのだろう。すこしでも近づければ、すこしでも意味があろうものを。

(それが現実か)

 四点式ベルトが肩に食い込む痛みも意識せず、龍はひたすら香澄を追った。だが、追いつけない。

 NSXは絶好調。流れるように走り、機嫌よく吼えている。そう走らせている。

ドライビングに関しては何の不安も感じない。それだけに、前との距離が気にかかった。

 龍の苦悶を感じ、彩女も同じように身悶えしそうだった。

 NSXを引き離していると、RX-7が中に入り込んできた。中のRX-7の中には貴志がいて、苦々しそうに香澄を見据えていた。

(我ながらよくできていること)

 貴志が助手席をすり抜けて消えてゆくと、今度はMR2が中に入り込んできた。と同時にゴーストはふっと消えた。

 前には何もない。ヘッドライトが闇を切り開き、道をすくい出す。

(この闇の向こうに何があるのだろう) 

 自問自答するも、やめた。ふっとAIユニットが香澄にささやいた。優いわく、そんな感傷的な自問自答は文学青年に任せて、お前はお前の道を走れ、切り開け。

AIユニットによるシミュレートが、優のそんな言葉を切り出した。

 夜が終わって、朝が来て。自分が去った後も、少なくとも龍と貴志、彩女は半世紀は生きつづける。

 これは、通過点なんだ。その向こうにまた道がある。

 朝が来たからと言って、映画のようにすべてが「THE END」ってなるわけじゃない。

 もっとも、その通過点が彼らにはとても大事なものなんだろうけど……。

「お前の道、私の道……」

 という香澄のつぶやき。

「……っつ」

 龍の左頬が、いきなり痛み出した。

 ハイスピードドライブの最中なのに、思わず声が漏れてしまった。

 痛む左頬をおさえたい衝動に駆られそうだった。だが限界走行中では迂闊に手を離せない。

「どうしたの?」

「なんでもねえ」

 龍の気配を察し、心配そうな彩女だが。龍は前ばかり見ている。

 コズミック-7のリアテールを、ひたすら追いかけている。

 さっきキスした男は、違う女ばかり見ていて。女に触れられた頬が気になって仕方無いらしい。

 しきりに、左の頬が微妙に脈打っている。その度に、目が険しくなる。

 コクピットの空気はまるでセメントのように固まったみたいだ、それでいて、異様な熱気につつまれている。

 頬の痛み。それとともに、龍の意識がどっかに吹っ飛ぶような感覚。それこそ、悪いドラッグでもやってるように。限界走行をするうち、脳内の分泌物・アドレナリンが必要以上に出たんだろうか。青酸カリよりも強烈な毒薬が脳を侵してゆき、龍の意識を吹っ飛ばそうとしている。

 でないとスピードの恐怖と緊張感に押しつぶされてしまう。よく出来ていることだ。

 異様な熱気の空気に反して、龍は異様にクールだった。ひたすらひたすらNSXをドライブしている。険しい目はいつの間にか落ち着きを取り戻し、獲物を狙い済ませた狩人の目になっている。その瞳の黒は、まるで氷のような冷たさを感じさせた。

 口は真一文字に閉ざされ、息をしているかどうかもわからない。さっきキスした男の目と唇の様子を見て、彩女は思わず息を呑んだ。いっしょに自分も飲み込まれてしまいそうだった。飲み込まれる? 何に?

(うかうかしてると、龍に飲まれてしまいそうだよ)

 こっちを見ているわけでもないのに、瞳を見ただけで、まるでギリシア神話のゴルゴンに睨まれたようだった。

 きーん。

 と、突然、耳鳴りがして彩女は「はっ」としていた。龍の飛びっぷりが彩女にも伝染しようとしているみたいだ。

 コズミック-7のテールに目をやれば、かわらずに前を走っているようだったが。

(香澄ちゃん、どこまで逃げ切れる?)

 香澄の正体を知らない彩女は、龍のドライビングに何らかの変化を感じて気が気でない。何か、やばい気がする。

 しかし、よく持ちこたえられることだ。どうみても免許取立りたてって感じの女の子が、それなりにキャリアを積んでいる走り屋相手に、一歩も引かないどころか見事なまでに引っ掻き回しているのだから。

 その挙句に、龍はおろか、貴志までが、そろって愛機を失うという羽目になってしまって……。

 口元がきゅっと引き締まる。

(やめときゃよかったか……)

 らしくもなく、後悔の念を抱く。香澄の心配をする前に、自分が落とされた。

 ザマぁないとはこのことだった。


 走っても走っても、どこまでも追いかけてくるNSX。

 まるで吸い付くように離れずぴったりと後ろにいる。

 香澄の全機能をフル稼働させて、コズミック-7をドライブさせているというのに。

「さすがNSX」

 ぽそっとつぶやいた。

 正統派最高峰NAマシンだけあって、こんな異端なデタラメマシンとは違うというというか。

 が、それをドライブする者は香澄がここまで引き摺り込んだといえなくもない。

「堕ちた天使、か……」

 そういえば、マリーのCDコレクションの中にそんなタイトルの歌があったっけ。天使と憧れる彼女がポルノ雑誌の見開きページに出て男は仰天。まさに堕ちた天使!

 すると、Centerfold(センターフォールド・中央見開き)という言葉が出て、それから言葉の羅列が並ぶ。

(ああ、そのタイトルは日本でのタイトルなんだ)

 そんな豆知識がさりげなくAIユニットから弾き出された。まあしかし、大して変わらないだろう、香澄も。

 最初はみんなから天使のように思われていたのが一転、周りの人間たちは香澄をめぐっててんやわんや、挙句に死にかけるやつも出る始末。見事にみんな堕ちている。いや、堕としている。

 これが堕ちた天使といわずして、なんという。

 夜空に輝く金星。香澄らを見下ろす。もしいま夜空に浮かんでいる星にたとえられるなら、やっぱり金星が一番お似合いだろう。

「ふふ」

 自嘲的に笑う香澄。

「ぶっちぎってやりなさい。しつこい男には、それが一番」

 かつてマリーが香澄に言った言葉が浮かんだ。

「そうだよね、そのために今ここでこうしてるんだよね」

 どっちが速いんだ? そのために、ここにいる。

 ちらっとミラーを覗いた。NSXのヘッドライトがしつこく張り付いている。

 さあいこうか。

 自分で判断して、行動する。たいしたロボットじゃないか。ほんとうはこんなロボットを創りたかったんじゃないか。でもやっぱり人間に不都合なので、どうしようどうしようと慌てている人間たち。

 その一方で、ロボットに挑む人間たち。今までSFの世界で、人間とロボットは愛し合うか殺しあうか、そのどちらかで。龍や貴志のように力の限り技を競い合うということはなかった。これは歴史的な出来事なのかもしれない。が、それは大きな事件性を孕んでいた。たとえばフランス革命や幕末維新のような……。

 龍や貴志はさしずめ、処刑されたマリー・アントワネットか暗殺された坂本龍馬のよう、とでもいうか。

 じゃあ香澄は何なのだろう。

 そのとき、コーナーが迫っているというのに、減速のタイミングが遅れた。

「いけない」

 慌ててブレーキを踏み、かかとでアクセルをあおりシフトダウン。どうにか曲がれはした。しかし、コズミック-7が急にクシャミをするようにフロントを沈めながらかろうじてコーナーを曲がる様を見て、龍と彩女はそろって息を呑んだ。

(香澄がミスをするなんて)

 今まで走っていて、こんなことは初めてだ。

(香澄ちゃんもやっぱり人間なんだね)

 と、彩女は内心安堵していた。そうだ、彼女とて人間なんだ、と。だがもちろん龍はそうではない。

(どうしたんだ、あいつが)

 精巧無比に創り上げられたはずのロボットが、ミスをするのか。ブレーキトラブル? いや香澄ならすぐにトラブルを察知できるはずだ。トラブルをかかえたマシンで走るおろかをおかすとは思えない。

 これは明らかに突っ込みすぎのミスだった。

「……」

 龍は黙ってコズミック-7を追っている。隣の彩女も黙って龍にドライブさせるに任せている。

 香澄のAIユニットはテラバイトの計算量をこなして全身にパルスを送り込んで、その身体にドライビングの指示を出す。

 無数の光の帯が点と点をつなぎ線となって、すべてにリンクし、ふたたびドライビングに関する数値をたたき出しては計算する。

 光の帯はまっすぐに伸びて、各所をほとばしっている。それにわずかとはいえ、ゆがみが生じた。

「処理が追いつかなかった!」

 香澄は声を上げた。

 こんなこと、初めてだった。

 ミラーを見た、やはりヘッドライトの光はへばりついている。逃げなければ。そうこうするうちに東側の駐車場で折り返し、再スタート。

 コズミック-7は猛然と雄叫びを上げペースをあげようとする。逃さじとNSXが追う。

 龍はアドレナリンを利かせ前を追うのに全神経を集中させる。頬がすこし痛んでも、それ以外のことは何も感じない。ただひたすら前を追う。

 吹き飛ぶ景色の中にいながら、まるでまっすぐなトンネルの中をひた走っているような感覚。無論それも意識していなかった。

 何かが龍の中に入り込み、いや龍の中から生まれて脳を麻痺させアドレナリンを噴き出しているようだった。それがNSXをドライブさせていた。

「あぃっ……」

 あまりのペースに四点式ベルトをしていながら、彩女は身体に力を込めて自分をささえ、声を漏らす。まるで彩女の身体はもみくちゃに振り回されているみたいだ。うかうかしていると髪を振り乱して頭を揺らしそうだった。

 なのに龍は平然とドライブ。横目で見て、薄ら寒いものを感じる。

(キレた)

 それもあるだろう、しかしキレたのならこの前の、NSXを追っているときのラフさもあったろうが、それはなかった。

 なにか、研ぎ澄まされた日本刀のような、そんな冷たさが龍から感じられた。

 見よ、NSXのノーズがコズミック-7のリアに迫る。さっきの、貴志がされたように、迫られている。

 立ち上がり加速や直線でこそパワーにものをいわせて引き離すものの、コーナーではどうしようもないくらいにつめられる。

 香澄のAIユニットも全速力を持って計算処理を行いコズミック-7をドライブさせるが、逃げ切れない。だが龍は容赦しない、とことんまでに追いつめる。

今までいやというほどその速さを見せ付けられたのだ、そのお返しはさせてもらわないと。

 気がつけばNSXはしきりとコズミック-7のインをうかがっている。抜く気だ。

 コズミック-7とて上手くラインに乗って隙のない走りをしているものの、NSXはさらにそのインをうかがっている。

 彩女は、かつて自分が追いかけられたときのことを思い出して悪寒を抑えるのに必死だ。それこそ刀を喉元に突きつけられたようだった。

(今香澄ちゃんがそれを味わっている)

 言葉も出なかった。まさかとは思うが、またあの時のようなことになるのだろうか。このバトル、どちらかがクラッシュするまで続けられるのだろうか。

 NSXが基調のとれた音をたててズムーズに走っているのは、嵐の前の静けさのようなものなんだろうか。

 黒光りする龍の瞳。コズミック-7のテールを映し出し、その奥に香澄の姿が浮かぶ。

「……」

 龍、無言。

 そのとき、左コーナーの手前で、目が見開きブレーキを強めに踏む。四点式ベルトが食い込む。

 コズミック-7はというと、ロックしたタイヤから白煙を吐き出し、アウト側のガードレールに突っ込もうとしていた。

「あ、あぶ……」

 彩女は「あぶない」と叫ぼうとしたが上手く声にならない。

 かすかに、龍の舌打ちする音がしたような気がした。背筋がぞっとする。その舌打ちに何の意味が込められているのだろう。

 香澄は、AIユニットはどうにか右足の制御をとりもどして一旦ブレーキを踏みなおしタイヤのロックを解除し、どうにか大回りでコーナーをクリアしようとする。

 すかさずNSXがそのインに割り込む。龍は香澄を見ない、前を向いたまま。香澄も龍を見ない、同じく前を向いたまま。

 コズミック-7とNSXが並んだ。間に挟まれる格好の彩女は香澄を見て、口をつぐんだ。その可憐な横顔は、どこか悲痛に満ちていた。

 次は右、それまでしばらく直線。パワーで勝るコズミック-7はその右までに前に出ようと加速をはじめる、がしかし。

「!!」

 香澄は慌ててカウンターを当てた。あろうことかアクセルワークミス、リアタイヤは路面を掴みきれず空回り。リアが振られた。もちろんこれでは加速は出来ない。

(そんな馬鹿な) 

 彩女は立て続けの香澄のミスが信じられなかった。龍は頬がやけにじんじんする。

 だがすぐにミスを修正した香澄はコズミック-7をラインに乗せ、NSXと並んで加速。空を揺るがす20Bのモンスターロア(咆哮)。

 コズミック-7は地を蹴り、いとも簡単にNSXの前に出、COSMIC-7のエンブレムを見せ付けながらインをふさぐ。

 コーナーを抜け立ち上がり、有り余るパワーがリアタイヤをホールスピンさせ。吐き出される白煙が煙幕のようにNSXにかぶせられる。

 龍はアクセルを踏み込み白煙を突き破り、香澄に迫る。突っ込みのたび、差をつめ追いつめる。

(逃げられない)

 OVER FLOW

 突如として視界に出る表示。赤字で点滅し、香澄に警告する。


page3 に続く

次話にて完結

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