2nd scene4 フローチャートの行方
次の夜、靡木峠の走り屋たちの話題は、龍のクラッシュでもちきりだった。
駐車場の灯す明かりによりそい、みんな昨日のことをひっきりなしに話し合っている。
「ええ! 龍、事故ったって?」
「オレも聞いたよ」
「マジで? で、龍はどうなったんだ?」
誰かの、唾を飲み込む音がした。
「ああ。オレ昨日見たんだけど、NSXとバトルしてて、そのNSXがスピンしたんだ……」
「スピン、て……」
「で、そのNSXを避けようとして。龍のMR2、山に乗り上げて、でんぐりかえって。ボディはべコベコで。フロントタイヤなんか、もげてたもんな……」
「うわ、マジかよ。それで、龍にケガはなかったのか?」
「ああ、ケガはたいしたことないと思う。でも」
「でも、なんだよ……」
みんな、じれったそうに続きを待っている。それを見た彼は、吐き出すように言った。
「MR2は、下手すりゃ廃車だろうな」
誰かが我知らず、うわ~、と言った。
それにつられて。みんな、何か魂でも吐き出しそうな声を漏らしていた。
いつも賑やかな峠が、今はまるでお通夜のようだった。
「下手すりゃ廃車って、直んねーのか?」
誰かがたまらず、言葉を突き出す。
しかし。
「直せねー、だろーな、多分。だって、見た目ホントに酷かったからな」
「そんなに」
「直すとしても、かなり金かかりそうだし。直ったとしても、マトモに走らせられるかどうか。ちょっと難しいと思う」
「そ、そんなぁ~」
あたりは、し~ん、と静まりかえり。
か細い明かりは無情に彼らを照らす。
闇はそんな彼らを包もうとして、段々と彼らに迫りつつあるみたいだった。
「だいたい、みんなあのNSXの女が悪いんだ。みんな、あの女が……」
目撃者でもあり、言い出しっぺの彼は無念そうに唇をかみ締めて。
夜景に目をやると、みんな夜景に目をやった。
夜景は、天の川のように東西に流れ、そこに人の営みがあることを静かに物語っている。
その中に、いまだ来られない貴志と。
香澄を思い。
また、その中に例のNSXの女もいるかもしれない、と思った。
だからどうしたわけでもないが、彼らは夜景を見ずにはいられなかった。
もう、龍とMR2は来ないかもしれない。
そんな感じがしていた。
その時、香澄は、貴志はどうするんだろう?
それも、彼らには思い及ばなかった。
そのころ龍は、自分のことを仲間たちがあーだこーだといっているのも知らず。
「何やってんだ、オレは」
と壁にもたれて足を投げ出して座り、灯りをつけず、真っ暗なアパートの部屋でひとり物思いにふけっていた。
昨日のことを思い出す。
目の前でスピンしたNSXを避けようと、あわててハンドルを切って、クラッシュ。
そしてMR2は再起不能。
全てを失ったような気持ちだった。
オレから車を取ったら何が残る? 何度も反芻する言葉、脳内を駆け巡る。
仕事を休み、レッカーで運んだ修理屋に行けば。
修理屋から出た、冷たい言葉。
直すより、買いかえた方が安く済む。
それが全てを物語って、さらに絶望の淵に追いやられてしまったようだった。
全ては、自分のせいで、こうなってしまった。免許を取って、MR2を買って、走り。勝ったり負けたりを繰り返し、いつしか、勝った回数が多くなってゆき。
最速の走り屋になって。
そして、香澄と出会い、香澄を追い。
それが、怒りに任せたドライビングによって相棒をオシャカにしてしまって。
何も、言えなかった。
「馬鹿野郎、か。そりゃオレだったか」
クラッシュ寸前に叫んだ言葉を思い出し、龍は首を横に振った。
その時、ドアがノックされた。
誰だろうと思い灯りをつけて、出てみれば。
そこには美菜子がいた。
「東雲」
「や、源。今日珍しく休むっていうから。お見舞いに来てあげたぞ。有難く思うように」
事態をまだ知らない美菜子は。笑顔で龍の目の前に、コンビ二で買ってきたらしい、色々お菓子やレトルト食品の入った袋を差し出した。
その笑顔は、まるで友達の家に遊びに来た小学生の子供のようだった。
あいかわらず、美菜子は母親だとは思えない無邪気さと幼さが残っていた。
子供や旦那さんはいいのか? と思いつつも。龍は苦笑して美菜子を中に入れて、美菜子の好意に預かることにした。
どうせ、美菜子が全てを知ったところで、一緒だろうし。
美菜子は得意気な笑顔で、龍にのためにお菓子の袋を開けて、レトルト食品をレンジで温めていた。
龍は、しゃーねーなー、と思いながらお菓子を頬張っていた。
なんだか、いつもより美味しく感じた。
レンジでレトルト食品を暖めている間、美菜子は何かを見つけたらしく。
とことこと、龍の前を通り過ぎ、テレビの上にあった一本のラヴェルの貼られていないビデオテープを手にとった。
「あ、これなーに?」
にこにこしながらビデオテープを龍に見せつける美菜子。
龍はあっけにとられながら。
「勝手に人のもの触るなよ」
と言ったが早いか、美菜子はビデオテープをビデオデッキにセットしてテレビをつけてしまった。
「何が写ってるのかな~♪」
悪戯っ子のような笑みでテレビをまじまじと見つめる美菜子。
しかし、龍は動じない。
それを不審に思った美菜子は内心、しまった~、と思いつつも。
画面に何が映し出されるか見ていいれば。
激しい爆音を奏でながら、荒れた道路を激走するWRCのマシンの映像が映し出された。
華麗な疾走を見せるインプレッサWRXをみて、美菜子は目を点にして、気まずそうに龍を見て。
あはは~、と笑いかけた。
だけど、龍は溜息をつきつつも、それを見て心の中で何かが弾むような気がし
てならなかった。
昨日の今日だというのに。
そうしているうちにレンジは、ちーん、と音を立てて。レトルト食品を暖め終わったことを二人に知らせた。
街中を疾走する紅いNSX。
彩女のNSXだ。
彩女は、愛機のNSXで街中をぐるぐると回っていた。もう何度同じ道を行ったり来たりしただろう。
何も深夜のドライブと洒落込んでいたわけではなく。
靡木峠に行こうかどうか、迷っていた。
どうしようかと考えていた時、目の前の信号が赤になって、彩女はNSXを停めた。
すると、隣の車線にフェラーリF355が並んだ。
いつの間に後ろにつけていたんだろう。気がつかなかった。 F355は何を思ったか、アクセルを吹かし、フェラーリならではの高いサウンドを奏でている。
なんだか妙に挑発的な感じだった。
「……」
ふと横を向いたら、F355のドライバーもこっちを向いて彩女を見てて、顔をニヤつかせ、NSXと彩女をじろじろと舐め回すように見ていた。
「何コイツ」
このイラついているときに、その下品な笑みを見せられ気分が悪くなった。
彩女はシカトを決め込んだものの、F355のドライバーは気にする様子もなく。ニヤニヤとNSXを見ていると。
乗り手が女だとわかって、益々顔をニヤつかせていた。
そうこうしているうちに、交差する道路の信号が黄色になった。
彩女はギアを一速に叩き込み、アクセルを吹かし、V6V-TECのサウンドをF355にお返しする。
F355も、得意気にアクセルを吹かしこんでいる。
後ろに警察がいないかミラーで確認して、信号が青になるのを待つ。
交差する道路から車が途絶え、交差する信号が赤色になった。
そして、目の前の信号が青になった。
刹那。NSXは見事なロケットスタートを決めて、F355を置いてけぼりにする。
「ヘタクソ」
彩女はミラーを一瞥して、軽く吐き捨てた。
F355の性能なら、NSXの前に出られる事は不可能ではないはずだ。
これであきらめてくれれば、まだ可愛いところもあるというものだが。F355はしつこくNSXに迫ってくる。
やはり、フェラーリに乗っている以上、国産にナメられるわけにはいかないのだろうが。
そんなのは彩女の知ったこっちゃない。
深夜という時間帯のおかげで車は少ない、おかげで走りやすい、が。
だからと言って車は皆無というわけではなく、二台は他車をパイロンのようにしてジグザグに走っていた。
そこで、ウデの差がハッキリと現れる。
彩女は上手く車をスラロームさせ、スムーズに進んでいく。が、F355は他車をかわすのにてこずり、NSXとの差は広がってゆく一方だった。
しかし、いつまでもこんな事続けていられない。
彩女は呆れたように溜息をつき、次の交差点で右折する為に右ウィンカーを灯す。
対向車はいない。
F355も同じく右ウィンカーを灯した。
NSXが交差点にさしかかり、右に曲がる。
フリをして。サイドブレーキを引いた。
リアタイアがロックし、遠心力のまま、時計回りにNSXはリアテールを振れば。
NSXはセンターラインを文字通りセンターに、180度くるっと回って、対向車線を走リ去ってゆく。
意表を突かれたF355はたまったものではなく、慌ててハンドルを切り無闇にアクセルを踏んでしまったため、交差点の真中でスピンをかまし、立ち往生してしまった。
F355はもはやNSXを追う事も出来ず。ただの赤い障害物として、交差点に取り残されてしまったのであった。
「バーカ」
彩女は思いっきり、侮蔑の言葉を吐き捨てた。
あんなのに乗られては、F355がかわいそうだ。
心なしか、彩女の気持ちは荒んでゆく一方だった。
街中をうろうろした挙句。こんなところで、こんなつまらないヤツの相手をして。まったく、ガソリンの無駄使いもはなはだしいことこの上ない。
何てつまらないことをしてしまったのか。
一瞬、脳裏に龍の顔が浮かんだ。
彩女の顔が歪んだ。
拳を握り締めて、歯を食いしばり、何も言わず目を見開いて。変わり果てた相棒を睨みつける、龍。
突然産み落とされ、これから己の身に降りかかる宿命に怯える赤ん坊のように震えながら。ずっと、産みの親である黒い塊のそばに付き添っていた。
彩女とNSXには一瞥もくれなかった。
ただ、じっと、MR2だったスクラップを睨みつけていた。
「マジかよ、それ」
貴志は携帯電話を手に、まさかと思いつつ呟いた。
もちろん龍の事だ、何故事故ったのかも聞いている。
「ああ、オレはそん時いなかったからよくわかんねーけど。マジだってよ」
携帯電話の向こうで智之も同じように言った。
正直二人とも信じられないが、これは紛れもない事実だからしょうがなかった。
「ところで、お前今どこにいるんだ?」
「ああ、今ショップにいるよ。FCどーなってるか。様子を見に来てるんだ」
智之の問いに、貴志は冷静に言った。
「そっか、で、今どうなってるんだ? FC」
「うん、まだエンジンをバラして(分解して)仮組みの状態だけど、いい感じで作業は進んでるよ」
「そっか~、しかしお前よく決心したよなぁ」
「まぁね、このまま香澄ちゃんに負けるわけにはいかないだろ、やっぱ」
「でも、金かかったろ?」
携帯電話の向こうで、智之が貴志の事を心配しているのが読み取れた。
やっぱりなんのかんのいっても、友達なんだなと、貴志は思った。
「ああ。でも、承知の上だよ」
苦笑いして応える貴志。
もう、後には引けない。
「だけど、香澄ちゃんを追いかけるのは。お前一人になっちゃいそうだな」
と言う智之の言葉に、貴志は少し考えた。そんな事はない、と言いたいが、こればっかりは誰にもわからなかった。
「下手すると、そうなるかも」
不味いコーヒーでも飲んだかのような渋い顔で、貴志はぽつっと言った。
相棒をオシャカにしてしまった経験は貴志にもある、その時のショックは言葉に言い表せないほどだった。
自分自身に対して、嫌悪感で心がないまぜにされてしまう。
龍に限って、とは思うものの、龍とて人間。
どうなるかわからない。
下手すると、龍自身わからないかもしれない。
「まぁ、どんな事になっても。オレが香澄ちゃんを追うのは変わらないよ」
貴志は自分に言い聞かせるように、そう言った。
そう、何があろうが。香澄を追いかけるしかない、追うことには変わりはないのだから。
「そういう事で、じゃな」
「ああ、じゃな」
携帯電話を切った貴志は、ショップのカウンターの椅子に座ったまま背伸びをした。
しかしまさか、あのNSXだが、とんだ曲者だったとは思いもよらなかった。
あのNSXはこれからどうするんだろう? と思ったものの。やっぱり、どうでもいいことだった。
最悪、MR2がNSXに変わるだけで、貴志にとって今一番大事なことは、香澄を追いかける事。
それ以外のことなんか、考えたくもなかった。
それ以外のことを考えるのは、今一番イヤなことだった。
ふと、耳を澄ませば。貴志のRX-7のエグゾーストノートが奥から聞こえた。
アクセルを吹かし、エンジンの様子を見ているんだろう。
貴志のRX-7は何度か叫んだ。
その叫びは、以前のRX-7とは全く違う叫びに聞こえていた。
メンテが終わって、香澄は久しぶりに靡木峠に来れたというのに。
龍も貴志もいなかった。
なんだか寂しかった。
二人がいない理由は、先に来ていた智之から聞いた。
自分が来れなくて、いなかった間にそんな事があったとは夢にも思わなかった。
いつも追いかけてくれる二人がいたから、張り合いが出て。走るのが楽しいと思っていたのに。
ずっとこのままだと思っていたのに。
終わった。
終わった、と思った。それはあまりにも突然だった。
「馬鹿」
香澄は夜空に向かって、そこに龍がいるかのようにつぶやいた。
「全く、全く。大馬鹿だよ」
これからしばらくどうしようか、と思っても。しばらくは一人で走らなければいけない夜がやってくる。
選択肢は無いのだ。
香澄の中のフローチャートが、右に行って左に行って上に上って下に下がってを繰り返していた。
いや、この現実世界で生きるということは、自分の中にあるフローチャートを上下左右することなのかもしれない。
他の三人も同じように、フローチャートを上下左右させていた。特に今は、激しく行ったり戻ったりを繰り返していることだろう。
それはともかく、あの時いたNSXはどうするのだろうか?
龍とバトルの時以来、来ていないと言う、と言うよりも来づらいのだろう。
散々龍を挑発した挙句に、クラッシュというあってはならない事態に発展してしまったのだ。
これでそ知らぬ顔をしてやってくるほど、あのNSXのドライバーは無神経ではなかったということか。
でも、例えそうでも。
龍が全てを失った事は変わらない。
「しょうがないな」
と諦めて一人で走ろうかと思って、一人で走った。
コズミック-7は20Bの咆哮をがなり立て、全てそこのけの勢いで靡木峠の峠道をたった一台で突っ走った。
他の車はみんな、道を譲ったりなんかして停めている。
みんな、香澄とコズミック-7を怖がっていた。
それが、よくわかる。
夜の闇に紛れて隠れるように、どこか安全な場所に停まって、ヘッドライトを消して怪物を遠巻きにして眺める他の車達。
誰も、怪物に近づこうとしなかったし、したくても出来なかった。
だから、遠巻きにして眺めるしかなかった。
「私は、私は見られるために走っているんじゃないんだよ」
香澄は走りながら、自分を遠巻きにする車達につぶやいた。
まるで、サーカスの猛獣ショーをしているみたいだ。
猛獣使いは自分で、みんなはお客さん。
みんな、驚きと畏怖の目をして、驚嘆の声を上げている。
香澄が鞭を振るって、もといアクセルを踏んで、猛獣コズミック-7を目一杯走らせれば。コズミック-7は雄叫びを上げて走ってくれる。
フリークス。その言葉が浮かんだ。
そうだ、自分は異常なのだ。異常者なのだ。もともとが、人間じゃない。
それを追う龍と貴志も、いつしか同じようにフリークスになって……。
かつて夢で見た、ネイティブアメリカンの伝説。伝説の地平線上を駆け抜ける馬を追いかけているうちに、自分自身もその馬になるという伝説。
でもそれは、この場合は馬じゃなくて、フリークスだったということなのか。
そのフリークスが、香澄だったのか。
ふっ、と目の前にMR2とRX-7が現れた。でもそれは、ほんとうに出てきたのではなく、香澄がAIユニットから引っ張り出したシミュレート映像だった。
いま香澄のなかで、パルスがほとばしりそれが数値となって瞬時のうちに数テラバイトの計算をこなし、それを視覚化していた。
そのパルスが弾けた。
弾けるとともに、コズミック-7は唸りをあげて視覚化されたMR2とRX-7のゴーストを抜き去ってゆく。
一瞬、車内にも入りこみ香澄の身体をすうっと通り抜けていった。
それを置いてけぼりにして、アクセルを踏み続けた。
走れば走るほど、よくわかる。
よくぞ自分に挑む勇気を持っていたことか。
もし、こでれ香澄の正体をみんな知ったら、どうなることやら。
あまり思い浮かべたくない絵が、頭の中をよぎった。
その時、目の前がふっと光った。
左カーブ、アウト側の山肌が光に照らされる。
光が山肌を這うように動いて、こっちを向いた。
光の主が姿を現した。
それは赤く、コズミック-7に負けないほどのエグゾーストノートをがなり立てながら、コズミック-7とすれ違った。
scene4 フローチャートの行方 了
scene5 トリプルローター vs. V6V-TEC に続く