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2nd scene3 ジャンキー

 夜の靡木峠を走るのは龍のMR2ただ一台きりだった。

 香澄は自身のメンテナンスでしばらく来られないと言うし。

 貴志はさらなるパワーアップのために、RX‐7をついにショップに預けてしまったという。

 やるのか、と思った。

 以前貴志の言っていたことを思い出す。

 もうウデだけではどうしようもないところまで来た、と。

 ともかく、いつもつるんで走る二台がいないため。龍は一人で走らなければいけなくなってしまった。

 やっぱり一人で走るのは物足りなかった。

 が、二人が戻ってきた時、龍は二人と一緒に走れるのだろうか。ついそんなことを考えてしまう。

 自分だけ一人変わらない、今まで通り。別に頑なになっているわけでもなく、龍自身このままではいけないと思っている。

 だが、どうしても何も思いつかなかった。

「やめた」

 龍は走るのを止め、東側駐車場にMR2を停めた。

 自販機でコーヒーを買い、一気に喉に流し込む。

 甘さを感じるより先に、コーヒーの冷たさが一気に喉を通りすぎていった。

 コーヒーを飲み終え、空き缶をゴミ箱に投げ入れる。

 龍の表情は固かった。

 まわりにいる走り屋仲間達は、龍を遠巻きにしている。

 その時、山にひときわ甲高い音が響いてきた。

 それを聞いて龍ははっとした。

 この音は、この間のNSXの音だった。

 何度かすれ違ったが、手の内を見せたくないのか、一緒に走るのをいやがっていた。

 なかなか上手いドライバーだというのはすぐわかった。車もいい動きをしているし、雰囲気もある。

 しかしなぜ、靡木峠に来るのかは。いまいちわからなかった。

 ただコースが気に入ったというだけではなさそうだ。妙に三人の動きを探って、いやらしい印象もあった。

 しばらくすると、NSXはやってきた。

 龍は、ひょっこりとあらわれたNSXに注目していた。まわりの連中も、NSXに注目している。

 なんせ国産最高峰のスポーツカーなのだ。

 F1の血を引くサラブレッドマシン、それが今ここにいる。

 NSXは何を思ったのか、龍のMR2のとなりに停まった。

 何か龍のMR2が引き立て役にされているみたいで、むっとしたが、相手がNSXでは無理もないことだった。

 ドアが開き、ドライバーが降り立つと、周囲は騒然となった。

 女が乗っていたからだ。 

 ピシっとキメた赤シャツにストレートパンツのルックスで、シャープな面持ち同様の清潔感あるシャープな服装から、良いファションセンスを持っているのはすぐわかった。

 夜の峠道には似合わない、都会的な女性だった。

 これには龍もあっけにとられてしまった。

 しかし何か凄い車が来たと思ったら、女が乗っていた。

 という事が二度も起きて、なんて成り行きになるかなとみんな思った。

 この峠は凄い車に乗った美女を誘い込む魔力でもあるのか、とも。

 彩女は周囲の視線をヨソに、NSXのとなりのMR2を一瞥すると、龍のもとまでやってきた。

 龍は、彩女が自分のもとへとやってくるのを見て。何の用だと思った。

 余裕のある笑顔で近付いてくるが、まさか逆ナンパというわけでもなかった。

「MR2のドライバーだよね」

 彩女は龍のもとまで来ると、龍に声をかけた。余裕ある笑みが、なんだか見下されているように感じてしまった。

「そうだけど。あんた何度か来てるよな」

 龍は彩女の美しさにはこれといって興味をひかれるわけでもなく、むしろ見下されているような感じから、しかめっ面をさらにしかめている。

 彩女は良くも悪くも、自分がNSX遣いなのを自覚していた。

「あたしは千葉彩女。あなたは?」

「オレは源 龍」

「へ~、源。源氏なんだ」

 彩女は可笑しそうに笑った。

 にあわねーよ、と面白そうに。

「ああ。よく言われるよ」

 彩女の態度に龍は心中穏やかではなかった。この彩女、一体龍に対して何を思っているのか。

 心中穏やかでないのは周りの仲間達も同じだった。

「ところで、FCとFDと一緒に走っていたよね。あの二台はどうしたんだい?」

「用事でしばらく来られないってさ」

 龍は真面目に答なかった。

 もっとも香澄の事は真面目に答えてはいけないが、そうでなくでも真面目に答えない。出会った初っ端から高飛車な態度の女に、何で答えねばならないのか。

 が、お構いなく彩女は聞き返す。

「用事って、何の?」

「さあ」

 そっけない龍の心中を察してかしてないのか、相変わらずの余裕ある笑みを浮かべている。それが妙に冷たくも感じ。氷のような瞳を向ける、美しい顔が、さらにその冷たさに拍車をかけている。

 背筋が凍る思いがする、そんな冷たい笑みだった。龍はその冷たさに、鬱陶しそうにそっぽを向いている。

 彩女はそんな龍をじっと見つめている。丸く妖しく黒光る瞳で。

 その冷たい視線で、龍の目を捕らえるように。

 すると。

「つまらないねぇ」

 と吐き捨てるように言った。

 それを聞いた龍は向き直り、彩女を睨みつけている。

「今何て言った?」

「ふん。つまらないと言ったのさ。あたしはFDと走りたくて来たってのに」

 今度は彩女がそっぽを向いた。

 龍の相手などしてられないと言いたげに。

 彩女は続けた。

「ここじゃあのFDが一番速いんだろ。だけどそのFDがいないとなりゃ、ここに来た意味なんて全く無いよ」

「オレじゃ役不足だってのか」

「当然」

 この突然の言葉に、龍は怒りを覚えた。

 彩女はそれを無視して。

「FDのオプションなんか、お呼びじゃないさ」

 とまで、のたまった。

 その言葉に、周囲はしーんと静まりかえる。

 なんとも大胆な女性だった。

 龍の頭の中で、何かが、ぷちっと切れたような音がした、ような気がした。

「それじゃ、あたしは帰らせてもらうよ」

 回れ右してNSXのもとまで歩き、ドアを開けるとMR2を小馬鹿にしたように一瞥して、車に乗りこみ発進させる。

 さらに龍の頭の中で、ブチブチブチと切れる音がした、ような気がした。それを自覚するかしないか気付くひまもなく、MR2に乗りこんだ。

 言うまでもない、彩女を追う気だ。

「お、おいよせよ龍!」

 慌てて止める仲間を尻目に、龍はMR2をダッシュさせた。こうなったら、仲間達は見送るしかなかった。

「なんて女だよ」

「ああ、あれじゃ龍が怒るのも無理ないぜ」

「ほんとだよ。男と女がバトルする時は女応援するけど、今回は例外だ。龍にはあのタカビー女にギャフンと言わせてほしいよな」

 他の仲間たちは彩女に怒りをあらわにする。あんなことを言ったのだ、怒るなと言うのが無理な話だ。

 すると龍を止めに入った仲間が心配そうにしている。

「だけど大丈夫かな、龍のヤツかなり切れてたぜ。あんなんでまともに走れるかどうか」 

 その言葉に、誰も何も言えなかった。

 でも龍ならきっと、と思いたかった。

 龍はかつて、この峠で一番速い走り屋だったのだから。


 闇夜の靡木峠を、NSX TypeS‐ZEROが突っ走る。

 V6V-TEC、C32Bは甲高いエグゾーストノートの雄叫びを上げ、それが山々にこだまする。

 高いスピードで靡木の峠を走る赤いNSXは、それこそ赤い閃光のように峠道を駆け抜けて行く。

 来た、と思った時にはすでにはるか遠くへと走り去ってゆく。

「いいよ、いいよ、すごくいいよ……」

 彩女はNSXを駆る悦びにひたっていた。

 走るために生まれてきたサラブレッド。それを意のままに操っている。

 たまらない快感だった。

 もっと速く、もっと速く走らせろ!

 その気持ちを甲高いエグゾーストノートが声高に叫ぶ。

 彩女は持ちうる全てでそれに応えれば、NSXは速さをもって応えてくれた。

 マシンとドライバーがお互いに高め合い、そこに絶対的な速さが生まれる。それはドラッグのように体に染みわたり、ドライバーをマヒさせる。

 ジャンキーだった。

 彩女は、NSXという超高級ドラッグにおかされたジャンキーだった。

 しかしそれは彩女に限ったことではなかった。

 後ろからもう一人、「怒り」というドラッグにおかされたジャンキーが迫ってくる。

 赤いマシンめがけて打ち出された黒い弾丸よろしく、怒涛の勢いで靡木の峠を駆け抜ける、MR2。

 エンジンが、タイヤが怒り狂ったように喚く。

 ヘッドライトが敵を補足せんとギラギラと光り輝く。

 龍の目も怒りでギラギラしている。

 それこそ、ドラッグを打ちすぎたジャンキーのようだった。

 そのジャンキーの駆るMR2も道幅一杯に暴れまわる。

 多少ラインが外れてもお構いない。

 MR2の挙動がおかしくてもアクセルを踏む。

 その走りは、はっきり言って滅茶苦茶だ。

 いかれた走りだった。

 なのに速い、まるでMR2までドラッグでいかれたみたいだ。

 なぜそんなに速いのかと聞かれても、誰も明確な答えは出せないだろう。

 しかし敢えて言えば。それがかつて、この靡木峠でナンバーワンの走り屋だった、源龍というドライバーなのだ。

 彩女との距離も縮まり、ついにはNSXのリアテールが視界に入ってきた。

 もちろん、NSXのルームミラーにMR2のヘッドライトがちらつく。

「来た?」

 龍の接近を察した彩女は、少し驚いたが。すぐに立ち直り。

「ロバに乗ったボーヤが泣きながら追いかけてきたってわけかい? いいじゃない、ちょっと遊んであげようじゃない。ついてきな、ボーヤ!」

 と息巻く。

 龍が年下かどうかなんてわからないのに、ボーヤ呼ばわり。プライドが格下の男に対し、そう呼ばせる。

 追いつかれてもなお強気だった。

 一方、龍は無言の本気走りに集中しまくりだ。

 ろくに自分の走りも見ないで、言いたい放題言ってのけた彩女を、決して許すわけにはいかなかった。

 完膚無きまで叩き潰す。

 その一言につきる。

 かくして、闘いの火蓋は切って落とされ、彩女のNSXと龍のMR2の、二台のミッドシップマシンが激しく競り合っている。

 競り合うのはスピードだけではない。

 互いのプライドがぶつかり合い。

 互いのタイヤが相手の鳴き声をかき消さんと泣き喚き。

 互いのエンジンが相手の雄叫びをかき消さんと叫び合い。

 ケンケンガクガクと怒鳴りあい、そのサウンドをぶつけかち割り合う。

 彩女のNSX。

 彼女のマシンはエンジンこそライトチューンなものの、足回り重視の造りがこの峠道に見事にはまり、快調にコーナーを抜けて行く。

 NAマシンであるNSXにパワーを求めず、とことんコーナーリングを求めたのは大正解ということだった。

 究極のコーナーリングマシン。

 まさに彩女のNSXは、究極のコーナーリングマシンとして造り上げられていた。

 NSXはいかなるコーナーに対しても、ビッタリとタイヤを路面にねばりつかせ、ねばりつかせたまま瞬時にコーナーをクリアしてゆく。

 はたから見れば、NSXが路面にへばりついているようだった。それでいて、速い。

 それはファッションに勝るマシンセッティングのセンスの良さを物語っていた。

 それをすぐ後ろで見ながら、龍は舌打ちした。

 なかなかやる、言うだけのことはあったということだ。

 コーナーリングなら、龍とMR2だって負けやしない自信があった。例え向こうが格が上だとしても、プライドがそれに挑ませる。

 二台のミッドシップマシンは、二人のミッドシップ使いによって、さらにスピードを高めてゆく。

 コンバースのハイカットシューズを履いた右足が、アクセルを踏みつける。

 テールトゥノーズ、NSXのケツにMR2の鼻先がぶつからんがばかりに迫る。

 NSXのルームミラーにMR2のヘッドライドの光が大写しになる。

 大写しのヘッドライトが龍の気迫をあらわしているようだった。


「気に入らないよね、ホントに」

 彩女は一人ごちる。

 このMR2はただの遊びを望んでいない、全身が熱くなるような遊びがしたくて仕方ないらしい。

 だけど分相応というのがあるだろう?

「ボーヤはボーヤに似合う相手を見つけるべきだよ、下手な背伸びはヤケドするよ!」

 後ろから迫るMR2を睨むように、ミラーを一瞥した。

「言っただろう。お呼びじゃないって」

 彩女は龍を引き離しにかかる、龍は彩女に追いすがる。

 今、龍の心は黒一色だった。

 どす黒い感情が胸の中一杯に広がり、それが脳の中のアドレナリンを大量に放出させている。

 怒りの権化と化した龍は、自分が誰なのかも忘れて、完全にMR2の一部になっている。

 もう、何も考えられない。ただ本能が、前を追わせる。龍を走らせる。

 いつもそうじゃないかと言われると、そうなのだが。今の龍には、怒りというキツいドラッグが全身にまんべんなく行き届き、正常な判断を妨げていた。

 それはとても危険な状態だった、しかしそんなことに気付く余裕もなく。

 ただ怒りにまかせ、MR2を走らせていた。 

 こればかりは相棒のMR2もどうしようもない。

 ただ、龍にされるがままだった。

 クールな彩女、ホットすぎる龍。

 対照的な二人は激しく火花を散らしながら、峠を駆け抜けてゆく。

 フロアミラーを覗いて、口元を歪める彩女。

 彩女はなんだかんだで楽しそうだった。

 龍などつまらない男だと思っていたのに、なかなかどうして速いじゃないか。

 自分とNSXに迫ってくるとは、なかなかやるもんだ。

 彩女は、龍がかつて靡木峠でナンバーワンだったのを知らない。

 しかし、ここまで速さを見せつけられたら認めないわけにはいかなかった。

「仕方ない、少し遊んでやるよ」

 鼻で、ふんっと笑った。

 左コーナーが来た。

 彩女はコーナーでわざとブレーキを余分に踏んだ。リアの荷重が抜け浮き上がりそうな感触。重いリアは慣性に従い、横に引っ張ろうとする力に引かれてゆく。

 それでも、彩女は臆せず。コーナーの先を睨みつける。

「マネできるかい? ボーヤ」

 リアが振られたNSXはスピンモードに入ろうとする、しかし。

 スピンモードに入ったのを利用して、彩女はすかさずアクセルを踏み込みカウンターを当てた。すると、NSXのリアタイヤは空転し、路面をかきむしる。かきむしりながらも、掴み取る。右足は、パワーが完全にスルーされる寸前のスウィートスポットを探り当て。NSXに横を向かせたまま、前へと走らせる。

 その走りは、ドリフトだった。

 さっきまで路面に吸いついていたNSXは、次から次へとやってくるコーナーを全てドリフトでクリアしてゆく、振り子のように激しくケツを振りながら。

 これは明かに、バトルやタイムアタックをする時の走りではない。

 自分のテクニックを見せつける為に、わざとマシンを不安定な状況にもっていって、それをコントロールしたのである。

 これをしようと思えば、人並みはずれた卓越したマシンコントロールを身につけていなければいけない。

 ドリフトが比較的容易なFRでさえフルカウンタードリフトはスピンと紙一重なのに、それをミッドシップマシンでやろうとしても、なかなか出来るものではない。重いリアが、慣性の力を借りて余計にケツを振ろうとするからだ。

 それだけに、そうそうと見られるものではないが、別に龍は得をしたなどと下らないことは考えなかった。

 香澄に挑もうとするだけあって、彩女はNSXを完全に支配下に置いていた。

「どうだい、ボーヤ」

 彩女は得意そうに薄ら笑いを浮かべる。しかし、よく龍をボーヤ呼ばわりするものだ。

 もちろん聞こえはしないが、龍は格下だ、という思いがそう呼ばせる。

 龍は忌々しそうに舌打ちする。

「ミッドシップの走らせ方じゃないぜ」

 と言うものの、彩女のNSXドリフトを見せられ、ますますドラッグが注がれたようだった。

「調子こいてんじゃねーぞ……」

 また次の右コーナーも、彩女はさっきと同じようにフルカウンタードリフトでクリアする気だ。

 NSXがリアスライドをしている、しかしスライドをしていてもスピンする気にさせないのは、なんとも見事と言うしかない。

 すると、それに続けと言わんばかりに、MR2も同じようにドリフトでコーナーを抜けた。

 重いリアが路面を掴もうとするのを、無理矢理スルーさせている。

 龍も彩女と同じように、MR2のリア荷重を抜いてケツを多めに振るように仕向けタイヤをスライドさせた。

 タイヤは路面をつかみきらずスライドし、横に横にずずずーと滑っている。それをアクセルとステア操作でコントロールする。

 滑るのをびびってアクセルを抜けば突然回復したタイヤのグリップに押し出されて、あらぬ方向へと突進しかねない。

 その逆にアクセルを踏みすぎれば、あっという間にスピン!

 踏みすぎず抜きすぎず。全身そのものを全神経として張り巡らせて、崖に張られたタイトロープを渡るような緊張感に口はつぐみ、息をしてるかしてないかすら意識せず。

 自分自身がマシンになったような錯覚すら覚えて。

 龍の黒い瞳にNSXのリアテールが映し出されて、そのまま脳髄にまで取り込みそうなほど凝視して。

 我と我が身を、MR2を、NSXに引き寄せてゆく。


 傍目から見れば、NSXとMR2がドリフトの見せ合いっこをしているようだ。

 ヒス女がヒステリックに叫ぶような激しいスキール音が、エグゾーストノートと声の大きさを競うように大合唱して、山々に響き渡っている。

「マジかよ!」

 という声がどこからかして、二台のマシンサウンドに掻き消されてゆく。掻き消されながらも、さらに声は続く。

「見たか」

「見た」

「バトルしてるみてーだぜ。でもドリフトの難しいミッドシップでドリフトぉ?」

「フツーはしねーだろー。ってゆーか」

「NSXはどうか知らないけど、源があんな真似するなんて」

「アイツ、いつもは地味系グリップなのに。なんで……」

「わかんねー、けど、これは、やばいかもしれんぜ」

 それから声が止まって、ただ山々に響く二台のミッドシップの叩き出すサウンドを聞き入るだけだった。

 そんな声があったとも知らず、二台は斜めを向きっぱなしだ。

 斜めを向いたまま、次々と迫りくるコーナーをクリアしてゆき、すれ違う車たちや道端で止まっている走り屋たちを驚かせていく。

 ドリフトをしているNSXに、同じようにドリフトでMR2が迫ってくる。

 徐々に徐々に近づきつつある。

 彩女もギリギリの状態でマシンをコントロールしていた。

 こめかみから流れる汗が頬をつたい首筋に落ちて、厭味な感じの赤シャツの襟元へそのまま滑り込んでゆく。

 どうにも蒸し暑い。

「これが終わったら温泉にゆっくりつかりたいもんだね」

 ぽそっとつぶやいた。

 ふぅ、と大きく息を吐いた。

 ミラーにはMR2のヘッドライトが写っている。

 NSXと同じように斜めを向いていた。

 左のフロントサイドが、NSXの右のリアサイドに当たるか当たらないかのギリギリまで。

 龍もギリギリの状態でドリフトのコントロールをしながらNSXに迫っていた。

 今自分がどんな顔をしているのかなんて、気づくゆとりもなく。やけに蒸し暑い車内の空気になぶられながら、MR2をドリフトさせていた。

 彩女がNSXをドリフトさせるのを見て、ミッドシップの走らせ方じゃないぜ、と言っっておきながら、龍自身もドリフトをしていた。

 いつもなら、そんな余計なことなどしない龍のはずなのに。

 NSXとMR2は、コーナー中ドリフト状態で並んでいる。二人でそういう風に走らせている。

 共に逆ハン切ってコーナーをまわる。

 右コーナーでは左に、左コーナーでは右に、ハンドルを切って。

 リアタイヤは滑りまくる。鳴きまくる。

 その鳴きまくるタイヤの叫びに、二台のマシンサウンドの咆哮がぶつかりあって、ハウリングを起こし、こだましていた。

 龍は我知らず大きく息を吐いた。

 もうすぐだ。あとすこしだ。

 何かが語りかけるような錯覚。その錯覚に従って、アクセルを踏んで、NSXを、彩女を追った。

 許さねえ。

 何かが、ぽそっとささやいた。

 龍自身は、気づいていない。

 視界に捕らえるNSXをただ追うのみ。

 MR2のマシンサウンド、背中の声も、けしかける。ように感じた。

 気がつけば、NSXのケツの角にMR2のわき腹が迫っていた。

 もう完全に、MR2はNSXを射程圏内に捕らえていた。

 バトル、と言うよりまさにドリフトの見せあいっこ状態。

 言うまでも無く、高度なテクニックが要求される難易度の高い技だ。特に前よりも後ろのドライバーに技術が要求される。

 速度と角度と滞空時間(ドリフトをする時間)を完全にコントロールできなければ、ドリフトをしながら前車に迫るなど出来ない。

 一歩間違えば迫りすぎて、熱いキッスを相手のわき腹にお見舞いすることになるのだが、端から見れば、二台のスピードと角度が揃った美しいツインドリフトをしているようだった。

 しかも二台ともドリフトが難しいと言われるミッドシップ!

「馬鹿な、なんてヤツだよ」

 彩女は忌々しそうに吐き捨てた。

 自分のテクを見せつけるつもりが、かえって油に火を注いでしまったようだった。

「なるほど。お互い、自分の相棒を手なずけているってわけ」

 それだけではない、やはり、コースに対する慣れにおいて龍に一日の長があった。ドリフトなんて不安定な状態で走ればなおさらだった。

 さすがに、次からはドリフトはしなくなった。

「これは、ホントの本気で行かないとね」

 もはやお遊びどころではないと悟り、これから真剣勝負と彩女はNSXを走らせる。それに対し龍も彩女と同じようにドリフトをやめ、NSXを凝視したままMR2を駆る。

 さっきのドリフトも、遊びに付き合ったと言うより、オレも出来るぞという警告なのだ。

 だが本当に危険なのは、龍は完全に切れた状態で、さっきあれほどのマシンコントロールを見せたのに、自分のコントロールが出来ていない、ということだった。

 これは本当に怖い事だった。

 もし龍が冷静なら、一緒になってドリフトなどすることはないのだから。

 だがそれに気付くわけもなく、彩女に効いているドラッグまで奪い取らんがばかりの勢いで、NSXを追いかけまわす。

 もう、龍はジャンキーとなっていた。

 1トンを超える鉄の塊を、自由自在に振り回すことの快感、いや、それは快感を通り越して狂気へと変貌して、龍を支配していた。けしかけていた。

 踏め、アクセルを踏め、NSXを追え、と。

 聞こえないはずの声が呼びかけられているようだった。その声に従い、龍はNSXを追った。

 まさに、龍こそジャンキーだった。

 が、何も怒りに任せて龍はそんな風に、ジャンキーになったのではなく。

 ジャンキーにならないと、NSXを追えないからだった。


 MR2は後ろからぶつけんばかりにNSXに肉迫する。

 NSXはそうはさせじとMR2から逃げる。

 だが、離れない。

 追いすがる。

 龍は、NSXに、彩女に追いすがる。

 彩女は逃げる。ただひたすら逃げる。

 だけど、しつこく食らいつき、一向に離れないMR2に、いよいよ我慢の限界を超えつつあるようだった。

 後ろから感じるのは、C32Bの鼓動ではなく、龍の気迫。

 髪を掴まれ引っ張られるような、後ろからの気迫。

 この時、彩女はいやな事に気付いてしまった。

「遊ばれている!? あたしが……」

 自分が遊んでやってつもりが、いまや反対に遊ばれているかもしれないのだ。

 どうやら、彩女のドラッグが龍に奪われつつあるようだった。

 その後、MR2は右へ左へ進路を変えながら。NSXと彩女をアオり倒し、あからさまに彩女とNSXもてあそぶ。

 NSXがインにつけばMR2はアウト、NSXがアウトにつけばMR2はイン。

 そして後ろにビッタリとくっついて離れようとしない。

「妖怪べとべとさんじゃあるまいし!」

 彩女は龍を振りきろうと、NSXのアクセルをさらに踏み込むものの。MR2は引き離せなかった。

 足掻くとはこういうことなのかと、身悶えせずにはいられなかった。

 徐々に、彩女のドラッグの効目が薄くなってきた。

「これみよがしに速さをみせつけて、可愛くないんだよ!!」

 苦し紛れの一言を放っても、事態は変わるわけもなく。

 ただ自分が惨めなだけだった。

 彩女は焦った。

 屈辱だった。

 龍は容赦なかった。

 彩女は悔しさを目一杯にじませ。

「く……、ボーヤはただのボーヤじゃなかったんだね!」

 と、のたまったものの、どうしようもなかった。

 全速力で逃げているというのに、追いつかれしまい。挙句追い詰められてしまった。

 今更どうしようもない。

 しかし龍とて、香澄を相手に同じ思いをしているのだ。

 走り屋なら誰もが味わう試練を、彩女はいやというほど味あわされていた。

 恐怖感が全身を包み込む不快感。

 手足が知らず知らずのうちにガタガタ震えだす。

 その震えのまま、手はハンドルを強く握りしめ、足はアクセルを踏むだけの力を絞り出すのが一杯一杯だ。

 もはやミスをしないで走るのが精一杯。

 無情にも、NSXは助けてくれなかった。

 なにもしてくれない、力なく彩女に引きずられるように走っている。

 何の感情も無い機械に成り下がって、彩女と一緒に怖いものから逃げるだけの、頼りない存在のNSX。

 それが、無力感と脱力感、孤独感を呼ぶ。自分もマシンも、満足にコントロール出来る状態ではなかった。

 それこそ、ドラッグの効目が切れた哀れな中毒患者でしかなかった。

 後ろの龍はまだドラッグが効きまくっている。

 もはや勝負は見えていた。

 彩女はこの現実を、受け止めなければならなかった。しかし、禁断症状が彼女を狂わせてしまった。

 二台が直線手前のS字に入る。

 NSXは、MR2に後ろからプッシュされまくりながら。彩女は忌々しい気持ちで、アクセルをいつもより多めに踏んでいることに気付かず。

 少しでもMR2から逃げてやろうと、S字をMR2より速いスピードで駆け抜けて、そのままの勢いで直線で引き離したくて。

 それが禁断症状の現れだとも気づかずに。

 直線手前のS字コーナーの終わり、勢いよく直線に飛び出す、はずが……。

 彩女はコーナー脱出の時、アクセルを多く踏み込こみすぎてしまい、NSXのリアタイヤは路面を掴まずに空回りをはじめて、スピンモードに入った。

 慌てて逆ハンを当てるものの、必要以上にアクセルを踏まれたNSXのタイヤは上手く路面をつかめないでいた。さきほどのドリフトで、必要以上にタイヤを消耗させてしまったのもいけなかった。

 そうでなければ、完璧に近いセッティングのNSXである。例えスピンしそうになっても、リカバリーのしようもあったはずなのに。

 これは完全に、余計なことをした彩女のミスだった。

 横Gが前に進む力に勝り、NSXはどてっ腹を龍に見てようとしている。

「ああ、だめ……」

 ミッドシップマシンのスピンは、容赦のないものだった。

 あっ、と思った瞬間。NSXは、ハンマー投げ選手の振り回すハンマーよろしく一瞬にして180度向きを変えた。

「馬鹿野郎!!」

 龍は目を見開き我知らずに叫び、前でスピンしたNSXをさけようとした。

 お互いに照らしあうヘッドライト。

 その中で、一瞬、龍と彩女の目が合った。驚き、怒り、恐怖、そして狂気。交わる視線の中にごちゃまぜになって入り込む感情。

 一筋の光となって、お互いの中に入り込む。それらがグチャドロになって、火薬のように混ざり合い胸を破裂させようとする。

 それを意識する間もなく、NSXのイン側をMR2が通りぬけて行った。

 それから、NSXはなんとか止まった、と思ったときに不思議な光景が展開された。

 MR2は地雷でも踏んでしまったかイン側の山に乗り上げ、ぼんっ、とゴム鞠のように弾かれてしまった。

 その後、なにかが激しく叩きつけられるような、落雷のような音が数回した。

 C32Bの音と共に、後ろから耳に入り込んでくる。胸の中の火薬は、それに火をつけられて。

 弾かれるように、彩女は外に飛び出した。

 すると。

 道のど真ん中に、黒い塊が、全身完膚無きまでに叩き潰された、黒い塊があった。

 それはさっきまで、黒いMR2だった。

 でも、今は黒い塊だった。


scene3 ジャンキー 了

scene4 フローチャートの行方 に続く

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