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2nd scene2 ニューフェイス

 香澄が靡木峠にやって来て、もう半年もたったのだ。

 彼女が峠に来て以来、彼女の前を走る者は誰もいなかった。

 ただ、ひたすら後ろを走っているヤツが二人いた。

 MR2を駆る源龍。RX-7を駆る井原貴志。

 この二人はまるで馬鹿の一つ覚えのように、ひたすらひたすら香澄を追い続けて、ずっとずっとそのままで。

 龍と貴志が二番と三番を入れ替わり立ち代わりでも、一番が香澄なのは変わらない。

 それでも香澄を追い続けて。

 勝ち目の無い、ナンセンスなバトルを仕掛け、敗れ、それでも追い続けて。それに疑問も抱かず。

 ただただひたすら、香澄を追い続けて。遥か前方、かすむようなコズミック-7のテールランプを睨みつづけて。

 もう二人には、香澄無しで走ることなんか考えられない程だった。彼女がいなければ、峠に来てもつまらなかった。

 たとえ香澄がなんであれ。

 速いヤツを放っておけない、速いヤツと走りたい、その気持ちを満たしてくれるのは間違い無かった。

 でも、最近なんだかおかしい。

 走っていて、妙にイラつく。走っている時は気付かなくても、走り終わってからなんかすっきりしない。そんな日が続いていた。

 そんな香澄も、自分を追いかける二人を後ろにいつも前を見て走っている。後ろから追いかけてきているのはわかっているのだ、後ろを見る必要は無い。かと言って、待ってあげるなんて野暮もしない。

 だから、前だけを見て愛機コズミック-7を走らせる。

 このコズミック-7を走らせられるのは、自分しかいないという気持ちと。自分が走りたいという気持ち。

 自分が何をしているのかは十分理解している。それでも、このマシンで、コズミック-7で走りたい。

 かつて、ドイツのアウトバーンで、共に大空を追いかけていた。製作者を同じくする兄のような存在であるコズミック-7は、自分の思い通りに走ってくれる。香澄という妹の思い通りに走ってくれる。

 速く、速く、速く。

 誰も追いつけないくらいに、ずっと三人と三台は走っていた。

 誰も中に入ろうとはしなかった、入りたくても入れなかった。

 だからこの三人と三台が走る時は、他の者は車を停めて、三人と三台の走りを眺めているだけだった。

 別にそういう決まりなんかないのに、いつの間にかそうなっていた。

 今夜もそうだった。

 まるで峠は三人と三台の貸し切りコースだった。

 夜空ではそんな三人と三台をけしかけるように、月が丸く光っている。丸い月は、三人と三台をけしかけているように、煌々と光っていた。

 三人と三台が走っている間、いつの間にか、一台の見なれない車が峠に来ていた。その車は西側駐車場に停まっていた。

 月光だけでは物足りぬと言いたげに、か細く燈される駐車場の明かりを全身に受け、その存在をアピールしている。それが功を奏し、駐車場にいる靡木峠の走り屋達は、みんなその車を遠巻きにして眺めている。

 ツバを飲みこみ、ドギマギしたり、少しビビッたり、驚嘆の声を上げたり。

 型式名称NA2。

 NSX TypeS‐ZERO。(以下NSXと表記)

 それが今、靡木の峠にいた。

 この国産最高峰のスポーツカーは、全身赤い色に彩られ。それが燃えさかる走りへの情熱を惜しみなく外へ放出しているようだった。

 低く唸るV6V-TEC、C32Bのエンジンのアイドリング音が、いつでも飛び出せるスクランブルモードにあることを物語っている。

 街で見かけても思わず声を上げてしまう「スーパーカー」が今峠にいる。

 NSXの生まれた理由を知っているなら、なぜここにいて、何をするつもりなのか言わなくてもわかっていた。

 そしてドライバーの唇にはNSXと同様に、口紅が赤く彩られていた。そのドライバーは、女だった。

 千葉彩女ちば・あやめは楽しそうに、NSXの車内で時間をすごしていた。

 今さっき三台が折り返し、また走りに出た。

 その時、獲物を追いかけ駆け出した獣よろしく大きく唸るエグゾーストノートを聞いてゾクゾクしてきた。

 彩女はNSXのステアを白く細い指でもてあそびながら、外の様子を眺めて自分の走る時をうかがっている。

 鋭い切れ長の目に、丸く妖しく黒光りする瞳が納まり。その鋭い切れ長の目がそう思わせるのか。カミソリのような切れ味を思わせる、長い黒髪の、シャープな印象を受ける面持ちの女だ。

 その彩女の乗っているNSXは、長い髪をなびかせ、颯爽と街中なり海岸線を駆け抜ける。などという生易しい車ではなかった。

 このTypeS-ZEROには、はじめからエアコンやオーディオといった快適装備は無く、NSXの中でもとことんまでに走りを追求したグレードだった。

 大人のスポーツスタイルを追及した、渋く、かつ低く構えたデザインのエアロの装備。

 刀を構える武士のように、静けさを湛えながらも、それは常に前を見据えて。いつでも走り出せるようにと身構えているかのようだ。

 フロントスポイラーのセンター、ナンバープレートの下には、このNSXのチューンを手がけたと思しきショップ、『GRF』というアルファべット三文字のステッカーが貼られている。

 もちろん足回りやエンジンにも手を入れられ。不必要なものを取り除いた車内は内装も剥がされ、徹底的な軽量化が施されている。

 オールステンレス製のマフラーは、程よく焼けて青みがかっていた。それが物語るNSXの走り。

 このNSXはそこらへんのお嬢様には、とてもとても乗りこなせない。それ以上に、隣にも乗りたがらない。

 そんなNSXだった。

 彩女はそんなNSXに乗っているのだから、もちろんそこらへんのお嬢様ではなかった。

 これまでポルシェやフェラーリに乗ったボンボンはもとより、龍や貴志のように本気で走るドライバー達も手玉にとってきた。

 もはや彼女はホームコースとしている峠では無敵だった。

 そんな折、靡木峠に速いヤツらがいるというのを聞いた。そこでは毎晩のように、その速いヤツらが激しいバトルを繰り広げている、と。

 その中に彩女と同じ女がいて、その女が一番速く。その女に、男どもはたてつづけにやられた。

 だが、やられた男どもは諦めずしつこくその女に食らいついている、と。

 なかなか面白い話じゃないか、ならいっちょ行ってみようか。と、興味を引かれて靡木峠に来てみれば。

 なるほど、激しくやりあっているじゃないか。山々に響くエグゾーストノートを聞けば、なかなかいい踏みっぷりだ。

 これなら十分楽しませてくれそうだ。

 さてどうしようか、自分も混ぜてもらおうかと思ったその時、三台が入ってきた。折り返してコースインするのかと思いきや、三台仲良く車を停めてしまった。

「やめるの……」

 彩女は三台の様子を見て、つまらなさそうにため息をつき。とっとと帰ろうと思った。走り続けるならともかく、やめてしまうのであれば、長居は無用だった。

 NSXを発進させると同時に三台の車からドライバーが降りたので、横目でちらっとドライバーを見た。

「へ~、なかなか」

 彩女は感嘆の声を上げた。

 FDのドライバーはなかなかの美形じゃないか、しかも結構若い。おそらく、彼女が話に聞いた一番速い女性ドライバーだろう。

 FDにどんなチューニングをしているか知らないが、あんな可愛いコが一番速いとは、いやはやなんとも怖い怖い。もとい、楽しみなドライバーだ。

 そして次の二人の男。

「ん~、いまいち」

 彩女は苦笑いをした。

 別に期待していたわけではないが、もちっとカッコ良くてもいいだろと思った。

 MR2の方はしかめっ面してて無愛想っぽいし、FCの方はなんだかただのお人好しな感じだ。

 少なくとも、男としての魅力は感じられない。

 が、その二人には雰囲気があった。速いドライバーとしての雰囲気が。

 車も同様だった。

 やはり速いヤツってのはどこか違う、と思わせる何かを持っている。

 とは言え、速さと顔の良さは必ずしも比例しない。などとつまらない冗談を考えて笑いながらも。この三人なら退屈しなくてすみそうだと思った。

 そう思うと楽しくなって、笑みがこぼれる。

 その笑みはサキュバスのような、魅惑の笑みだった。


「あのNSX」

 駐車場を出て街の方向へ向かうNSXに、三人は注目した。

「オレ達が走っている間に来てたよね」

「そうだな、どこのヤツだ?」

 と言っても三人にわかるわけもない。

 龍は三人の中で特にNSXに注目していた。

 香澄はそれを見て。

「同じ駆動形式だから気になる?」

 とかすかに笑いながら龍に言った。

 だが龍は。

「別に」

 とそっけなく応え。香澄は「ふーん」とだけ言った。

 素直じゃないなぁ、と心の中でつぶやいた。

 NSXはとうに姿を消し、C32Bの音だけがかすかに響く。やがてその音も消えた。

「あのNSXも、ひょっとして香澄ちゃんが目当てなのかな?」

 と貴志は言った。

「え、まさか」

「いや、そうかもしれない。けっこう香澄ちゃんやあのFD、あちこちでウワサになってるらしいんだ」

「そうなのか?」

 と、龍がいぶかしげに貴志に言う。

「オレもよくわかんないけど。やっぱり速い走り屋ってほら、みんな話しのネタにしたがるじゃん」

「うーん、そんなもんかな」

 龍は貴志の話しを聞いても、あまりピンと来ないようだ。

 もっとも龍はドライなところがあるだけで、人の言う事など気に留めないタイプだが、実際貴志の言ってることは当たっていたりする。

「まぁでも、私には関係無いな。私は私で走るだけだから」

「で、オレ達がそれを追う、と」

 龍同様ドライなところを見せた香澄に、龍はすかさず突っ込みを入れた。

 それを聞いた香澄と貴志は、思わず「ぷっ」と吹き出しそうになった、それを見て龍は訳がわからず二人に抗議した。

「オレなんか笑うような事言ったか?」

「いや、さっきの一言に全てが入ってるな~と思ったんだよ。お前普段素直じゃないくせに、こういう時だけ素直になるから、なんか可笑しくてさ」

「私も。なんだか龍、子供みたい」

 可笑しそうに言う香澄と貴志に、龍は少し呆けてしまった、しかも香澄は子供みたいと来たもんだ。

「な、なんだお前ら。そろいもそろってオレを変な目で見やがって。お前らオレをどんな目で見ていたんだよ?」

「別に、速いエスダブ使いだと思ってるよ」

「うん、そうそう」

 まるでしめしあわせたように笑う二人に、龍は言葉を失っていた。

 全く、ロータリー遣いってのは変わり者が多いと聞くが、それは人間でもアンドロイドでも同じようだ。と思っていた。

 しかし、他の人間に言わせれば、MR2遣いも結構変わり者が多いそうである。

 が、突き詰めれば走り屋は変わり者の集団なのだ。

 もっと突き詰めれば世の中、何かに熱中している人間皆変わり者なのだ。そんな変わり者の中で、この三人は突出しているだけのことなのだ。

 そしてぶつかり合っている、そんな関係なのだ。

 もっとも、これからもずっとずっとそんな感じで行くのだろうなんて。

 その保障はどこにも無いけれど。

 やがて、笑い声は闇の中に溶けるように消えてなくなっていた。

 それから、また数日がたった。

 やはり同じように、香澄と龍と貴志が走っている。

 今夜はMR2は前でRX-7が後ろで追っている。

 周りの連中はそれを遠巻きに眺めながら、よくやるよ、と連発していた。普通、あれだけ速さを見せつけられたら、たいていは諦めるはずなのに。

 どこか頭のネジが一本抜けてるんじゃないか、と囁かれていた。

 だから、そんな三人に割って入るヤツはいなかった。はずなのに、今夜はなんだか様子が違った。

 もう一台走っている。

 走っているのは、あのNSXだ。エアロのデザインにフロントスポイラーの、『GRF』のステッカー。間違いようがなかった。

 彩女は三台が走っている中、走り出すタイミングをずらして、三台の様子を探るように走っている。

 いきなり割り込むような真似はしなかった。

 この間は自分が出ようと思った時に、走るのをやめられてしまったが。今夜は早めに来たので、三人が走っている時に出ることができた。

 何度かすれ違った。

 その度に、熱蒸気のようにほとばしるオーラを感じた。

 他の連中とは明かに違う。誰も寄せ付けない。

 下手に近寄ろうとすれば、間違い無くその熱気で大ヤケドをする。

「ふふ……」

 すれ違う度、彩女は薄ら笑いを浮かべている。

「そうだよ。そうじゃなきゃ、わざわざ靡木に来た甲斐が無いってもんさ」

 さすがにアタマをとってるだけあって、あのパープルメタリックのマシンは半端ではなかった。

 エグゾーストが、並のチューニングでない事を声高に叫んでいる。

 その音を聞くとぞくぞくしてくる。背筋に電流が流れて、血の流れる速度を上げる。

 それと同時にNSXの速度も上がる。

「あれはあの時のNSX……」

 香澄の後ろを走る龍と貴志は、彩女のNSXが靡木峠を走っているのを見て、NSXが何しに来たのかすぐにわかった。

 しかもけっこう速い。

 すれ違う度にNSXのエグゾーストノートが熱い誘いの言葉をかけてきて、自分達を挑発して止まない。

 NSXの周りの空気が、NSXによって熱せられたような印象もあった。それが、自分達の頬を撫でてゆく感覚に襲われる。

 こんな事は初めてだった。

 香澄を、コズミック-7を追っている時に他のマシンに気を取られるなどと。

「良い車に乗ってるよな。金持ちっているんだな」

 貴志は忌々しそうに吐き捨てる。

 龍はNSXどころでは無いと、コズミック-7に照準を合わせなおす。

 コズミック-7は、浮気者など知らぬと言いたげにMR2とRX-7との距離を広げてしまった。

 これには龍も貴志も慌ててしまった。だが、この夜はこれが決定的となってしまった。立て直して走るものの、手遅れだった。

 特に直線。

 コズミック-7のルームミラーには、MR2のヘッドライトが豆粒大の大きさで映し出されていた。

 これには、どうしようもなかった。

 いくらウデに自信があっても、ウデだけではカバー出来ない範囲だった。

「ちきしょう……」

 龍は漏れるような声でつぶやく。

「なんとか、ならないのか」

 貴志は乞うようにつぶやく。

 今夜だけではない、直線ではいつもこうだった。

 しかもタイミングの悪いことに、NSXとすれ違ってしまった。思いっきり引き離されているのを見られてしまった。

「やっぱり。ストレートはダンチだねぇ」

 彩女はわざと直線ですれ違うように、直線近くの反対車線で待っていたのだ。

 ただ単純にタイミングをずらして走っていたのでは無く、どこですれ違うかというのを考えた上のことなのだった。

 その為にペースを変えて走っていた。

 なかなか、いやらしい事をするものである。

「マシンが違うんだよ、マシンが」

 と、二台に吐き捨てた。

 どうやら彩女は、龍と貴志の様子を見て、彼らを相手にする気がうせていったようだった。

「あんたたちは二台で遊んでりゃいいのさ」

 と、また吐き捨てる。

 まさに、本当に今の段階では彩女の言う通りだった。どうしようもないほど、ふたりと香澄の間には、大きな開きがあるのを否定できなかった。

 まさかそれが聞こえたわけではないが、龍と貴志は今夜はすっきりしない夜を過ごさなければいけなくなり。

 そしてその通り、最後まですっきりしなかった。

 いつの間にか、彩女のNSXは姿を消していた。

 実体のない幽霊であったかのように、その姿をくらませていた。コースの特徴も覚え、後は次の本番に備えるのみと。

 この夜は、彼女にとって練習であると同時に選考会だった。誰が自分と走るだけの価値があるかどうかを決めるための、選考会だった。


 龍と貴志は走っている時。コズミック-7、香澄を追い掛けている時。他の事なんか考えた事が無いのに。

 あのNSXに気を取られてしまった。

 これは二人にとって痛恨事であった。

 香澄は気にしていない様子だった。

 誰が来ようと関係無い事なのだから。

 だけど、龍と貴志は違った。

 直線でまざまざと、自分の乗っている相棒との違いを見せつけられ、しかもNSXにその痛いところをさりげに突っつかれたようだった。

 これは、本当に痛かった。

 今まで車はウデと思っていたのを。今やっと、ウデと車と思うようになってきたからだった。

 いや、なってきてしまった、と言ったほうが正しいかもしれない。

 香澄が帰ったあとも龍と貴志は残っていた。なんだかすんなりと帰る気分にはなれなかった。

 龍はあのNSXの事を思い出していた。

「あのNSX、何モンだ?」

「さあ、わからないなあ」

「だよなぁ」

「何度かすれ違ったけど。けっこう速かったね」

「ああ、良いウデしてやがるぜ」

「やっぱり、香澄ちゃんを」

「かもしれんな」

 と思うものの、なんだか釈然としなかった。

「じゃオレ達のことはどう思っていたんだろうな? 直線で離されたのをバッチリ見られてしまったぜ」

「さぁ……。おそらくは、車の差を感じていたのは間違い無いね」

「だろな」

「なぁ龍」

「ん?」

「もし、あのNSXが香澄ちゃんに挑んだら、どうなると思う?」

 と言われて、龍は少し考えて。

「香澄が勝つだろうな。アイツに勝てるヤツなんかいるとも思えねーし」

「うん。オレもそう思う」

 と貴志は相槌を打った、しかし。

「でも、この峠で走るならマシン的なアドバンテージは、NSXが大きいと思うぜ」

「それはオレらも同じだったろ。でも負けたぜ」

「まぁ待てよ。オレが言いたいのは、ドライバーはどうか知らないけど、オレらもあのNSXにマシンでは負けてるんだぜ」

 それを聞いた龍の顔が強張る。

「確かに、お前の言う通りだ。車だけ見たらNSXの勝ちだな……」

 と、言った後。

「じゃなにか。オレらじゃ、あのNSXに勝てないってのか?」

 語気を荒くして貴志に詰め寄った。

「ああ、そうだよ。その通りさ」

 貴志も負けじと食い下がる。

「オレ達、このままでいいのか? 今のままじゃあのNSXに出し抜かれるかもしれないんだぞ。それでもいいのか?」

 なかなか核心を突いた言い方だった、貴志はさらに続けた。

「オレは、今までウデでなんとかなると思ったけど。もうそんなレベルじゃないんだよ。ウデだけじゃ、どうしようもないところまで来てしまったんだ。今まで走ってて、今夜あのNSXを見て、やっと気付いたって感じだけど」

 龍は聞いていて何も言えなかった、全くその通りだからだ。

 今の自分達のドラテクのレベルは、香澄と出会った頃より相当上がっているのは充分自覚していた。

 あれだけ走りまくれば当然と言えば当然だった。それと同時に、自分のウデが上がると車がドライバーに着いて来れなくなるという事も。

 それを、ウデでなんとかしようと誤魔化していたが、もうそんな誤魔化しは効かなくなったって事だった。

「だとすると」

 と言う龍に、貴志は何か決心したように応えた。

「車をチューニングするか。もっと速いのに換えるか。二つに一つ、さ……」

 それからまたさらに数日。

「やっぱり、ダメかぁ……」

 貴志は前のコズミック-7を睨みつけながら、うめいた。

 今夜は、香澄と二台で走っている。

 龍は夜勤か当直で来られないそうで。さすがに、仕事をサボってまで走りに行くことは出来ない。

 その点、貴志の仕事は夜中は大抵は空くので、いつでも行こうと思えば行けた。

 この間姿を見せたNSXは、今夜は来ていない。

 それはともかく。

 貴志は自分のRX-7とコズミック-7の決定的な違いにイラ立っていた。

 パワーが、違いすぎる。

 コズミック-7は峠の狭さなど苦にする様子も無く速く走っている。

 実際は峠の狭さに辟易していようと、貴志にとって、貴志がどんなに必死に追いかけても。

 まるで磁石の同極同士をくっつけようとするみたいに離されてしまう。

 香澄がそう走らせている。

 とは言え、それはドラテク以上にマシンの性能差がハッキリ現れるのは前述の通り。

 あの時のバトルみたいに、コーナーの突っ込みでいくら踏ん張ろうと。コズミック-7はお構いなくコーナーの立ち上がりで引き離してくれる。

 直線に来れば、それは尚更だった。

 自分ではどうしようもない部分で、負けているのがわかりすぎる程わかってしまい。何度もそのたびに、へこたれてしまいそうだった。

 香澄はルームミラーで、ちらっと、後ろを覗いた。

 必死に追いすがる貴志のRX-7ヘッドライトが。待ってくれ! と、言っているように光っている。

 香澄はそれを見て、くすっと微笑んだ。

 それは別に小馬鹿にしてるわけではなく、素直に自分を追ってくれる貴志に親しみを感じたからだった。

 だから、手加減しない。

 自分の持てるもの、自分の持てる力、マシンの持てるもの、マシンの持てる力。

 それを全て貴志にぶつけていた。

「私を追ってくれる? そうじゃなきゃ、私、走りたくないな……」

 そう、香澄は思うようになっていた。

 別に一台で走ってもいいのだが、それはつまらない。

 闇に包まれた峠に、たった一人で走る。

 それこそ、観客も照明もない舞台で一人踊っているようなものだった。


「追ってきて、追ってきてよ……」

 香澄は貴志に言い聞かせるように、つぶやいた。

 コズミック-7のテールランプは、香澄の言葉を代弁するように、赤く光っている。

 貴志は、その赤い光を追う。

 光に引き寄せられる虫達のように。その光が、ロウソクの火かもしれないのに。

 それでも、追う。

 追う以外に、その光をとらえる術がないから。

 だけど、他に追わなければいけないものがあるんじゃないか。

 それは、逃げも隠れもしない。

 なのに、追わない。

 その理由は、わかっているような、わかっていないような。

「今はそれどころじゃないだろ!!」

 他の事に気を取られてしまいそうな自分に憤り、自分に怒鳴る。

 その時、右足が貴志の意に反し、アクセルを多く踏み込んでいた。

 ヤバイ……。

 貴志はすぐに右足から少し力を抜き、RX-7があらぬ方向へと行かぬようにRX-7と自分をコントロールする。

 RX-7はフルカウンターを当て、リアを激しくスライドさせながらコーナーを抜けてゆく。

 はた目から見れば迫力あるドリフトだったろうが、単にミスってロスをしただけに過ぎなかった。

 相棒は、余計なことを嫌う。

 RX-7がそう貴志に思い知らせた。

 危険回避のためスピードを落とさなければいけなかったので、コズミック-7はとの差はさらに広がった。

「ちきしょぉ……」

 貴志は悔しくて悲しくて切なかった、心安らぐはずの想いが、今はただ邪魔なだけだった。

 貴志が離れたのを、香澄はミラーで確認した。

 だけどもちろん、手は緩めなかった。相手のミスに、同情もしなければ待ってあげるなんて野暮もしない。

 そんな事は、場数を踏んできた貴志も先刻承知の上だ。

 貴志は、さっきので目がさめた思いだった。

 前へ前へ前へ。

 前だけを見て前へ前へ。

 もっと速く速く速く。

 と、自分に言い聞かせて。

 それでも、広がった差は縮まらなかった。

 人間も車も、最大限の力を振り絞っていると言うのに。

 そうこうしているうちに、西側駐車場を折り返し、東に向かって走る二台。

 香澄は待ってくれず、お先に、と貴志を置いて行く。

 スタートする時、コズミック-7は雄叫びを上げて疾風のように駐車場の前を通り過ぎていった。

 六つのコーナーをクリアし、直線にさしかかれば。貴志のRX-7など大人と子供、ウサギとカメのようだった。

 これはもう、ドラテクどうこうという問題ではなかった。

 貴志とRX-7は、どうしようもなかった。

「やっぱりダメかぁ……」

 もはや、今のまま状況を受け入れるキャパシティは、貴志にはなくなりつつあった。

 どうすればいい? と思った時。こうすればいい、と心の中で何かが囁いた。

「そうだ、そうしよう。やっぱりそうしよう……」

 貴志はそれに逆らわなかった。

 もう、そうするしかなかった。

 その時、同じようにこっちを向いてと叫ぶ声が聞こえた、でも囁きがそれを掻き消してしまった。

 そんな貴志を尻目に、香澄はただひたすら走りつづけていたが、やがては貴志を後ろに従えてやまを降りてゆく。

 車中で、貴志は呆けた目でコズミック‐7のリアテールを眺めていた。結局今夜も後ろ。

 深くため息をついた。

 ブラウンの瞳はコズミック‐7のリアテールを映し出しながら、ある決意がみなぎり、異様に光を増してゆく。

 胸いっぱいに、それが広がってゆく。

 ふと気がつけば、時計は日付が替わっていたことを記していた。

 その日の夜、仕事を終えた貴志はまっすぐ帰宅せず、優を訪ねた。

 インターホンを鳴らした時、マリーが出迎えてくれた。いつもならラッキーと思うのに、今回はそうは思わなかった。

「あらイハラさん、こんな時間に何がご用?」

 夜遅くにも関わらず、マリーは笑顔で貴志を出迎えてくれた。それが貴胸は痛かった。

 しかしそんなセンチになってる場合じゃない。こんばんはと挨拶すると、優に用事がある旨を伝えた。

「ユウに用なの?」

「はい、そうなんです」

「ユウなら、ガレージにいるわ。カスミも一緒よ」

 貴志はマリーに礼を言って、ガレージに向かった。

 しかし、やはりマリーは自分が優に用があるのが気に入らないようだ。無理もないことだけど、仕方ないことだった。

「よう、井原」

「あ、貴志。来たんだね」

 ガレージにはマリーの言った通り、優と香澄がいた。

 そしてコズミック‐7も。

 貴志は二人に挨拶をした。

 コズミック‐7の黒いカーボン製ボンネットが上がっているのを見ると、どうやらエンジンでも見ていたようだ。

 貴志はちらっと香澄を見た。

 それに気付いた香澄は、不思議そうに貴志を見る。

「香澄ちゃん、今夜は行くのかい?」

「ごめんなさい、しばらく行けないわ」

「え、どうして?」

「自分のメンテナンスをしないといけないからね」

「そうなんだ」

「だから当分峠に行けそうにないわ」

 香澄は無念そうにしている、ホントに人間のようだ。

「ん~、こればっかりは仕方が無い。機械だしな、香澄は」

 優も無念そうだが。

「まぁ、そんなに長くはかからんよ」

 と言って笑った。

「あの~」

「ん、なんだ」

 貴志は香澄をまたちらっと見ている。

 そして。

「ごめん香澄ちゃん、ちょっと外れてくれないかな」

「え、いいけど」

 香澄は優を見た。

「井原がそう言うなら、そうしてやれ」

「うん、そうするわ」

 と香澄はガレージを出て家の中に入っていった。

 優はポケットから煙草を取り出し火を付ける。

「香澄に聞かれたらマズイこととは、これまた重大だな」

「ええ、なんて言ったらいいのか。なるべくならと思って」

「ま、そういうこともあるさ。で?」

「実は、オレのFCをチューンしてほしいんです」

 貴志は力をこめて真剣に言った。

 優は、はぁっ? と、すっとんきょうな声を上げる。てっきり恋の相談かと思いきや……。

「オレのFCを、そのコズミック‐7と同じパワーにしてほしいんです」

「井原、お前マジで言ってるのか」

「ええ、大マジですよ。オレは」

 そのとおり、貴志の目は大マジだった。

 決して伊達や酔狂で言ってるわけではなかった。

 しかし。

「ダメだ」

 と言う冷たい一言。

「どうしてですか? お金ならちゃんと」

「だからそうじゃなくて」

 なおも食い下がる貴志に、優は困ったように。

「オレはプロのチューナーじゃないんだぜ。車はあくまでも趣味だ。そういうことはプロに頼むのがスジだろう」

「それは、わかってます。でもオレは潮内さんに頼みたいんです。あなたはこのコズミック‐7を見事に造り上げた、そのウデを見こんでお願いしているんです」

「だけどオレは自分の仕事があるんだぜ」

「そ、それは、時間がどんなにかかってもかまいません。もちろんお金も」

「ま、まぁまて井原」

 優は迫る貴志を一息つかせ、一息ついた。

「お前世話になってるショップあるんだろ」

「はい」

「じゃ何で、そこに頼まないんだ」

「実は、前行ったときに頼んだんですが。断られたんです」

「そうか」

 貴志が断られたのを聞いて、優はほっとして言った。

「いいショップじゃないか」

「え、わかりますか」

「ああ。そこはウデがいいんだろ」

「はい」

「それで、客に的確なアドバイスもする」

 優の言葉に、貴志はどきっとする。

「なんで断られたのか、その時点でわかってるんだろ」

 貴志は何も言えなかった、全くその通りだった。

「なぁ井原、お前ほどのドライバーがどうしてそんなこと言うんだ。今のままで十分だと思わないのか。ウデもいい、車もいい、いいショップに世話になっている。それで満足できないのか?」

「できないから、こうしてお願いしてるんですよ」

 貴志は切羽つまったように応える。

「オレは、オレは満足してませんよ」

 その目はコズミック‐7を凝視していた。

 それを見て、バカめ、と思った。煙草の煙を吐き出し、顔をしかめた。

 このバカが、と喉まで出かかった言葉をぐっと飲みこんだ。

「気持ちはわからんでもない、しかしさっき言ったようにオレはプロじゃないんだ。どうしてもと言うなら、そのショップを口説き通すんだな」

「そうですか……。わかりました、すいません」

 そう言うと貴志は挨拶をして出て行った。

 その背中を見送り、一人残された優は溜息をついた。

「全く、罪作りなヤツだよ……。オレってヤツは」


scene2 ニューフェイス 了

scene3 ジャンキー に続く

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