2nd scene1 三人と三台
ミレニアム。二十世紀最後の秋の夜空に、オリオン座や北斗七星が浮かぶ。
その星座たちを覆い隠すベールのように、薄い雲が空を旅して。煌々と輝く月が薄い雲をキャンバスにして、輪っかを描く。
肌をすべる風が涼やかだった。
香澄のセンサーが、それを数値で表す。
(だいぶ涼しくなったな)
窓の開け放たれたパープルメタリックのマシン、コズミック‐7が、秋の風とともに街を軽く流してゆく。彼女はそのコクピットにいた。
車内に響くマシンのさえずりを感じながら、しなやかな指でハンドルをあやつり。マシンは、街のはずれにある靡木峠の峠道に入ってゆく。
入れば、窓を閉める。涼やかな秋の風がシャットダウンされて、かわりに熱気がこもりはじめる。
すこしペースを上げる。
さえずるようなマシンの声が、うなるように、徐々に高くなってゆく。
(さあ、来たよ)
ヘッドライトが夜の闇の中から道を救い出す。それを瞳に映し出しながら、マシンに、自分に、そう言い聞かせる。
これが人間なら、ひとつ息を吸い込みでもするだろうが、機械でできた彼女はだまって、前を見据えて。
アクセルを踏みつけた。
夜空に叩きつけられるような怪物の叫び声が、峠の山々にこだまする。
叫び声に身を包まれながら、吹き飛ばされてゆく景色を凝視し、怪物と化したマシンを駆った。
迫りくるコーナー、怪物と化したマシンの挙動が、膨大な量のデータとなって電流のごとく香澄の中へと流れ込み。瞬時にして数万桁の計算式が弾かれ処理されてゆく。
そんなことが身体の中で起こっているのも感じながら、マシンを走らせていると。薄いベールのような雲を突き抜ける突きの輪っかや、オリオン座や北斗七星などの星たちが目に入った。
景色も、コーナーも、吹き飛ばされているというのに、空は微動だにしない。巨大な壁に貼られた壁紙のように、山々のバックに立ちはだかっている。
(これだけには勝てない)
香澄に勝てないもの、それは王冠のように大自然に覆いかぶさる空だった。どんなに走っても走っても届かない大空だけが、香澄に敗北感をもたらすことができた。
そのときに、自分は人の創り出したものなんだと思う。
だけど、それ以外のものには、勝てる。
そういう風に「創られて」いる。
そんな香澄と一緒に走ろうとする人間が、ここにふたりいる。
そのふたりは、今夜も来ているだろうか、と思ったところ。
「いた」
嬉しそうにつぶやく。
目の前に現れたのは、青いRX-7のテール。その前に、黒いMR2のテール。
「来たよ、龍、貴志」
無表情な顔だったのがこのとき、すこし微笑んだ。
ちょっといたずらしてやろうと思い、ライトを一瞬だけハイにした。
「!!」
(きやがったか)
香澄より少し早く峠に入り、悪友ともライバルともともいうべきRX-7の貴志と一緒に峠を流していた龍は、後方での一瞬のパッシングに気づき鼻息も荒くアクセルを踏み込んだ。
(うわ、きたよきたよ)
真後ろのパッシングにすこし驚いた貴志は、前の龍が飛ばすのをみて、つられてそれについてゆこうとする。
「三台そろった」
王手、とでもいいたそうに、香澄はつぶやいた。
「三人そろった」
待った、とでもいいたそうに、龍と貴志はつぶやいた。
途端、三本の泉が吹き出すように三台のマシンの叫びが山々にこだました。
マシンの叫びにまじって、ヒス女の悲鳴のようなタイヤの音。
「さあどこまで……」
背中をどつくようなミッドシップサウンドを背に、龍は言葉を続けられずに、前を凝視して突っ走った。
半年前、桜が咲いている時期に彼女、香澄はやってきた。それから瞬く間に、自分を峠最速の座から引きずり落とした。その悔しさは、忘れてはいない。
「今夜はどこまで粘れるかな」
真ん中の貴志はスライドするマシンをコントロールするドリフト走行をしながら、不安げに、ぽそっとつぶやいた。
龍から最速の座をもぎ取ってやろうと思っていたのに、香澄の出現でそれどころではなくなってしまった。
ヘッドライトで闇夜を切り裂き靡木峠の峠道を突っ走る三台のマシン。
速く速く速く。
前へ前へ前へ。
この峠の峠道は昔から走り屋たちが集まるだけあって、山あいを縫うようにキレの良いカーブが続く。
その峠道に魅了され、闇夜に包まれた峠道を三台の車が走っている。
ただ走っているだけではない、三台とも猛烈なスピードで走っている。
三台の車のエンジンは雄叫びを上げまくりタイヤは泣き喚いている。
それは尋常ではなかったが、もちろんそれは、危険な違法な行為だ。それも承知の上で、走っている。
「さすが最高傑作だよな」
香澄から逃げ切れない苛立ちが、そんな言葉をふたりから吐かせた。
そのことばのとおり、コズミック‐7を駆る香澄は高度なAIと機械で出来た体をもつ、アンドロイドだった。
しかしそれを知るものは少ない。
諸事情からそれは秘密にされていた。
なにより、アンドロイドが異端のモンスターマシンを駆り走っているという事実。
全てのことは、ここから始まった。
「……。っ! ……」
龍と貴志は言葉にならない言葉を脳みその中で電流のように流して、ひたすら逃げた。
だけど逃げ切れず、峠を何往復かして、最後、長い直線で二台してぶち抜かれてしまった。
結局今夜もコズミック-7のテールを拝んだ。
夜空に浮かぶ秋の星座、といっても天文学はてんでちんぷんかんぷんな龍にはオリオン座と北斗七星しかわからない。
それを見上げながら、龍と美菜子はてくてくと仕事の帰り道を歩いている。
病院の看護師の仕事は相変わらず大変だ。
どちらからともなく、疲れたようにため息をついた。それから美菜子は。
「ここ最近涼しくなってきたね」
と、ぽつりとつぶやいた。
「そうだな」
龍は関心なさそうに相槌を打つ。
「季節の変わり目が一番風邪引きやすいんだよね。ウチの子気をつけなきゃ」
という美菜子の言葉を聞いた龍は。今更のように、美菜子は結婚してて子供がいるのを思い出した。
「自分の子供に風邪うつさないように、気をつけろよ」
その言葉を聞き、美菜子は。
「そうだね。忙しさにかまけて体調管理するの忘れないようにしないと」
と真剣に応える。
そんな美菜子に龍は、あれ? と思った。
少しからかってやろうと思ったが、美菜子には通じなかった。
だめだこりゃ、と。そっと、心の中でつぶやき苦笑する。
その後もたわいもないことを話しながらしばらく歩いていると、十字路についた。
「それじゃおやすみー」
美菜子は十字路を右に曲がる、自分の家に向かって小走りにかけてゆく。
子供のことが話しに出たせいか、いつもより急いでいるみたいだ。
そんな美菜子を見て龍はつられるように、小走りに自分のアパートではなくMR2を停めている駐車場に向かった。
キーは持っている、いちいちアパートにとりに行くのが面倒くさいからだ。
駐車場につき、MR2に乗りこむと。イグニッションをスタートさせて車を出す。靡木峠に向けて。
香澄と貴志はもう来ているだろうか。
そんな事を考えながらMR2を走らせる。
これが、いつもの龍の日常だった。
れとは別のある日の午後。
ビルドインガレージのある、大きな洋風な三階建て住宅。ガレージの中には、コズミック-7とMR2とRX‐7が停められていた。
二階にはバルコニーがあった。
そこに白い木製のテーブルとイスが四つ置かれている。陽の光りに照らされて、テーブルとイスの白がはえる。
そのテーブルの上には、紅茶の入った白いカップが三つ。
バルコニーの窓が開いた。
香澄とマリー、龍と貴志が。バルコニーに出てイスに座った。四人なのに、紅茶は三つ。
香澄はそれを少し物悲しそうに見ていた。
体の構造上、紅茶が飲めないのだ、仕方のないことだけど。他の三人も、少し同情したように香澄を見た。香澄にわからないように。
でも、それもすぐなくなった。
たわいないお喋りがはしまると、またたく間に時間が過ぎてゆく。
マリーは、いつも来てくれる二人に暖かい笑みで応え。香澄も、そんなマリーにつられて楽しそうに。龍は、口下手なのをなんとかつくろいながら。
貴志は、マリーの青い瞳とブロンドの髪と、優しげな笑顔のマリーの顔と青い空を交互に見ながら。
紅茶を口にふくんだ。
香澄の中のサーモグラフィーが、こっそりと貴志の体温を測っている。すると、香澄はくすっと笑った。
その目は、マリーよりも優しかった。
貴志は香澄の視線には気づかず。
マリーはそんな貴志の定まらない視線に気づかずにいる。
貴志は気づいてほしいのか、気づかないでほしいのか。自分でもわからずに、得意の音楽の話題で会話に花をそえる。
マリーは嬉しそうに貴志と音楽の話に親しみをもって乗ってくれる。
だけど、貴志はマリーと遠く離れている気持ちだった。近づけたくても近づけない、近づいてはいけない。
その気持ちを、一人胸の中で腫れ物にさわるように抱いて。
そんな自分に憤りもして、認めたりもして。
そうしているうちに、茜色に空が染まって、帰る時間がやってきて。
愛車のエンジンをかけて、愛車に乗りこもうとする二人を、マリーと香澄は見送って。
「気をつけてね」
マリーは二人に優しく、そう言ってくれた。
今夜、香澄と一緒になるのがわかっているから。
龍は、申し訳無さそうに頭を下げておじぎをした。
貴志は。
「はい」
と返事をした。
その言葉の中にいろんな思いを一緒に混ぜこんで。
それから数時間して。
ヘッドライトで闇夜を切り裂き、靡木峠の峠道を突っ走る三台のマシン。
速く速く速く。
前へ前へ前へ。
もっと近くもっと近くもっと近くに。
後ろの二台、龍と貴志のふたりそれだけを考えて走っていた。
先頭の香澄は、後ろの二台を見ながら峠を疾走する。
香澄は、コズミック-7を駆って。
後ろを引き離しながら。でも、置いてけぼりにするつもりなんかなかった。
でも、後ろはおいてけぼりにされそうだった。
そう、龍と貴志は思いながら走っている。
昼間、マリーと一緒にいたときとは違う顔をしている。
そんな顔は、さすがにマリーに見せられない。
自分たちがしてるのは、そういうことなんだ。
だけど、そんなことじめじめと文学青年みたいに考えてもはじまらない。
自分たちは走り屋なんだ。
走ってなんぼ、の走り屋なのだ。なら、どうするか。
走る。
それ以外に何がある?
ふたりは歯を食いしばって、アクセルを開けた。香澄を追うために。
コズミック-7は雄叫びあげて、走る喜びを全身で表している。
香澄はDシェイプステアリングをしなやかな指で握りしめて、前を見据え。
コズミック-7を走らせる。
香澄はこの車で走るのが大好きだった。
コズミック-7も、香澄に走らせてくれ走らせてくれと香澄にねだっている。
その大きな声で。
右足でアクセルを踏めば、コズミック-7はさらに雄叫びをあげて、飛び出しそうな勢いで前へ前へと走ってくれた。
でも、なんだか息苦しそうでもあった。狭い狭いと、ダダをこねているようだった。
狭い道幅、これでもかと迫るコーナー。まるで、手足を満足にのばせない檻の中にいるようだ。
でも、走っている。
走る場所がここしかないわけではないのに。
香澄とコズミック-7はこの場所を選んで走っている。
それは。
龍と貴志がいるから。
他の場所へ行けば、龍と貴志はいない。
龍と貴志はここにいるのだ。
だから、靡木峠で走っている。
龍と貴志を他の場所に連れていってもいい。
だけど、そんなことをしたら龍と貴志が、龍と貴志でなくなってしまう。
龍と貴志は、ここにいるからこそ、龍と貴志なのだから。
ここだからこそ、龍と貴志が香澄を追いかけてくれる。
だから、靡木峠でないとだめだった。
ここじゃないと、いけなかった。
同じ場所は、二つもない。
音と加重に激しくシェイクされながら、コクピットの中でしがみつくようにステアリングを握り締め、踏みつぶさんがばかりにアクセルを踏んだ。
龍の黒い瞳がコズミック-7のナンバープレートを映し出す。
愛機MR2のマシンサウンドが背中に叩きつけられるようだった。そういう風に走らせていた。
吹き飛ばされる景色の中で、逃げ水のように遠ざかるコズミック-7。
「……」
我知らず、大きく息を吐いた。
追っても追っても、追いつかない、追いつけない。
それでも、なんとかのひとつおぼえのように、アクセルを踏むしかない自分。
バックミラーには、貴志のRX-7のヘッドライトが光っている。
「……」
と、これを無言で無視する。
前に向かって走っているのに、後ろを気にするなんてナンセンスなことをした。
次々と闇から吐き出されるコーナーをクリアしてゆく。
コーナー入り口、ブレーキランプが灯った。と同時に突き上げるようなサウンドが上下して、ヒス女の悲鳴のようなタイヤの悲鳴が、マシンサウンドとともに響く。
その最中、コントロールをミスればアウト側の山肌にディープキスのお見舞いで。下手すりゃ死ぬ。
この靡木も、もう何人も死んでいる。
靡木峠とは、またそんな場所でもあった。
青い四点式シートベルトが肩に食い込み、すこし顔がゆがんだ。足はアクセルを踏み続けている。
コズミック-7は、吹き飛ぶ景色の真ん中で、相変わらず龍にテールを、COSMIC-7のオリジナルエンブレムを見せつけている。
「どうした龍、全然近づかないじゃないか」
貴志はいらだたしげにつぶやいた。
ブラウンの瞳はMR2のナンバープレートをとうに見飽きている。いい加減、コズミック-7のテールを拝みたいものだが、なかなかそうもいかないらしい。
赤い四点式シートベルトが肩に食い込むのを感じながら、ステアリングを細かく調整する。時には逆ハンも切る。
前の二台がラインに沿ってスムーズに走るのに対し、貴志のRX-7は常に斜めを向いていた。
斜めを向いたまま、きゅっきゅっ、とケツを素早く振ってコーナーをクリアしてゆく。端から見ているやつはドリフトドリフトとはしゃいでくれるが、貴志にはちっともうれしくない。
上手く路面をつかめない荒削りな走りがそのまま車に出ているだけだ。残念ながら、ギャラリーを喜ばせようとしているわけじゃなかった。
ブラウンの瞳は、MR2のテールの向こうに時折垣間見えるコズミック-7のテールを見逃さなかった。
見えたと思ったら、コーナーの向こうに消えてゆこうとする。
いやコーナーはまだいい。問題は、ストレート。とか思っているうちに、コーナーあと三つ二つと迫ってくる。
「ここだぁ……」
と小さくつぶやく。
龍も同じことを思っていたようだった。コーナーをクリアして立ち上がり、一瞬、コズミック-7から何か得体の知れないものが放たれるような錯覚を覚えた。
香澄は前を凝視してアクセルを踏み込んだ。コズミック-7は目いっぱいの叫び声を上げて、猛烈な速さでストレートを駆け抜けてゆく。
闇に吸い込まれているようにして離れてゆく。そんな風に龍の黒い瞳にうつった。
大きく息を吐き出して、にがにがしくいった。
「化け物め」
scene1 三台と三人 了
scene2 ニューフェイス に続く