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scene1 遭遇

 ミレニアム、二十世紀最後の桜の花が咲いている。その花の花びらがひとひら、風に舞った。

 桜の花の花びらは、漆黒の闇の中、ひらひらと舞い落ちようとする。

 それを照らし出す光、マシンのヘッドライト。

 途端に、静寂は引き裂かれ、くうは揺るがされて。

 源龍みなもと・りゅうは、黒い瞳に舞い落ちる花びらを映しながら、その向こうにある闇を見据えていた。

 今にも自分を飲み込もうとする闇が眼前に立ちはだかって、それをマシンのヘッドライトで切り開いて、アクセルを開ける。

 ヘッドライトは闇を切り裂いて、アスファルトと一緒にガードレールや山肌やそこに生える木々や草花を照らし出し。そこに新緑の眠りがあることを教えてくれる。

 その新緑の中に、ほのかな紅色の桜もちらほらと。

 龍はそれらを瞳に映し出しても、なにも意に介さなくて。周りの景色が吹き飛ばされるがままに任せて、闇が吐き出すうねるアスファルトの上、愛機の黒いMR2 GT-S(SW20・以下MR2と表記)を叫ばせて、闇に向かい突っ込もうとする。

 桜の花びらは、突然揺らぐくうと突然現れたマシンに驚いたのか、MR2のフロントウィンドをなぞるように飛び上がった。

 そうすれば、ルーフに添って後ろへと流れてゆき。

 また後ろにある光に吸い込まれるようにして、舞い落ちようとしていた。

 MR2のケツに乗っかるブーメランのようなリアスポイラーの前に現れた花びらをブラウンの瞳に映し、井原貴志いはら・たかしは、刹那的に今の季節を思う。

 愛機のブルーのRX-7 GT-R(FC3S・以下RX-7と表記)は、ヘッドライトで捉えるMR2のテールにロータリーの咆哮を叩き付ける。

 花びらはまたも飛び上がって、RX-7のルーフをなぞって飛び越して、一瞬赤い光に包まれて。そこでやっと、地に落ち着いて。

 今度は照らし出してくれるものもなく、その身が朽ち果てるまで、そのまま闇の中で眠り続ける。


 バックミラーの枠一杯に広がるヘッドライトの光。

 背中から叫び声を感じながら、龍はミラーにちらっと目をやった。

 ぎらぎらしていて、相手をそのまま取り込もうとしているみたいで。

 すぐに視線を戻し、眼前に広がる闇を見据える。

「なかなかしぶといじゃねーか」

 ぽつりとつぶやいた。そのつぶやきがマシンの叫びに飲み込まれても、自分の胸には響いていた。

「そうだよな、そうじゃなきゃあなあ」

 気合と根性の塊のような性格を象徴する、威嚇するような鋭い目。

 黒い瞳がヘッドライトの光を越えて闇と同化し、闇の中から己が走る道を探り出す。

 バトル中のドライブで体が燃え上がりそうなほど、体温が上昇し。

 車内に熱をこもらせる。 

 貴志も、MR2を追いかけながら、峠のトップ争いをすることに興奮を抑えきれない。

「オレ、今速く走ってるんだな。信じられないな、このオレがトップ争いなんて……」

 ハンドルを握る手に力がこもる。

 普段は穏やかで静かに物を見据える目が、今は前のMR2を、ブラウンの瞳の中にしっかりと捕らえて放さない。

 このバトルで龍に勝てば、峠のナンバーワンだ。そう思うと、落ち着かない。それをなんとか落ち着かせ。バトルに、ドライブに集中する。

 ドライバーとドライバーの想いを共に乗せて、MR2とRX-7は夜の闇に包まれたワインディングロードを駆け抜けてゆく。

 そのころゴール地点の駐車場では、龍と貴志の走り屋仲間たちが、二台とふたりのゴールを待ち侘びている。人の輪をつくって、あれこれと話している。

 そのそばに、それぞれの愛機が静かに控えている。

「やっぱり、まだ靡木なびき峠は寒いなあ」

 と、誰かが言った。

 春になって桜が咲いて、日に日に暖かになりつつあるといっても。やはりこの深夜に近い時間では、気温もさがって肌寒い。

 道路を挟んで見える街の夜景に、夜空に浮かぶ月や星たちのきらめきの、なんと冷たそうなことか。

 そう思ったら、今度は別の誰かがくしゃみをする。

「油断して薄着してくるからだよ。それより、今どの辺かな?」

「まだ半分も行ってねぇだろ、スタートしてまだ間が無いからな」

「なぁ、誰が勝つと思う? オレは龍だと思うな。なんせあいつのテクはモータースポーツ仕込みだからな。すげぇ上手いのなんの」

「いや、貴志も結構めちゃっぱやだぞ。まだFCで走り始めて半年なのに、龍とタメ張るなんてすげぇことだよ。バイク上がりは上達早いってほんとだよな」

 会話は留まる事なくどんどんと進んで行き、だんだんと彼らの興奮も高まり。いつしか、寒いという言葉も聞かれなくなり、くしゃみも止まった。

 そんな中、走り屋仲間の一人、柿崎智之かきざき・ともゆきは仲間の言った「バイク上がりは上達早い」というのを聞いて。話しをしながら、なんだか可笑しかった。

―バイクでヘボだったあいつが、なあ……。―

 今もしっかりと、貴志の二輪時代を覚えている。あのころは、いつも仲間たちのうしろを走っていた。それが、今はどうだ。

「だけどよ、やっぱり龍だと思うな。あいつホントマジ上手ぇもの。こないだの走行会なんか、軽くトップタイムマークしてたんだぜ」

 仲間の一人が龍を強く推すと、他の仲間もそれに賛同し始めた。

「オレもそう思うな、あいつこれで決着つけたら峠やめてサーキット行くって言ってたもんな。マジでプロになるつもりらしいぜ」

「マジかよ。プロになるって?」

「ああ、そう言ってたよ。もう峠は卒業だってことだろ」

 話し終えると、少しの間沈黙が流れた。龍ならもしかして、誰もがそう思った。この靡木峠のナンバーワンの走り屋であり、もはや敵なしとなってしまった龍にとって。

 これからの行き先は、サーキットしかないのだろうか。だけど。

「そっかぁ、あいつプロ目指してるのか。でも貴志が来てから、また気合の入れようが違ったよな。いいライバルを見つけたって感じで……」

 誰かがそういったとき、いきなり智之が。

「静かに! 今なんか音してねぇか?」

 周りを制し聞き耳を立てる。

 なにか、が来ている。

 いやな予感がする。

 よりにもよってこんな時に。

 にわかに智之の胸が騒ぎ始めた。


「音? 龍と貴志じゃないのか」

 いぶかしげに仲間の一人が智之を見る。

「バカ、いくらなんでも早すぎる」

「じゃあなんなんだよ。何か来てるってのかよ。まさか警察なんて言うんじゃねぇだろうな」

 その言葉を聞いて、ほかの誰かが顔を引きつらせた。

 走り屋の集まる峠道には、それを取り締まる警察の巡回がつきものなのだ。実際この中に、警察に説教されたヤツもいる。それだけならまだしも、逮捕されて、さらに下手すりゃ翌日の新聞に名前と年齢が出ることにもなる。

 今行われていることは、そういうことなのだ。

「違う、警察じゃない」

 智之がそう言うと、顔を引きつらせていた仲間がほっとしたように溜息をついた。

「じゃあなんなんだよ」

「車の排気音かな? なんかF1みたいな音がしたんだ」

 智之も実の所確信がなく半ば不安だった、これで何にもなかったら赤っ恥をかくことになるからだ。だが、確かに聞こえたような気がした。

「はぁ、F1? なんだそりゃ」

 ぽかんとした顔で仲間が言った。

「つまり誰か他の走り屋が来てるってのかよ」

「そうかもしれない」

「おいおいそりゃまずいぜ、今龍と貴志のバトルの真っ最中だってのに」

 そうこうしているうちに、智之の言う音が皆の耳にも聞こえるようになってきた。

 甲高いエグゾーストノート、タイヤのきしみ音。

 それはだんだんと、少しずつ大きくなってゆく。

 峠の西側方向、龍と貴志が来ている反対側から。

 このままでは龍と貴志とすれ違うのは必至だった。

「ほんとだ、誰か来ている」

「今龍と貴志が走ってるのをしらないんだ」

「ヨソのやつかな?」

 今度は音がはっきり聞こえるようになって、智之は内心ほっとしながらも一抹の不安を感じずにいられなかった。

 今夜、龍と貴志がバトルをするから、その間は走らないでくれと。靡木峠に集まった走り屋全員に伝えて了承は得ているのだが。

 時折ヨソの峠を走っている走り屋が、ひょっこりやってくる時もある。そんなヨソの走り屋にまで、そのことを伝えきれるわけも無く。

 それにここは天下の公道、基本的に誰がいつ走ろうが、それは本人の自由なのだ。

「大丈夫かな? やばいタイミングですれ違わなきゃいいけど」

「だけどよ、なんかすげぇ音だぜ。かなりエンジンに手を入れてるって感じの音だよな」

 そうしてるうちにも、音だんだんと大きくなり峠に響き渡る。

 どんどんと、こちらの方にやってくる。

 その音は確かに普通ではなかった。

 智之の言う通り、まるでF1のような甲高く激しい音だった。

 とにかく、やかましいのだ。

「お、おい来るぞ来るぞ」

 仲間の一人が不安に駆られ道路を覗きこむと、その不安が一気に伝染して皆道路を覗きこんだ。

 駐車場を西いくらかに過ぎたカーブの向こうからヘッドライトが明り、音の主は遂に姿を現した。

「うわ、なんかめちゃくちゃうるせぇ!!」

「なんだよあれは!?」

 それが姿を現した瞬間、あまりのうるささに皆一斉に耳を塞ぐ。

 ヘッドライトの光りが一瞬駐車場沿いの道路を照らした、と思った次の瞬間。

 鼓膜を突き破りそうな甲高い雄叫びを上げながら、光と共に疾風はやてのように皆の目の前を怪物が駆け抜けてゆく。

 あたりの空気が揺れたようだった。

 耳にはすこし耳鳴りがする。

 一瞬のことだった。

 轟音が、エグゾーストノートが靡木の山々に響き渡っている。

 不安を振り払うように、駐車場にいる走り屋達は一気に騒ぎ始めた。

「せ、セブン。FD(FD3S=最終型RX-7)のセブンだ!!」

「ああ、それもかなりめちゃっぱやだぜ!」

「あんなやつここにいたか!?」

「いや初めて見るヤツだ!」

「どんなヤツが乗ってたかわかるか?」

「わからない、そこまで見えなかった……」

「あのうるささ、絶対エンジンノーマルじゃねぇ。かなりなハイチューンドだぜ、絶対そうだ!」

「アイツは何もんなんだ!」

 智之をはじめ走り屋仲間たちは喋るのをやめようとしない。

 ますますヒートアップしていき。もはや龍と貴志の勝敗の行方など、意識の外に放り出されていた。

 皆ただ、あのいきなり現れたFD3S=RX-7にあわてるばかりだった。


 コーナーの向こう、アウト側の山肌をなぞるような光。龍はそれを見て、普段攻めているときより早めにブレーキングをする。

 ここは天下の公道。いつでも誰でも走るのは自由。そんな誰かとすれ違おうかとするときに、どんなに全開でいこうが、ペースを落とすのは走り屋のセオリーなのだ。

 例えバトルの最中でもそれは変わらない。

 貴志も続いて、ペースを下げる。さすがに、この場面ではMR2に突っつきを入れるわけにはいかない。半ば「ちぇっ」と思いながら、対向車をやり過ごそうと思った。

 光はコーナーを曲がり、龍と貴志と向き合った。その時。

―ヤバい!―

 二人の背筋に電撃が走った。

 ヤバい、とにかくヤバい。

 バトルどころではない。

 二人はバトルのことを忘れて、突如現れた対向車から逃げるように速度を上げようとする。といっても今でも限界走行をしているのだが。

 そうしなければいけないような気がしてならなかった。

 言うまでも無く、光の主は駐車場の走り屋達を慌てさせたあのFD3S=RX-7だ。

 二台とすれ違うやいなや、突然急激に回れ右、スピンターンをしてくるっと向きを180度方向転換する。

 エンジンが激しく吼えると、峠に轟音が鳴り響く。怪物が雄叫びを上げている。

 それに呼応してリアタイヤが激しく空回り、ホイールスピンし。けたたまくタイヤが鳴き出し、路面との摩擦から煙幕のように白煙を立ちのぼらせ。

 蛇の這った跡のようなブラックマークをタイヤで描きながら猛ダッシュして、龍と貴志を追い掛け始めた。

 二人の、智之の予感は当たったのだ。

 逃げるMR2とRX-7。

 FD3S=RX-7のドライバーは、龍と貴志がバトルをしているというのを知らない。しかし、知っていたところで同じだったろう。

 そのドライバーにとって初めての峠であり、初めての標的であり。まずは腕試し、というところか。

 すれ違った時、背中に電気が走るような感覚。乗っているのが誰だかはわからなかったが、はっきりとこっちを見ているのような気がした。

 ヤツは来る、きっとオレ達を追いかけて来る。

 二台はハイスピードで走る。さっきよりも速く、速くと自身に言い聞かせる。

「なにもんなんだ、あのクルマ」

 貴志は思わず叫んでしまった。バトルの事も忘れ、突然の乱入者の事で頭が一杯だった。

 それほどまでにインパクトが強かった。

 そんな二人の思惑など知る由もなく、謎のマシン、FD3S=RX-7は二台を追いかける。

 雄叫びを上げ、疾風のように。

 龍も貴志も巧く、速い。

 ドライビングテクニックでは二人は群を抜き、そして今もその通りの走り方をしている。

 しかし、相手のドライバーもマシンも、遥かにその上を行っていた。

 しかもハンパではなかった。

 マシンのパワーとスピード、それを駆るドライバーのテクニック。明かに先を行く龍と貴志に勝っていた。

 それほどまでにFD3Sは速く走っていた。

 そして耳をつんざく爆音で、ド迫力満点だ。

 しかし走る場所が狭すぎた。この峠道では、どうしてもパワーを持て余してしまう。

 比較的広めの二車線とはいえ、所詮は公道だった。はっきり言って道が狭く感じる、山肌やガードレールが迫ってきているようだ。

 車はパワーがあればいい、と言うわけではなく。

 少し間違った操作をしてしまえば車はロディオよろしく大暴れを始める、一度暴れ始めた車はそう簡単には鎮まってくれない。

 それでも踏むところは踏んでいかないと、速くマシンを走らせられない。

 ハイパワーマシンを走らせようと思えば、崖に張られたタイトロープの上でダンスを踊るような、繊細さと大胆さの両方が要求される。

 こんな狭い峠道ではなおさらのことだ、少しのミスで崖下転落よろしくマシンがガードレールか山肌にディープキス(激突)だ。

 FD3S=RX-7のドライバーはこの峠道でそんな車を速く走らせているのだから、かなりなテクニックの持ち主だ。

 まるで体の一部のようにFD3Sをドライブしている。

 ドライバーにとってみれば、それも当然と言えば当然なのだろう。

 徐々に徐々にMR2とRX-7との距離が縮まって行く。

 気が付けば、RX-7のルームミラーにFD3Sのヘッドライトの光がちらちらと写りだしていた。


「まさか……」

 ルームミラーに写る光を見て貴志は驚いた。

 もう自分のすぐ後ろにつこうかというところまで来ているのだ。

 貴志はすぐパッシングして前の龍に知らせ、それに気付いた龍もサイドミラーで後ろを確認する。ルームミラーでは貴志のRX-7が邪魔で後ろが見えない。

 サイドミラーには貴志のRX-7のフロントマスク、その少し後ろからFD3S=RX-7のヘッドライトの光がちらほらと見え隠れしている。

「まさか、追いついてきているのか。こっちだって必死に走ってるんだ。なのに追いつかれるなんて……!」

 龍は苦々しく舌打ちをする。とにかく今は前に集中して、貴志とともにそいつをブッちぎるしかない。

 貴志も龍と同様FD3Sを引き離そうとするが、間に挟まれ窮屈な思いを して仕方なかった。

「どうすりゃいいんだよ……」

 と、前と後ろを交互に見ながら焦る。

 FD3S=RX-7は二台に襲いかかる。

 左コーナー、すこし緩めの高速コーナーが迫ってきた。

 龍と貴志はコーナーを見据え、ラインを読み、ギアはそのまま。一気にコーナーに進入する。ブレーキは踏まず、ステアとアクセルをうまく操作しながら車をラインに乗せコーナーに侵入する。

 タイヤが少しスライドする、だが二人はアクセルを緩めない。そのままスライドするに任せ、ドリフト気味に左高速コーナーを掛け抜けてゆく。

 クルマは曲がってくれる、そう走らせている。

 脱出ラインに乗った。

 アクセルペダルを踏みつけアクセルを全開にすれば、二台は一気に加速を始める。

 タコメーターの針が、ブースト計の針が、スピードメーターの針が一気に上がる。これでもか、と言わんがばかりの速度で二台はコーナーを抜けた。

 だがしかし。

 FD3S=RX-7はその上を行っていた。

 ありあまるパワーに物を言わせ、一気に二台に追いついたのだ。

 コーナーに入る前は車一台分の差があったのに、コーナーを抜けたとたんに無くなった。龍や貴志がいくら高い速度でコーナーを脱出しても、まるで ゆっくりと走っているかのように。

 恐るべきパワーと言うべきか。

 FD3S=RX-7は、下手をすれば追突しかねないほどすぐ前の貴志のRX-7のテールにぴったりとはりつけば。突然室内に、エグゾーストノー トが割り込んできた。

 内装が取り払われた鉄板剥き出しの車内では、自身のマシンの叫び

声がガンガン響き渡っている。

 なのにそれでも、聞こえるのだ。

 ここまで大きい音がするということは、普通のエンジンチューニングではない。まるでレーシングカーのエンジンそのものであった。

「な、なんなんだ、アイツは!?」

 突然の出来事に貴志はパニックに陥りそうになった。

 前の龍はそんな貴志のことなどお構い無く、ただひたすら走っている。

なるべく後ろを意識せず、前に向かって走っていた。

 貴志のRX-7同様、龍のMR2も内装は取り払われ鉄板剥き出しだ。

 はっきり言って二台とも無骨な車内であった。

 とても女の子とのデートになんか使えないが、それが目的で車に乗っ

ているのではない。

 走るために乗っているのだ。そのために必要の無い物を取り除き、必要な物を取り付けているのだ。

 その車内の中で龍も必死に愛機を走らせている。

 FD3S=RX-7が、貴志のRX-7のすぐ後ろについたのはもうわかっている。

 ミラーで見るより先に、その音がMR2の室内にも入りこんだのだ。これは龍も驚かずにいられなかった。

「あのエンジン、ただもんじゃねぇ」

 後ろに貴志のRX-7がいるために、はっきりとは聞こえないが。確かに音は聞こえる。FD3S=RX-7の、あのやかましいまでのサウンドが。

 いくつかのコーナーを抜け、コースももうすぐ終わろうとしている。走る音が駐車場の仲間達にも聞こえてるはずだ。

 このコースのイヤらしいところは最後の方に一番長い直線があることだ。

 直線を抜けると、コーナーはあと六つしかない。

 どんなに必死に逃げても、パワーの勝る車にこの直線で抜かれてしまう。

 そしてそのままゴール。今までも、そんなバトルは何度かあった。

 それがいやなら、直線につく前にコーナーで引き離しておくべきだ、それがパワーの劣る車での勝ち方というものだ。

 だが今はそんなことは言ってられない。

 FD3S=RX-7を引き離すどころか、追いつかれてしまったのだ。

 今のままではその直線で、二台まとめてゴボウ抜きにされるかもしれない。

「ヤバい、マジでヤバい…。なんとか逃げられないのか……」

 すぐ後ろにつけられた貴志は頭が混乱しそうだった。

 もうすぐ長い直線にたどり着く、それでも車は前に進んでいる。

 龍と貴志の苦悩などお構い無く。

 龍と貴志がそう走らせているのだ。

 だからと言って、ゆっくり走る事など出来るわけもない。

 FD3S=RX-7は直線で抜く為に、完全に前の二台を射程圏内に捕らえて。ついに動き出す。

 今右のコーナーを抜けた。左コーナーが迫り、そこを抜けるとまた右コーナーのS字区間。

 そこをクリアすれば長い直線だ。

 MR2とRX-7も上手くラインに乗せてS字区間を抜けてゆく。

 RX-7のテールに張り付けんばかりに、ピッタリとその背後についてFD3S=RX-7も続く、が。

 なんだかFD3S=RX-7のドライバーはもどかしそうだった。パワーを生かしたいと思っているのに、満足に生かせないでいる。

 前の二台は遅すぎた。

 邪魔、とまでは言わないがもう少し速く走ってくれないかなと思った。

 しかしそれでも前は必死そうだ、これが限界なんだろう。

「人間って、こんなものなのかな。仕方ない、抜こうか……」

 という、そんなFD3S=RX-7のドライバーのつぶやきなど知る由もなく。

 最後の右コーナーをクリアして、MR2とRX-7はFD3S=RX-7をすぐ後ろにしたがえて直線に入る。

 すこし下り気味になっている長い直線。

 そこからゴールまでずっと下りだ。

 加速する三台。

 対向車はいない。

 抜くなら今だ。


 来た!

 龍と貴志はルームミラーを覗かなかった。

 音でFD3S=RX‐7の動きが分かる。

 そのマシンはありあまるパワーで自分たちを追い抜こうとしている。

―させるか!―

 と、龍と貴志は思いっきりアクセルを踏み込んだ。

 車が後ろから押され、体がシートに押し付けれれるような感覚。

 一気に加速する二台。

 それを後ろから抜こうとするFD3S=RX-7。 

「出来るものか!」

 龍はうめいた。

 一台ならともかく、二台まとめて抜く事なんか出来る訳が無い。

―出来る訳が無い……。―

 二人ともそう信じたかった。だがしかし、ここでFD3S=RX-7のパワーが一気に爆発した。

 パワーが車を怪物に変えた。

 FD3S=RX-7が対向車線に飛び出す。

 撃墜を確信し、FD3S=RX-7のドライバーは思いっきりアクセルを床まで踏み込んだ。

 FD3S=RX-7はパワーを解放された喜びから、ありったけの雄叫びを上げながら前の二台に襲いかかろうとする。

「な、ええ! そ、そんな……!?」

 貴志は我が目を疑った。気が付けばFD3S=RX-7は、貴志のRX-7の横に並んでいた。

「バカな、なんてパワーなんだ……」

 FD3S=RX-7の左サイドが貴志の視界に飛び込んで来た。

 そのスピードは、すでに100キロを超えまだ加速している、なのにどんどんと前に出ている。

 こうなったらもう、抜かれるに任せるしかない。

 エグゾーストノートがFD3S=RX-7と共に横から前へと移動していくのが聞こえた。

 そしてひきよせられるように、龍のMR2の横に並んだ。

「マジかよ! もう来たのかよ!!」

 横目でFD3S=RX-7を睨みつけながら、龍も貴志と同じように、そのまま抜き去られてしまうしかなかった。 

 龍のMR2も相当な速度を出しているが。ハッキリ言ってパワーとスピードが違いすぎた、まるで相手にならない。 

 ストレートでのエンジンパワーの差を、テクニックで補いきれるわけもなく。

 そのままなす術もなく、前に出られてしまうしかなかった。

 一体どのくらいパワーに差があるというのか、天と地の差とでも言うのか。

 龍は悔しそうに前に出たFD3Sを睨みつけるが、こればかりはどうしようもない。

 FD3S=RX-7は自車線に戻り。MR2の少し前について、龍にテールを見せつけ、それでもなお後ろを引き離す。

「なんだよ、アイツは……」

 その時、ふと龍の目に飛びこんできたものがある。

「COSMIC-7、コズミックセブン? なんだそりゃ……」

 MR2のライトの照らす、FD3S=RX-7のリアの自家製とおぼしき「COSMIC-7」のエンブレム。本来なら「RX-7」のエンブレムのある位置にそれはあった。

 だがゆっくりと考える暇など無い。 

 FD3S=RX-7のブレーキランプが点灯した。

 残りが過ぎようとし、コーナーが迫る。

 中速の右コーナー。

 FD3S=RX-7はまるで山に吸いこまれるようにコーナーを曲がり、龍の視界から消えた。

 少し遅れ龍と貴志がそれに続く。

 もう後は無い、完全に勝負は付いてしまった。

 二台の完敗だった。


 所変わって、ゴール地点の西側駐車場。

 FD3S=RX-7が通りすぎた後、しばらく騒いでいた智之ら走り屋仲間達はしだいに冷静さを取り戻し、事の成り行きを待っていた。

 龍と貴志の勝敗も気になるが、あのFD3S=RX-7のことはもっと気になった。

 あのマシンは何者なんだ?

 何処の誰が乗っているんだ?

 龍と貴志と遭遇したらどうするんだろう?

 とにかく気になってしょうがない。

 そんな折、音がまた聞こえた。

 龍と貴志か?

 そう思った瞬間、一度聴いたあの音も聞こえた。

 甲高い、鼓膜を突き破りそうな、これでもかと言わんがばかりにうるさいあの音。

 まさか、と思いつつも皆で耳を澄ませれば。

 音はだんだんと大きくなる。

 こっちに向かってだんだんと。

 皆一斉に道路を覗きこむ。

 龍と貴志がやってくる方向を固唾を飲んでじっと見ていれば。

 その、まさかがやって来たではないか!

「え、え、え、FDぃーー!?」

「な、引き返してきたのか!?」

「じゃ龍と貴志は?」

 FD3S=RX-7は減速し、ウィインカーを付け駐車場に入って来れば、皆一斉に注目する。

 それにお構いなく、FD3S=RX-7は適当な場所を見つけると、そこに停まった。

 さっきまで雄叫びをがなり立てていたエンジンは今アイドリングに入り、地の底から沸きあがってるかの如く、低くこもった音を駐車場に響かせている。

 暗闇の中、駐車場の灯りにほのかに照らされる謎のマシン。

 かなり派手なマシンだ。

 パープルメタリックカラーの施されたボディ。社外製の黒い軽量カーボンボンネット。ボンネットには、衝撃で不意にボンネットが開くのを防ぐボンネッ トピンがあった。

 スポーツカー特有の上下に開くリトラクダブル式のヘッドライトは閉じられている、瞳を閉じて一休みというところか。

 リアには、大きなGTウィングがそびえ立っている。

 中はよく見えないが、ロールケージが斜めに走っているのはかろうじて見えた、おそらく車内も外見同様、鉄板剥き出しのスパルタンな造りになっているだろう。

 そしてドライバーはというと、よく見えない。だから、何者が乗っているのかまでは分からなかった。

 皆その姿をじっと見守っていた。

 その時龍のMR2と貴志のRX-7が遅れて姿を現した。

 龍が前、貴志が後ろの順だが、そんなことはもう関係なくなっていた。

 なんだかペースも遅かった。

 FD3S=RX-7に抜かれ戦意喪失、といった具合であった。

「お、戻ってきたぞ!」  

 智之が声を上げる。

 龍と貴志がFD3S=RX-7から少し遅れたタイミングで来たと言う事は。

 龍と貴志、MR2とRX-7も同じように駐車場に入ってきた。

 適当な場所を見つけ、そこに停めるやいなや。二人は車から降り、智之ら走 り屋仲間が駆け寄るのも無視してFD3S=RX-7のもとへと歩き出した。

 FD3S=RX-7は停まったまま、中のドライバーは降りようともしない。

 どうやら中で様子を見ているようだった。しかし、龍と貴志がやってくる

のを見てそのままという訳にもいかなくなったようだ。

 ドアが開いて、ドライバーが降りる。

 その降りたドライバーを見て、みんなあっけにとられてしまった。

 龍も貴志も智之ら走り屋仲間達も。

「お、女……」

 皆意外な展開に驚き戸惑っている。

 あのモンスターマシンを操っていたのは女性だったのだ。

 しかも結構若いときたもんだ。ちょうど、少女から大人の女性へと移りゆく間くらいの年齢だろうか。車に若葉マークが無いのを見ると、少なくとも十九以上なのは間違いない。

 女性としては背はやや高めで。

 髪型はショートカットで。澄んだ黒い瞳の、落ち着き払った目。整った端正な顔立ちからスマートな印象を受ける。が、全身グレイの服を身にまとっていて、そのせいかどことなく金属的な堅さと、冷たさをも思わせる。

 戸惑いつつも、龍はその女性に話しかけ。貴志は隣にいて様子を見ている。

 仲間達は成り行きを見守っている。

 龍は一息ついて、その女に言った。

「あんた、ここじゃ見かけない顔だな」

 さっきのことでまだ興奮は冷めていなくて、息が荒っぽい。はたから見ればその女に興奮しているような滑稽さを思わせたが、もちろんそんなわけはない。

 目は鋭く女を見据えている。

 その目を見て、女が龍に応えた。

「ええ、ここは初めて走るから」

 凛とした、澄んだ声だった。

 そして毅然とした態度、龍や貴志に対して別に悪びれる様子も無く。

 少々の ことでは動じそうに無い。

「私は香澄……、一条香澄いちじょう・かすみっていうわ。あなたたちの名はなんていうの?」

 女性が名乗ると二人は少しの間顔を見合わせ。

「オレは源龍」

「オレは井原貴志」

 龍と貴志も、香澄に負けじと、なるべく毅然とした態度で名乗った。

「私のことは香澄でいいわ」

「オレも、龍でいい」

「龍に同じく、貴志でいいよ」

 三人のやりとりに、重い空気があたりを包む。すると毅然とした態度そのまま、香澄は言った。

「ここを走るのは初めてなんだけど、走ってたのはあなた達二人だけ? 他の人は走っていないの?」 

 まるでさっきの追いかけっこなどなかったかのよな言いぐさだ。

 たまたますれ違って、来た道戻って二人を追い抜いただけ、と言わんがばかりに。龍も貴志も一瞬ムッとしはしたものの、なんとか冷静を保ちながら。

「そうだよ、走ってたのはオレ達二人だけだけど…」

 貴志が応える。

「そうなの……。さっきはどうも」

「いや、まぁそれはいいんだけど……」

 ってよかねーよ、と思い直しながらも龍は言った。

「すごく速いな、そのFD。どんなチューニングをしているんだ?」

 龍は敢えて自分達が抜かれた事には触れず、FD3S=RX-7を見た。

 本当なら何かそれについて一言言ってやりたかったが、今は何を言っても負け犬の遠吠えでしかないからだ。

 貴志も同じだった、ただそれよりもFD3S=RX-7にかなり興味を示しているようで。香澄よりもFD3S=RX-7を見ていた。

 同じロータリー使いとして、どうなっているのか気になるのだろう。

「よければボンネットを開けて、エンジンを見せて欲しけど。いいかな?」

 貴志は抜かれた悔しさはもとより、好奇心もあった。

 それに香澄は少し考えて。

「いいわ、いま開けるからちょっと待ってて」

 と、言った。皆、エンジンがどうなっているのか興味津々だった。

 F1ばりの排気音をがなり立てるほどチューニングが施されたロータリーエンジン。

 香澄はエンジンを切ると、ボンネットのボンネットピンを解除して、ボンネットを持ち上げた。軽量のカーボンボンネットだけあって、軽々と上がる。

「少し暗いけど、見えるよね?」

 ボンネットを持ち上げたまま、香澄は言った。

「ああ、わりぃな」

 一応礼を言い。龍と貴志、そして智之ら走り屋仲間が、エンジンルームを覗きこむと。一斉に歓声が上がった。

 自分達が思っていた以上に、ハイレベルなチューニングを施されていたからだ。

「と、トリプルローター、20B……」

 はっと、龍はリアのエンブレムを思い出した。

 あの、「COSMIC-7」のエンブレムを……。


「これは、すげぇ……」

 皆、異口同音にすげぇすげぇを連発していた。

 もうそれしか言うことが無いからだ。 

「20Bじゃないか。よく載せてるよな……」

 貴志がうめくように言った。

 てっきり本来のツーローター13B-REWが載っていると思っていたのに、 まさかユーノスコスモのトリプルローター20Bが載っているとは思いもよらなかった。

 エンジンルームをさらに覗きこめば、色々と工夫がなされているのが見うけられ。目では見えない所も、手が行き届いているのは容易に想像できた。

 特にラッパの先っちょを思わせる、トリプルローターであることを主張する 三本のエアファンネルに注目する。

 そしてパワーを絞り出す為の必需品である、タービンがどこにも見当たらな いのも気になった。

「まさかNA?」

「ええ、コスモの20Bをペリフェラルポート化して積んでるわ。タービンを外してNAにしてね。もっともこれは私がやったわけじゃないけど……。馬力はマックスで460馬力は出てるわ」

 と、香澄は言う。

 かなりあっさりと言ってのけるが、これはとんでもないことだった。このマシンは、高度なチューニングを施されたモンスターマシンと言う事だからだ。

 RX-7に搭載されている従来のツーローターの13Bに比べて、20Bなら同じパワーを出すにしてもそのパワーに対するキャパシティに余裕がある。 

 それに加えてターボでなくNAでも、460馬力というハイパワーを叩き出せるのはペリフェラルポート化の賜物だった。

 そんな20Bを軽量で空力の良いFD3S=RX-7のボディに搭載することで、性能がより生かされる。

 もちろん、こんな車をキッチリ仕上げるのはハンパでないくらいに難しい。

 他の車のエンジンを搭載しているのだからなおさらだった。

 それを思うと、これを製作した者はかなりな技術を持っていると言う事でもあった。

 マックスパワーを聞いて、周りは騒然としている。

 龍と貴志は直線で抜かれた時のことを思い出していた。

 あの圧倒的なスピードは、このエンジンあってこそだったのだ。中には感激してるヤツもいる。

 それも仕方のないことで、トリプルローターペリのマシンなんてめったにお目に掛かれたもんじゃないのだ。

 もっとも20Bを搭載することによるデメリットもあるのだが、それは後に述べるとしよう。

 龍も貴志も智之ら仲間たちも、皆このエンジンに魅入られている時。

「もういいかしら?」

 香澄が言った。

 いつまでも相手をしてられない、と言いたげに。

「あ、ああ。ごめん。ありがとう」

 貴志がそう言うと、香澄はボンネットを閉めボンネットピンを止める。その最中、龍は舌打ちし。

「なるほど、だからコズミック-7なわけか。コスモのエンジン積んだRX-7で、コズミック-7なのな。シャレが効いてるじゃねぇか」

 と吐き捨てるように言い、悔しさをあらわにする。

 直線で抜かれた時、まざまざと見せつけられた「COSMIC-7」のエンブレム。

 あの時の記憶がフラッシュバックする。

「ああ、このFDの名前ね。勘違いしないでほしいけど。これは私がつけたんじゃないからね」

 抜かれた時そのエンブレムが見えなかった貴志はぽかんとしていた、龍と香澄の言ってる意味がわからない。

「何の事なんだ? 龍」

「後ろに行けば分かるさ」

 龍に言われて、貴志と仲間達はFD3S=RX-7のリアに回り。

 そこでようやく、コズミック-7の意味がわかって。(これよりFD3S=RX-7はコズミック-7と表記)

「ふふ、なるほどなぁ」

 と思わず笑ってしまった。

 顔はひきつっているけれど。

 このネーミングセンスは、一体どこから来るのやら。

「言っておくけど。これは私が考えたんじゃないからね……」

 香澄はこの名前をあまり気に入っていないようで、少し迷惑そうだった。

 龍はというと、引きつり顔ながらも可笑しそうに笑ってる貴志になにかひとこと言ってやりたい気分だった。

―あいつ、抜かれてなんとも思ってねーのかよ。それともなにか…、この女に見とれてるってのかぁ~。確かに可愛い顔付きだが、わかってるのか、コイツ はオレらのバトルの邪魔したヤツなんだぞ!―

 と、いうふうに。ふつふつと怒りが沸いてくる。

 まぁ、そんなのは貴志の勝手だろうが。

 仲間達も仲間達で、もはや自分の事などお構い無しに。コズミック-7や香澄に見とれているヤツもいた。

 めったに見る事の無いトリプルローターのチューニングマシンはともかく、香澄に見とれるヤツがいるのはどうにも我慢ならなかった。

「またこの峠には来るのか?」

 出し抜けに、香澄に放つ言葉。

「できれば君と一対一で、バトルしたいと思ってるんだが」

 おおー、という歓声が起こる。

 リベンジかますのか!?  と、仲間達は思った。

「バトル……、何故?」

「決まってるだろう、オレはコイツ(貴志)とこの峠でどっちが一番か決めていたんだ。それをいきなり現れて、割りこまれ抜かれたまんまじゃ面子が丸つぶれだからな。走り屋ならわかるだろ、オレの言ってること」

 龍の言葉に香澄はなんの反応も示さず、ぽかんとしていた。

 本当に出し抜けだったのだ。

「それはオレからもお願いしたいな。リベンジのチャンスが欲しいからね」

 さっきまで笑っていた貴志も、今は真剣な顔付きだ。

 やはり抜かれてなんとも思ってないわけではないのだ。

 が、しかし。

「ごめんなさい。何を言ってるのか、分からないわ……」

 香澄の反応は冷たかった。


―な、勝ち逃げするつもりか?―

 龍は喉まで出かけた言葉をぐっと抑えた。

「分からないって?」

「走り屋って何?  一番って何?」

 どうやら本当に分からないらしく、龍はさらに香澄に詰め寄った。

「峠走ってて走り屋を知らないのか。そんなことはないだろう」

「別に私は走り屋ってわけじゃないけど」

「じゃなんで峠走ってるんだ?」

「私は、この車で走るのが好きなのよ。それじゃダメなの?」

「いや、それで十分だ。だけど……」

「やめなよ、龍」

 香澄に詰め寄る龍を、見かねた貴志が止めに入る。

「あんまり強引なのはよくないよ」

「だけどよ……」

 龍は納得がいかない様子で。香澄は二人を見て、どうしたらいいいか考えてるようだった。

「つまりだ、オレたちは君と一対一で、速さを競いたいと思ってるんだ」

 香澄の様子を見ながら、貴志はつづける。

「君は速かった。オレ達が本気で走ってるのに簡単に追いつき追い抜いてしまった。だから次は一対一で、君と速さを競いたいんだ。あれだけの速さを見せつけられて、黙っているわけにはいかないからね」

 一言一言丁寧にわかりやすく、貴志は言葉を選んでいた。

「龍の言ってた一番ってのは。この峠で誰が一番速く走ることが出来る

かって言う事なんだ。そう言えば、わかってくれるかな?」

 貴志の丁寧な言葉で、やっと今自分が何を言われているか理解して。香澄は頷く。

「そういう事だったのね。一番って」

「まぁ、そういう事だ」

 龍は不機嫌そうに相槌を打つ。出番を貴志に取られて悔しそうだ。

「受けてくれるよね? 君はすれ違ったオレ達を追いかけたんだ。ということは相手が欲しかったんじゃないか?」

 貴志の言葉に、香澄は少し考えた。確かにそうだ、自分は相手が欲しかった。

 その為の腕試しなのだから。

 そしてその結果、この二人を挑発してしまったようだ。

 正直なところ、追いかけてて相手にならないと思った。結構あっさり抜いていってしまったし。

 だけど、めげずにリベンジとか言ってこの二人は自分に挑んでくる。

 リベンジ、つまり復讐ということだ。なんとも物騒なものの言いようだ。

 それほどまでに、悔しいということだろう。

 なら、そこまで言うのなら。人間が自分に対して、どのくらいついてこれるか、見せてもらおうと思った。

「いいわ、あなたたちの挑戦を受けるわ」

 と言う事で、香澄は挑戦を受ける事にした。

「ほんとか!?」

 龍と貴志は香澄の応えに喜び勇む。

「そうなれば話しは早い。次はいつ来られる?」

「いつでも、なんなら明日でもいいわ」

「明日でもいいのか。じゃあ明日にしようか」

「いいわ。それでどちらが相手してくれるの? まさか二人同時ってことはないよね」

 という香澄の言葉に、龍と貴志は顔を見合わせ。

「せーの…」

 と、いきなりジャンケンを始める。明日の相手をジャンケンで決めようというのだ。

 これには香澄も意表をつかれて。すこしきょとんとしていた。

「っしゃ! オレだ」

 歓声を上げたのは、貴志だった。

 手を見れば、龍はぐーで貴志はぱーだった。龍は負けた悔しさから憮然とし、貴志はほくほく顔だ。

「と、いうことで。明日の相手はオレだからね」

「わ、わかったわ。それじゃ明日にここね」

 香澄は当惑しながら応えた。

 それと。

―ジャンケンって便利だね……。―

 と、ふとふと思った。

「明日、九時に。ここに来てくれ」

「わかったわ。それじゃあ、私はもう帰るね」

「ああ、それじゃ」

 貴志が言った。

 香澄は黙って頷いた。

 龍は黙ったまま何も言わなかった。

 香澄はコズミック-7に乗り込んだ。

 イグニッションをスタートし、20Bを起動させる。

 アクセルを吹かすと、20Bの大音響が駐車場に大きく響き渡った。さすがに 間近で聞くとめちゃめちゃうるさかったが、とても良い音だ。

 そのレーシングカー然としたサウンドは、体中のみならず心にも響きわたり。

走りに対するマインドを昂ぶらせるには、十分すぎるくらいだった。

 龍と貴志。智之ら仲間たちは車から邪魔になるまいと離れた。

 コズミック-7は駐車場から出ると、いきなりアクセル全開の猛スピードで遠ざかって行く。初めて姿を現した時と同じように。

 コズミック-7が完全に姿を消したとき、仲間たちは騒ぎ始め。

「明日は面白くなりそうだな!」

「ああ。貴志のFCと香澄チャンのFDのロータリーバトル、コイツは見物だぜ」

「オレ明日はここじゃなくてコースサイドで現物するよ。あのFDの走りをみてみた いからなぁ~」

「オレもオレも」

 と、仲間達は好き放題言っている。

 そんな仲間たちを尻目に、智之は龍と貴志に話し掛けた。

「お前ら結局抜かれたのか」

「まあな」

 龍は憮然と応える。

「手も足も出なかったのか」

「コーナーはともかく、ストレートじゃ完全に勝てないな」

「勝てる見こみはあるのか」

「わからん。だがこのまま黙ってるわけにはいかねーだろ」

「だよなぁ」

「明日勝てるか、貴志?」

「わからない……」

 龍も貴志も勝てるかどうかはわからない。が、決まった以上はやめられない。

 このまま黙っているのはプライドが許さなかったし、こっちから売ったバトルだからなおさらだ。

 やる以上は本気で走って、食らいつくしかないだろうし。その中からわずかでも 勝てるチャンスをうかがうしかない。

「とにかく明日は頑張るよ」

 龍はというと、やっぱり面白く無さそうで。ずっとこのままだ。

 貴志とのバトルの邪魔をされただけではない、挙句のはてに抜かれ、いいよう にあしらわれたのだ。

 しかも明日のバトルを貴志に取られてしまった。

 面白くないことが立て続けに起きて。はっきり言って機嫌が悪かった。香澄が可愛い顔立ちをしてても、それが慰めにはならず。

 仲間たちは喜んではいたが……。

 ハイパワーモンスターマシンを駆る美少女ドライバー、とくればそれも当然だろう。

 新たなるヒーローの登場に、にわかに峠が活気付くのは目に見えていた。

 そしてそれを迎え撃つは、峠のトップを競う最速のMR2とRX-7。

 いやがうえでも盛り上がるのは間違い無かった。

「オレはもう帰るわ。なんだかしらけちまった」

 龍にとって最悪の時間だった、もうこれ以上ここに居ても仕方がなかった。

「じゃあ、またな」

「ああ、じゃな」

 龍はMR2に乗り込み。エンジンをかけるため、イグニッションをスタートさせると。

MR2のエンジン、3S-GTEが息を吹き返す。

 車の中でこちらを見る仲間たちを横目で見ながら、駐車場から出ると。香澄同様、アクセル全開で帰ってゆく。

「つまんねぇな……」

 愛機を走らせながら、毒を吐くように小さくつぶやく。

 とにかく今日は最悪の日だ。悪夢いというか、出来の悪い夢でも見てるようだった。

 香澄と龍が帰った後、仲間達も次々と家路についた。

 仲間たちを見送りながら、智之は貴志に言った。

「しかし、まぁお前が速く走れるなんてなぁ」

「まぁ。オレも、車で速く走れるなんて思わなかったよ」

 貴志は少し、はにかみながら応える。

「明日は頑張れよ、じゃオレも帰るわ」

「ああ、オレも帰るよ」

 智之と貴志が帰り、駐車場には誰もいなくなった。

 人がいなくなると、あたりは幽霊が出そうなくらい暗く寂しかった。夜の峠とはそういう場所なのだ。

 一人では怖くてとてもいられないが。ひとたび走り屋が集まれば、人や車で賑わい を見せる。

 それが靡木峠だった。

 そのころコズミック-7は、とある住宅地にいた。

 高級住宅地らしく、高そうな大きな家がのきを連ねている。

 夜も更け、あたりは静まりかえっていた。人だけでなく住宅地そのものが眠っている。

 安眠を妨げぬよう、下手にアクセルは踏めない。静かに静かに、そろそろ進んでいき、 コズミック-7は「しーっ」と言うように、静かにさえずる。

 しばらく進むと、大きめの一軒家にたどり着いた。

 ビルトインガレージのある、洋風な外観の三階建て住宅で。二階にはそこそこに広い バルコニーもある。

 家の広さが、余裕のある快適な生活空間を容易に想像させる。

 ガレージのシャッターを開けてコズミック-7を入れると、エンジンを切り車から降りる。

 わりかしスペースがあり、コズミック-7一台が停まるには十分過ぎるくらい広く。必要な工具もきちんと取り揃えられ、ちょっとした整備工場のようだ。

 ここなら車の保管や整備をするのにもってこいだろう。

 この家の住人だろうか、ガレージの奥のドアから誰かが中に入ってきた。

 男と女。

 二人を見て、香澄は言った。

「ただいま」


scene1 遭遇 了

scene2 香澄 に続く

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