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女嫌いな辺境伯と歴史狂いの子爵令嬢の、どうしようもなくマイペースな婚姻

作者: 野菜ばたけ



「マリーリーフ、友好の証と借金返済の形に、ノースビーク辺境伯家に嫁いでくれ!」

「お父様、流石に話が早急すぎます。少しは私が納得できるように説明する気はありませんか?」


 いつも以上に言葉が足りないお父様に呆れつつそう言うと、彼は「そうか、興味があるか!」と嬉しそうな表情になった。

 別に興味があるから話が聞きたい訳ではないのだけど、猪突猛進型のお父様だ。

 最悪何の事情も知らされずに嫁がされる可能性がある。

 それよりはまだ勘違いされてでも、一度話を聞いておきたい。



 私室でいつものように一人読みふけっていた本から顔を上げれば、胸を張ってニカッと笑ったお父様とまっすぐに目がかち合った。


 私には悉く縁がないだろうと思っていた話を持ち込んだ彼は、何故か自慢げに私の知らない家事情を語り出した。



 ***



 我が生家・ウォーミルド子爵家は、特に何の変哲もない一般的な子爵家だ。

 流石に男爵家ほど平民の暮らしに則している訳ではないけど、伯爵家ほど裕福ではない。


 領地経営も社交成果も、ことごとく普通。

 領地として赤字ではない事が、唯一の自慢と言っていい。

 そんな暮らしに不満という不満を抱く人間は当家にはおらず、私も自分の好きな事に毎日没頭できる今の生活に満足していた。



 そんなところに突然舞い込んできたのが、私の縁談だった。


 お父様が扉がバンッと開けて突入してくるのは、いつもの事。

 成人した娘の私室にノックもせずに入ってくる事に呆れこそすれ、私も別に見られて困る事をしている訳ではないし、慣れっ子だからどうとも思わない。


 それよりも、私も今年で二十五歳。

 令嬢の中では行き遅れの年齢に差し掛かった私には、ある理由でこれまで碌な縁談が来たことがない。


 だから周りも諦めていたし、私もずっと今の生活が続くものだと信じて疑わなかった。

 それが、突然の縁談話である。

 困惑しない筈がない。


 そんな私の内心を知ってか知らずか、お父様は声を弾ませ嬉しそうに経緯説明を始める。


「実は以前、飢饉の折にノースビークから援助を受けていてな。それがまだ返せていない。社交に興味にないお前は知らんだろうが、ノースビークとは私が幼い頃からの付き合いでとても気心が知れている。でもだからと言っていつまでも返せぬ借金を抱えていれば、いつ友好関係にひびが入るか分からん。お前もそう思うだろう?」

「それはまぁ、たしかに」


 タイムリーにも今読んでいるこの『破滅と再生』という本には、いつまでも貸しを返さない友人国主にしびれを切らした国王が戦争を起こすという、二国間の歴史変遷が綴られている。

 国同士でさえそういう事が起こり得るのだ、領主同士であれば猶の事そういう事があってもおかしな話ではない。


 国同士の争いに比べれば領地同士なんて小規模だけど、そこに人が住んでいる以上、巻き込まれる人々は存在する。

 領地同士の友好関係が崩れないように努力するのは、貴族である私たちの役割の一つだ……と考えれば、たしかにうまく立ち回るための婚姻というのは、貴族間でもよく取られる選択肢ではある、のだけど。


「お相手は北の端、ノースビーク辺境伯家の当主・ケルビン様だ。あちらの方が少し歳は下になるが、若くして当主になった傑物だぞ?」


 ――ノースビーク辺境伯領。

 王国の北の端にある領地で、長年隣国と小競り合いを繰り返している守りの要。

 気候は寒冷で、よく雪が降り、開墾されていない林に囲まれるようにして都市があるため閉鎖的で、他の領地とは異なる独特な文化や歴史が――。


「マリー、どうせ思いを馳せるのならノースビークではなくケルビン様の事にしなさい」

「もしかして声に出ていましたか?」

「聞かなくても分かるわ、そんなもの」


 そんなもの、だなんて酷い。


「ケルビン様は、領地経営はもちろん、ご自身が先頭に立ち隣国との小競り合いを捌く。それだけの剣の使い手であり、見目もいい上に本人は堅物。周りに女っ気はまったくないから、愛人の心配もない!」

「たしかに愛人がいると、どちらが先に身ごもるかで嫁ぎ先の家での扱いが変わるなんて話はザラに聞きますから、浮気性よりはいいでしょうが……ノースビーク辺境伯家の若領主様が二十を超えても未だに妻を迎えていないのは、女嫌い・社交嫌いだからではないですか」


 何事も物は言いようだ。

 お父様はこういうところに、変によく頭が回るのだから困ったものである。



 ノースビーク辺境伯家の若領主・ケルビン様は、無駄に見目がよく「あの誰ともなれ合わない一匹狼なところがカッコいい」という根強い令嬢たちからの評判もあってか、領主になる前は二年に一度、領主になったら年からは『国防に忙しい』という理由を付けて毎年欠席しているというのに、よく社交場で話の種になる。


 中でも彼の女嫌い・社交嫌いは周知の事実で、今や社交界では『もしかして領主になるための交換条件にケルビン様が社交界への不参加を要求したのでは?』という憶測が飛び交っているほどだ。


「因みに社交に出ない交換条件に領主を継いだという噂は、事実だ。夫人と方々を旅するのが夢だった彼の父――つまり私の友人が、『領主になれば社交場に出ないといけないから嫌だ』と言った息子に、『別に出ずとも目くじらは立てんから』と言ってあとを継がせた」


 そうなのか。

 だとしたら尚の事、それ程までに人嫌いな人のところに嫁ぐなんて、前途多難な気しかしない。


「歴史研究に没頭するあまり通常の社交場にもまったく顔を出さず、出るのは精々年に一度の王城でのもののみ。そこでも話をしているとすぐに歴史関係の話に持っていくものだから、周りからは密かに『歴史狂い』などと揶揄されているお前とは、ある意味お似合いだと思わんか」

「残念ながら、否定する要素は思い浮かびませんね」


 矛先が私に向き出したのでいつものようにサラリと躱したところ、お父様は「はぁー」とわざとらしいため息をついた。


「まったく、そんな自分をそうやって許容するものだからお前は尚の事周りから浮くのだ。あぁまったく、何故こんな変な子に育ってしまったのか……」

「どう考えても、歴史狂いは古書や骨董集めが好きなお父様やお祖父様の影響、マイペースな子の性格はお母様譲りでしょう。お陰で私は間違いなく貴方方の娘なのだと胸を張る事ができます」

「そんな事で胸を張るな。第一父上や私はちゃんと程度を弁えている。お前のように睡眠時間や食事を削ってまで没頭していない!」


 うーん、そう言い返されてしまうと返す事がない。

 

「とにかく、だ。周りからは『歴史好き』、下手をすれば『歴史狂い』などと言われているようなお前にこの縁談は、またとない話だと思わないか?」


 そう言われ、私は思わず眉尻を下げた。


 たしかにお父様の言う通り、そもそも家として今回の縁談について考えてみれば、またとない……どころか破格の話だと思う。


 辺境伯家は一応は伯爵家として分類されるけど、実質的には侯爵家にも匹敵する役割と影響力を担っている。

 私は子爵家の生まれだから、相手は二つも格上の家という事になる。


 そもそも陛下から賜っている領地も広く、それだけに領地の人も納められる税収も多くある家だ。

 懐は自ずと潤うから、爵位が高い家への嫁入りは相応の衣食住――少なくとも子爵家《今》の暮らし以上のものが保証されるだろう。

 そんなところから縁談の声がかかる事なんて、普通に考えても滅多にない。

 しかし。



 結婚となれば、今までのように歴史研究に没頭し続けるだけの生活というわけにはいかなくなる。


 旦那様になる方自身が社交場に出ないという事だから付き添いは滅多になさそうで楽ができそうだけど、それでも行かないといけない時もきっとある。

 そのために美容に気を使ったり、ドレスを新調する時には採寸やら試着やら、屋敷を取り仕切るのも妻の仕事だし……と思うと、どう考えても歴史研究に没頭できる時間はどうしたって減る。


 相手の方に「そのような何のためになるか分からない事に系統などするな、時間の無駄だ」と言われれば、流石に自重せざるを得ない。

 実際にそういう言葉を投げかけられる事は多いのでその事自体には最早慣れっ子になっているけど、今まで通り、自分の時間を好きなだけ歴史研究に注げなくなることは確実で――。


「このままでは私のコレクションの数々も売らねばならない。もちろん歴史書の類もだ」

「いきます」


 気がつけば、口が勝手にそう答えていた。


 たしかに歴史に思いを馳せる時間が減るのはとても困るし、歴史書の類はもう何度も読み漁って今では暗記できるほどだけど、当時の人が直筆で書いた本だからこそ、想像力も高まるのだ。

 それを失うだなんて、どうしても耐えられそうになかった。




 ◆ ◆ ◆




 ケルビン様を見たのは、彼が領主になる前の王城でのパーティーで二、三回くらいだっただろうか。

 遠目に見かけただけだったし、私側に話す用事はなく彼に至っては誰をも寄せ付けないオーラのようなものを常に出していたような気がするから、本当に話した事はない。


 もしかしたら声さえ聞いた事がないかもしれない。

 そんな相手の下に嫁ぐ事に、抵抗がなかったわけではない。


 とはいえそれは、他の誰が相手だったとしても感じていたものだっただろう――なんて思いながら、私はせっせと荷造りをしていると、様子を見にきたミアが思わずといった感じで苦言を呈してきた。


「マリーリーフ様、その大量の本は置いて行ってください」

「え、でもねミア。お父様がいつ売ってしまうか分からないから、大切なものは持っていかないと」


 嫁ぐための荷造りは基本的にメイドたちがするが、あくまでもそれは生活に必要なものだけだ。


 マリーリーフ様も、他に必要なものを持っていく準備をお願いします。

 そう言ったのはミアなのに、それに従って準備をしていた私に彼女は呆れ顔になっている。


「それにしたって多すぎます。一体何冊になるんですか」

「五十冊よ。これでも一応先方のご迷惑にならないようにと、かなり厳選したんだから!」

「せめて十冊にしてください」

「それは流石に……」


 選抜してこの数なのに、更にここから五分の一にまで絞り込むなんて、流石に無理だ。

 そう言おうとしたら「本当は五冊と言いたいところですが」と先回りされてしまった。


「……これでも一応、マリーリーフ様の心中はお察ししています。私だって、何も突然嫁ぐ事になり、生活環境も変わる上にご趣味にも著しく制限がかかるだろう貴女にあまりチクチクと言いたくはないのですよ」


 呟くようにそう言った彼女の方を見れば、珍しく眉尻を下げたキャラメル色の髪のメイドがいた。

 アメジストのように美しい瞳が憂いに揺れる姿は、私なんかよりもずっと美しく、思わず同性であっても見惚れてしまうほどだけど。


「ミアのけちんぼ」


 言っている事は結局のところ、私の希望を縛るものでしかない。

 せめて今の半分、二十五冊くらいにならないかなぁという打算を込めて、口を尖らせた。


 すると彼女は私をスッと感情の覚めた目で見下ろして、無体な言葉を投げかけた。


「分かりました。五冊です」

「えぇーっ?!」


 最終的には結局十冊になったけど、説得するのが大変で最後の方はほぼ半泣きだった。




 そんな風に色々とありながらも、私と歴史研究を引き裂く結婚までの日々を気持ちが沈み込み過ぎずに過ごせたのは、間違いなくこのミアのお陰だ。

 小さなたくさんの配慮……いや、常時平常運転だったかもしれないけど、とりあえずそんな彼女が専属メイドとして結婚についてきてくれる事は、間違いなく私を安堵させた。



 教会での誓いは、私があちらの屋敷に滞在し始めて二カ月で行う事になっていた。


 普通は先に誓いを立てるものだという事を考えれば、まだちゃんと会って話もした事がない私に対する配慮なのか、それとも可能な限り婚姻を後回しにしたいというあちら側のワガママなのか。

 その辺は不明瞭だったけど、婚姻の時期が遅れる事に私はまったく意義はない。



 カタカタと馬車に揺られながら、北の地・ノースビークを目指す。


 自領から出て、約三か月。

 一番の遠出が王都だった私にとっては、人生最大の移動だった。

 しかしそれももう終わる。


 窓から見える景色は、深い緑と白。

 いつからかチラホラと降り始めた雪が、周りの林を白く彩っている。

 人の姿はあまり見ない。

 通る道の多くが林なのだから当たり前かもしれないけど、すれ違う馬車は一つもない。


「やはり聞いていた通り、閉鎖的な領地という事なのかしら」


 普通なら、商人の馬車くらい居そうなものだ。

 実際に通りがかりの領地ではそういう事も多くあったのだから、他領と比べてそういう向きがある土地なのは間違いない。


「雪が降っては足元がおぼつかないのでは? 寒いですし」

「まぁそうだけど」


 シレッとしたミアの声を聞きながら、窓の外を見てこの領地の歴史に思いを馳せる。


 歴史はその土地の人が作る。

 人の行動が気候に左右されるのならば、やはり他とは違う環境のここは、他とは違う歴史が存在しているだろう。

 うーん、はかどる……。


「マリーリーフ様、見えましたよ」


 ミアの言葉で現実に引き戻され、進行方向に目を向ける。


 いつの間にか道は開けていて、どうやら馬車は町の外円を走っているようだった。

 家々の屋根は先程の林と同様にやはり白く飾り付けられており、厚着の人々の姿も見える。


 その向こうに、一際大きな建物があった。

 ドシッと街に鎮座するような佇まいの屋敷は、それなりに年季が入っていそうだ。


 馬車はあっという間に町の外円を回り切り、屋敷の前へと到達した。

 馬車についている我が領地の家紋を見たからか、門は開きスムーズに中へと入れた。


 止まった馬車から、ミアが先に降りるために扉を開ける。


 どうやら雲の切れ間に太陽が差し掛かったらしい。

 うっすらと積もった白い雪が、光を反射して眩しかった。



 タラップを踏んで馬車から降り、改めて屋敷の全体を見る。


 他領よりも屋根の傾斜が強いのも、玄関の扉に数段の階段を経る必要がある事も、おそらく積もった雪のせいで日々の生活に影響が出ないようにするためだろう。


 こういうのを見るのは好きだ。

 そこに歴史を、人々の営みを感じるから。


 そんな事を思った時だった。

 ガチャリと玄関の扉が開く。


 そこには一人の男性が、後ろに老成した執事を従えて立っていた。


 スラリと背の高い銀色の髪の美丈夫に、黒い服が似合っていた。

 身長差で必然的にこちらを見下ろす形になったネイビーの瞳は、まるで雪のように冷たい。


「お前か、ウォーミルドの女は」


 感情を押さえたような低めの声が、私には深みのあるコーヒーのようだと思えた。


 少し苦くて、しかし印象的でまた聞きたくなる。

 そんな感覚に妙な感嘆を抱いたが、すぐにハッと我に返る。

 

「はい、ウォーミルド子爵家のマリーリーフと申します。この度は――」

「余計な口上を聞く気はない。来い、一応部屋までは案内はしてやる」


 一応初対面のようなものだ。

 きちんと挨拶を……と思ったのだけど、どうやら不要らしかった。


 後ろでミアが殺気立ったのが分かった。

 おそらく今口を開けば「何ですかアレは」と言うだろう。


 が、別に私は怒りを感じない。

 私だって本当ならば畏まったり形式ばった事をするのは好きではない。

 そういう形式も歴史が作った一種の形態ではあるけど、そういうのは知識として知っていればいいのであって、私自身がそれをそのまま実践する事にはあまり興味はないし、歴史や伝統を重んじない人を腹立たしく思ったりもしない。



 踵を返した彼に続けば、荷物を持ったミアが後ろに続いた。

 ズンズンと歩いていく彼に、思わず小走りになる。


 彼はこちらを見る事もなく、不機嫌そうな声で言う。


「父上とどんな取引があってここにいるのかは知らないが、俺はこの婚姻に納得していない。そもそも誰が好き好んで、女なんていう面倒な生き物を屋敷に迎え入れないといけないのか……」


 後半になるにつれて独り言のようになった彼の声に、私は思わず首を傾げる。


 もしかして彼は知らないのだろうか。

 私が友好と借金の形としてここに来たことを。


「とりあえず、ここには住まわせてやるがあくまでも同居に過ぎない。俺とお前は赤の他人だ、俺はお前の行動に一切の感知をしない。だからお前も俺の生活に口を出すな。俺は鬱陶しいのが大嫌いだ」


 突き放したような物言いだった。

 いや実際に、きっと突き放しているのだろう。


「お前に妻としての行いも求めない。ノースビーク辺境伯家としての社交活動も、屋敷内の采配も、今までしなくてもうまくいっていた。変に手を出して妙な事を起こすな。お前がすべき事はここにない」


 もし彼を好いている令嬢ならば、いやそうでなくとも、もし縁談を前向きに捉えていた令嬢ならば、この言葉を聞いて怒ったり悲しんだりしたのかもしれない。

 しかし私はそうではない。


 これはむしろ、私にとっても嬉しい申し出だった。

 だって「私の行動に一切の感知をしない」なんて、つまりは好きに過ごせるという事だ。

 「私がすべき事はここにない」という事は、嫁ぐ事によってしなければならないと思っていたあれこれをする必要がないという事だ。

 奪われざるを得ないと思っていた時間が返ってくるという事だ。

 歴史研究のための時間は今まで通り、守られるという事である。


「分かりました! ありがとうございます!!」


 思わずそう言いながら胸の前でガッツポーズをすると、彼が初めてこちらを見た。


 振り返るほどではなく、チラリとこちらに目を向けた程度。

 依然として覚めた目をしていて、フンと鼻を鳴らす。


 その行動にどういう意図があるのかは、いまいちよく分からなかった。

 しかしさして気にすることでもない。


 今後も心置きなく歴史研究ができるという事実は、それだけの影響を私に及ぼしていた。



 今後も歴史に思いを馳せる時間があるのなら、せっかくだ。

 ノースビークの歴史について、少し深堀してみたい。

 前にミアが言っていたように、ここでなければ感じられない事・知れない事もあるかもしれない。

 そう思えば段々ワクワクとしてきた。


「部屋はここだ」


 いつの間にか、私に与えられる部屋についていたようだ。

 開いた扉の先にあったのは、子爵家の我が家と比べると随分と豪華な家具が備え付けられた部屋だった。


「必要なものは揃えてあるが、飾り立てたいというならあとは自分でするがいい。俺はそういうのは好かないが、どうせこの部屋に入る事もない。俺の感知するところではない」


 彼は素っ気なくそう言ったが、私には十分すぎる部屋だ。

 たしかにシンプルで飾りっ気はないけど、私自身あまりゴテゴテとした場所は好きではない。

 そういうものは、気が散るのだ。

 総じて私の歴史的考察を妨げてくるから。


「あとは好きにしろ。両親は今長旅に出ていて、屋敷にいるのは俺とお前だけだ。挨拶の相手は誰もいない。後の事はすべてジョンに聞け」


 彼の言葉に、ずっとそばに控えていた執事が一歩前に出て丁寧にお辞儀をしてくる。


「私、この屋敷で筆頭執事をさせていただいております、ジョンと申します。以後お見知りおきください」


 そう言って、ロマンスグレーの髪の彼は朗らかに笑いかけてきた。

 立場もこの屋敷の使用人を取りまとめる筆頭執事だし、おそらくこの屋敷に勤めてかなり長いのではないだろうか。

 彼の歓迎の気持ちが宿った黒い瞳に、私も微笑み頷いた。


 それを認めて、彼は無言で踵を返す。

 おそらく一定の義務は果たしたという判断だろう。


「あっ、ケルビン様」


 そんな彼を慌てて呼び止めると、剣呑な瞳がこちらを見返す。


 呼び止めてしまって申し訳ないけど、一つだけ、どうしても気にすべき事があった。


「先程『私がすべき事はここにはない』と仰いましたが」

「何だ不服か」

「いえ、とんでもない!」


 慌てて否定し、本題を告げる。


「すべき事がないという事は、好きに過ごしていいという事ですよね?」

「勝手に好きにすればいい」

「では、屋敷内にもし古書や古い文献があれば、それを読んでも?」

「執務室には絶対に入るな。それ以外の場所にあるものなら、何でも選んで読めばいい」


 興味なさげに言った彼の言葉に、私はウキウキしながら言った。


「ありがとうございます!」


 彼は、私を何やら変なものでも見たかのような目で一瞥した後、今度こそ部屋から出て行った。



 室内は、私とミアと執事の彼――ジョンだけになった。


「マリーリーフ様、馬車に積んである荷物はメイドたちにこの部屋に運ばせます。お疲れでしたら夕食までの間、こちらでおくつろぎいただければと思いますが」


 部屋に掛けてある時計を見ると、時刻は午後二時を過ぎたところ。

 この屋敷の夕食の正確な時間はまだ知らないけど、ひと眠りできそうな時間はあるだろう。


 が。


「よろしければ、屋敷内を案内してもらえませんか? 色々と見て回りたいのです」


 先程は、ケルビン様についていくのに精いっぱいで、屋敷内をよく見る暇もなかった。


 外から見た感じだとかなり広い屋敷だったから、探検できる場所も多いだろう。

 それはつまり、それだけノースビークの、いや、この屋敷の歴史を知る事ができる機会が多いという事でもある。


 屋敷の中の何気ない物から歴史を感じる事ができるし、何なら古書の類も探したい。

 そんな思惑を抱えた私のお願いに、彼は快く応じてくれた。



 



 屋敷内を堪能した後、三十分ほど自室で休憩した後に夕食の時間となった。


 食堂までの道のりは、ミアが完璧に覚えていてくれた。

 途中で彼女の道案内にお世話になりつつ目的地に着けば、広くて長いテーブルには既に夕食の準備がされていた。


 まだ誰も着席していない食卓に私が迷いなく座れたのは、選択肢が一つしかなかったからだ。


「あの、ケルビン様の夕食は……?」


 着席すると、既に銀食器の配置が済んでいたテーブルに給仕係のメイドが前菜を持ってきた。

 彼女にそう尋ねると、少し困ったような顔をされる。


「いえ、旦那様は晩御飯をここではお召し上がりになりませんから」


 え、そうなの?

 純粋な疑問に一人頭上にクエスチョンマークを作っていると、ちょうどやってきたジョンがそれを見止めて「どうされましたか?」と聞いてくれる。

 再度先程の問いを口にすると、彼は「あぁ」とどこか納得した声を発した。


「旦那様はこの時間、領地の安全のために自らを鍛えておられるのです。昼間はいつも好かない机仕事をしているので、食事の前のストレス発散も兼ねているのだと私は思っておりますが」


 そういえば、彼が毎年社交界を欠席する理由は都市防衛だった。

 ただの体のいい断り文句だと言っていた人も中にはいたけど、毎日体を鍛えているのなら、そう間違いでもないのかもしれない。


「なるほど。それでは仕方がないですね」


 私がそう言うと、ジョンが驚きに目を見開いた。

 私が「何故そんな顔をするのだろう」と首をかしげると、ハッとした彼が「申し訳ありません」と謝罪してくる。


「てっきりよく思われないだろうと思っていましたので」


 私が見る限り、無理をされているようには見えませんでしたから。

 そう言われ「たしかにまったく怒ってはいないけど」と考える。


「先程ケルビン様も『お互いに過ごし方に口出しはしない事にしよう』と言っていましたし」

「さようですか。正直言って、安心しました。ケルビン様は悪い方ではないのです。むしろ責任感が強く、何事にも真摯でストイックに取り組みます。しかし少々女性が苦手なようでして。どうしてもあのような態度になってしまうので、誤解されやすいのですが」


 眉尻を下げ困り顔で、彼はケルビン様について語る。

 その言い方は、一従者のソレというよりは身内に対するもののような向きを感じた。


「もしかして、幼少期からケルビン様の事を?」


 そう尋ねると、彼は朗らかに笑いながら「はい」と答えた。


「先々代からこの家に仕えておりますので、ケルビン様の事は生まれた頃から。幼少期はそれはそれはお可愛らしく、よく仕事中の私を『ジョン』『ジョン』と言ってついて回って……と、私ばかり話してしまい、申し訳ありません」

「いえ。ジョンがどれだけケルビン様の事を好いておられるのか、よく分かりました」


 仕事では有能そうな彼の意外な一面に、私は笑いながら答える。


 実際、聞いていてちょっと楽しくもあった。


「人にも歴史あり、ですね。ノースビークは領地も屋敷もケルビン様にも、私の知らない歴史がたくさん存在します」

「歴史……そういえば、先程屋敷内をご案内した際にも、そのようなお話をされていましたね。歴史を知るのが好きなのですか?」

「厳密に言うと、歴史を知り、それを元に色々と想像したり考察したりするのが好きなんです」

「なるほど。それであれば、私にも力になれる事がありそうですね。生まれてこの方この領地から出たことは数えるほどしかない身ですから」


 誇らしげにそういう彼は、きっとノースビークの事も好きなのだろう。

 

 自分が好きなものを好きだと思いまっすぐに示せる彼に、私は好感を抱いた。

 彼と話していたお陰で食事中も寂しくなかったし、改めてジョンに確認すると「ケルビン様も時間外れるし自室でだけど、ちゃんとご飯は食べる」と言っていたので、ホッとした。


 実は私、研究に没頭し過ぎた事でついご飯を食べ忘れた事があり、三日目にフラッと来てこけた事がある。

 その時はちょうどミアが四日間の休暇中で、戻ってきた彼女から入れ替わりに私の自室に食べものを運んでいたメイドたち共々、私も合わせて「マリーリーフ様は、放っておくとご飯を食べ忘れるポンコツなんですから! ちゃんと毎食食べてるのを目視確認しないとダメでしょう!」と怒られた記憶がある。


 ケルビン様はそういう事にはなさなさそうなのでよかった。

 長時間のお説教ほどしんどいものはないのだ。


 


 食事を済ませた私は、すぐさま自室――には帰らなかった。


 代わりに直行した場所がある。

 案内してもらっていた時に目星をつけた場所・書庫室。

 先程見た時あそこには、沢山の古書が保管されていた。

 多分私が知らないこの土地や屋敷や人の歴史がある事だろう。


 部屋に入り、手ごろな本を一冊手に取る。

 軽く見てから胸に抱え、次の本に手を伸ばし――。


 サラッと見ただけでもじっくりと目を通したい本がたくさんあって、私の心はワクワクだ。

 今日は徹夜になるだろう。

 そう思い、控えていたミアに言ったのだ。


「もし明日の朝ケルビン様に会ったら、『おはようございます』と伝言しておいて」


 横に積んだ本の冊数的に、きっと明日の朝までには読み切れない。




 ◆ ◆ ◆




 窓から差し込んでくる朝日が、少しずつ眩しくなっていた。


 隣に本が積んである光景は、場所こそ違えどいつもの事だ。

 私はやはりいつものように、いつもとは違う場所で床に座って手元に目を落とす。


 パラリ、パラリと捲るページの音が、そろそろ目を覚ましたらしい小鳥のさえずりと共に聞こえていた。



 私は別に、本を読む事自体が好きなのではない。

 もちろん嫌いではないけれど、それ以上に求めているものがこの本の先にはある。


 この本のタイトルは『ノースビークの風土と生活』。

 隣に積んである本は、『極寒のツンドラ地帯の活用に関する考察』『おいしい! 寒い場所のごはん』、そして『長続きする薪の組み方』。

 読みたい本は他にもあったけど、とりあえず最初に読みたい本を積んでいる。



 どの本も、このノースビークの土地の歴史を研究するにはいい材料だった。

 どれも興味深く、読めば読むだけ私の頭の中にはノースビークの人や土地の歴史がムクムクと形成されていって――。

 

「何をしている」


 部屋の外からはパタパタという足音が聞こえてきたと思ったら、なんだか後ろから深みのあるコーヒーのような声が聞こえたような気がした。


 でもきっと気のせいだろう。

 だって昨日『互いの生活には口を出さない』と決めてくれたのは《《あの人》》で、今は私の『いつも』の途中。

 流石にまだ丸一日も経っていないのに、約束を反故にしてくる筈はない。


 意識はどんどんと深く、手元の本――いや、その先にあるこのノースビーク辺境伯領の歴史へと沈み込んでいく。


 あぁきっと彼らはこうして生きている。

 こういう事に楽しみを見出し、この時はこんな事もあったのではないか。

 そんな考察が次々と頭に浮かんで物語を紡ぎ、私を楽しませてくれ――。

 

「おい」


 肩を何かに掴まれて、私はゆっくり顔を上げた。

 振り向けば、私の肩を片手でつかんだ銀色の髪の美丈夫が、何だかとても不機嫌そうな顔でこちらを見下ろしてきている。


 何だろう。

 そんな疑問は、私に目をパチクリとさせた。


「ケルビン様?」


 何の用事だろうと思いながら小さく首をかしげると、元々彼の眉間に寄っていた皺が、更にギュッと深く刻まれる。


「何をしている」

「え、屋敷内で好きにしていたのですが」

「部屋はきちんとあるのにわざわざ、こんな場所(書庫室)でか。朝食を食べに来ない事といい、昨日俺が夕食を共にしなかった事への当てつけか」


 どうしよう。

 なぜそういう話になるのか、まったく意味が分からない。


「ケルビン様が『屋敷内では好きにしていい。互いの生活に干渉はしないようにしよう』と言ってくださったので、そのお言葉に甘えていたのですが……」


 もしかして、あれは社交辞令だったのだろうか。

 いやそれか、昨日のアレはすべて私の願望、脳が私に見せた幻だったのかもしれない。


 だとしたら、とてもショックだ。

 なんせノースビークに着たその日の夜から早速没頭するくらいには、ものすごく嬉しかったのだから。


「たしかに言った」


 あぁよかった。

 昨日の記憶が夢幻ゆめまぼろしではなかった。

 ホッと胸を撫でおろし、それから「ん?」とまた首を傾げる。


 じゃあ彼は、一体何が言いたいのだろう。



 メイドのミア曰く「マリーリーフ様は少々鈍感」との事らしいけど、流石に名前は知っていても喋るのどころかきちんと顔を見るのさえ、昨日が初めてだった相手である。

 その内心を察するのは、きっと私でなくとも難しい。



 眉を吊り上げた難しい顔でこちらを見てくる彼は、何か言いたそうにも見えた。

 しかし結局何かを口にする事もなく、ため息と苛立ち交じりの交じりに「もういい」という言葉と共に去っていく。




 結局彼が何をしに来たのか、私には何も分からなかった。

 頭上に幾つもクエスチョンマークを浮かべていると、私の疑問に答えてくれたのはキャラメル色のを後ろで結んだメイドだ。


「マリーリーフ様の言伝をお伝えしたところ『昨日一人で夕食を食べさせたことへの当てつけか。まったく、女というのはいつもいつも……。そんな事をしても無駄だと一言言っておくのが今後のためか』などと言い、わざわざこの部屋まで足を運ばれたのです」

「あらおはよう、ミア」

「おはようございます。先程から辺境伯様と共に、この部屋に来ていたのですけどね」


 彼女は深い紫色の瞳に、私を写しながらそう言ってくる。


 まったく気がつかなかった、と思ったところで「まぁ基本的に視野が狭いのは、マリーリーフ様の平常運転ですが」という淡々とした声で、優しく理解を示してくれる。


「ところで私、昨日何かミアに言伝なんてした?」

「はい。もし朝旦那様にお会いしたら『おはようございます』と言っておいて、と」


 言われてみれば、たしかにそんな事を言ったような気もしてくる。


 そうだ。

 昨日の夜、ここで本たちを読み始めようとした時点で「おそらく朝ごはんはすっ飛ばす事になるだろうな」と思ったから、ミアにケルビン様への伝言をお願いしておいたのだ。


 なんせここにきて、まだ二日目。

 挨拶は、人との関係構築の基本だ。

 流石の私でも最初くらいは、そういう事にも気を遣う。


「でも、何故ケルビン様は当てつけだなんて。私、そんな事一ミリも思わなかったのに」

「間違いなくそちらが少数派ですよ、マリーリーフ様。普通の人は、来たその日の夕食に『自らの体を鍛えるための日課があるから』などという理由で席を空けられたら、少しは不快に思います」

「そういうもの?」

「そういうものです。まぁ私から言わせれば『そういう思考になるのなら、そもそも初日くらいは融通を利かせればいいものを』と思いますが」


 スンとした顔でそう言ってのけた彼女に、私は思わず苦笑する。


 流石に他の人がいる場所ではこんな事は言わないものの、彼女の毒舌は昔からまったく変わらない。

 私も彼女にその毒舌で、今までに何度注意された事か。


「あんな風に決めつけて言いがかりをつけようとするなんて、流石は『女嫌い・社交嫌いの辺境伯』と言われるだけの事がある、という事でしょうか」

「それを言うなら私だって、社交界で『歴史狂い』って言われているわよ」

「その自覚がおありなのでしたら、マリーリーフ様にも是非ともご自重いただきたいところです。そもそもそんな貴方だから、縁談もなく――」


 つらつらとそのような事を言われて、私はもう苦笑いするしかない。

 

 彼女の今の話を否定する言葉を、私はなに一つ持ち合わせてはいない。

 実際概ね事実なのだ、言い返せる筈なんてない。



 場所が変わっても相変わらずの彼女に、思わずクスリと笑ってしまう。

 とはいえ私も場所一つで性格や振る舞いを変えられるほど器用ではないから、あまり人の事は言えたものではない。


 急な婚約、結婚へ向けた歩み寄り。

 そんなものが果たして私にできるのかは正直言って分からないけど、幸いにもケルビン様にはケルビン様で自分のやりたい事に時間を割きたい性格らしい。

 そういう意味では、案外私たちは似た者同士で、うまくやって行けたりするのではないか。


 そんな風に思ったところで、何故かミアがジト目を向けてきた。


「あんな相手と、一体どうやったら上手くやっていけるとお思いですか」


 絶対に無理。

 そう言いたげな彼女の顔に、私は思わずキョトンとした。

 しかしすぐにフフッと笑い。


「言わなくても私が思っている事が分かるなんて、流石はミア」

「まったく答えになっていません。……何故貴女はこうも歴史の事以外となるとポンコツになってしまうんでしょうか」


 更に呆れられてしまったけど、これこそ私と彼女の日常だ。

 私は今日もここに「いつも」がある事に感謝するのだった。


 ~~Fin.

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本作の続編にあたる作品を、カクヨムにて先行公開中です。

続編からは、恋愛模様に加え『歴史研究を応用した領地経営パート』も始まります。

様子を見て長編作品としてなろうにも後追い投稿予定ですので、続きを追ってくださる方は作者フォローをしてお待ちいただくか、画面下のリンクから該当ページに飛んでいただけますと幸いです。

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≪女嫌いな辺境伯と歴史狂いの子爵令嬢の、どうしようもなくマイペースな婚姻≫
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