Act.47『突然の幕切れからの』
歴史上初の特殊な災禍、異次元からの侵攻『幻想侵蝕』。
それは何の前触れもなく唐突に始まり、また何の前触れもなく唐突に終わった。
……らしい。
***
「〈お疲れ様でした、Rx。遊戯盤は閉じられ、侵略者の侵攻は終了しました〉」
第四回地上攻撃部隊迎撃戦の翌日。
いつも通り雪柳にご飯を用意し、自分は作り溜めた料理をアイテムボックスから取り出して食べ、食後のお茶を飲みながらぼーっとしていたら、ナビがふよふよと近づいてきてそう言った。
「……ふぁ?」
あまりにも突然すぎる言葉に、すぐには理解できず。
ポカンとして青いルームランプを見上げる。
「え? なに? どういう意味?」
訳が分からず聞いた私に、ナビはいつもと同じ淡々とした口調で答える。
「〈遊戯盤が閉じられたことにより、Rxが存在していた世界で行なわれていた侵略が終了しました〉」
「遊戯盤って何? イクリプスはマジで誰かの遊びだったってこと?」
「〈遊戯盤と呼称されるのは、遊びである、という意味ではありません。閉じられた後、遊戯盤の上で起きたすべてが“あったけれど、なかったこと”になる、という意味で使われている言葉です〉」
「あったけれど、なかったこと……?」
なんだその謎かけみたいなのは。
首を傾げると、ナビが説明を続けた。
「〈遊戯盤で起きたすべては、盤が開かれた時点で分岐した並行世界での出来事です。盤が閉じられれば分岐自体が“なかったこと”となり、盤上の平行世界は消滅します〉」
「ふぅん……?」
すべてが理解できたわけではないけれど、言われたことはなんとなく分かった。
そうして脳裏に蘇るのは、読経の声と、すすり泣く人の声、瓦礫の中に流れる赤いもの。
おそらくその犠牲はすべて“なかったこと”になったのだろう。
なんとなくほっとして、力が抜ける。
けれど、『幻想侵蝕』が“あった”ままの状態でいる私がここに存在するのだが、それはいったいどうなるのか。
「ナビ。その遊戯盤とかいうのが閉じられて、平行世界とかいうのが消滅したって言われても、私は覚えてるから“なかったこと”になってないんだけど?」
「〈Rxは駒として選出され、召し上げられました。今、Rxの記憶があり、盤上での時間の中で手に入れた物がそのままになっているのは、今後、駒として立ち回るためにそれらが必要となるためです〉」
「駒?」
また変な言葉が出てきたな?
「〈Rx、ここはすでにあなたがいた世界ではありません〉」
色々と言いたいことはあったが、現状確認を優先した。
まずテレビをつけたが、どのチャンネルにしても番組は映らない。
インターネットも繋がらない。
ベランダには出られたけれど、いつも通りに見える街並みに向かって手を伸ばせば、空中で透明な壁に当たってそれ以上は進めない。
最後に、念のためプレイヤー装備に変更して玄関を少し開け、そっと外の様子をうかがってみれば、見たこともない、石造りの長い回廊だけがあった。
「……ナビ。ここはどこ?」
プレイヤー装備を解除して、キャットタワーの上でまどろんでいた雪柳を抱き上げ、腕に抱っこして数分。
少し気分が落ち着いたところで、雪柳のやわらかな毛並みを撫でながら聞く。
「〈主様が『***』と戦う者を集めるために造られた拠点の一つです〉」
今度は聞き取れない言葉が出てきたが、後回しだ。
もう一つ、聞く。
「遊戯盤が閉じられた世界で、私たちはどうなってるの?」
「〈遊戯盤が開かれた時刻に死亡したことになっています〉」
「戻れないんだね」
「〈当機には異世界間を転移するサポート機能はありません〉」
なんか面白そうだから。
楽しかったから。
最初は自衛の為だったけど、続けていくうちにそんな理由で色々と遊んでいた結果、とんでもないことになってしまった。
いつだかふと頭に浮かんだ“異世界転移フラグ”に、いらんところで仕事しやがって、と現実逃避気味に思う。
「意味わからん……。マジかこれ……」
腕の中でじっとしてくれていた雪柳を膝におろして解放すると、そのままそこで丸くなった。
私に巻き込まれた命は、あたたかい。
「……ありがと、雪姉さん」
雪柳が膝の上で丸くなってくれたおかげで、その毛並みを撫でているうちにゆっくりと気持ちが落ち着いてきた。
狭くなっていた視野が元に戻って、思考が通常運転に戻っていく。
深く息をついて、つぶやいた。
「はー……。ビックリした」
そうして落ち着けば、現状はさほど最悪なものではないと思う。
いや、元の世界で死んだことにされた件については「なに勝手なことしてんの」と言いたいし、突然見知らぬ所へ連れてこられた件についても「まず同意取ろうか。ナビいるんだから確認できるでしょ?」と言いたいが。
それはそれとして。
住んでいた部屋ごと連れてこられたから雪柳もいるし、いまだ直視できないけれど、キャビネットの上の小さな仏壇も無事にそこにあると分かる。
あの仏壇には両親がずっとはめていた結婚指輪が入れてあるから、失くしたくないのだ。
部屋ごと一緒に持ってこられたのは幸運だった。
そんなふうに私の執着対象がすべて揃っているから、雪柳が撫でさせてくれていることもあって、ほぼいつもの自分の状態に近くなったことを感じた。
とはいえ、異常事態であることには変わりないので、ある程度の緊張感は持っている。
緊張しすぎると疲れるだけなので、適度にそれを保ちつつ、現状の把握に入る。
まずは情報収集だ。
「ねぇ、ナビ。他のプレイヤーもこっちに来てるの?」
「〈Rxの世界から選ばれたプレイヤーは二名です。もう一名のプレイヤーについての情報は、当機のデータベースに存在しません〉」
「ナビは安定のナビだねぇ」
思わず笑った時、ピンポーン、と。
玄関のチャイムが鳴った。
「〈Rxを担当される枢機卿がいらっしゃいました〉」
反射的に腰を浮かせてプレイヤー装備になった私の膝から雪柳が逃げ、ナビだけが変わらず淡々と言った。
私を担当するすーききょー?
すーききょー、って何だ? あ、枢機卿、か?
すごくうろ覚えだけど、確かコンクラーベで教皇決める人のことだっけ?
いやでも今の状況だとなんか違うっぽいな。
とりあえず偉い人、ってとこか?
数秒の内に思考が走ったが、当人が玄関先にいるのだから見てみればいい。
担当者だというのなら、最初から敵対行動を取ってくる可能性は低いはずだ。
できればもう少しナビから情報収集をしておきたかったが、まあしょうがない。
私はプレイヤー装備のまま、いつもの習慣で足音を立てずに玄関まで行くと、普通に鍵を外してドアを開ける。
「状況への適応能力が高いな。こちらに来てすぐは、動けず籠城する者も多いのだが。君はなかなかに豪胆なようだ」
まだ声変わりもしていない少年が、長い回廊を背にぽつんと立ち、そう言った。
私は目を細めてソレを観察しながら、喋りにくいので防塵マスクを『思念操作』で外し、口を開く。
「私のプレイヤー名はRx。あなたは?」
「君のように集められたプレイヤー達を束ねる枢機卿の一人だ。エクルーズローダー卿、と呼ばれている」
答える唇が、笑みの形に歪んだ。
「早いな。君は気付いている。僕が分からないということに」
そうだ。
目の前にいるのが、少年である、ということは分かる。
だが、分かることはそれだけだ。
それだけなのだ。
髪の色は? 長さは?
目の色は? 形は?
顔立ちに特徴はあるか?
銀の縁取りのある黒のローブを羽織った小柄な彼は、その一切が不明の、まるで“少年”という記号のようだった。
「勝手をしてすまないが、少し話がある。僕の執務室に移動しよう」
彼がすっと右手を上げ、パチン、と指を鳴らした瞬間。
私と雪柳とナビは、見知らぬ部屋に転移させられていた。
トトッと走ってきた雪柳が、周囲を警戒する私の体をのぼって肩に立つ。
ナビはいつもの、ぶつからない程度に距離を取りながらも、私のすぐ近くに浮かんでいる。
本棚に囲まれ、大きくてどっしりとした執務机の置かれた広い部屋で、少年はその一角にある応接セットを示した。
「座って話そう。君にとって今の状況は分からないことだらけだろう。その中でも優先して知りたいことがあるのではないか? 僕に可能な範囲であれば、答えよう」
少年が先にソファに座ったので、ライフルを抱えたまま私もその対面のソファに座った。