Act.??『遊戯盤を見おろす者達』
「中層第二領域、接続切断完了」
円卓に座した三人の枢機卿が、目の前に浮かぶ複数の画面を次々と操作していく。
「主が深層から完全に離脱されたようだ。……中層、第七領域まで切断許可が出た」
「了解。中層の処理を加速する」
「収穫する駒の回収状況は?」
「92%まできているが、予定より進みが遅い。リソースをもう少しこちらに寄越せ」
「駒の保護にリソースを使い過ぎではないか? 事前予測から算出した分に加えて、主から予備としてかなりのリソースを用意されていたはずだろう。これ以上はこの拠点の維持にも影響が出てしまうよ」
「今回は特例だ。仕方あるまい。あと少しなのだから、どうにか都合を付けよう。……エクルーズローダー卿、これで足りるか」
「ああ……、こちらでも最小限のリソースで損傷なく回収できるよう計算していたのだが、これでどうにか、……よし、完了した」
「できるだけ疲れさせて意識の無い状態での回収を狙ったというのに、結局ギリギリだったね。こちらも廃棄領域の処理、完了したよ」
その後も淡々と話しながら忙しなく作業を続け、数分後。
「主が遊戯盤を閉じられるぞ」
慌ただしい空気が一瞬で止まり、静寂の中、どこかで「パタン……」と、本を閉じた時のような音が響く。
円卓の上に浮かんでいたものが、いっせいに消えた。
「今回の収穫は駒二つか。ずいぶんと少なかったな」
一番に静寂を破ったのはグリンデルト卿だった。
アングレイヴィス卿が席から立ち上がりながら応じる。
「適正者はなかなか見つからんものだ。今回は二つでも見つかっただけ僥倖。しかも一つは特異な性質を持った駒だ。かの駒を任されたエクルーズローダー卿に期待しよう」
「貴殿も群れ型の駒を一つ任されたではないか、アングレイヴィス卿。収穫がなかったのは私だけだ。ずいぶんと長く拘束されたというのに、割に合わない」
ぼやいたグリンデルト卿に、エクルーズローダー卿が口を開いた。
「ならば報酬として、以前貴殿が分からないと言っていたことの答えを教えよう」
グリンデルト卿が目を見開き、部屋を出ていこうとしていたアングレイヴィス卿もぴたりと足を止めて振り向いた。
「へぇ。何を教えてくれる? エクルーズローダー卿」
円卓の一席に座したまま、少年は淡々とした口調で言った。
「かの駒の、尽きることなき精神力について―――
以前、主はこう仰られた。あの欠落は侵蝕されて戻らぬ永遠の虚。これは『ありえない残骸』だ、と。
“欠落”とは欠けて失われたもの。“虚”とは何も存在しない虚無。
僕はそう考えていた。
だがその異常な状態に適応し、生きのびたあの駒にとって、それは“己の一部”となった。ゆえにあの駒には精神力の限界が“欠落”し、ただひたすらに何もない“虚”のごとく、消費されていく精神力が“無い”のだ」
アングレイヴィス卿が「ありえん」と咄嗟に口にし、しかし続ける言葉は無かった。
エクルーズローダー卿が頷く。
「そう、『ありえない残骸』。主が仰った、あれはその通りの存在なのだろう」
そして、小さくため息をついて席を立つ。
その背にグリンデルト卿が声をかけた。
「厄介な駒を抱えることになったな、坊や。何か面白いことが起きそうであれば教えてくれ。枢機卿の一人として、その時は尽力するよ」
「断る」
即答して、少年は女を睨む。
「愉快犯は黙っていろ。ただでさえ単独型は癖が強いのだ。貴殿のような群れ型の扱いしか知らぬ悪戯好きに、余計なことをされるのは迷惑だ」
取り付く島もないその言いように、グリンデルト卿は楽しげな顔でくつくつ笑う。
エクルーズローダー卿がそのまま部屋を出ていこうとすると、足を止めていたアングレイヴィス卿が言った。
「抱え込みすぎるな、エクルーズローダー卿」
ちらりと視線をやって、少年は男に頷いた。
「僕はこれを『侵蝕者』について知るための好機であると考えている。だが気遣いには感謝しよう、アングレイヴィス卿」
そのまま部屋を出ていった小柄な背中を見送り、グリンデルト卿が言う。
「我らの中で最も若くも第1位に君臨する枢機卿が、ずいぶんと気を張っていたな」
「たとえ資質があろうとも、あまりに若すぎる。揶揄いすぎることなきよう、自重することだ、グリンデルト卿。枢機卿同士の衝突は、主の好むところではない」
「ふふ。ご忠告をどうも、アングレイヴィス卿」
男は小さくため息をついて、諦めたように口を閉じると部屋を出ていった。
一人円卓に残った女は、妖しく微笑む。
「ふ、ふふふ……。面白いね。本当に、楽しいことになりそうだ。……けれど、あの子はかなり特殊な形で遷移したらしい。私とは違う性質を持っているのはそのせいか、あるいはまた別の要因か……。
できればその存在を教えておいてほしかったのだけれど。それができないほどのイレギュラーだったということかな? でも、本人にその自覚はなくとも、あの子は私の妹みたいなものだろう、ねぇ?」
一人きりの部屋で誰にともなく呼びかけながら、手をのばしてひらりと踊らせれば、応じるようにその指先の空間がぐにゃりと歪んだ。
女の瞳の奥に、歪みの向こうに現れた虚無と同じものが宿る。
けれどそれ以外は何も変わらぬまま、指先で空間を歪ませる虚無と戯れながら、言葉を続ける。
「教えておいてくれれば、どうにかして私の手元に引き寄せたのに。何もしないでいたものだから、エクルーズローダー卿が持っていってしまったじゃないか。
ああ、かわいそうに。あの子は自分が何者なのかを誰からも教えてもらえないまま、ガラスの棺の中の眠り姫でいることが決まってしまった。
……でもまあ、いいよ。ゲームは少しばかり困難がある方が、愉しみも増すというもの。ふふふ、あの坊やに、また悪戯好きの愉快犯と怒られるのも悪くはない」
やわらかな笑い声がひっそりと響く。
しかし次の瞬間、女の姿ごと、その場にあったすべてが消える。
後には静寂だけが残った。