面倒が起きるのであればいっそ
岩を砕き、【融解】で切り出して形を整え、置いていく。その繰り返し。いくら慣れている顕術であっても、何回も行使していればロドの枯渇によって疲れてくる。何度も休憩をとっては繰り返す。
「スフィナ、無理はしなくていいよ」
「い、え。大丈夫です」
息が荒くなっているスフィナに声をかける。
スフィナは切り石を端から敷き詰める役目を志願していた。しかし、切り石ひとつとってもそれなりの重さだ。少女の体では酷だろう。それでもスフィナは弱音を吐くことなく、懸命に切り石を運んでは敷き詰めていく。
せめてもの癒しを、とグウェンはコップに水を注ぎ、スフィナに渡す。スフィナはそれを一息に飲み下すと、ほっと息をつく。
そして、あたりを見渡して、「大分広がりましたね」という。
「ああ。あと数日もあれば完成する、と思いたいな」
何をしているかといえば、少し前にテヴァから頼まれた部屋作りだ。場所は地上から少し下の方に構えることにした。ことあるごとに往復するのは面倒だからだ。
現在の進捗率はおよそ7割ほど。時間があれば進めていたため、想定よりも進みが早いのだが、それでも1週間と少しが経ってしまっている。
一方でテヴァは既に術円の修復を終えており、今は紙に術円の写しをして、あれこれと何かをしている。こちらを手伝う気はないとのこと。
「これが終われば、次は荷物の搬入をしなくてはならないのだろうな」
「面倒だ」とため息をつくグウェンに、スフィナは少し逡巡した様子をみせ、意を決したのかグウェンの傍に近寄る。
そして。
「癒しになるか、わからない、のですが」
そういって、そっとグウェンの口に自身の舌を滑り込ませた。ぴちゃ、ぴちゃとゆっくりと、丁寧な動きで舌を動かし、十数秒後、名残惜しそうに顔の密着が離れる。
しかし、そうしてみえたスフィナは顔をほんのりと赤く染め、潤った目でグウェンを見つめていた。
「……その、申し訳ございません。……もっと、してもいいですか?」
最近、スフィナは甘えることが多くなった。
・
・
「面白い結果がでたよ」
夕食後、腹を落ち着かせるためのコーヒーブレイクの最中、テヴァが紙を見せてきた。
「これは……あの依頼品に描かれていた術円ですか」
そこに書かれていたのはグウェンがいうように術円とその解析結果が簡潔にまとめられたもの。
「アリアカ方程式っていうのは、前後の咳式がわかれば大体は復元できる。けれど、それがどのような術効をもつのかはちゃんと解析しなくちゃいけないくてね。お前さんたちがわしのために頑張ってくれている間に調べてみたのさ。そしたら――」
「【催眠】?」
「といっても、そう強いものじゃあない。その依頼主が言ったように軽く気分を上げる程度のものさ。そう、性欲が少し上がる、つまり媚薬のようなものさね」
紙の端にはテヴァの考察も記載されている。
『この装飾は恐らく女性の膣を象徴したものであると考えられる。いずれかの民族あるいは文化圏において、儀式用具として用いられていたのだろう。その用途は、女性の性欲を増加させることにより繁殖につなげることであると考えられる』
「道理であまり覚えのない咳式だと思ったよ。それはまだ顕術が一般に無秩序に広がっていたころ、犯罪の手段としてよく使われていたものだからね。確か今は統括機関のテリムスの禁書庫にしまわれているんだったっけね。だから、今はまったく世に知られてはいない」
「随分お詳しいのですね。……もしかして、当時から生きていらっしゃっていたのですか?」
すると、テヴァはにんまりと笑みを浮かべた。
「さぁてねぇ? ただ、わしは長生きだよ。とってもね」
「そうですか」とグウェンは話題を切り上げる。あまり聞いてほしくなさそうな雰囲気を感じたからだ。
「しかし、なるほど……恐らく、あの研究員はこの術円がどのような術効を持っているかわかっていたんだろうな」
「ほう、そうなのかい?」
恐らく、テヴァもわかっているだろうにわざわざきく。
一方でスフィナはわかりやすく首を傾げている。
説明してやれ、ということだろうか。
「ええ。そうでないと、あの違和感、いや、怪しさは説明できない。恐らく、あの研究員が見せた研究計画書は正式なものではないのでしょう。人を納得させるためにわざわざ用意したものでしょうね。あの出土品も、恐らく、国に登録はされていないはず。つまり、発掘作業でたまたまあの研究員がみつけ、そして窃盗したもの」
「しかし、どうしてそんなことをしたのだろうねぇ」
「勿論、悪用するためでしょう。効果が弱いにしても、催眠の類です。例えば意中の相手を発情させ褥を共にする、ということもやりようでは可能でしょう。他にも、使い道は多くあります」
「で、でも、テヴァ様がおっしゃるには、この顕術は今は知られていないことなのですよね? どうやってその研究員の方は知りえたのでしょう?」
「……これは完全に考察の域になってしまうが、恐らく、あの研究員はこういったものの研究にずっと携わってきたのだろう。その目的は知的好奇心と文化の解明ではなく、悪用のため。そうでなければ、初めの隠そうとした行動に謎が残る」
「ま、勿論純粋な研究対象の術効が誤解されるのではないかと恥ずかしがっていた可能性も否定はできないが」とグウェンは肩を竦めた。
「わしもそんなところかね。まぁ、遺骨からわざわざ肉体を修復するよりはよほど現実的な考えなんじゃあないかねぇ」
「そうでしょうか? 私には、みつかるかもわからないものにかけて探し続ける方が辛いと思いますが」
欲動の根底が性という点ではグウェンも研究員の男も同じだ。しかし、その手段に対して、グウェンは修復の技術に、研究員の男は【催眠】の顕術に賭けた。
「ただ、お前さんは死体を使っているからあまり問題にはなっていないが、その研究員の場合、近いうちに問題が起きるんじゃあないかねぇ」
「……そうですね。ちなみに、この術円に相手の意識を意のままに操る力は?」
「いーや、ないねぇ。なにせ、元の用途は繁栄のためだ。意識まで操る必要はないだろうさ」
となると、例えば研究員の男はこの儀式具を用いて、快楽に浸ったとしても、術効が溶けてしまえばたちまち捕まってしまうことだろう。
そうなると、どうなるか。
「まず、儀式具が押収され、解析がされ、修復元が捜索され、この店に疑いの目がかかる、と」
「そうなると、家宅捜索、なんてこともあるかもしれない」
それは困る。グウェンの本心であった。
なにも邪なことがなければ問題ないのだが、この店には邪なものがありすぎる。
素人が捜索するならまだしも、捜索の専門家にかかれば、最近はずっと扉の状態になってしまっている地下への階段なんて簡単にみつかってしまうだろう。
「……書き換えることは可能ですか?」
「できなくはないけど、かなり難癖がつけられるだろうね。この顕術の知識は持っているだけでも罪になることがある。そこを指摘されると面倒だろうね」
「修復したらなぜか変わった、という筋書きは?」
「稚拙だろう。それに、難癖をつけられて面倒なストーカーに付きまとわれるのは変わらないよ」
「それなら――」
使用後の行為の最中に盗むもだめ。どのみち、この店が話題にあがる。
使用の前に盗むもだめ。あれこれとこの店にくることだろう。
「――殺すか」
口封じにおいて最も確実な方法。
「大胆にでたじゃあないか? お前さん、過去に人間を殺したことがあるのかい?」
「ほんの数回ですが」
ちらりとスフィナをみる。
すると、スフィナは穏やかな顔で首を横に振った。
「大丈夫です。……わたしも、人を殺めたことはありますので」
「……そうだったのか」
「わたしたちも理性があるだけで動物です。動物が互いに殺し殺されているように、人間だって殺し殺されするものだと思っています。それに――」
ふっ、と。
「――恐らく、その方は殺してかまわないと思います」
聞いたことのない、スフィナの声だった。
穏やかな顔でありながら、冷酷さを感じさせる声音。
その理由は、きっと過去にある。
「なら、殺してしまおう」
否定するものがいないならこれが最も手っ取り早い。
手段が決まればあとは仔細を詰めるだけ。
ただ殺すだけでは足がつく可能性は十分すぎるほどにある。ばれない方法を模索する必要があった。
「……わしに任せてみるのはどうだ?」
また、テヴァが怪しげに笑っていた。
・
・
研究員の男はヴァルト、という名であるのが契約書のサインから判明している。
そのヴァルトは朝早くにやってきた。
しかし、グウェンが夜、通常であれば閉店後にきてほしいと告げる。それは、まだ術円の修復に時間がかかっているため、夜まで待ってほしいというもの。勿論文句を言ってきたヴァルトであったが、急いで修復すると術効が変わってしまう可能性があるため、慎重に進めていたら時間がかかってしまった、急ぎでいいならすぐにでも修復を終えるが、と伝えると、ヴァルトはしぶしぶ引き下がった。その際、待たせてしまうお詫びとしてその日限りのパブでの酒の時間付き飲み放題券が渡された。
その後、夜になってやってきたヴァルトに予定通り依頼の品である儀式具を引き渡す。術効を確認したのかと問いただしてくるヴァルトにグウェンは、どうにか修復はしたが、術効までは解読できなかったと伝える。すると、「……そうか」と足早にヴァルトは店を去った。
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長年の夢、ずっと追い求めてきたものがようやく手に入った。
一体どれだけの年月を発掘に費やしてきただろうか。泥に混じってピッケルを振るい、苦手な肉体労働に悲鳴を上げながら苦労した日々。それが今日、ようやく報われたのだ。
その日、ヴァルトはあからさまに浮かれていた。パブで悪酔いするほどにだ。
【催眠】の術円が描かれた儀式具。その存在自体は既に確認されており、いくつか発掘もされていた。しかし、ものが出土品であるため、歴史的価値と顕術の研究のために平研究員であるヴァルトには触れる機会すら与えられなかった。
あれがあれば何も報われないこんな人生に終止符を打つことができる。女にもてることもなければ、金持ちになれるわけでもない、つまらない人生。しかし、【催眠】さえあれば、すべてが意のままになる。
ヴァルトは決して顕術に精通しているわけではなかった。そのため、儀式具の術効をきいても、出力や少し形を変えればより強力になるものと思っていた。つまり、強くロドをこめれば強力な催眠具になると。
今回こうして手に入ったのはまったくの偶然であった。発掘仲間の目を盗んで持ち帰るのは苦労したが、その甲斐が報われたというものだ。また、修復店の店主からもかなり際どいことを言われたが、どうやら正確な術効まではたどり着けなかったらしい。
ヴァルトは安心しきっていた。もう人生は素晴らしいものになると信じてやまなかった。
深夜。ふらふらとした足取り、ふらふらとした思考でヴァルトは考える。
まずは手ごろな女を捕まえて試してみよう。それが良好なら……そうだ、修復店にいた店員。あの娘は本当に可愛らしかった。あの娘を催眠にかけ犯してやろう。それにあの店はそれなりに儲かっているようだった。あの店から金むせしめてやろう。そうすれば自分はどうしようもなくこの世界で勝者になれる。
そうして、寮に帰るため、人気のない道を歩いていると――ふと、視界が揺れた。
酔いすぎたか? 視界がおかしい。なぜ、真上の空がみえるのだろうか。小太りの自分では今の体勢で真上を見ることができない。それに、なぜだ、首が戻らない。いや、息が? なぜ――
「テヴァさん、終わりましたよ」
そんな声が、ヴァルトが人間として聞いた最期の声だった。
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・
研究員の男が倒れる。その際、音を立てないように支えることも忘れない。
「驚くほどの手管だね。お前さん、ただの修復師じゃあなかったのかい?」
テヴァの声は想定していたが半分、想定していなかったが半分、というような声音であった。
「自衛のために少し、というのは冗談で、色々と実験のために肉片が必要な時期がありまして。それで生活費ついでに裏の仕事をしていたころがありましてね。そこで学んだんですよ」
「ああ、そういうこと」
頷くテヴァを尻目にグウェンは鞄から儀式具と計画書を奪う。代わりに、白紙の紙束とテヴァの所持品であった骨董品を入れる。
そして、右手に非常に度数の高い酒を握らせる。
「これから先はお任せしても?」
「ああ。そういう手筈だからね」
そう言うと、テヴァは片方の手をヴァルトの心臓に当てた。
そして、一節。
『イラム・トゥルト』
ロドが活性化し、術円が当てた手に出現し、収束し、消えていく。
「"立ち上がれ"」
テヴァがそう言った次の瞬間、ヴァルトがゆっくりと起き上がる。
しかし、目の焦点は合っておらず、首は折れたまま。
「言っておくけど、リビングデッドではないよ? さっきも言ったけど、これはわしのロドを通して一時的にわしの魂と同期し、肉体を操作しているだけだ」
「わかっています。なぜ、二度も同じ説明を?」
「お前さんが言いたそうにしていたからさ」
そして、テヴァはヴァルトの死体に命じる。
「"まっすぐ歩き、穴に落ちろ"」
すると、ヴァルトの死体はゆらゆらと歩き始めた。
「これでいいだろうね」
「では、すぐにここを離れましょう」
そうして、二人は闇にまぎれた。
数日後、ヴァルトが枯れ井戸に落ちて亡くなっている姿が発見された。
スフィナに買い出しついでにききこみを行わせると、死因は酩酊による落下事故となったとのこと。様々な追跡調査の結果、骨董品と白紙の紙、そして修復店の修復依頼の控えがあったこと、パブや修復店のききとりなどから、どこからか骨董品を見つけたヴァルトが修復店で修復を依頼した後、気分よく酒を飲んで酩酊し、寮に帰る途中、足を滑らせて枯れ井戸に落ちてしまった、という筋書きになったらしい。
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