再会
「……ふむ」
グウェンの前、作業机の上には例の出土品が置かれていた。
今は汚れが落とされ、綺麗な状態になっている。装飾部分はすでに修復が完了しており、残るは術円だけとなっている。
「アリアカ方程式なんぞ少し齧ったくらいなせいか……思ったより、計算がしにくい」
現在主流となっている咳式はトルクレト韻律方程式。言葉の響きをもとに、概念ごとに順番をつくり、その通りに紡ぐことで顕術を発現する理論・技術。一方で、アリアカ方程式は概念を記号によって表し、即興で記号を記述することで世界の概念を引用する理論・技術。利便性という観点からトルクレト音律方程式に時代が変わってから、アリアカ方程式はこうした術円の中でしかみられなくなった。
顕術について唯一学ぶことのできる王立大学では当然術円の描き方も教わっている。しかし、それは基本のことだけであり、これほど綿密に描かれているものを完全に解読するのは難しい。そもそも一部は消えてしまっているところもあり、修復のためには残された咳式からどのような顕術であるのかを推測し、書き足さなければならない。
ぱっとみてある程度解読できてしまったため、いけると思ったのだが、そう簡単にはいかないようだ。
「ご主人様、どうぞ」
ことん、と珈琲が置かれる。
「ありがとう」と礼を言い、口に含む。
「どうですか?」
「久々に上手くいかないこともあるのだと痛感したよ。やはり、専門外のことはするものじゃないな」
「ご主人様でも難しいことがあるのですね……」
「難しいことだらけさ」
さて、どのように対処するか。
方法はある。ただ、そのためには時間が必要だ。そろそろだとは思うのだが。
「一度、これは戻しておこう」
・
・
数日後、その時はきた。
夜のことである。仕事も落ち着き、スフィナとゆっくり珈琲を嗜んでいると、こんこんと扉が叩かれる。
スフィナに確認をお願いすると、懐かしの声が聞こえてきた。
「やぁ、久しぶりだねぇ。うん、元気そうにしているじゃあないか」
「テヴァ様!」
その声に、グウェンも立ち上がり店頭に向かう。
「ああ、テヴァさん、お待ちしていました」
「ほう? まさかお前さんからそのような言葉がでるとは。わしの体が恋しく……というわけではないようだね」
すんすんとテヴァが臭いを嗅ぐしぐさをすると、「これは……」と怪しげな笑みを浮かべる。
「と、そうだ。荷物を運ぶのを手伝ってほしくてね。頼めるかねぇ?」
グウェンもスフィナも運ぶほどの荷物というものに疑問はあるものの、二つ返事で快諾する。
が、しかし、店をでたところで、馬車に積まれた謎の大荷物を前にたまらずたじろぐ。
「テヴァさん、この大荷物は――」
「わしの全財産さ。まとめるのに少し時間がかかってね、それでこっちにくるのが遅くなったのさ。ということで、運んでもらえるかい? わしはこの通りか弱いからね」
「そうではなく、なぜ、その荷物をここに」
「うん? そりゃあ、これからここに住むのだから、当然だろう?」
その言葉に、グウェンは顔を手で覆った。
「……いくらなんでも、突拍子もない」
「それでもお前さんは対応してくれるとの信頼さ」
そして、早くとせかしてくるテヴァにため息をつきつつ、グウェン達は荷物を運び入れた。
いくつもの木箱を一旦私室に運び込むと、テヴァは荷車を庭に外し、馬をリードでつなぐ。
「さすがに厩はありませんよ?」
「なぁに。手配してある。明日にでも大工がくるだろうさ。世話だってスフィナができるだろう?」
「は、はい、馬のお世話も私の仕事のひとつでしたので」
「……場所を占有する気しか感じませんね」
「かかっ、そうでもないさ。場所だって考えている」
「にしたって、なぜ突然?」
すると、「なぜってねぇ」とテヴァがグウェンをねめつける。
「契約でわしは当分この街から離れることはない。そして、定期的にお前さんに会いに行く必要がある。となると……いちいち行ったり来たりが面倒だろう?」
「まぁ、そうでしょうが」
「なら、初めから同じ場所で寝泊りすればいいだけ、ということさ」
なるほど、単純明快であった。利便性という上でもこれ以上のことはないだろう。家主の意見を聞かずに実行したことを除けば。
とはいえ、突然のことに驚いたが、実際のところグウェンにとってもこれは非常によい。なぜなら、導魂士としての力をいつでも借りられることになるのだから。
「……わかりました。しかし、荷物はどうするのですか? さすがにこれだけあると、中身をすべてとりだせるか……」
「それについてはわしに考えがある。そう、お前さん、わしに部屋をつくっておくれ」
その言葉にいよいよグウェンは嫌そうな顔をした。
「……ご存じでしたか」
「あんな地下、どの業者にだって頼めないだろうからね。お前さんがちまちま頑張ったんだろう? そのお得意の顕術で」
すると、部屋に散らばった木くずなどを集めていたスフィナが驚きの声を挙げる。
「あの地下を、ご主人様が?」
「……ああ。【融解】の顕術を使ってね」
やり方は簡単だ。【融解】によって、ブロック状に岩を切り取り、それを何度も何度も繰り返す。毎日こつこつ 行い、二年かけて実現したグウェンの大作だ。
その苦労は、今でさえ思い出したくないほど。途中で諦めようかとすら思ったほど、その単純作業は途方もなく、終わりが見えなかった。それを、もう一度しろとこの幼女まがいの少女はいう。
「別に、また大きな苦労をしろというわけじゃあないさ。階段の途中にこじんまりとした部屋をひとつつくってくれればいい。そうすればこの荷物はそこに押し込めるし、ここの部屋を圧迫することもない」
「それでも十分な苦労ですが……はぁ、わかりました。結局、その方が便利であるのは違いない。しかし、代わりに貴女にも手伝ってもらいますよ」
「それは、あれのことだろう?」
と、テヴァが保管部屋を指さした。
「あ、そっか」と視界の端でスフィナが頷いていた。
「ええ。とある出土品の修復を依頼されていまして。かなり綿密な術円が施されていましたのでテヴァさんに意見を伺おうと思っていたのですよ」
「だろうね。じゃあ、お前さんは部屋をつくる、わしはそいつを修復する、でいこうじゃあないか」
「……思ったのですが、貴女が私に手伝うのは最初の契約にあるのでは?」
「これは必要経費というやつさ。第一、わしが部屋を作ろうものなら、何年かかるやら。それはよくないだろう? それに頑張った分は、沢山この体を使ってやるさ」
「と、そういえば」と、テヴァの視線がスフィナに向く。
「スフィナ、主人とはうまくやれているかい? 色々と」
「は、はい! テヴァ様の仰る通りでした! でも、まだまだ勉強不足なところもあり……また、色々と教えていただけませんか?」
「おお、そうかいそうかい。それは良かったじゃあないか。少し心配だったけど、上手くいっているようだね」
「なら」とおもむろにテヴァはグウェンの手を引くと、ベッドに向かう。
「早速勉強の時間だよ。わしも久方ぶりだからねぇ、少し楽しみにしていたんだ」
「テヴァさん、まさか――」
「そのまさかさぁ。さ、嫌がる振りはおよしよ。ほら、スフィナ、もっと近くにおいで。今日は新しい技を教えるからね。その後はお前さんも試してみるんだ。いいね?」
夜。
初めて二人を相手にしたグウェンはどうしようもなくしぼられた。
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