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初体験

 翌日、目が覚めると、スフィナが姿見の前に立っていた。

 ぺたぺたとひっきりなしに自分の顔をさわっているのが後ろ越しでもわかる。

 ひっついて眠っているテヴァをゆっくりと引きはがすと、グウェンはスフィナの傍に近寄った。


「スフィナ、何か違和感でも――」


 体に違和感が起きたのかときこうとしたグウェンはたまらず言葉を詰まらせた。

 泣いているのだ、スフィナが。

 すわ、何かあったのかとスフィナの肩を掴むと、ばっとスフィナがグウェンをみる。


「わたし、わたし、こんなに、わ、わたし」

「どうした、とにかくゆっくり息を吸って」


 しかし、ついにはひっくひっくと静かに泣き始めた。

 本当にどうしたのかと困惑していると、音に気づいたのだろう。テヴァが「ふわぁ」と欠伸に伸びをして、目を擦っていた。

 そして、二人の状況と姿見を確認すると、「ああ」と得心がいったような声をだす。


「問題ないよ」

「何がでしょう?」

「その子は生前、随分醜い顔だったらしい。だから、貴族仕えの時はかなりの待遇を受けていたそうだ。ある意味、顔が原因でこの子は人生を満足に全うできなかったといってもいい」


「嬉しいんだろうねぇ」とテヴァはまた横になる。

 グウェンはスフィナをみる。うわ言のように「こんなに綺麗に、こんなに」とつぶやき続ける彼女をみて、そっとグウェンはスフィナを抱きしめ、泣き止むのを待つことにした。


 ・

 ・


「それでは、依頼をお引き受けできないものとしては生物と、損傷が激しくて原型を留めていないもの、いわくつきのもの、でしょうか」

「そうだね。基本はそれでいい。勿論場合によっては引き受けることができるものもあるかもしれないが、その判断は君に任せる。不安なら私を呼んでくれてかまわない。そうそう、時折、関係を修復してほしいなんてものがくることがあるが、丁重にお帰りいただいていい」


 人間として正しい生活に戻ったからか、数日経って、スフィナは日常生活を送るうえでは不自由ないほどになった。

 この数日、いくつかの変化があった。

 ひとつはテヴァが遂に店を離れることになったということ。時間が経ち、力が戻ったことで、店に居座る理由がなくなったためだ。勿論、契約自体は履行中のため定期的に会いに来るし、テヴァの体に飽きるまではこの街に居続ける。そして、飽きというのは未だにきていない。

 去り際、スフィナに「わしの代わりにこの男の夜の世話は任せたよ」と言ったのは、余計なお世話であった。

 二つ目の変化は、新しくベッドが新調されたこと。ベッドが運ばれたとき、職人からおかしな疑惑が向かないように初めは住み込み用としてグウェンのベッドから離れたところに配置されていた。しかし、すぐにスフィナの言葉によってグウェンの隣にくっつけられた。わざわざそのようなことをしなくても、といったことをスフィナに伝えると、「いえ、これでいいんです」とのこと。テヴァの言葉に感化されたものではないと信じたい。

 そして三つ目、スフィナが回復したことで、遂に人材不足の問題が解消されたということ。一昨日から簡単な家事はスフィナがするようになり、本日、スフィナは店員として受付に立つことになった。


「慣れないことだろうが、無理はしなくていい。わからないことはすぐに呼んでくれ」

「かしこまりました。どうぞ、わたしにお任せください」


 ただの人間がいうならば不安な言葉であったが、スフィナがいうと、確かな安心感があった。

 その安心感の由来はまさにこの数日の成果からきていた。

 あまりに仕事ができるのだ。慣れない体を使いながら、それでもスフィナはあらゆる家事に対応して見せた。掃除をさせれば細かいところまで綺麗に拭かれ、保管部屋の整理を任せればグウェンの癖に合わせた最適な整理がされている。歩くことに不自由がなくなってからは、地下の女性たちの管理も行うようになった。そして、それらを幸福そうにするのだ。

 空いている時間は店前の掃除などの雑用をお願いし、グウェンは作業机に戻る。

 それから、修復作業に勤しみながら時折やってくる客の対応をするスフィナの声に耳を傾ける。


「かしこまりました。こちらのお品につきまして、修復に要する期間を店主に確認いたします」

「申し訳ございません、そちらのお品は当店では対応が難しく……」

「はい、ご依頼いただいていたテルワ様ですね。今お品をお持ちいたします」

「え、か、かわいい? えっと、あの、あ、ありがとうごうざいます……」


 一部、スフィナの容姿に目を付けた客の対応に慌てることはあったが、概ね理想的な立ち回りであった。

 しかし、「あれ、グウェン様でいらっしゃらない!?」という声にグウェンは立ち上がる。覚えのある声だったためだ。

 受付に向かえば馴染みのある顔がスフィナと会話をしていた。


「え、えっと、あなたはどちらの……」

「わたし、最近店主であるグウェン様に住み込みでお雇い頂いているスフィナと申します」

「す、住み込み……その、店主と店員、ですのよね……?」

「? はい、そうですが」


「いらっしゃいませ、ルミアさん」とグウェンが声をかけるとばっと令嬢がグウェンをみる。


「グウェン様! この方は、本当に、雇われた方なのですか?」

「ええ。なにか、ございましたか?」


 グウェンが穏やかにいうと、ルミアは少し慌てるように指を合わせ始めた。


「えっと、あまりに可愛らしい方でしたから……もしかしたら奥様かもしれないと思ってしまいましたので」

「そんな、恐れ多いことです。わたしがグウェン様の伴侶など」


 目を伏せるように、控えめにスフィナがいう。


「で、でも、グウェン様から求められたら……」

「もしそうなれば、喜んでお受けしたくはありますが……ですが、とてもグウェン様の隣に立つなどできません。わたしは、グウェン様のお傍に仕えているのが最もな誇りなのです」

「ほ、誇り……」


 思っていた回答となにか違うのか、ルミアが目をぱちぱちさせる。

 そこに助け舟を出すべく、グウェンがスフィナの方に手をおく。


「この子は少し訳ありで、身寄りのないところを私が保護したのですよ。器量があるので今はこうしてここで働いてもらっているのです。ですから、どうもスフィナは必要以上に私に恩義を感じているようでしてね。私も善意につけこんで結ばれようとは思いません。そのため、生憎とルミアさんが思うような関係にはならないと思いますよ」 


 そう言うと、なぜか「そ、そうなのですね……!」と嬉しそうにしていた。


「それで、今日はどのようなご来店で?」

「あ、はい。今日も依頼をしたくて」


 それからは流れは同じだった。

 依頼を確認し、可否を判断し、契約を結ぶ。

 今回も依頼を引き受けたのち、おもむろにルミアが言ってきた。


「あの、グウェン様」

「どうなさいました?」

「その……今度、私の屋敷でお茶会を開こうかと思っているのですけど、よ、よろしければご一緒にいかがでしょうか?」


 ルミアの提案にグウェンは「ふむ」と思考する。

 例えば、意図であったり、行く価値であったり、逆に行くことでおこる面倒ごとであったり。


「……お誘いいただけるのは大変嬉しく思うのですが、お茶会となると他に誘われる方もいらっしゃるでしょう? そうなると、恐らく私はあまり歓迎されない客となってしまうでしょう。……ですから、もし私を個別に招待いただける機会があるのでしたら、喜んで」


 グウェンの言葉に悲しそうになっていくルミアであったが、最後の言葉で目に輝きを取り戻す。


「本当ですか!」

「ええ。今回はどうぞ、お茶会を楽しんでらしてください」


 結果、ルミアは嬉しそうな笑みを浮かべながら付添人とともに店を去っていった。

 閉まった扉を見つめいていると、横合いからスフィナが声をかけた。


「あのお客様から、とてもお慕いされていらっしゃるのですね」

「どうやらそうらしい」


 そういうと、「ご存じだったのですね」とスフィナが控えめに驚く。


「あからさまだったからね。年頃の少女だ、恋の一つや二つ、簡単にするだろうな。一体私のどこがいいのかはわからないが」

「ふふっ、ご主人様は本当に紳士的で優しく接してくださいますから。そこに惹かれたのかもしれません」

「紳士的? とても私には似合わない言葉だ」

「そうでしょうか?」

「君は私の裏の顔を知っているだろう?」

「それを含めてです。わたしは人間を道具とすら扱おうとしない人間を知っています。多くの人間の心を壊しながら悠々と社会でふんぞりかえる人間も。でも、ご主人様はそのようなことをしません。今の私に対してそのような扱いもできるのに、まるでひとりの人間として丁寧に接してくださいます。これを紳士的といわずに、なんといいましょうか」


 熱意のある言葉にグウェンは頭をかく。


「……あまり褒めないでくれると嬉しい。背中がむず痒くなる」

「はい。そうしましたら、わたしの胸の内にとどめることにいたします」


 本当に、貴重な人材だ。今のところ、とてもスフィナがグウェンのもつ秘密を誰かに口外するとは思えない。


「さて、もう少しで日が暮れる。それまで、もう少し頑張ってくれ」


 グウェンが接待しなくなったことで、かなり修復作業に集中することができた。第一、かなり楽だ。雑用をしてくれる人間がひとりいるだけでこれほど違うというのか。

 日が暮れ、店が閉まるころには、保管部屋の未修復品はわずかとなっていた。進捗状況としてはかなりのものと言っていい。

 たまらずスフィナを褒めずにはいわれなかった。


「ありがとう。君がいるだけで、これほど楽になるとは思わなかった」


 すると、スフィナはそのまま固まり、突然涙を流し始めた。

「スフィナ?」とグウェンが困惑する中、「いえ」とスフィナは目を擦る。


「申し訳ございません。あまりにご主人様のお言葉が嬉しかったもので。さ、それではお夕飯おつくりいたしますね」


 スフィナの情緒がまだ不安定であるのは今日まででよく知っている。今回もそうなのだろう。

 グウェンはひとり頷き、スフィナが夕食を作る間もできる作業をして待つ。

 夕食は、もちろん美味であった。スフィナがいつの時代の人間であったのかは明確ではないが、ここ最近のものではないのはテヴァから伝えられている。場所や時代によって食材は変わってくるのに、スフィナは見事に対応して見せた。

 夕食後は体を洗い、寝る準備を始める。いつもであれば、暗がりの中、まだ修復が終わっていない品にとりかかっていたのだが、スフィナの尽力によって余裕ができた。

 それにしても……


「…………」


 変化といえば、最近ご無沙汰であるという点だ。

 さすがに女性がいる中で、堂々と地下に犯しに行く度胸はない。スフィナのこともあり、これまではできるだけ気にしないようにしていたのだが、限界が近づいていた。


「少し早いが、今日は慣れないことをして疲れただろうからそろそろ眠るとしようか」


 そうして、明かりを消し、二人は床につく。

 それからしばらく。スフィナが眠ったであろうところでグウェンはそっと起き上がる。

 カンテラに火をつけ、こっそりと地下に行こうとして――


「……その、ご主人様」

「……! スフィナ、起きていたのか」


 スフィナが身を起こす。

 グウェンはスフィナのもとに戻ると、そっと肩に手を置く。


「いい、君は寝てなさい」

「……ご主人様、地下に、行かれるのですね」

「……そういえば培養液を新調するのを忘れていてね。時間があるうちに準備しておいて損はない」

「違い、ますよね」


 断定するような言葉にグウェンは言葉を詰まらせる。


「致しに……いかれるのですよね?」

「……まぁ、ね」

「でしたら……その、その、わたしにご奉仕、させてはいただけませんか?」


 スフィナが顔を赤らめながら言う。

 その提案にグウェンはゆるゆると首を横に振った。


「いや、無理はしなくていい。私も、無理強いするつもりはないし、君を苦しませてまで快楽に浸れる余裕はない」

「違うのです。わたしは、少しでもご主人様のお役に立ちたいのです。これは無理なのではなく、わたしの心からの願いであって……だって、わたしは、まだまったくこの御恩をお返しできていません」


 と、スフィナがうつむいた。


「勿論、君が恩を感じてくれているのは嬉しいが、これは私だけの功績じゃない。テヴァさんの助け合ってこそだ」

「わかっています。それでも、このような奇跡を可能にしたのはご主人様がいてくださったからなのです。テヴァ様とは、わたしが魂の姿であったときにお話したことがあります。完璧な肉体さえあればできるのに、と。だから、この体をくださったご主人様はわたしにとって神様のようで、少しでもこの御恩をお返ししたいのです」

「うーむ……」


 それもまた、無理強いのようなものだ。善意につけこみ、健気な娘を貪る。

 グウェンとしては乗り気ではなかった。

 しかし。


「それに……これは、わたしがお頼み申し上げることになるので、とても逆のことをしているとは承知しているのですが……その、わたしも、してみたいのです」

「してみたい?」

「わたしは生前、醜い顔と蔑まれていました。わたしに手をつける殿方はいらっしゃらず、そのような経験は一度もありません。他の女性からきくに、苦痛ばかりがあるのだとのことでしたが……それだけではないことを、テヴァ様が教えてくださったのです」

「ああ……テヴァさんに、色々と吹き込まれたか」


 余計なおせっかいを、とグウェンは息をつく。


「はい。きっと、この体験は、ただでさえ今幸福なわたしをさらに幸福な気持ちにして、そしてご主人様のためにもなる、と。……ご主人様にとって、この体はもう使い飽きたかもしれません。ですが、いつかご主人様にご満足いただけるよう勉強するので、どうか……」


 一体、この少女の言葉にどう返すのが理想であったのか。

 グウェンからみれば、スフィナの行動は自発的であれ、無理強いのようなものだ。しかし、それをしたいのだというならば、無理強いと言えるのか。白とも黒とも言えないスフィナの発言。

 ふと、口から漏れたのはこんなものだった。


「だから、自我がある人間は相手し辛いんだ」


 とはいえ、健気に見つめてくる少女を断るというのも良心の呵責を覚えてしまう。

 だから。

 グウェンはスフィナに顔を近づけた。


「一度、試してみよう。嫌な思いをするなら言うように。いいね?」

「……は、い」


 そうして、グウェンはスフィナに口づけをした。

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