2人目
1週間後。
テヴァがロドを体に馴染ませるのに必要な期間。
その日の夜。地下にはグウェンとテヴァの二人がいた。
目の前には亜麻色の短髪をした、十代後半になったばかりというような少女が棺に眠っていた。
「そういえば、お前さん、どうして生命活動も正常であるのに、起き上がらないのかと思ったことはなかったのかい?」
「ええ、ありましたよ。私にとってはむしろ意識を取り戻さない方が好都合でしたので特に問題に感じてはいませんでしたが」
「ああ、そうだったね。けれど、もし意識を取り戻していたらどうしたんだい?」
「その時は、少し脳を弄って意識を取り戻さないような方法を模索していたでしょうね」
「ちぐはぐな考えだね」とテヴァは肩を竦める。
確かに、グウェンは人が傷つく姿は見たくないといいつつ、脳を弄るという。それは傷つく姿を見る前に、そういう可能性を潰すために脳を弄るわけであるから、ある意味で筋が通っているかもしれないが、だとしてもなかなかに物騒な思考であるのは違いない。
「まぁ、意識を取り戻す、というよりも自我を持つ、といった方が良いでしょうかね。自我を持つには魂が必要だとはまったく想定していませんでしたが、言われてみればなるほど、と思ったものです。さすがに魂は修復しようにもできないですからね」
触れられるものならまだしも、グウェンは魂に触れる手段はない。もしかしたら導魂士からの教えがあればできる可能性もあるかもしれないが、そもそもグウェンは自我を持ってほしくないから、不要な技術だ。
「肉体は魂の容れ物。世界に干渉できない魂は肉体を通して世界に干渉する。だから、肉体だけでは何もできないのさ」
「さて」と。
「それじゃあ、魂について勉強もできたところで、始めようかね」
「とはいいますが、条件に合う魂はどうしたのですか?」
魂というのはぽっとどこからか自然発生するものではない。つまり、探してくる必要があるのだが、この1週間、テヴァは店でごろごろとするばかりで何もそれらしいことをしていない。
そうそう、結局テヴァは体に問題がないと判じられてからも店に居座り続けた。曰く、ロドが馴染んでないこの体では、自衛ができないからとのこと。確かに、それはそうであるし、悪漢に犯されるなんてことになったらグウェンは怒りで震えるだろう。
だからこそ、魂をどうするのかという疑問であったのだが。
「それは問題ないよ。わしのお気に入りを使うからね」
とテヴァがいう。
「わしもお前さんと一緒でね、気に入った魂を見つけると引き連れるのさ。面白いやつであったり、素敵なやつであったりね。その中に、ひとつ、お前さんにピッタリな魂がある」
「なるほど。……よろしいので?」
コレクションを失うことへの葛藤はグウェン自身よくわかる。
だからこそ、そんな簡単に他人に譲っていいのか、という思いできいたのだ。
しかし、テヴァはにやりと笑って一蹴する。
「先行投資、というやつさ。たとえ、ここで失ったとしても、恐らく問題ないと考えたのだよ」
ただ、その言葉は容量を得ない。
微かに首を傾げたグウェンであったが、逆にテヴァから言われる。
「お前さんはいいのかい? 自我があるのは嫌なのだろう?」
「必要経費と割り切っています。それに、今は不思議と他の子に欲を向ける気にはなれなくてですね」
「不思議だねぇ」
「貴女のせいとわかっているでしょう?」
「なにを言うかね。条件に健気に従っているだけさ。けれど、それが幸いしたね。今後はもっと積極的にシてやらくちゃ」
「……早く始めてください」
「性処理を?」
「魂の移植を、です」
さすがに1週間共にいればだいぶ気の置けない関係にもなってくる。ただでさえ、毎晩体を重ねているのだ。他人には気遣いをしがちなグウェンであっても、遠慮はいらないのではないかという思いが芽生えるほど。
だからこその軽口の応酬を終えて、テヴァは杖にロドを流す。
テヴァの目が淡く光る。本来目に見えないものをみているのだろう。
「そういえば、お前さんには聞いてなかったね。お前さんは、また人間として生きたいかい?」
テヴァが虚空に向かって言う。
「……そうかい。それは殊勝だね。けどね、仕えるのはこの男だよ? お前さんがかつて仕えていた貴族なんかじゃあない。尽くし甲斐がないんじゃあないかね?」
「……貶してくれますね」
「うんうん……ほう? なるほど、すまないね、お前さんの未練を軽く見ていたようだ。なら、喜んで手を貸そう。積もる話はお前さんが人間になってからでもいいだろうね」
やがて、結論がでたのか、テヴァは虚空に左手を伸ばす。
そして、一節。
『カルナ・レイサ』
そして、棺に眠る少女の心臓に右手をあてる。
『カルナ・メルタ・トイラムレ』
二節。
虚空が淡く輝き、テヴァの体を経由して少女の体に何かが流れていく。
この光景をグウェンは知っている。
しばらくして、光が消え、テヴァが少女から手を離す。
「ふぅ……さて、無事にいけたかね?」
グウェンは無言で亜麻色の髪の少女をみつめる。
もし、自我を持って動き出したなら、死者蘇生という奇跡をまた目の当たりにすることになる。
そうして――
ぴくりと、指が動いた。
「……ぁ……あ、ぁ……」
声のような何かが少女から発せられる。
しかし、テヴァの時のようではない。
傍らのテヴァをみれば、少女を興味深そうにみていた。
「これは一体どういうことか……ああ、わかったぞ。恐らく、魂でいる期間が長かったために肉体の動かし方を忘れてしまったのだろうね。ひとまず、溺れるといけない、顔だけでもあげておくとしよう」
グウェンが指示に従い、少女の頭を液体よりもやや高めに固定する。
「動かし方を忘れただけで、声は聞こえているのだろう? おきき。しばらく、その調子で体の動かし方を思い出すんだ。どれくらい時間がかかるかはわからないけど、わしがこうして動かせているんだ。いずれ、動けるようになる。それまでの辛抱だよ」
少女はなおも「……あ、ぁ……」と声のような何かを発している。
テヴァは頷くとグウェンの方に振り返った。
「この棺の中なら餓死することはない。そうだったね?」
「ええ。私特製の培養液です。肉体に栄養を与え、肉体の増殖を促進するものですから、餓死にはならないでしょう」
「よし。それでは、様子をみるとしよう」
といったところで、テヴァは膝から崩れ落ちた。
「テヴァさん!」とグウェンが駆け寄って抱きかかえると、テヴァは疲弊のにじむ顔で笑う。
「この体になって初めてのちゃんとした顕術だったからね。ロドの制御に集中しすぎたよ。悪いけど、このままベッドに運んでくれるかね?」
グウェンはうなずき、テヴァを抱きかかえながら立ち上がる。そして、階段の昇る前に、
「……おやすみ」
そう棺の中で眠る少女に声をかけてから階段を上り始めた。