殺しの犯人
夜に外でゆったりするということはあまりないことだった。
基本的に夜に出歩くというのは、人に言えないことをするということだからだ。飲みの席ならまた違うのだろうが。
オーレルヌ商会代表、クロンドの私室にあるテラス。客人を招くこともあればひとりでつかうこともあるというそこはテーブルがひとつとこじんまりとしたスペースではあったが、カンテラやテラスをほどよく飾る緑、そしてところどころの調度品が上品な落ち着きさをみせている。
テーブルの上にはワインとグラスが既に用意されていて。
「ああ、これは美味しい」
「気に入ってもらえて何よりだ」
対面して座り、ワインに舌鼓。
「私も風呂上がりにここで飲むのは格別だと思っている。このワインは私の気に入りでもあるから、余計にな」
「そうだったのですか。しかし、お高いのでは?」
「なに、客人を前に金を気にするような愚は犯さんよ。それに、娘の想い人だ。印象を良くしておくのも悪くない」
「それを言われてしまうと、何も申すことができなくなってしまいますね」
「いや、単なる冗談だとも」
と、含み笑いをするクロンド。酒はそれほど強くないのか、顔は既にほんのり赤らんでいる。
「が、仕事相手としては本当だ。今日まで君の修復師としての腕をみてきたが、私の知る限りでは一番だ。むしろ、何年も前からこの街にいただろうに視認できていなかったことを悔やんでしまう」
「恐れ多いお言葉です。私こそ、こうして大手からご依頼いただけることは望外の喜びです」
「もとは娘の発案だがな。しかし、娘の不始末だけでなく、今後は別の依頼を回していきたいと思っている」
「願ってもないことです」
こういう評価なら大歓迎だ。安心して礼を伝える。
「それに、ただ平凡な職人ということでもないらしいからな」
が、こういう評価は避けたいところだ。
「そうでしょうか?」と柔和な笑顔でグウェンは否定する。
「そうだとも。ふむ、そうだな。それを証明するのに良い質問があった」
「それは、先ほどお話されたことでしょうか」
「ああ、そうだ」
そうして、そのままの雰囲気で。
「グウェン殿。君が導守リエザを殺したのか?」
「いえ」
あまりに即答になってないだろうか。
表情を崩さぬままに、グウェンは心で顔を顰める。
「そのような恐ろしいこと、私にできるとは。そもそも、何故いきなり?」
「驚かせただろうか」
「それはもう。私と導守様の死に何の関係が、と心臓が口からでそうになりました」
そんなまさか、という声音でグウェンは取り繕う。
「勘と言ってしまうには失礼過ぎるものいいだろうな。状況から推測したのだ。君たちが炊き出しをしていたことは娘からきいていた。そこに導守がやっかみをかけたことも」
「ええ、それは。しかし、それで導守様の殺害を企てるにしては短慮が過ぎましょう。得られる結果とリスクのつり合いがとれません」
「そうでもない。商人にとっては誰であれ、何かするたびにしゃしゃり出られては面倒だと思うのは当然だ。金を握らせれば黙るが、あのおつむの女に従うことを好き好む者はいないだろう」
「……確かに、面倒とは、思いましたが」
グラスの杯が飲み干され、クロンドが自身の杯にワインを注ぐ。
「それに加え、このような飢餓期にすることは権力集中ときた。導守の中でも救いようのない部類だろう。あの女を殺すのが短慮というには、あれは目に余る行いをし過ぎた」
「クロンド様は、随分と手を焼かれていたのですね。なんとも物騒なことをおっしゃる」
「私も随分と金を喰われた。だから、あの女が死んだことに悲しむ気持ちは微塵もない」
これは、人にはきかせられない話だ。
それをあえてグウェンにきかせているのは、脅しか、それとも交渉材料なのか。
「私も、自身の商売にケチをつけられなくなったという安堵はございます。しかし、だからとて私が行ったという証左にはならないでしょう」
「私の妻は導守だった」
突然、クロンドがそのようなことを言う。
「それもこの街の導守だった。主神教の教えに従った模範となるような女でな。最初はお高く留まった導守が赴任したと鼻白んだものだ」
「はぁ」
「が、話してみると快活な性格でな。あいつがいるだけで周りが華やいだと感じられた。しかも話も通じる。思考も柔軟。まさか私が先に惚れるとは思ってもみなかった」
何かを思い出しているのか、その瞳は深紅のワインに注がれている。
「紆余曲折はあったが、結局私たちは結ばれた。そうしたら、妻は家の力になりたいと導守の立場を捨ててしまったのだ」
「それはまた。模範というほどですから、そのように踏ん切りがつくとは」
「同意見だ。しかしまぁ、あいつに言わせれば『愛は直情に』『誰よりも何よりも、手の届く者から救え』という主神教の教えに従っているだけだとな。家の仕事を手伝う上では導守の立場はあまりに負担が大きい。だから家を優先したのだという」
「そうでしたか。ですが、正直申しましてクロンド様が羨ましくなるほどに素敵な奥様ですね」
「そうだろう、そうだろう」とクロンドの声が明るくなる。
それなのに。
「しかし、殺された」
すっと差し込まれた言葉にグウェンが息を忘れる。
「娘には病死と伝えているがな」
「……一体、誰に」
「導守リエザ」
更なる情報に、返す言葉がない。
「妻の次の導守はまだよかった。歳は召していたが手の届く範囲で人の助けになる、妻にとっても良き隣人であった。しかし、4年して彼女が天に召されたのち、赴任したのがリエザという女だった」
目が、細められる。
射貫くような目。
「あの女の管理は君が体験し、見聞きした通りのものだった。実に杜撰で、強欲。初めはそれなりに影を潜めていたが、勝手がわかってからは貞淑を装って好き放題だ。当然妻の目にあまった」
その内容から、先の展開が予想される。
表情にでていたのか、クロンドがちらりとグウェンをみると苦笑した。
「想像の通りだ。元導守の立場として助言しようとした妻を鬱陶しがったあの女はある晩、逆さ杖を使って妻を暗殺した」
「それは……どのように、逆さ杖の仕業だと。そもそも逆さ杖とは」
「君に教える必要もなかろう? 逆さ杖の仕業とわかったのは、妻が残してくれたメッセージだ。カップを逆さまに持っていた。まさかあいつがカップを反対にして茶を飲むわけもない。逆ということに意味があると思い、妻が話してくれた主神教の秘密を思い出したのだ」
「ただ、できたのはそこまででな」とクロンドは息をつく。
「商人としてひとかどの存在になりかけではあるが、教会相手にどうこうできるほどの力はなかった。だからこそ、あれこれと情報を集めて機が来たら社会的に殺してやろうと思っていたのだがな」
「そう、でしたか」
嫌な予感がする。特に、情報を集めて、という言葉に。グウェンは自身の靴裏を調べたくなる心地だった。
「ところで、今の話から察してもらえると思うが、私は妻から教会の構造についてもきいている。地下通路があるということも。人前でできない取引をしているという噂もあったものでな。するとしたら地下通路を使うと思った。導守が使わずとも、取引相手は外から入っていくだろうとな」
「……しかし、どのように、人の出入りがあると、判別を」
「見張りを立てるのは危険だったものでな。小細工をしかけた。地下通路への道はかならずとある路地裏を経由する。そこに足跡を残す粉を散布していたのだ。そうして実際いくつか証拠をつかみつつ、様子をうかがっていたところ、最近新しく足跡をみつけ、その翌日には導守が死んだ。ならば、その足跡の主こそ導守殺害の犯人であると言えよう?」
予想通りの小細工に、心臓が不穏に高鳴るのを止められない。
無意識ながら手が後ろ手にいき、柄を握る。
「それは、その可能性もあるかもしれませんね。とはいえ、犯人の靴が他の人も使ってないとは言えないでしょうが」
「それもそうだ。しかし、この犯人の靴裏は随分と独特でな。術円が刻まれていた。調べさせたら【吸着】という顕術なのだと。そのような靴を履く者はそうそういないだろう」
それもそうだ。
何せ自分で刻んだ顕術なのだから。
しかし、まだこの男に自身の靴裏はみせていない。今のうちに靴裏を潰してしまおうと静かに足を動かし――
「君と風呂に入っているときに、調べさせた」
「……っ」
堪らず、動揺が息に漏れる。
手を握る力が強くなる。
どうする、どうするか。殺してしまえたら楽だが、この状況では簡単にできるものでもない。
たとえ相手がルミアの父であろうとも、ここを情で迷わせるのは命にかかわることはわかっていた。だから、こうして親しくなってきた相手でも殺した後を考え。
「やっと、礼を言える。ありがとう」
その、まっすぐな言葉とともにクロンドがテーブルに顔を押し付けるほどに深く頭を下げたことで、グウェンの思考がとまる。
「私の、本当にしたかったことをしてくれて、ありがとう」
「……私には、まだ、どうしてクロンド様が頭をさげていらっしゃるのか、わかりませんね」
すると、クロンドは頭をあげて苦笑した。
「……なるほど、そうだな、確かに君に頭を下げるのはおかしな話だ。ならば、これは酔漢のひとりごとと思ってほしい」
「確かに酔いは常ならぬこと促すこともございます。そういうことなのでしょう」
「ああ、そういうことなのだろう。それ故に、もう少しこぼしてしまうとしよう」
と、クロンドは自分が酔っていると証明するようにさらにワインを胃に流し込んだ。
「私は妻への後悔があってから、娘にだけは同じような不幸はあってほしくないと思っている。しかし、できることなど微々たるものだ。誰かを殺めるほどに力もない。娘には自由に相手を選んでほしいが、せめて娘を守れるほどの男であってほしい。商売の才能があるならばなお良い。だからこそ、仕事の関係でも、人との関係としても、私は君と親交を深める価値があると思っている」
「……そう、ですか。いやはや、私の仕事を評価してくださるのは嬉しく思います。しかし、私を誰かを殺めることができるだなどというのは、きっと劇のお話が混ざってしまっているのでしょう」
一介の商人が格上の相手に言うには失礼な物言いだろうが。
「ああ、ですが、その劇ならば、私も在りし日にみたことがあります。確かその殺し屋は、矢鱈目ったらに誰かを殺めるのではなく、己の理由があるから殺したのでしたね。殺し屋にとっては殺しは最後の手段であり、周りと仲良くできるのならば、それが最もである。己の生活が脅かされないことを最も望んでいる、でしたでしょうか」
「……そうだったな。私も思い出したよ。教えてくれて、感謝する」
「いえ、ここまでお話がわかっているのなら、言葉を慎む必要もないでしょうから。ただ、他の人がきいてしまうのは劇の楽しさを奪ってしまうという御忠告だけ」
「心にとめておこう。娘にも話すつもりはない。あれが知るには、その劇は少々過激だ」
「賢明なお考えかと」
ふぅ、と息をつく。
風呂に入った後だというのに、疲れがひどい。
心臓もまだ落ち着かない。
「はは、酔っぱらいの相手をさせて悪かった」
「いえ、いえ。しかし肝は冷えましたよ。また湯にでもつかりたいものです」
「好きに使ってくれてかまわない。君にはここを我我が家のように思ってくれた方が良いことがありそうだ」
「そこまでは」と流石に眉を下げて、グウェンも乾いた喉をワインで潤す。
冷えた風がなんとも心地よかった。




