ひとつの結末
朝。
朝霧がひんやりと街を漂う時間。
今の時期、朝から街への出入りを望む人の姿は関門の前には誰もいない。いや、入ってくるものは強く止める必要があるが、出ていく分にはそれだけ街の負担が減るということでもあり、注意はもっぱら外にむかっていた。
それが数カ月も続くものだから、衛兵にとっても退屈であるのは違いない。
すっと動く影。それに気づくものもいなかった。
・
・
「恐ろしいほどに簡単に抜けられたねぇ」
「テヴァさんのお陰でもあるとは思いますよ」
森へ向かう傍らの会話である。
テヴァがいうように、順調に衛兵にみつかることなく街を抜けることができた。
ただ、純粋に抜けようと思えばもう少し違和感を与えていたかもしれない。
それがまったく気づかれないという表現にできたのは、ひとえにテヴァが魂を密集させ、人の気配を遮断したからに他ならなかった。
「みえないものであってもね、そこにはある。そこにあるなら、干渉することも干渉されることもできる。わしも危険な場所を抜ける時には多用していた手法さ」
「さて」とテヴァが仕切り直すようにいう。
「お前さんたち、体調はどうだい?」
「私は特に」
「……ウチは、本調子にはならんけど、動ける」
「うんうん。浄水は効果を維持できているようだね。そうしたら、目的地に着く前に最後の段取りと行こうじゃあないか」
昨日、できる限りの話し合いはしてきたが、それでも検討しきれない点は当然ある。
それらをすべて頭にいれるというのも大変なものだ。
「特にチト。お前さんは本調子でないからうまく頭が働いていないところもあるだろう?」
「うっ……そうやな、ウチの頭にあるもので全部かは、自信がない」
「正直なのは良いことだよ。さて、じゃあ動きだけどね」
とテヴァは昨日の内容をまとめる。
「相手は呪術を展開する狼型の魁魔。呪術の構成要素は『何かの為に、何かを対象に、何かを代償にして、何かを為す』というものだというのは伝えているね。式に直すと『前提・対象・代償・結果』となる。前提は現段階だと不明、対象はこの世の生物、代償は自身の身体、結果は死を与えるものだと考えている。呪術の式が成り立っている間は等価交換の法則に則り、代償を払いきるまで殺すことは難しいかもしれないね。けれど、どこかに穴はあるはずさ。だからそれを探り続ける、というのが作戦の肝になるよ」
「……よし、覚えていたみたいや」
「なら、なによりさね」
テヴァが続ける。
「勿論、これは天秤の関係だからね、代償が成就を上回れば、呪術によって死を制限されるということもなくなる。結果に対して代償が上回れば、つまりそれだけの痛みや傷を与えれば殺すこともできるかもしれないけれど、まぁ、現実的な話じゃあないね。そうなると、前提に干渉し、式を破壊することで呪術を無効化してしまう方が早いかもしれない」
「疑似的な不死……きくほどに、扱いによっては多くの繫栄が得られるでしょうに、どうして呪術は廃れていったのでしょうか」
グウェンのふとした疑問にテヴァが「かかっ」と笑う。
「そりゃあそうさね。わしも呪術の時代は生きてないけどね、少し扱いをたがえるだけでこのような結果になってしまう。近くで時には死よりも恐ろしいことになっている人間をみたいかい?」
「……そうですか」
そうはいうが、昔の人間も馬鹿ばかりではないはずだ。何人もの天才が呪術の安定化に寄与していてもおかしくないと思ったのだが。
納得できない違和感はあるものの、ひとまず頷く。
「さて、あの森の中でよかったかい?」
「ああ、そうや」
遠くに森がみえる。グウェンも人伝にきいている魁魔の繁殖地としても知られる森だ。
森の中は静かだった。
チトの言うように、いや、それよりも。
昨日時点では、まだ森の表層には魁魔がいたという話だったが、森に入ってしばらく。それでも一向に魁魔と遭遇しない。
「もしかしたら、チトが倒した魁魔が元気な生き残りだったのかもしれないねぇ」
「この森のほとんどの魁魔を呪い殺し、さらには外部の人間にまで範囲を広げる呪術ですか……」
「化け物やな」
チトの端的、されど的確な言葉にうなずく。
さらに歩くと、やがて森の雰囲気が変わる。そして、空気すらも。
すんすんとテヴァが鼻をひくつかせる。
「臭うね」
その言葉にグウェンとチトは体を引き締める。
そのまま歩き続けると、徐々に魁魔の死体が目立ってくる。
恐らく、すべてが呪術によって殺された魁魔たちだろう。一部死体も転がっており、日が経っているものは蠅や蛆がたかっている。
「……ん?」
ただ、その死体の一体をみてグウェンは気づく。
「……蠅や蛆すらも対象となるのか」
あろうことか、死肉にたかる蠅や蛆すらも死んでいる。
今たかっているのは最近発生したもので、その後は等しく死ぬのだろう。
「この先だね」
テヴァの言葉に剣を抜く。
そうして、獣道を抜けた広場でそれは、体を丸めていた。
それは、まさしく狼の姿であった。それにも関わらず、体からは絶えず血が噴出し、血なまぐさい臭いがむせかえっている。
目はこちらを睨みつけているが、明らかに焦点があっていない。あまりの苦痛にもはや正気ではないのだろう。
開いている口は意図的にではなく、閉めるだけの力もないのだろう。歯はぼろぼろで、体躯は骨が浮き出るほどであった。
チトが見たという魁魔、そして、今回の首謀者で間違いないようだった。
「かわいそうにね。やっぱり代償が大きすぎて、死ぬに死ねないようだ。正気でいるのも辛いから、まともな意識すらなくなったみたいだね。はてさて、一体何がそれほどになるまで駆り立てたというのか……」
呟きもほどほどに、テヴァが杖を構える。
「始めるよ。殺せるならそれが一番だろうけど、恐らく無理だろう。動けなくできたら万々歳さ」
「わかっています」
というと同時にグウェン、ではなくチトが飛び出した。
「らぁッ!」
そして、大剣を大きく振りかぶり、叩きつける。その速度はとてもチトが本調子ではないとはいえないほどだった。
それでも、魁魔は判断力すら残っていないだろうに本能の身のこなしで回避する。
叩きつけられた大剣は土を容赦なく抉り、大地が震えるほどの衝撃を与えた。
その衝撃波にグウェンとテヴァの髪が揺れる。
「……驚いたよ。あの娘、やるじゃあないかい」
「そう、ですね」
驚きでうまく声がでない。知り合いの狩人ですら、このような芸当はできなかった。
一体その体にどれだけの力を秘めているのか。
つい、興味がでそうになったが、頭を振り、走り出す。今は目の前に脅威に立ち向かわなくては。もとより戦闘の専門ではない身だ。油断なんてできる状況ではなかった。
もう一度斬りかかるチトの攻撃を避けた魁魔の位置を予測し、ちょうど避けて体をみせたところを斬りつける。
しかし、対応不可能なタイミングであっただろうに、魁魔は爪で剣を受け止めてみせた。
「ぐっ」
あまりの固さに呻き、距離をとる。これはチトでなければ傷をつけるのは難しいだろう。
代わりにしゃがみ、地面に手をつけると同時に一節、紡ぐ。
『カラン・ラウモ』
途端、地面が粘着質な液体のように流動を始める。
グウェンの手から広がっていき、魁魔の足元までせまると、地面の中に魁魔の足が沈む。
態勢をくずしたことでできる隙を見逃すはずもなく、チトが一撃を加えた。
が、
「――ッ!」
魁魔は回避するのではなく、爪をたて、チトの体を貫こうとした。
堪らずチトは剣先を変え、応戦するも急な動きの変更で威力が減じる。それでも爪を割ることには成功した。
「正気ないってのに、頭はええな!」
魁魔が距離をとり、チトが追いかける。
これは、サポートに回った方がよいだろう。この短い時間の中でも、自分が役にたたないことは痛感した。
そこで、魁魔を攪乱する方にシフトすることにした。
グウェンが動きを変え始めた時、背後からロドの高まりを感じた。
『エトロ・プロム・パーム』
テヴァが魁魔に杖を向けると、空気が熱を帯び、やがて耐えきれずに音を立てて爆発し、衝撃波が魁魔を襲う。突然の攻撃に魁魔がたじろぐほか、肉を少し焼くことにも成功したようだった。
その時、初めて魁魔が咆哮をあげた。
「う、ぐ」
それはあまりに大きな音であった。本能が筋肉を硬直させ、息すらもできなくなるほど身動きがとれなくなる。
そして、無防備になったグウェンの体に、魁魔の爪が迫る。正気でないというのに、本当に狙う順番に隙がない。
ただ、体が動かないからとされるがままを良しとする気はなかった。
動かないことは承知で無理やり体を動かそうとすると、肉が千切れるような激痛が襲う。それでも、それでもと体を動かし、されど間に合わず――
体に穴が開く。
「がァ……はっ……!」
穴の数が一つで済んだのは無理やりにでも体を動かしたからこそだ。
しかし、衝撃にグウェンの体が何度も跳ねながら転がっていく。
「グウェンのあんちゃん!」
視界が霞む。
チトの声がどこかで聞こえたように思う。
ただ、何も答えることができなかった。
息すら苦しい。心臓を離れたとはいえ、右鎖骨の下に開いた穴からはとめどなく血が流れている。
早く止めなくては失血死してしまうというのに、倒れた体のまま動くこともできない。
「……まずいね」
恐らくテヴァであろう気配が隣でしゃがむ。
「テ、ヴァ、さん」
「お待ち。今止血を試みるからね。喋ると余計に血が流れる」
テヴァがグウェンを仰向けにする。
その時、視界の端でチトが現実離れした戦いをしているのが見えた。
絶え間なく咆哮を上げるチトが剣を振るい、迎え撃つ爪すら弾いている。
「これは、ちょっと大きいね」
仰向けになったことにより、テヴァの顔もみえる。
これまでにみたことのない、険しい顔だ。しかし、流石はあらゆる男が寄ってきたという顔だ。険しい顔すらも美しく、可愛らしい。
「い、え。テ、ヴァさん」
「グウェン。いいからお黙り」
「意識、を、はっきり、でき、ますか」
どうにか絞り出すようにいう。きっと、とても止血できるようなものではないのだろう。テヴァの顔からも、この傷をどうにかできる手段があるようにはみえなかった。
だから、せめて、この意識がはっきりとしてくれればと。
勿論テヴァがそのような手段を持っているのかは不明であるが、もしかしたらと思ったのだ。
それに対し、テヴァはいぶかしむ顔になる。
「意識を? だからといって、何が……いや、お前さんのことだ、無駄なことは提案しないだろうさ」
自身の中に湧く疑念を置いて行動に移してくれるのは、ありがたい。
そっと、テヴァがグウェンの体に手を添えた。
『カルナ・ラウモ・ヴァシュレ』
一節。複雑なロドの活性によってテヴァの手元に複雑な術円が現れ、光輝き始める。
そうして何かが流れてくるような感覚と共に、徐々に意識が明朗としてきた。
「これは……」
無理だと思っての頼みだったが、実現されたことにグウェンは驚く。
不思議な感覚だ。気が遠くなりそうな痛みであるのに、意識だけがやけにはっきりしている。
「魂と脳の接続を一時的に増強しているのさ。どちらにも負担がかかるから、継続できるのは少しだけだよ。その前に、何かできるんだろう?」
「ええ、ありがとうございます」
痛みは続く。叫んで転げまわりたいほどの痛みだ。
しかし、理性で無理やり抑え、今すべきことに集中する。
ポーチから緑色の液体が入った瓶を取り出すと、中身を傷口にかける。染みる痛みに堪らず意識が遠のきそうになるが、テヴァのお陰でそれは防げる。
続いて、穴の開いた体に手を添えた。
『カラン・テルス……カラン・グァド』
一節、二節。
顕術が発現すると、変化は如実に現れた。
見る見るうちに体が液体を吸い込み、その代わりに穴の開いた体を埋めるように肉が生え始める。いや、成長しているというべきか。
「あ、あぁあああ……!!」
グウェンがあまりの激痛に声にならない声をあげる。
肉が蠢き、成長していることでの痛み。本来はゆっくりと時間をかけるべきものを無理やり行なっているために体が悲鳴をあげているのだ。
テヴァとグウェンのロドに魁魔が気づく。
「チト! 絶対に近づけるんじゃあないよ!」
「わかってる!」
チトがどうにか魁魔を引き付けているようだが、生憎そちらに意識を割く余裕はなかった。
とにかく顕術を維持するために意識を強く保つ。テヴァの顕術がなければ絶対に痛みで失神していた。
ただ、そのお陰で、しばらくすると穴は完全に埋まり、痛みも徐々にだが、収まる。
ちょうど、そのタイミングでテヴァも顕術を切る。
冷汗をかき、荒く息を吐くグウェンにテヴァが声をかけた。
「お前さん……死体の修復を応用したね?」
「え、ええ。意識との勝負になるのが難しいところですが」
「何を言っているんだい。少なくとも、世界にとっては偉業だよ、それは。誰もが望む技術だよ、まったく……つくづくお前さんは、面白いね」
テヴァの支えを借りて、立ち上がるも、めまいに崩れ落ちそうになる。
体の修復はできても、失った血は戻らない。そのうち造血を促す顕術を考える必要はありそうだが、その前に、目の前の脅威だ。
そう思って眼前の敵を睨んだが……しかし、なんということか。
「ふん!」
チトが目にみえない速度で剣を振るうと、ちょうど、魁魔の首が飛んだところだった。
力なく、巨体が倒れこむ。
それを見届けてからチトが駆け寄ってきた。
「あんちゃん! 傷は!?」
「い、いや……もう大丈夫だ。一手に引き受けてもらって申し訳ない。それにしても……恐ろしい実力だな」
チトは血に濡れてこそいるが、傷らしい傷は負っていない。
本調子でもなく、かつ本人も勝てないと言った敵に対してここまで圧倒するとは。
「あんちゃんがやられたとき、もうなりふり構ってられないと思って。そんで、とにかくこいつを斬ろうとしてたら、いつのまにかって感じや。ウチも、まさか倒せるとは思っておらんかった」
思い出すのは、チトが何人もの人間を斬り伏して、箱の前で泣いていたあの光景。
もしかしたら、激情がきっかけとなってチトは本来の力を発揮できるのかもしれない。通常時点でも相当の膂力であろうに、末恐ろしいことだ。
そう思っていると、いつの間にか傍らのテヴァがいなくなっていた。
みれば、テヴァは魁魔の首の近くで杖を構えていた。
「テヴァさん?」
「まだ終わってないよ。用心おし」
その言葉に疑問をもちつつも、テヴァのとなりにたったグウェンは目を見開く。
「これでも、まだ、生きているのか」
そう、魁魔は荒い息をつきつつも敵意を持った目で唸っていた。
確かに魁魔の中には体を斬られても生きているものもいるときいたことがあるが、実物をみると何とも言えない違和感に襲われる。
「いや、これはそういうのじゃあないね」
グウェンの考えを見越したようにテヴァがいう。
「呪いの代償だね。結果と同等の代償を支払うまで、生き、苦痛を支払い続ける。等価交換が原則の呪術がどうして廃れたのか、それはね、このえも言えぬ違和感に恐怖を抱えた人々が多かったからだろう」
テヴァが何かをと紡ぐと風が魁魔の頭を切り刻む。
何等分かに分かれたというのに唸り声らしき何かも目の動きも、続いている。
「うわ……なんや、これ……」
「恐らく、どれだけ細かくしようと潰そうと、この魁魔は生き続けるだろうね。代償を払い終えない限り、呪術が切れることもない」
「嘘やろ!? じゃあどうすればいいんや!?」
「最初に言っているだろう? 元からこの魁魔を殺すことは目的じゃあないよ。呪術を成り立たせるための前提を探り、対処することで呪術の継続を無効にするんだ」
テヴァは周りをみる。
「最初に言ったように、呪術は『何かの為に、何かを対象に、何かを代償にして、何かを為す』。このような法則さ。わしらはこの『何かの為』を探す。わしは『自身が生き残る為』であると仮定して体をもう少し潰してみることにするよ。心臓や体をなくせば生き残るという前提が消えるかもしれないからね」
「わかりました。では、私とチトは周りをまわってみることにします」
そのまま3人は分かれる。
しばらくはテヴァが肉を割く音を聞きながら周囲を探索していく。
しかし、めぼしいようなものは何もなかった。
チトは木の上に登り、何かあるか探しているようだった。
さらにしばらくして、やがて、テヴァがグウェンのもとにやってくる。
「わしの仮説は違ったようだね。体を潰したけど、まだ呪術は続いている」
「そうでしたか。私たちの方も特にこれといったものが見つからず……」
腕を組み、グウェンは唸る。
その時「おーい!」とチトが頭上で叫ぶのが聞こえた。
「向こう! なんか洞窟があるみたいや!」
チトが森の奥を指さす。
森の中とて、魁魔などが寝床のために崖に洞窟をつくるのは珍しいことではない。
しかし、可能性としてはもうそこくらいだろう。
チトの案内に沿って目的地に向かう。
目の前には、それこそ、先程の魁魔が通れるほどに巨大な洞窟が広がっていた。
「あの魁魔の寝床、でしょうかね」
「恐らくね。さてさて、目的のものがあればいいんだけどねぇ」
進んでいくと、何か音が聞こえた。
やがて洞窟の最奥にたどり着いた一行は、
「魁魔の、幼体ですか」
巣の中でじゃれている3体の魁魔をみた。
「ふむ、見た目からもあの魁魔の子どもでよさそうだね。しかし、おかしいね。これだけ近く、呪術の近くにいて何もないというのは。これの呪術はあまりに粗雑で、コントロールなどきかないものだと思っていたけれど」
そう言ったテヴァは、しかし、奥に転がるものをみて、
「……ああ、違うね。わかった。そういうことかい」
「何か分かったのですか?」
テヴァが指さす。
そこには何かの骨があった。
肉がついている姿を想像すると、ちょうどこの小さな魁魔と同じくらいになるだろうか。
その骨には、剣で斬られたような跡がある。
「この魁魔の子どもだったんだろうね。これで、呪術の前提も判明した」
「……なるほど」
「相変わらず、察しの良い男だよ、お前さんは」
「えっと、その、ウチはわからんのだけど……」
ぎこちなく口を挟むチトにテヴァは曖昧な顔で振り返った。
「わしらは、生物を呪い殺していることから何かしらの敵意があると踏み、呪い殺すことであの魁魔の目的が果たせると考えていた。何かの為に、という前提はあの魁魔の為に、と思っていた。けどね、これは、わしらを殺すためのものじゃあない。この子たちを守るためのものだったんだよ」
ふぅ、とテヴァは息をついた。
「随分子どもを大切にしてきたようだねぇ、この魁魔は。骨に入った傷からして、人間の誰かが殺したんだろう。だから、これ以上子どもを失わないように、呪術によって子どもたちを守ってきたんだね」
つまり、呪術の構成要素とは『子どもの健やかな生存の為に、子どもを害する恐れのあるすべての生物を対象に、自分自身を代償にして、死を与える』というものになる。
この呪いは、決して害意があってのものでもなければ、敵意を持った行ないでもなかった。ただ、必死に子どもを守ろうとする母親の不器用な愛の形だったのだろう。
「……なんや、それ。ウチは、絶対に悪意があってのだと思ってたのに。誰かを守りたい、もう失いたくないっちゅうのは……それは、ウチと、同じやないか……」
力なく、チトが座り込んだ。
「人は、誰しも勧善懲悪を望むものさ。でもね、現実なんてものはそれぞれの正義のすれ違いで動くもの。これが、現実なんだろうね」
「……それで、呪術を無効化する方法ですが」
歯切れ悪くきくと、テヴァが頷く。
「うん。この子たちが死ねば、呪術の『子どもの健やかな生存の為に』という前提がくずれ、現在あらゆる地に蔓延る呪術は式が成立しなくなり、まもなく停止するだろうね」
「じゃあ……ウチたちが、殺さにゃ、ならんのか……?」
テヴァが頷く。
それに対し、何かを言おうとチトであったが、自分の言葉の意味の無意味さを悟ったのだろう、何も言わず俯いた。
その時、ずり、ずりと何かが這うような音がきこえた。
「……なんの音や?」
「……親の愛、だね」
テヴァが洞窟の入口の方に目を向けている。
グウェンも同じ方角をみると、何かが這って近づいていた。
そうして近づいてわかった。あの魁魔だ。あの魁魔の頭部の半分が這いながら近づいていた。片目だけの半分の頭が正気を失った敵意の目を向けている。
「正気を失えど、考えるだけの頭がなくなろうと、本能が子どもを守ろうとする。美しい愛だね。けれど、わしらはこれからこの魁魔を絶望に沈めなくてはいけない」
「それを誰がやるかだけど」と口にしたテヴァがまずチトをみる。
チトは首を横に振った。
「だろうね。さて、そうなると」
テヴァとグウェン、どちらかがしなければならない。
が、そこでわざわざ手を挙げるようなものでもないだろう。
代わりにやってもらうというには、少々残酷な状況だ。
徐に剣を抜いたグウェン。
しかし、それを振るおうとしたところで、
「な、なぁ。他の方法は、ないんかな」
震えるような声が背後から聞こえた。
みれば、なんともいえない顔でチトが魁魔の幼体たちを見ていた。幼体たちは目の前の脅威にも気づかず、楽しそうにじゃれている。
その光景は犬猫と何もかわらない。
しかし、その可愛らしさ故にチトが声をあげたのではないのはわかる。
何かが、チトには重なって見えるのだろう。それは重々察していた。
だから、このようにだけ伝える。
「……君がそのように言うのは、何もおかしくないことだ」
「……っ」
その上で、再度剣を振り上げる。チトは、もう何もいわなかった。
次の瞬間、一太刀で2体の魁魔の幼体の首を刎ねる。
脅威に気づき、残った1体が逃げようとするも、その背後から襲いかかり、首筋に剣をついた。
キャウン、という断末魔を最後に生物としての気配がなくなる。
そして。
「――――」
グウェンが魁魔をみると、それは、目を大きく見開いたのようにみえた。もはや顔の造形もわからないが、そのような雰囲気を感じたのだ。
やがて、その目から涙のような血が流れ――べちゃりと、力をなくし、動かなくなる。
「……うん、呪いが徐々に体から消えていくのを感じるよ。呪術は、効力を失ったようだね」
テヴァが言うのであればそうなのだろう。
ただの肉片となった魁魔を見つめる。
この瞬間、世界を救う程の偉業をなしたというのに。
一方で、心には何も達成感を感じることがなかった。




