ひととき
翌日、打ち合わせ通りエレヴェル修復店は店をしばらく閉めることを掲示した。既に依頼を引き受けている品に関しては依頼関係者のみ入店を許可することにし、それも5日も経てばすべての依頼が片付き、店は誰も受け入れなくなった。
街にはグウェンと同じく、病を恐れ店を閉めることを考えた商人も多かった。しかし、商売を止めることはすなわち利益の停止を意味し、流動的に金を動かす必要のある者たちは引きこもろうにもできず、恐々としながら商売を続けていた。
店兼家で引きこもるというのは一見して楽でいいが、ただ引きこもっているだけではなんの生産性もない。そのため、急遽沸いた時間を使ってはグウェンは修復技術の研鑽を行っていた。というのも、グウェンとて苦手な修復作業はある。特に細かい造形品などはかなり集中力を使うため、修復に時間がかかる。今のところはそういった品が連続して依頼されることは少なく、あったとしても他の品とうまく緩急をつけてきたが、スフィナという戦力が加わってからは依頼の数も必然的に増えてくる。その時に休みなく働くことになれば折角の儲けの機会を失うことになる。
「ただいま戻りました」
作業の途中、帰ってきたのはスフィナ。口元を布で覆っている。
ひっさげた籠には小さな膨らみができていた。
「ああ、おかえり。どうだった?」
「やはり食物の供給は著しく制限されていました。それに、他のかたもこぞって買い占めようとするので、値段の高騰や買うことのできない方もでています」
スフィナには食物の購入を頼んでいた。
いかな情勢下であったとしても、食物の確保はしなくてはいけない。しかし、あらゆる物流が遮断されている今、食物の供給というのは少なく、少ない物資を求めて競争が起きていた。
「もう数日もしますと町中で食糧困難が予想されますね……」
「ふむ……あちらもこちらも、面倒なことばかり増える」
「はぁ」とグウェンはため息を吐いた。
「病については、何か判明したのでしょうか?」
「残念ながら新たにわかったことはないな。ただ、日に日に発病者が増えているくらいだ」
このまま時間が過ぎれば間違いなく死者もでてくるだろう。
「既に街からは原因や薬の発見をした者に褒賞を与える掲示も貼られている。あまりに長引くようであれば国から専門家の派遣もあるだろうし、待てば解決する問題ではある」
「ですが、それまでこの街は大丈夫なのでしょうか……」
難しいところだ。ただ、街を統治する貴族とて馬鹿ではないはずだ。なにかしら対策を練ってもらいたいところ。
「ひとまずはあまり病に気をとられるのではなく、今するべきことに注力した方が良いのだろうな」
「そうですね。ご主人様は修練をされているのですね? そうしたらわたしは階段のお掃除をしてこようと思います」
「……階段?」
この店で階段といえば、ひとつ、地下への階段しかない。
しかし、その長さは作成したグウェンすら呆れるほどに長い。それを掃除するなどという言葉を聞き間違いとしようとしてしまったのも致し方のないことなのかもしれない。
「流石にあれは掃除するのも酷だろう。もともと使う者も限られているし、わざわざ掃除するほどの価値は――」
「いえ。いくら億劫であっても、放置していればいずれ新たな病の発生源になる可能性もありますから。幸い、他に手をかけるところは終えていますので、大丈夫です」
と、グウェンの反論をきく前に、のようにさっさとスフィナは箒を持って階段へと向かってしまった。
それほど階段が掃除したかったのだろうか?
まぁ、スフィナがしたいというならばそれをとめる理由も特にない。
グウェンは再度目の前の割れ物に手を当てると慎重に咳式を唱え始めた。
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集中すると、時に脱線することもある。
例えば、ひとつのことに気になった時、その解を求めて突っ走ってしまうこと。例えば、何度も同じことをしている内に、どうして自分はこんなことをしているのかと疑問がでてきてしまい、堪らず物事の整理を始めてしまうこと。
言ってみれば、グウェンは今、まさにその状況になっていた。
店を閉めてからはや1週間。最初は少し落ち着かない日々にも慣れはじめ、今ではこれ以上なく集中して修練できている実感がある。
「【融解】の術効の精度を上げるなら指よりも棒の先端から顕術を発現するのが一番なのは確か。ただ、自分の体以外を起点に発現させるとなると……付与の補韻になるか? いや、それでは棒の先端に【融解】が発現するだけ……」
ぶつぶつと呟きつつ、紙にあれこれと咳式を書いているグウェンの姿は顕術師特有の不気味さがある。
もとの始まりはあまりに細かく、指で掴むこともできないようなパーツについてどのように対応していくか、という点だった。これまでは【培養】の顕術の荒業でどうにか誤魔化していたが、【培養】にはどうしても素材が必要になり、その分の材料費の損失があった。一回一回でみればそれほどでもない損失も、全体で見ればやや問題に思えてくる。そもそも、グウェンの培養液は【培養】の顕術を仕込んだ特別製だ。作成にも材料の調達にも時間の係るそれは、使わずにすむのが一番であった。
故に、グウェンはここ最近別なる方法で小さなパーツを扱えるようにする方法を模索していた。
「一度、穴に【融解】をして、棒か何かでパーツを拾ってつけるか? ……それだと、余計なところにも【融解】の術効がかかってしまうな。できれば、該当部分にのみ術効を与えたいが……」
ただ、顕術というのは、何でもできる魔法の力ではない。きちんと限界があり、できる範囲の中で工夫をしていくのが顕術師。そして、顕術に使われる韻にはまだ未発見のものも多い。つまり、考えても無駄な結果に終わることもままあるのが顕術であるのだ。
「何か、参照例を思い出せ……例えば顕術使いの傭兵、【散弾】のサシュカンテはどうだ? 噂ではひとつの光弾をいくつにも分裂させ、雨のように戦場に降らすときいたことがある。ということは、一度光弾として発現した顕術を遠隔で顕術の術効を与えていることになる。ん? いや、それならそもそも光弾自体体から離れて発現しているものだ。いや、というより、それならばこの前テヴァさんのみせた【発火】も遠隔の相手に術効を与えるものだ。つまり、向韻はトイラムレ。装飾韻のトとレはそのままに肉体を意味するイラムを物質を意味するカランに変えてトカランレ……?」
「いやいやいや」と。
「おかしいだろう。そうなると『カラン・テルス・トカランレ』となり、重複韻がでてしまう。それでは正常な咳式としては作用しない。そうしたら、カランを類似の概念に置き換えて……類似の概念は、なにがある?」
そこまで呟いてからグウェンは机に突っ伏した。
「よくわからなくなってきた……そもそも遠隔で【融解】ができたとしても、対象が物質全般となってしまえば、結局惨事になりかねない。ふむ? だとしたらいつもの咳式では何故該当部位にだけ術効が作用するんだ? 私が無意識に何か操作しているのか? そうでないと――」
その時、「よっ」という声とともに、ぽす、と頭に衝撃があった。
手で確認してみればそれは革で装丁された分厚い本。そして直後に誰かが着地する音が聞こえた。
「お前さん、最近根を詰めすぎなんじゃないかい?」
「テヴァさん。いえ、最近はこうまで考え事をする時間もなかったものですから、私としては有意義な時間を過ごせていると思いますよ」
「ふうん? にしては、随分悩ましい声をあげていたように思うけどねぇ」
「それは、ちょうどどうすればいいかわからないところがあったからですね」
「今日もだけど、昨日も、一昨日もだね。スフィナが悲しんでいたよ? 最近ご主人様の口数が少ない、夜伽にも応じてくれない、愛想をつかされてしまったのではないかとね」
「そういうわけでは……」
ただ、確かに思い返せば考え事ばかりしていて、スフィナやテヴァとどんな会話をしていたのか思い出せない。
「お前さん、意外と考え始めたらとことん考える方だったんだね」
「そう、なのでしょうかね。あまりこんな風に時間がとれる機会は多くはなかったので、これが勉学における集中しているということなのかと思っていましたが」
「間違いではないさ。けれど、集中しすぎとは言ってやれるかもしれないね。ちゃんと周りのことも見てやらないと」
「ついでに言うとね」とテヴァは続ける。
「わしもスフィナと同じくご無沙汰だからねぇ、お前さんのその考えだしたらとまらないはちょっと思うところがあるのさ。あれだけ毎晩まぐわっていたというのに、お前さんときたら突然自分の世界に入って夜も遅くまで紙とにらめっこ。もしかしたら、とうとうわしも飽きられたのかと思ってしまったほどさ」
「いえ、それについてもそんなことは……」
「と、愚痴は言ったけど、勿論冗談だよ。あまりにお前さんが見向きもしないから、仕返しをしたかっただけさ。子供じみたことをしたね」
「いえ……なんというべきか、すみません。まさかテヴァさんすらそうなるほどとは考えておりませんでした」
「わしに限らず誰だって突然見向きもされなくなったらそう思うさ。ま、今回はそれに気づいたからよしとしようかね。勿論今夜は……わかってるね?」
その言葉にはさしものグウェンとて「……はい」としか言いようがなかった。
「それで、今回は何に悩んでいるんだい? 見たところ、顕術を飛ばすことについて考えているようだけど」
「ああ、実は――」
と、グウェンは思考の起点について説明した。
「なるほどね。つまり、細かいパーツの取り扱いをするために、棒などから顕術を発現したいというわけかい」
「ええ。ですが、あくまで手足の延長として棒を使いたいのであって、棒の先端に顕術を発現したいわけではないので、その違いがうまく折り合いをつけられなくて」
「それだったら単純にロドを棒にまで流せば良いのではないかね?」
「それは勿論考えましたが、自分の体に流れるロドを他の物質に流すというのは、つまり自分の体と一体化を思考できるほどのイメージがなくては難しいことですから、私のようなただの顕術師ではどれほどの修練が必要となるか……」
「それは別に問題なかろうさ。というよりも、お前さんであればそう日を使わずにできるようになると思うけどねぇ」
テヴァは壁に立てかけてあった杖を持ち、おもむろにテーブルの傍らに置かれたコップに杖の先端を向けた。
そして、二節。テヴァが口ずさむ。
『エトロ・オスト……トォ・ラウモ・トカランレ』
すると、瞬間空気が乾燥したかと思うと、杖の先端から水が現れコップへと注がれていった。
「お前さんのしたかったことは、つまりこういうことだろう?」
「そう……ですね」
グウェンはやや呆けたような声で応じる。まさかこんなにも簡単にやってのける者がいるとは思わなかったためだ。
「だから言ったろう、そう難しいものじゃあないと。いや、違うね。杖でなければ時間もかかるだろうけど、杖を使うならそう難しいことじゃあない」
「なるほど……触媒を介することでロドの通りをよくするわけですか」
「そういうことさ。幸い触媒の鉱石のくずがいくつかある。細い棒に用いるくらいなら杖にするほどじゃあなくても、巻きつけるだけで十分だろうね。あとで持ってくるよ」
「ありがとうございます。おかげさまでより効率よく作業ができそうです」
やはり長生きの者の言葉は一聴の価値がある。
これには素直に感謝の言葉がでようものだった。
「……そうだ」
しかし、その後こぼれたテヴァの声に、グウェンは寒気を覚える。
「お前さん、今夜は少し特殊なことをさせておくれよ」
「特殊な……とは?」
それには、ふふふ、としか答えてくれなかった。
勿論溜まっていたのは間違いなかったのだろう。
翌日、グウェンは筋肉痛の痛みを以て二人の性欲がいかほどのものであるのかを説明して見せた。




