不信を抱き続ける理由
コツ、コツという、誰かが階段を降りる音でチトは目を覚ました。
「……ここ、は」
まだ視界が明瞭としていないが、あたりを見渡すうちに現状を思い出す。
どんよりした空気を漂わせる地下だ。四方すべてが石壁に覆われ、部屋の一画には何かを洗うために水が溜まっている。チロチロと水の流れる音がする。視線を前に向ければ棺が5つ、中から緑色の淡い光を放っている。
立ち上がってそのひとつを見れば人間の遺骨が緑色の液体に沈められている。昨日までの変化として、微かに肉片のようなものが骨に付着している。
「……アマネ」
いや、分かっている。この体に愛する妹がいないことは。彼女が現在魂という不可視の状態で傍に居てくれていることも分かっている。それでも姿を見ることの出来ないチトにとって話しかける対象は、やはりこの妹の遺骨しかなかった。
「ああ……そうやったな、ここは、あの男の店の……」
時間も経って記憶もハッキリしてきた。
あの後、アマネを骨の姿にしたあと、そこで夜を越したグウェンたちは街に戻った。チトがエーテアの街の関所に着いた時には散々チトについて尋問のようにきかれたが、今回グウェンは衛兵に土産を渡し、なんでもないように馬車の中を検めさせた。そして何事もないように検査を終え、穏やかに街中に入ることが出来てしまった。
いくら御者台の中という通常目を光らせることも無いところでも、つい気にかけてしまうのが人間というものだ。しかしグウェンは終始穏やかな顔で、本当にただ街で仕入れをしてきた、という顔を崩さなかった。チトなどはつい御者台の方に何度も目を向けそうになったが、その度にテヴァに手を叩かれては下を見ているよう言われた。
チトは今回街への滞在者としての手続きがあったため、また別途の検査を受けたが、それにしてもあっさりだった。
チトは両隣の棺をみる。片方はアマネと同じように骨の姿で沈められている。
新しいお気に入り、だそうだ。反対側の棺には妙齢の肉感的な女性が裸のまま眠っていた。これもまたお気に入り。グウェンは、死体や遺骨をこうして集めては修復し、肉欲を満たすために弄んでいるのだという。それを聞いた時、チトはまずグウェンの正気を疑った。あまりに常軌を逸した行動だと思ったからだ。親切な商人と思っていたばかりに動揺もひとしお。それと同時に大事な妹をこのような男に預けてもいいのかという不安も生じた。もしかしたらアマネに変なことをするかもしれない。骨の姿であってもあの男であればあるいは……
だから、こうしてここ暫くは様子を見によく訪れていた。
なんでもすると言った、どのような人間でもアマネを助けてくれるならすがる覚悟はあった。それでも、実際に会うと、どうしても抵抗が湧いてしまった。
コツ、コツ、と誰かが降りてくる。あの男だろうか。表面上はグウェンのあんちゃんと呼んではいるが、まだ警戒が解けていない以上、あの男、と心では呼ぶことを辞めるつもりはなかった。
しかし、降りてきたのは、可愛らしい少女だった。この店で働き、かつ、生き返りの実績がある……他人の体で。確か、スフィナといった。
体の持ち主が違うというのは聞いていて酷く違和感を感じるものであり、チトにはなかなか受け入れにくいものだった。一体この少女は、どのような心持ちで他人の体を使っているのだろうか。
「チト様、まだいらっしゃったのですね」
「ああ、ごめんな。ちょっと寝てたみたいや」
「チト様はこのところ働き詰めですから、きっと疲れが溜まっておられるのでしょう」
「そうかもしれん」とチトは固まった体を解すように動かす。
実際今のチトはかなり疲れが溜まっていた。
何故か。アマネの修復費のためだ。
チトは事前に報酬についてグウェンとテヴァに伺いを立てていた。2人が行うのはまさに死者蘇生であり往々にしてそのようなものには相応の代償が伴う。賢いアマネが教えてくれたおとぎ話もそうだった。だから先に聞いておいたのだ。もしアマネが生き返ったとしても離れ離れになるとかであれば意味がないのだ。最悪自分の体はいくらでも好きに使われるくらいは覚悟していたのだが、2人が提示したのは金だった。それもチトが全力で稼げばアマネが生き返るまでにはどうにか届くというぎりぎりのライン。非常に現実的な回答であり、良心的なものだった。金額の高さは差し置いても「ええんか?」と思わず問うてしまったほどだ。
そうして今はアマネに会う時間以外は狩人として魁魔の討伐に勤しんでいる。
スフィナは部屋の隅の術円の上に置かれた鍋の中身を桶に流し込んでいく。緑色の液体だ。それをスフィナはひとつの棺に流し込んでいく。
「……それって、どういう仕組みなんや?」
「わたしにも詳しいことはわかりません。殆どの作業はご主人様がなさりますし、わたしはご主人様のご指示の通りに動いているだけですので」
「そうなんか。…………」
「なにか、不安がおありのようですが」
言葉の少ないチトにスフィナがいう。
「……あんたには悪いと思ってる。でも、あんたの主人を信用できなくてな」
「会って間もない人を信じるのはむしろ正しい警戒心をお持ちかと、という話ではないみたいですね。信じることができないのは……彼女たち、の存在ですか?」
スフィナが棺の中に眠る女性たちに目を向ける。
「そうや」と頷く。
「ウチにはあんたの主人がよくわからないんや。初めは優しい商人やと思った。アマネを助けると言ってくれた時、この世界には奇跡を持つ人がいるとさえ思った。せやのに、蓋を開いてみれば、あんたの主人は死体を犯してるって言うてる。それでアマネを助けてくれる言うても、とてもやないけど、親切心からアマネを助けてくれるとは思えないんや」
「それだけの情報では、そう考えるのは自然だと思いますよ。ですが、あの方は恐らくチト様が思うよりも優しい方ですよ」
「優しい? そんな……」
死体を犯す男の一体どこが優しいというのだろうか。墓を荒らし、死者を冒涜して。いや、死体に何もないのはわかっているが、それでもこれまでは体がその人を構成していると思っていたチトからすればどうしても抵抗がある。それに、この新しいお気に入りは大きさからみてどう見ても子どものものだ。つまり、あの男はこの肉体を修復した後、その小さな体を凌辱するということだ。
考えるほど、一体何が優しいのか。
「きっと、今のチト様にご主人様の何をお話ししても信じてはくださらないでしょう。ですが、ひとつ。ご主人様は慎重な方です。危険を冒す行動は可能な限り避けようと動かれます。今回だって、チト様とアマネ様をお助けすることがどれだけ危険であるのかも把握しておりました。それでも、ご主人様はこうしてアマネ様のお体を修復されています」
「せやけどそれは、アマネの体を手に入れるって目的で動いていたらどうや? それなりに経ったらウチを殺してしまえばあんたの主人はアマネを手に入れることができるんやで?」
すると、スフィナはふっと笑みを浮かべた。
「ご主人様は、きっとそれだけはなさりません。何故って、アマネ様が悲しんでしまわれますから」
「アマネが? だからといってなんで――」
チトが何かを言おうとする前にスフィナが言葉を挟む。
「今お話ししてもチト様は理解してくださらないと思います。ですので、どうかご主人様の傍にいてみてください。そうすれば、今回のお話について、理解していただけると思います」
そう、言葉を残して仕事を終えたスフィナは地上へと戻っていった。
残されたチトは思う。
「……理解なんて、そんなの、取り繕ってるだけかもしれんやろ。ウチの前ではいい顔してるだけかもしれんやんか。こんなことをしている男を、どう理解しろっちゅうんや……」
・
・
「といった感じでお話してみたのですが、これでよかったのでしょうか」
「ああ、上出来だとも」
地上。
店にはテヴァとスフィナしかいない。店主である主人は商会の集まりがあるためにでかけたまま帰ってきていない。いつもはもっと早くに帰ってくるため、集会が長引いているのだろう。
テヴァは幼娘が着るには過激なネグリジェを纏い、椅子に座っている。一体どこでそのようなものを買ったのかという疑問がスフィナの頭に芽生えるが、それは一旦隅に追いやる。
「当然といえば当然だけどね、死体を犯す変態なんて正常な人間からすれば不信になる。少し前まで狂気に呑まれていたあの娘っ子も妹が助かる見込みが立ち、正気に戻りつつある。やはり、短い狂気はそれだけ晴れるのが早いのかねぇ。死者蘇生なんて死体を犯す以上の冒涜であるというのに棚にあげるのだから、正気に戻るというのは存外ありがた迷惑だったかもしれないねぇ」
「そこで、ご主人様に依存させていくことで狩人としての彼女を利用していく、とのことでしたが……さきほどお話しした感じでは、あまり靡く様子は感じられませんでしたが……」
「最初はそんなものさ。まずは、あの男に意識を向けさせる。仕事には紳士だからね。そこで信頼が生まれていくだろうさ。そこから先は……まぁ、その時考えればいいさね」
向こう見ずな作戦だ。だが、敬愛するテヴァがそんな杜撰なことしか考えるわけではないだろう。恐らく、最終手段のひとつやふたつはあると思われる。
そのようにチトを堕とす話の中で玄関扉が開き、愛すべき主人が帰ってくる。その顔はやや曇っているように見えた。
「おかえりなさいませ。……なにか、あったのですか?」
「ああ。どうもエーテアで原因不明の病が流行しているらしい」
「ほう? どのようなものかね?」
「初期症状として目のかすみを訴え、症状が進行していくと体のしびれ、痙攣、心不全を起こすそうです。熱はでませんが、それでも頭がぼんやりすることもあるとのことです。ご存じですか?」
「いや、生憎と知らないねぇ」
主人がテヴァにきいたのは、過去に似た病が流行したかを確認するためだろう。
しかし、残念ながらテヴァの記憶にはない病気のようだ。
「結果としてこの病の治療法が確立されなければ、死ぬ可能性もある。唯一、感染経路は人を介してであることは分かっている。どれだけの潜伏期間があるのかはまだ分からないが、感染者がこの街にいる可能性は十分にある。そのため、しばらく店を閉めることにした」
「感染を防ぐためですね。そうなると依頼は……」
「とりあえず、新規の受付はできないな。既に受けているものに関してはきちんと終わらせよう。それまでは人と接することになるが、ひとまずは布を巻くなどして一時処置としよう」
「わかりました」
そのように、急遽沸いた方針の打ち合わせをしていると、アマネの見舞いが終わったのだろう。隠し階段からチトが現れた。
しかし、どこか空気が違うことに気づいたのか、「どうしたんや?」と話題に加わる。
主人が再度説明を行う。
「……というわけだ。君もしばらくは街に出歩かない方がいい。狩人の仕事も休んだ方がいいだろうな」
「それは、無理や。だって、じゃないと期限に間に合わんやろ?」
「もちろん、この分は期限を伸ばすつもりだ」
「いや、それでも無理や。やっとアマネに会えるのに、金が払えなくて、会うのが遠のく、なんてことになったら嫌や」
「しかしだね、この病の原因は特定されていない。そんな中で病に陥れば下手をすれば命にかかわる」
「大丈夫や。人感染なんやろ? 狩人の仕事は魁魔が主やから人と接する機会は少ない。それにあんちゃんが言うように、人に会う時には布でも巻くからそう感染はせんやろ」
結局、チトは仕事を休む、とは口にせず店を出て行ってしまった。
「……大丈夫なのでしょうか」
「さてな……一応、保険は用意しておきたいが……テヴァさん、薬の調合は得意ですか?」
「得意ではないけど、できなくはないよ。けど、まさか、あの娘のためにかい? たとえあの娘っ子が病に倒れようとお前さんにとっては不都合なことはないんじゃないかい? むしろアマネの体が手に入り、上手くいけばチトという娘っ子の体も手に入る。わざわざ薬を用意してやる意味はないように思うけどねぇ」
とはいうが、テヴァがにやにやとしているのだから、からかっているだけだろう。
主人がため息をつく。
「助けたいといったのはあなたでしょうに。確かにテヴァさんの言うように見殺しにすれば得るものは多い。秘密も守られますしね。ですが、一度助けると約束してしまったのです。であるならば、助けるというのが筋でしょう。逆にききますが、チトが病に冒されたとき、助けなくてよろしいので?」
「わしが悪かったよ。少し試したかっただけなのさ」
「試す? ……ああ、そういうことですか。そんなもの、わざわざ試さずともいくらでも取り繕えますよ」
「それが素ならぼろもでないだろう? 素晴らしいことじゃあないか。さて、じゃあわしは調合に備えて少し部屋を動かそうかね。情報収集はお前さんたちに任せるよ」
そう言ってふわりと椅子から降りたテヴァは自身の部屋へと戻っていった。
「相も変わらず、掴みどころのない……」
主人はそう、息をはくとスフィナに向き直った。
「情報収集とは言うが、情報を集めてこちらがかかっては意味がない。情報は私が商会組合などから集める。スフィナはある程度の薬材を買ってきてもらえるか」
「かしこまりました」
スフィナが答えればようやく空気も落ち着く。
「ご主人様、何かお飲み物でもお持ちいたしましょうか?」
「ああ……いや、いい。どうやら今日は疲れているらしい。悪いが、早めに寝かせてもらうよ」
主人が寝支度をととのえている間、スフィナは考える。
折角最愛の主人が疲れているのだ、何か疲れを癒すような何かはできないか。
とはいえ、性交などはむしろ疲労を増大させるだけ。主人の負担になりかねない。
そこでスフィナはひとつの方法をひらめく。
スフィナも寝支度をととのえると、先にベッドに横になっていた主人にひっつくように入る。
求めてきたと勘違いしたのか、主人が「すまないが、今日は……」と言っているのを無視してスフィナはそっと主人の顔を抱きしめる。
「……スフィナ?」
「何かご主人様の癒しになればと思いまして。お嫌、でしたでしょうか」
すると、主人はスフィナの胸につつまれながらふっと笑う。
「いや、思いのほか心地よい。ありがとう」
「ふふっ」
やがて安らかな寝息をたてて眠る主人。
その姿に思わずスフィナも笑みを浮かべる。
主人の体温を感じながら眠りにつく傍ら、チトの言った言葉を思い出す。
(テヴァ様もおっしゃいましたが、ご主人様は決してチト様をお見捨てにはならないでしょう。だって、苦しむ姿がみたくなくて死体を犯すご主人様がアマネ様が苦しむような結果を辿るはずがありませんから)
しかし、それを話したところでチトが納得することはないだろう。むしろ反発されて終わりだ。
だから、どうか知ってほしい、主人の不器用な優しさを。矛盾しているような理解しがたい親切心を。
そうすれば、きっと穏やかになれるはずだ。
その日が来ることを願って、スフィナは意識を手放した。




