安堵
助けるとなればやることは多かった。
まず、血の処理。地面に飛び散るそれらを誰かに見られたら面倒ごとになるのは見えていた。
雨が降ってくれれば楽であるのだが、そんな都合の良いことはぽんぽんと現れるものではない。
できることといえば飲み水をまいて色を薄めることくらい。とはいえ、何も知らない人からすれば違和感はありつつも素通りしてくれるだろう。
続いては死体の処理。男たちと、アマネだ。少し引き返すことにはなるが、近くの林には細い川が流れているのは知っていた。男たちは麻布で巻いて荷車に積み、アマネにはもう一度箱に戻ってもらった。チトの返り血も相当のものになっており、馬車が汚れる前にスフィナに拭かせてから乗ってもらう。
林の中。遮蔽物が多いため、人に気づかれることはまずないという安心感。
男たちの死体はアマネの処理を終えたら、適当に捨ててしまう事にした。わざわざ丁寧に埋葬する必要もないだろう。少し林の奥なら、ある程度時間が経てばいずれ動物や魁魔が貪りにくる。
今回の主役はアマネだ。
箱から出したアマネを川の中に沈めると蛆やよくわからない何かが下流へと流れていく。
それを見届けながらグウェンがナイフを取り出すと、チトが「アマネになにをするつもりや!」と即座に反応した。
「使えない肉を削ぐんだ。まさかだが、腐り落ち、虫の巣になった肉体を妹に与えるつもりか?」
「それは! い、いややけど、でも、そんなことしたらアマネが骨になってまう!」
「それでいい。まず、死んだ肉体を削ぎ落して骨にする。そのあと、再び肉をまとわせるんだ」
もし、この壊死した肉を培養液につけるとどうなるか。勿論試したことがある。中に巣くう虫が成長するだけだった。いや、肉の体積も増えたには増えたのだが、増えたのは結局壊死した肉であり、なんの意味もない結果だった。
グウェンがナイフを滑らせると、簡単に肉が剥がれていく。骨は傷つけないように細心の注意を払う。しかし、肉の比較的壊死していない肉は川に捨てずに置いておく。
「ほ、ほんまにこれでいいんか……? ウチは……」
チトは妹の姿が更に変わっていくのを拳を握っていて見守っていた。見たくない光景であろうに、殊勝なことだ。傍ではスフィナがチトの腕に触れていた。
そして、
「テヴァさん、そんな近くでみられると集中しにくいのですが」
「いやね、お前さんの死体の修復作業を初めから見たことはないと思ってねぇ。一体どうやってスバラシイ修復をしているのか、その過程はわしにとって垂涎ものの関心なのさ」
にやにやと、しかし視線はグウェンの手に固定したままテヴァが言う。
テヴァにとって死体の修復作業を覚えるということは、自分で魂の移植先の肉体を見繕うことのできるようになるということである。
時折グウェンが肉を流さずに麻布の上に置くのをみると、「これは何のために残しているんだい?」ときいてくる。
「いくら骨から肉体の情報が得られるといっても肉体から情報を得て、それらを培養した方が効率はいいのです。今回は大体が手遅れですが、情報を得るうえでは貴重なサンプルです。これだけでも数カ月は短縮が見込めるでしょう」
「なるほどねぇ。骨にしたあとはどうするんだい?」
「汚れをしっかりと落とします。ここで変に汚れを残したままにすると、のちのち病気につながりやすくなるので。それとその際も骨は傷つけないように注意が必要です。傷ついた骨の修復は、それこそ骨が折れます」
誰一人として笑いもしない冗句が空を寂しく昇っていく間にも解体作業は続いていく。
胸、尻、秘部と、情欲を感じるような部位も紫黒い肉で、加えて解体されてしまえば何も思えなくなる。それどころか、一部の人間の中には人間が解体された姿を見て、性欲を喪った者もいるという。
「お前さんはどうなんだい?」
心でも読んだかのようなテヴァの物言いにグウェンは無表情に答えた。
「私とて、肉の欠片に劣情を抱くほど気は狂っていません。ただ、修復を終えた後の姿を想像すると、堪らない気持ちにはなりますが」
「かかっ、やっぱり大の大変態じゃあないか」
「失敬な。人間の姿を模した人形に劣情を抱くようなものです。そこまでではないでしょう」
グウェンとて自身が健全でないことは理解していた。だからこそ、すべてを否定することはない。
「こと、死体の修復に関しては全力で取り組んではいますが、今回は特に入念な下処理が必要になってきます。まだ時間がかかりそうですが……テヴァさん、見張りの方は?」
「安心おし。誰もひっかかってないよ。ま、たとえ近くを通りがかってもせいぜいが魚を捕まえているか処理しているかのようにしかみえないだろうね」
テヴァには見張りとして魂をあたりに配置してもらっていた。不自然に映ることのない見張りとしてこれ以上の適役はいないだろう。
夕暮れが近づき、空に夜の帳が降りたころ。処理はひと段落した。
骨についた水を拭き、丁寧に畳んでから、グウェンのお気に入りとともに御者台の中にしまう。
アマネを閉まっていた箱は破壊し、処分することになった。そうして身軽になったチトは焚火を囲んでいる間も手持無沙汰のように手をそわそわさせ、御者台をちらりちらりとみやっていた。
「……なぁ、ほんとにアマネは生き返るんよな?」
既に何度目になるかも分からない言葉だった。
「生き返ると言っているだろう? ここまでしておいて嘘だと思うか? 君のような狩人に一日がかりの命がけの嘘をつくには、あまり利がないように感じるが」
「いや……わかっとる、あんちゃんらは嘘をついてないのはなんとなくわかっとる。……でも、やっぱり頭が分かっても心が納得できへんのや……」
不安げな顔でチトは御者台を見つめる。
「アマネは骨だけになった。内臓も脳も全部川に流してもうた。それで新しく肉を再生して……それで生き返っても、そこにいるのはアマネなんか? そのアマネは……ウチのことを覚えてるんか?」
それは、人間の肉体をひとつの自我の総体と考える、一般的な思考であった。それでに従えば、チトの言葉はもっともであった。彼女の愛する妹はついさきほど、川の下流を流れてしまったのではないか、と。
一方でここにいるのは導魂士と呼ぶ魂の専門家。チトの不安を取り除くには、あまりに適任であった。
きっと、チトは運が良かったのだろう。
「だったら、実際に生き返った人間を見れば早いんじゃあないかねぇ」
「いるんか!? な、なら、会わせてくれんか!?」
テヴァの言葉に、チトが思わず詰め寄る。
膝が汚れるのを厭わず、隣のテヴァのもとまで這うように近づき、その肩を掴む。
テヴァは苦笑を浮かべ、とある方向を指さした。
「会うも何も、既に会っているだろうに。そこにいるだろう?」
チトが振りむいた先。
そこには、スフィナがいた。
チトが「えっ」と声を漏らす。
「そこって……嬢ちゃん、スフィナ、言うたよな? えっ、嬢ちゃん、生き、返っとるんか?」
その言葉には、スフィナはあいまいな顔で笑った。
「……そうですね。生き返ったといえばそうでしょうし、生まれ変わったといえばそうかもしれません」
「?」
「わたしは確かに、遥か昔に死んでいます。死んだとき、わたしはその体から離れ、魂としてこの世界を長らく放浪していました」
「……たましい」
チトのイントネーションからもピンと来ていない様子がよくわかる。
もともと、魂という概念は教会では御霊と称され、人間は死したのちは御霊となりて天に昇ると伝えられてきた。魂という用語は導魂士や一部の顕術師が用いるばかりで一介の狩人の知識にないのも当然といえる。
「教会のいう御霊のようなものさ。精神の塊でも、心でも、そう解釈は間違ってないよ」
テヴァからの補足で「あー……なんとなく、わかった、かもしれん」とチトが言う。
「スフィナのその体はね、もともとは他人のものなのさ」
「他人? 他人って――」
「その肉体は別人のもの、スフィナのものではないということさ。その肉体とスフィナの魂とを、わしがつなぎとめた」
「じゃ、じゃあ、スフィナは外側と内側が違うっちゅうことか?」
チトが何かしら意味を含んだ目をスフィナに向ける。
スフィナはまだ曖昧な笑みを浮かべている。
そして、その目の意味をテヴァは良く知っていたようだった。
「なんだい、まさか気持ち悪いとでも思ってるのかい?」
「い、いや、そういうつもりはなくて……でも、それって、つまり、勝手に他人の振りしてるってことやろ? それって、なんか……」
「その心配なら、必要ない」
チトの戸惑いを叩ききるようにグウェンが言う。
「既に、スフィナの体の持ち主の関係者はこの世界にいない」
「えっ?」
「その体はおよそ300年前のものだ。どれだけ人間が長生きであっても、今の時代には誰一人として、その体の持ち主を知っている人間はおらんさ」
第一、そうでなければ面倒ごとになることはわかりきっていた。ここ最近の娘にも興味があるのに、手を出せないのは中々に辛いものなのだ。
「肉体というのはいわば器さ。お前さんの妹をこんな骨だけにしてわしらが何とも思わないのはね、この体にお前さんの妹はいないことがわかってるからさ」
「いな、い……って。じゃ、じゃあ、アマネはどこにいるっていうんや! アマネの体にアマネがいないっていうんなら、どこに――」
「言っただろう? 人間は死んだ後に魂になる。未練、心残りの強い者って補足はつくけどね。お前さんの妹はしっかりと未練を残していた。だから、今もいるよ。すぐ、傍に」
テヴァが微笑む。その目は淡く輝いていた。
チトもテヴァが嘘を言っていないことが分かっているからこそ、ばっとあたりを見渡す。
しかし、広がるのは木々のみ。
「かかっ、この場ではわしにしかみえていないよ。けどね、それだけじゃあお前さんは信用しないようだし……うん、お前さん、アマネと言ったね? お前さんしかしらない姉の秘密はあるかい? ……うん、うん、かかっ! そうか、そうかそうか! かかっ」
突然、テヴァが笑いだす。あまりに愉快そうな声であり、それが当事者にとって恥ずかしいものであろうことはグウェンは良く知っていた。
「なんだい、お前さん、いつも妹の髪に顔をうずめて寝ていたんかい」
「え、なっ!?」
瞬間、チトの顔がその髪のように真っ赤になる。
「まぁ、姉妹の仲がよいのは望ましいことさ。いかんせんいきすぎている気もするけどねぇ?」
「そ、それは、アマネの髪は本当にいい匂いがして! というか、なんで嬢ちゃんが知っている、ん……や」
恥ずかしさの為、チトが叫ぶように言い、しかし、その後言葉が止まり、やがてチトが無表情になる。
頭を全力で回転させているのだろう。まったくもって情緒が忙しいと思うが、ただ、ここ数日ばかりはそうなるのもきっと自然なのだろう。
理解したのだろう、チトが新たに頬を一筋の涙で濡らした。
「……いる、んか。アマ、ネ」
「いるさ。導魂士のわしが保証しよう。今は話せないけどね。それでも、お前さんは必ず、無事に妹に会うことができる。今はその事実を寿けばいいさ」
いるという実感が湧いたのかもしれない。希望が形を持ってチトの目の前に現れたのかもしえない。
いずれにせよ、チトは地面に突っ伏し、涙で濡らした。
「ごめん、ごめんなぁ、ごめんなぁ、アマネ……ウチのせいで、ごめんなぁ……」
希望と共に現れたのは罪悪感や責任感。安堵というのも、あったのかもしれない。
「今日は良く泣くものだ」
グウェンが軽く息を吐く。
今日だけで、チトは絶望と希望を同時に味わうことになった。しかし、チトは運がよかった。そう、本当に運がよかったのだろう。
「いいじゃあないか。今は泣かせてやればいいさ」
テヴァは肩を竦めて、そう言って笑った。
嬉しそうな顔をしていた。




