肉体の記憶
翌日、目的地付近の道でチトと別れる。
それを見送ってから、馬車は違う方向へと進んでいく。
もう声がチトに届かなくなったところで膝の上のテヴァが言った。
「助けてやらないのかい?」
それは、つまり、生き返らせてやらないのか、ということ。
「しませんよ。口が固いとも限らない。秘密の共有者が増えるほど、秘密の維持は難しくなる。というか、その場合、実働があるのはテヴァさんだと思いますが?」
「わしはやってみてもいいと思っているよ。死んでそう何年も経っていないようだった。最近死んだ魂を肉体に宿すと体の動かし方もすぐに思い出せるのか気になる」
どうやら研究の対象として考えているらしい。
「その様子だと、妹の魂はあったのですね」
「ああ、しっかりと未練を纏っていたさ。話はしなかったけど、しきりにあの娘を気遣っていたよ。どちらも姉妹想いじゃあないか」
しかし、2人が再び同じ地面を踏むことはもうできない。
「けれど、それが自然の摂理ってもんさ。できるお前さんが異常なだけだよ」
「そのお言葉、そのまま返しますよ」
グウェンは視線を前に戻す。
「……せめて、スフィナのように口が固い確証が取れたら、まだ考えようはあるのだが」
小さなつぶやきは風に乗って消えた。
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天気が悪い。
山はそれほどの高さではない。縦に長いというより、横に長い。
登っていけば、あたりは益々暗くなり、やがてぽつりぽつりと雨が降り始めた。
「……歓迎されていない、のかもしれないな」
しかし、悪天候であるのは、グウェンにとって喜ばしいことだった。
雨の中、来たがる人などそういない。万が一、ということもなさそうだ。
スフィナは肩で息をしながらも遅れずについてきている。一方でテヴァは早々にグウェンの背中で負ぶってもらっていた。身体機能は肉体に依存するため、子どもの体であるテヴァにはこの山道も辛いものであったようだ。
「スフィナ、少し休むか?」
「い、え。大丈夫、です」
そしてそれはスフィナも同様だ。外見からして身体能力はそう高そうには見えない。しかし、スフィナはグウェンの提案を拒否する。恐らく迷惑を掛けないようにという思いで頑張っているのだろう。半ば我がままを通しての同伴。これで休みをもらってはただのお荷物でしかない、と。
そんなことは考えなくてもいいのだが、という思いは口にはださず、「そうか」とだけ返して、グウェンは歩みを進める。
長い間歩き、グウェンもさすがに息が荒くなってきたころ、目の前に瓦解した霊園が姿をあらわした。
苔と蔓に覆われた墓石、木の根によって押し上げられた石畳、獣の体当たりでもあったのか折れている鉄柵。
懐かしい、愛すべき霊園だ。グウェンにとってここはまさに宝石箱だ。
息も絶え絶えとなり、汗なのか雨粒なのかわからない水滴を被ったかのようになっているスフィナには岩に座って休むように伝え、グウェンはテヴァを伴って霊園を歩いていく。
「…………」
テヴァはあたりを見渡している。そして、時折誰かの墓の前で立ち止まっては息をつく。
やはり、テヴァにしては珍しい反応だった。
歩き続け、やがて、止まる。
かつてテヴァの肉体が眠っていた墓石。盛大に墓荒らしがされた跡の残るそこの隣に小さな墓があった。墓石に彫られた名前を読めば、予想通りの名が彫られていた。
そうしてグウェンがスコップを振るうと、中から棺が顔をだす。
ゆっくりと降り、そして、棺を開く。
「……みつけた」
そこには、胸に手を重ねている白骨があった。骨格からして少女の遺骨のようだ。
それもそのはず、この遺骨こそこの旅の目的であったのだから。グウェンの新しいお気に入り。
喜色に堪らず笑みがこぼれる。
さぁ、あとはこの遺骨を回収するだけ。
そしてテヴァに振りむけば――テヴァが、泣いていた。
雨のせいでわかりにくいが、テヴァは遺骨をみつめたまま、つーっと一筋の涙を流していた。
「……テヴァ、さん?」
「…………ああ、わしを呼んだのか」
やや、茫漠とした声音。
一体なにがあったのかわからない。あまりの突然のことにグウェンは動揺を抑えきれなかった。
そうやってテヴァをみつめてしばらく。視線に気づいたテヴァがグウェンをみて、あいまいに笑う。
「もしかして、驚かせたかい?」
「……ええ。まさか泣くとは思っておらず。何か、彼女に思い入れがあったのですか?」
たとえば、ずっと昔の知り合いであったとか。一般人ならまずないことも、何度も体を乗り継いでいるこの導魂士ならば、あるいは。
しかし、だとしたら、何か言ってくれれば獲物を変えることも検討したというのに。いくら全面的にグウェンに協力するよう契約が結ばれていたとしても、グウェンとて道徳はある。少なくとも、嫌といわれれば身をひく程度には。
ただ、テヴァが語るのは、グウェンの想定していたものではなかった。
「……これはね、いわゆる肉体の記憶、というやつさ。生き物の心というのは魂にある。記憶も感情も思考も自我も、魂から肉体を通して表に現れる。しかしね、魂と深くかかわり続けた肉体は大なり小なり、魂がもっている記憶のいくばくかを刻みつけられているのさ。わしの今の状態は、肉体が起こしている反応。わしの魂が泣いているのではなく、この肉体が泣いているのだよ。……けれど、肉に刃が刺されば痛いと思うように、肉体の反応は、魂にも影響するものでね。だから、自分でもわからないくらいの情緒になってしまう」
そのままの声音でテヴァは続けた。
「この肉体の持ち主である娘はね、そこの娘を愛していた。どのような苦しみの中でも常に傍に居続け、支え続けてくれた娘を魂の底から愛していた。そして、その娘もこの娘を愛していたようだね。この肉体に刻まれた記憶の殆どは、家の面倒ごとと、その娘のことだけでね、どんな結末を辿ったのかはわからない。けどね、なんとなく察しはつくさ。なにもかもに疲れ果て、決して結ばれることのない未来を憂う、年端もいかぬ娘たち。どうせ心中したに決まっている」
「……ご推察の通りです」
「はっ、まったく。愚かだよ、この娘たちは。どうせ死ぬなら、生きているうちにできることを試してから死ねばよかったろうに。暗い未来でも、その時になれば別の方法も思い浮かんだかもしれないだろうに」
少女たちの結末を貶しているようにきこえるのに、テヴァの目は悲しげに伏せられていた。
その言葉は、一体テヴァと少女の、どちらの思いなのだろうか。
「……埋めなおしましょうか」
「いや、いい。そこにあるのがただの抜け殻であることは、他ならぬわしが知っている。……けどね、その体をこっちにもってきてくれるかい?」
グウェンは頷き、棺のもとに下りると、遺骨を抱え、土壁を蹴って器用に地上に飛び戻る。
その時の衝撃で頭蓋骨がぽろりと地面に転がり、テヴァの足元で止まる。
それを、テヴァは優しく拾い上げると、腕をまっすぐ伸ばし、頭蓋骨全体をみつめた。
「愚かだよ、この娘は。愛し愛されていたとはいえ、命すら共にすることもなかったろうに。優秀な娘だった。そのまま生きていれば、それなりの幸せは得られたろうに。わしなどにかまわなければ、もっと多くの将来があったろうに」
しばらくの沈黙の後、ふと、「違和感だよ」とテヴァがつぶやく。
「わしは会ったこともない、まったく知らない娘のことだというのに、愛しさと悲しさがこみあげてくるよ。記憶が活性化することでおきる一時的な自我の混濁。これは何度やっても慣れない、ねぇ」
そうして、テヴァは頭蓋骨をそっと抱きしめた。
「ああ……本当に、愚かだよ。……申し訳ないことをしたねぇ……ありがとう」
最後の言葉は、もしかしたら肉体の本来の持ち主である少女が伝えたかったことなのかもしれない。
雨が降りしきる中、グウェンはテヴァが落ち着くのを待った。
空を見る。晴れることは、まだないようだ。
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スフィナがグウェンたちを探しに来る頃には、テヴァもそれなりに落ち着きは取り戻していた。
あまり長居し続けると馬車に被害が出るかもしれないため、ひとまず馬車に戻ると伝えると、スフィナは「わたし、結局何もお力になれていません……」と肩を落とした。
もともと何か活躍を求めて同伴させたわけではないのだが、しかし気持ちはわからなくもなかった。
それゆえ、スフィナにはスコップを持ってもらうことにした。
地面のぬかるみに気をつけつつ、やがて無事に馬車に到着すると、狭い幌の中に体を押し入れる。
遺骨を置き、テヴァをおろせばすぐさまスフィナが拭き布を渡してくれる。そして、そのまま甲斐甲斐しくテヴァの体を拭き始めた。
落ち着いたとはいえ、まだ肉体の記憶の影響があるのかぼうっとしたようなテヴァ。スフィナも様子がおかしいことは感じているが、口出しはしない。まぁ、きっとそのうちスフィナにも訳を話すことだろう。
そういえば、スフィナはどうなのか。スフィナもまた、その体の本来の持ち主は別だ。きっかけがあれば、肉体の記憶が活性化するだろう。しかし、今のところそういった様子は見られない。
スフィナの体の持ち主のことは当然調べてある。しかし、その肉体はどのような記憶を見せてくれるのだろうか。
雨合羽を羽織、御者台に座る。一度、雨を凌げそうな場所を探した方がいいだろう。
ゆっくりと馬を走らせる。少し遠くに大樹がみえた。
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夜になると雨はすっかり収まり、天上にはまばゆいばかりの星々が散りばめられていた。
あたりの木々は雨で湿気ていたため、火を起こすのは困難であったが、どうにか今は焚火を囲うことができている。
このころになるとテヴァも調子を取り戻し始め、軽調な口ぶりで自身の異変を説明した。
理由を知ったスフィナは感嘆とした様子で自身の胸に手を当てる。
「肉体の記憶、ですか。わたしも、いつかテヴァ様と同じ体験をすることがあるのでしょうか」
「おや、体験してみたいのかい?」
「いえ、記憶を体験したとしても、わたしのではない、誰かの記憶です。知る必要はないと思いますし、知るのは少し、申し訳なく感じてしまって」
スフィナが「でも」と続ける。
「もし、この体の持ち主の方が、何かやり残したことがあるのなら、できるだけ叶えてあげたいなって思います。それで少しでもこの体にお礼ができるなら」
「お前さんも、馬鹿みたいにお優しいねぇ。ちなみに、その肉体の娘は、なにか未練を残していそうだったのかい?」
テヴァがグウェンに話を振る。
「歴史を紐解く限りではなにも。若いうちに亡くなっていますが、その理由も毒を呷っての死ですから。むしろ死にたかったのでしょうね」
「ふうん? 死にたかった理由はわかっているのかい?」
「周辺情報からの推測ですが。当時、ある商会の一人娘として生まれた彼女は商会同士のつながりを強めるための鎹として婚約者があてられていました。ただ、それにしては婚約者とのやりとりは非常に仲睦まじかったようで、運が良かったのでしょうね。しかし、娘の商会の経営が低迷したころに相手の商会が別のところに鞍替えしてしまった。その数日後に娘は服毒で自死したそうです」
「つまり、原因は恋ってことかい」
「ですね。なので、その肉体の持ち主が持っていた願いは、恐らく、相手の男と結ばれたかった、といったものでしょうね」
そう話をまとめると「それは……難しいですね」とスフィナがあいまいに笑みを浮かべる。
「それはそうだ。相手もとうに亡くなっている。まぁ、代わりに生きてやればいい。生きて、それなりの幸せを感じさせてやれば肉体も満足するかもしれない」
「……じゃあ、幸せになれるようがんばります」
と、スフィナはグウェンの腕を抱きしめた。
なるほど。確かに、スフィナにとっての幸せとはそうなるのかもしれない。
「一本とられたんじゃないかい?」
「かもしれませんね」
テヴァがにやりと言うのに対し、グウェンは肩を竦めて返した。




