シンシアの章⑤
「ハルヲ、それは何ですか?」
竹を入手してから、ハルヲは様々な物を作っていた。先日は回すと宙に飛び上がる不思議な物を、そして今は細長い二本の棒。
「これは箸だよ」
「箸?」
またよく分からない物体だ。どうしてハルヲは次から次へと珍妙な物を披露するのか。彼は二本の棒を右手で持つと、指先でその棒を操って傍らにあった欠片を持ち上げた。
「こうして持ち上げる食具だ」
食具、ということはこの細い棒で彼は食事をするつもりなのか。どう考えてもスプーンやナイフの方が便利だと思うのだけど。
「久しく使っていないと、上手く扱えなくなるものだね」
ふと彼の表情に寂しさが垣間見えた。私たちとの生活に慣れたとは言え、やはり望郷の念はあるのだろう。私は自らの不見識を羞じた。
「ハルヲ、私は……」
「シンシアさん、へっついの改良をしないかい?」
私が言い淀むのに被せるように、彼は提案して来た。
「へっついの改良、ですか?」
「アールさんが不在の時でも、効率良く煮炊きできるようにね」
ハルヲの言いたいことは分かる。普段は旦那様の魔法で強い火力が得られるが、普通の薪だけではそこまでの火力には至らなかった。それを彼は改良しようと提案している。
「改良とは言っても、新しくへっついを設けるのが妥当なところかな」
私は家事の一切を任されているので、彼の提案を受け入れた。
「ハルヲのお手並みを拝見致しましょう」
「任せてくれ」
自信が漲る彼と共に台所に来た。既にある竈は触らないようだし、特に問題も発生しないだろう。
「この横に設けよう」
彼は既存の竈から少し離れた位置を指定した。手にしているのは金属製のショベル。何をするつもりなのかと見ていると、彼は台所の床を掘り返し始めた。
「何を?」
「空気の通り穴が必要なんだ。ちょっと変わった構造のへっついだから、驚いて当然だね」
彼の平静を看取して、私は口出しせずにおこうと決めた。
「ごめんなさい、続けて頂戴」
「ああ、任せてくれ」
ハルヲは掘った穴の上に木枠を組むと、その上に水で練った土を盛り付け、更に日干し煉瓦を組み上げてゆく。
「さてと、仕上げは薪の燃焼試験だな」
竈を作るのに、半日程しかかかっていない。こんなに早く組み上がるものだろうか。それにしても不思議な構造だ。底は掘り下げられた穴、その上を日干し煉瓦で囲み更に煉瓦の周囲を分厚い土で覆っている。組み上げた日干し煉瓦の一部が開放されて、そこへハルヲは薪を入れた。従来の竈はしゃがまないと薪を入れられない構造だったが、この新しい竈は立ったままで薪を投入できる。
「上手くできるかな?」
ハルヲはそう言って右腕を薪に向けて伸ばした。彼の右手に魔力が集まる。
「発火」
魔法が起動して、薪に火が点いた。パチパチと音を立てながら薪が燃え始める。
「土を乾燥させて強度を出さないと危ないから、この薪が燃え尽きるまでは鍋を載せないように」
「分かったわ」
燃える薪の勢いが増してゆく。竈の背後に立てられていた棒も燃え始めた。
「ハルヲ、棒が燃えているわよ」
「それは燃えていいんだ。そこを空気の通り穴にするから」
彼の言葉通り、竈から吹き上がる空気が通るのか、立てられていた棒は勢いよく燃える。
「このへっついはね、下から空気を取り込んで上へと逃がすようにできている。その空気が通る勢いを利用して火も強くなるようになっていてね、これを考えたのは僕の故郷の先人で、東京知藩事まで勤めた俊傑さ」
またよく分からない単語が出たが私は敢えて聞き返さなかった。この竈の能力は今までの竈よりも遥かに強力だ。薪数本で今までの竈と同等の火力が得られるのではないだろうか。薪の節約と調理時間の短縮が両立するなんて有り得ない。
「実家にあったものを記憶を頼りに見よう見まねでで作ってみたけど、上手くいったな」
「ちょっと……」
ハルヲの言葉は聞き捨てならない内容だった。思わず彼の腕をつねる。
「痛いよ」
「痛くしているのです」
私の表情は変わらないが、怒っている気持ちは伝わるはずだ。しかしハルヲは理由が思い当たらないとでも言いたげな風情で見詰め返して来る。
「何を怒っているんだい?」
「呆れた人」
説明しないとならないのだろうか。ここは旦那様の家で、私たちの家ではないのだ。幾ら私が家事の一切を任されているとは言え、失敗は許されない。
「竈の改良、失敗の可能性がありましたよね?」
「失敗しても、これまでの竈に被害はないよ」
ハルヲの言葉に私は二の句を継げなかった。新規で作成したから既存の竈はそのままだ。
「結果論ではあるけど成功したのだから、もっと喜んで欲しい」
「仕方ありませんね。表情は変わりませんが、新しい竈の能力には驚いていますし、感謝します」
「シンシア、その言葉だけで満足だよ」
ハルヲがニカッと屈託なく笑う。私はこの笑顔に弱いようだ。何なら、既に彼を許してしまっている。
「新しいへっついはこのまま冷やして、固まるのを待とう。それよりもお昼御飯を作る時間だよ」
「そうですね、奥方様も若君も本日は身体を休めていますが、そろそろ起き出して来られる頃合いです」
台所の食糧保管庫には猪の肉やキノコ、乾燥果物などが収められている。私は猪肉を取り出すと、人数分に切り分けた。続けておろし金で大蒜を削り、肉の臭み消しとして馴染ませる。充分に大蒜が馴染んだところで串に通した。
「ハルヲ、このお肉をそちらのへっついで焼いて下さい」
「分かった」
ハルヲは言われるままに串をへっついの上に並べる。あれだけの火力があるのだから、短時間で焼き上がるだろう。私は玉葱と乾燥果物を薄切りにして、塩を振りフライパンの上に並べた。いつもの竈に火を熾す。
「焼き上がったら、こちらのお皿の上に並べておいて」
チラリとハルヲの手元を見ると、お肉は既に焼き上がりそうだった。私は調理の手を早める。フライパンに酢を注いで、後は玉葱が柔らかくなるまで煮込むだけだ。
「美味しそうな匂いだな」
残念ながら私は生前の嗅覚がないので、ハルヲのような感覚にはならない。ただ旦那様に教えられたレシピを忠実に再現するだけ。
「シンシア、お腹が空いたよ」
若君が台所にやって来た。調理中の私は手が離せない。
「坊ちゃん、もうすぐ支度が調いますから、手を洗って待ちましょう」
ハルヲが巧みに若君を台所から連れ出してくれた。私が盛り付けを済ませて食卓にお皿を並べていると、奥方様が姿を現す。
「シンシア、今日も美味しそうな香りがしていますね」
「ありがとうございます」
微笑む奥方様が着席すると、そこへハルヲと若君が戻って来た。
「母上、本日もご機嫌麗しく存じます」
「ディオンも息災そうで何よりです。さあ、ハルヲさんもお掛けになって」
「はい、ありがとうございます」
三人が着席して、私は食事を給仕する。ハルヲが焼き加減を見てくれた猪肉を各自の皿へ取り分け、その上に私が調理した玉葱を適量盛り付けた。
「もう冬ですね、シンシアのこの料理を見るとそう実感します」
奥方様の仰る通り、私は冬の初めにこの料理を作るのが多かった。それは私自身がこの時期に好んで食べていた料理だったから。
「猪肉の甘酢餡掛け、酢豚みたいなものかな?」
「酢豚?」
ハルヲがまた知らない単語を発した。奥方様も不思議そうな表情をなさっている。
「し、失礼しました。僕の故郷では豚肉で作る、よく似た料理があるのです」
「そうですか、ハルヲさんは本当に私たちの知らない事柄を教えてくれて興味が尽きません」
「そう仰って頂けると、面映ゆい心持ちです」
ハルヲは照れているようだ。そのような彼の仕草も可愛い。私は朝の内に焼いてあったパンをお皿に盛り付けて卓上に差し出した。
「シンシア、ありがとう。さあ、冷めない内に頂きましょう」
奥方様の言葉に、三人は合掌する。これもハルヲが来てから行うようになった習慣だ。
「頂きます」
ハルヲの声はよく通る。彼が初めてこの言葉を口にした時は旦那様も当惑されていたけれど、今ではご家族全員がハルヲに感化されてしまっている。私も食事ができる身体であれば、同じように唱和できただろう。
「うん、美味しい」
「甘酸っぱい味付けが、食欲を掻き立てますね」
奥方様、ハルヲが褒めて下さる。若君も夢中で召し上がり、私は満足した。
「ところで、ハルヲさんが使っているそれは何ですか?」
奥方様がハルヲの手元を御覧になって質問する。あれを本当に使うとは私も思っていなかった。
「これは箸と言いまして、僕の故郷では一般的な食具です」
「初めて見ましたけど、使いづらくはありませんか?」
「子供の頃に練習して、それ以来ですから、慣れですね」
指先で扱う箸は私の目から見ても充分に使い勝手の悪そうな食具だ。奥方様が疑問を呈するのも当然だった。しかしハルヲは器用に箸を動かして、玉葱の下にあった猪肉を持ち上げる。
「探り箸と言って行儀の悪い扱い方ですが、このようなことができるほどには扱い慣れております」
「ハルヲさんの手先が器用なのは、箸の扱いになれているからでしょうか?」
奥方様は感心したような表情で彼の動作を見詰めていた。私から見ても、彼の箸使いは驚きに値する。
「僕も箸を使ってみたい」
若君が興味を持たれたようだ。
「お箸は個人個人に合わせて好みの長さがありますから、午後から作りますね」
「はい、よろしくお願いします」
奥方様の瞳は輝いていた。山中の変化のない日々に常に新鮮な驚きを与えるハルヲの存在は、御一家に良い影響を与えている。このまま彼がここへ留まっていてくれたなら、私も嬉しいと思い始めていた。