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ハルテン!  作者: 斎木伯彦
シンシアの章
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シンシアの章④

 あれから、どれだけの時が流れたのだろう。旦那様には奥方様がいて、そしてご子息のディオン様も産まれた。私はずっと家事全般を任され、御一家の身の回りの世話を一手に引き受けている。

 不満はない。けれど未練は解消されることもない。このまま私は未来永劫、旦那様たちに尽くして動き続けるのだと思っていた。あの日、あの人を旦那様が連れて来るまでは。

「てやっ!」

「ふむ」

 気合一閃、鋭い剣撃が舞う。その太刀筋を見極めて、旦那様は僅かに動いた。ハルヲは剣を振り上げた体勢を崩して横転する。

「今のは悪くなかったぞ、ハルヲ」

 旦那様とハルヲは数日前から若君の稽古を終えると、直接手合わせするようになっていた。

「いえ、避けられては意味がありません」

「しかし発動までの時間短縮と、効果の増大は見事だぞ」

「あの二人、本当に楽しそうに剣を打ち合わせて」

 奥方様は今にも二人と交ざって剣を振り始めようとする表情だ。

「この腕がもっと丈夫であれば」

 本当に奥方様は剣術がお好きなようだ。

「シンシア、ハルヲに水を持って来てくれ」

 旦那様に指示され、私はコップを用意した。

「水は私が注ぎましょう」

 奥方様がコップに手をかざすと、器に水が満ちる。それを私は地面に腰掛けているハルヲへ差し出した。

「ありがとう、シンシア」

 手渡されたコップから喉を鳴らしてハルヲは水を一気に飲み干した。

「ところで、今の術式は何かしら?」

「俊敏性を強化する魔法とのことだけど、不思議な感覚だよ」

 ハルヲは自らの行動を正確には把握していないようだった。

「ハルヲの使っている術式は無駄が多い。折角の身体強化魔法も発動までに時間が掛かり過ぎだ」

「そう仰っても僕の習った剣術では、そもそも魔法が発動しているとも思ってませんでしたから」

 旦那様が仰るには、ハルヲの扱う剣術では精神集中で身体強化魔法を使っていたらしい。らしいというのはハルヲ本人に魔法を行使している自覚がなかったらしく、身振り手振りなどを合わせた予備動作が魔法詠唱の代用になっていたとのことだった。それを先日の白狼戦で使った結果、彼は驚くような素早さで狼を斬って捨てたのだ。

「ハルヲに必要なのは、魔法を扱う感覚に慣れることだな。魔力増大に関しては、ハルヲの国の技術に分がある」

 旦那様とハルヲ、それに奥方様と若君は横並びに地面へ腰掛けた。坐禅とハルヲが呼ぶ座り方は、魔力を強化するのに効果的とのことだ。現に奥方様はここ数日で、苦手としてらした「水作成」などの初歩魔法の行使を円滑に行えるようになっていた。ただ、ハルヲが提案したもう一つの技法、滝行については旦那様も苦笑いしていたけれど。

「ハルヲが来てから、旦那様も生き生きとしていらっしゃいます」

 森の中で保護された彼の存在は、旦那様御一家に良い刺激を与えていた。淡々とした日常が、ハルヲの言動でメリハリのある生活に一変したのは大きい。

「皆さんが坐禅をしてらっしゃる間に、昼食の支度を調えましょう」

 私は昼過ぎからハルヲに教える内容を反芻しながら、昼食の支度を進めた。


「ハルヲは物覚えが良いですね」

「ありがとう。まあ、伊達や酔狂で一高に通っていたわけではないからね」

「一高?」

 私が聞き慣れない単語に反応を示すと、彼は丁寧に答えてくれる。

「僕の通っていた学校。帝大に進むには手堅い選択だよ」

「へえ」

 正直言って、ハルヲの世界の学校制度はよく理解できない。勉学は優秀な教師を呼び寄せて受ける方が効率は良いはずなのだから。

「それにしても、そろそろ筆先が使い物にならなくなりそうだな」

 ハルヲの使っている筆は、私も初めて目にする形状だった。棒の先に動物の毛が用いられている筆など旦那様も知らなかった。それにインクも不思議な品だった。窪みがある石に水を入れて、そこで真っ黒な固形の物を擦りつけるとインクになる。ハルヲは使い切ったらそれまでだからと大事に使っているが、確かにこの先々で入手は不可能だろう。

「自分で作ることはできないの?」

 私が尋ねると、ハルヲは首を捻って考えている様子だ。

「原料は知っているけど、集めるのが大変だからな」

「何を原料にしているの?」

「穂は小動物の毛を、筆管は竹を用いているけど、竹がないなら桜の木の枝を使うしかないな」

「竹?」

 また聞き慣れない言葉だ。

「シンシアさんの反応で、僕の必要としているものがこの世界で手に入るかどうかが分かるから助かるよ」

「何か複雑な気持ちになるわね」

 私だって世界の全てを知っているのではない。私が知らないだけで、ハルヲの求める物はどこかにあるかもしれないのだ。

「墨は、煤を集めて(にかわ)で固めるんだけど、ここでは膠が手に入らないから」

「そうね」

 煤は竈にあるけれど、膠は私も入手方法を知らない。

「魚の浮き袋を煮詰めて作るんだけど、松脂(まつやに)で代用できないこともないかな」

「ハルヲは私の知らないことばかりを言うのね」

 ハルヲの博学ぶりは素直に賞賛したいけれど、心のどこかで嫉妬も渦巻いている。

「シンシアさんも物知りじゃないか。シンシアさんがこの世界のことについて僕に教えてくれるのは、それだけの知識が必要だから」

「そういうことにしておきましょう」

 私はこそばゆい気持ちになった。どうしてハルヲは私の心をざわつかせるのだろう。このままでは私はハルヲに恋愛感情を持ってしまうかもしれない。もし、そうなったら私の未練は解消されてしまうのではないだろうか。

「シンシアさんが人ではないと分かっても、やはり好きだな」

 不意打ちに近い言葉に私は動きを止めた。

「そういうところだよ。実に人間っぽい仕草をするから、本当はアールさんたちと皆さんで僕を担いでいるのかと思ってしまうよ」

「お戯れを」

 私はそう返すのが精一杯だった。もしも私が生身の身体だったなら、激しい動悸と羞恥に顔を真っ赤に染めていたに違いない。殿方から好意を告げられたこともなかったのだから。

「ハルヲには、おふざけの罰として、食後に森までの護衛を言い付けます」

「承りました」

 他愛のない会話が楽しく感じる。ハルヲが来てから既に二ヶ月が過ぎ、季節は冬になろうとした。

「冬は僕の故郷の県では和紙作りをしていたな」

 台所で食事の支度をしている私を眺めながら、ハルヲがボソリと呟く。

「和紙?」

「ああ、植物の繊維を絡み合わせて作る紙だよ。とても丈夫で軽い、良い紙質で紙幣にも使われるぐらいだ」

 また知らない言葉が出て来る。和紙は紙と分かったけど、紙幣とは何だろう。私は疑問を口にした。

「紙幣とは何?」

「こちらの世界には、紙幣がない? そもそも貨幣制度はあるよね?」

 質問に質問で返されたけど、ハルヲの言い分を解釈すると紙幣とは貨幣制度に関連があるらしいことは予想できた。

「貨幣はあるわ。滅多に使われないけど最も価値が高いのは大金貨で、金貨十枚分の価値があるわ」

「大金貨か。僕ではお目にかかることもないだろうね」

「私も数回しか見たことがないから。それに使われる機会が多いのは銀貨よ。金貨一枚は銀貨十枚」

「ふむふむ」

 ハルヲは小枝を拾うと地面に何やら書き始めた。私が知らない、文字のようなものを。

「銀貨の半分の価値になる小銀貨、その下の大銅貨十枚が小銀貨一枚。皇国で使われる最も価値の低い貨幣は銅貨で、銅貨二枚が大銅貨一枚になるわ」

「勉強になるけど、どうにも複雑な貨幣制度だね」

 そうだろうか。私は何とも思わない。

「使い慣れるまで苦労するかな」

「それと、私が知る範囲では庶民の生活には一ヶ月で金貨十枚が必要よ」

 あくまで私が生きていた頃の話だけど。

「皇国と周辺地域では同じ通貨かい?」

「さあ、私はそこまでは知らないわ」

 お父様は故国のお話をあまりなさらなかったから、私の知識は皇国に限られる。

「けれど、隣国と交易なんて東の街道を一ヶ月ぐらい旅しないとならないから、限られた商人ぐらいが行き来しているだけよ」

「さほど重要な交易品もないのか」

 ハルヲの言に私は小首を傾げた。重要な交易品とは何だろう。いや、その前に私は交易品目の内容すら知らない。

「まあいいや、紙幣というのは貨幣の代用となる紙のことだよ」

「貨幣の代用?」

「そうさ、いわゆる信用手形みたいなもので、記載された額面の貨幣価値を保証する存在さ」

 ハルヲの説明に私は疑問を持った。そのようなことで貨幣の代用になるのだろうか。けれど、ハルヲのいた世界ではそれが成立していたのだろう。文化の違いというよりも、文明の隔たりが大きいのかもしれない。

「紙幣を成立させるには政府の信用が第一だけど、製紙や印刷などの技術の確立も必要不可欠だから、この世界では難しいかもしれないね」

「印刷?」

 また知らない概念をハルヲは口にした。本当に、この人はどれだけの事柄を知っているのだろう。

「印刷技術がないなら、紙幣は無理だね。それに貨幣なら含有されている貴金属で取引できるし、万国共通の通貨として流通可能だ」

「ハルヲは……」

「ハルヲ!」

 私の言葉を遮るように若君が顔を出した。人懐っこい笑みを見せる若君。

「この前、話していたあれを作ってよ」

「あれ、ですか?」

 あれとは何だろう。私が家事に勤しんでいる間に彼らは何かを約束していたのだろうか。

「ですが、材料がないと……」

「父上が、よく似た材質の植物を知っていると仰いました」

「まさか……」

 キラキラと輝く瞳の若君、不意に現れた旦那様がその手にしているのは管のような木だ。

「ハルヲ、これが君の世界でいう竹というものか?」

「これは、どちらで?」

 ハルヲは管のような木を手にして震えているようだった。

「西の大陸の南方に自生しているのだが、こちらの大陸では見掛けたことはないな」

「アールさん、これを使って家事を楽にできますよ」

 ハルヲの言葉に旦那様は少し首を傾ける。

 日暮れ近く、ハルヲが細工した管のような木によって、炊事場近くに水が引かれていた。

「これで、水汲みに行く時間と労力を節約できます」

「これは便利そうだな」

 炊事場の近くに大きな桶を置いて、そこに水源から管のような木を半分に割った物、ハルヲは竹樋と呼んでいた、を並べて水を引っ張って来た。桶からは近くの川へ水を返すように土を掘って竹樋を並べたので家の周囲が水で溢れることはない。

「シンシアさんが狼に襲われることもなくなるでしょう」

「ええ、これなら安心していられます」

 奥方様も大きく頷いている。

「雨水が混ざってしまいますが、煮沸すれば問題はないでしょう。僕の国では遠く離れた水源地から、この樋を地中に埋めて都市部まで水を引いていましたが、流石にそのような大掛かりな仕掛けは作れません」

「いや、これで充分だ」

 旦那様は満足そうだ。

「これならばラリアとディオンでも水を扱うことができる。感謝するぞ」

「僅かばかりですが、恩返しができて嬉しく思います」

 ハルヲの表情はどこか安堵したように見えた。

「そう堅くなるな。お前を拾ったのは私の気紛れだ、気にすることではない」

 旦那様の言葉は逆効果のような気もするが、あの物言いは旦那様なりの照れ隠しなのだと私は基より、奥方様も察していらっしゃるので微笑ましい光景でしかない。

「向上心も強いし、ハルヲは我々に良い刺激を与えてくれる」

「有り難いお言葉です。今後もアールさんたちの益友であれるよう努力します」

 またハルヲがよく分からない言葉を口にした。益友とは何なのか。私がジッと見詰めていると、ハルヲは頬を一撫でしてから尋ねて来る。

「何かついているかい?」

 私は疑問に思ったことを口にした。

「益友とは、何ですか?」

「それは成長の助けになる友人のことだよ」

 サラリと答えるハルヲに、私は二の句を継げなかった。

「さあ、夕飯にしよう」

 旦那様の掛け声に私は我に返る。急いで夕飯の支度をしなくてはならない。慌ただしく動き始めた私ではあったが、頭の中をグルグルと同じ考えが渦巻いていた。

 私も、ハルヲの益友になれるのだろうか。

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