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ハルテン!  作者: 斎木伯彦
シンシアの章
4/6

シンシアの章③

 皇都を出発して三日目、美しい湖の畔に馬車は停泊していた。

「心が洗われるような景色ね」

「ここまで来れば、殿下の駐屯されている土地までは目と鼻の先です」

 私の目の前には澄んだ湖と空の青さの間に、緑の木々があるばかりだ。平原と空の境界線も好きだったけど、まるで空の中に浮いているような木々も素敵な景色だ。隊長さんもご家族に会える喜びからか表情が緩んでいる。

「お嬢様、お茶の支度が調いました」

 メイドの声に誘われるように私は用意された席に着いた。

「この素敵な土地に館を建てたら、ずっと素敵な暮らしが送れそう」

「この周辺を開発するのはこれからですよ。川を下って河口付近に村がありますが、現在はそこで港を造成しています。それらが終わってからこちらの開発に手がつくはずです」

 隊長さんによると、殿下は港の造成を指揮監督するために河口付近の村に滞在されているのだとか。お父様から聞かされた話では南の大陸にはアシャルナート家の本家がある。南の大陸と通商関係を結ぶには大きな港の整備が欠かせない。

「いつか、殿下と海を渡って、本家の方々にも挨拶に行きたいわ」

 用意されたお茶を口元に運びながら、私は将来を夢想する。まだ会ったこともないお祖父様や伯父様、伯母様たち、それに従兄弟姉妹にも会ってみたい。海を渡って成功したお父様の雄姿を、お兄様の凜々しい姿を披露できればきっと一族の繁栄も約束されたものとなるだろう。

「それにはまず、殿下にお会いして婚約の話を進める必要があるわね」

 アーネスト殿下のことを思うと胸の奥から熱くなるのを感じる。私はその熱情が身体を火照らせるほどだったので、一つの提案をした。

「水辺を散策したいのですけれど、よろしいかしら?」

「夢魔の森から離れているとは言え、警戒は必要です。私と二人ほどがお供しましょう」

 隊長さんがそう告げると、騎士団の中でも一際目立つ大柄な騎士と、均整な体格の騎士が私の前に並んだ。

「あまり遠くへは行けませんが、参りましょう」

「ええ、よろしくお願いします」

 私はメイド一人と騎士三人を連れて水辺を散策する。透き通る湖面と草地の緑が織りなす景色は見ていて飽きない。足下が柔らかいのは湿地帯に近い地質なのだと理解する。振り返ると馬車が小さく見えた。それなりに遠くまで来たようだ。馬車の反対側には白く雪化粧した山が見える。一年を通して積雪が消えない万年雪と呼び習わされている山の頂には、純白の狼が棲んでいると御伽噺で聞いたことがある。山から視線を外して足元へ目をやると青い何かが視界に入った。

「あの青い花は何かしら?」

「あれは我ら騎士団では忘れじの花と呼んでいる花です」

「忘れじの花?」

 水辺には小さな青い花が群生している。隊長さんの話ではかつてこの花を恋人のために摘もうとして、誤って湖に転落した男性がいるとのことだった。その男性が恋人に向かって「忘れてくれるな」と叫んで湖に沈んだ故事から名付けられたと聞かされる。

「ただ、その出来事があったとされる頃に村はなかったのですけれどね」

「不思議な話ですね」

「ええ、ですが村ではその伝承から、旅立つ恋人に想いを伝える時に渡す花として扱われていますよ」

「素敵な話ですね」

 私もいつかはそのような日が来るのだろうか。遠征に出る殿下に。

「隊長、そろそろ戻りましょう」

 物思いに耽る私の耳に、大柄の騎士の声が入って来た。まだ少しの散策しかしていないのに戻ろうとは、どういうことなのだろうか。

「むっ、これはしくじったか」

「あの……?」

 困惑する私に、隊長さんたち騎士は腰の剣を抜き放った。

「お、お嬢様」

 同行していたメイドが私と騎士たちの間に入る。

「木立の中に魔物が潜んでいます。数は不明ですが刺激しないように戻れば……」

 隊長さんの説明の途中で、不意に木立から黒い影が飛び出して来た。その影から私を庇うように大柄な騎士が立ち塞がる。

「隊長、早く撤退を!」

 大柄な騎士が受け止めたのは、大きな狼のようだ。そして、その大きな狼に続くよう狼の群れが私たちを取り囲んだ。

「お嬢様!」

「いざとなったら、私も戦うわ。これでもアシャルナート家の一員ですもの」

 父から護身用に渡された短剣を私は握り締める。口では何とでも言えるが、実戦経験どころか満足な稽古さえもしていない。父や兄に護ってもらうのが当たり前だとずっと思っていたのだから。震える私の手にメイドが手を重ねて来た。

「お嬢様、お逃げ下さい。ほんの少しでも私が時間稼ぎをします」

「ダメよ、一緒に来なさい。私一人では何もできないのだから」

「お嬢様、……畏まりました」

「それでは、我々で血路を開きます」

 隊長さんの指示に従って、騎士二人が目の前の狼の群れに斬り掛かる。それぞれが一頭ずつを斬り伏せた。それを皮切りに狼の群れが私たちに向かって襲い掛かって来た。飛びかかって来る狼を大柄な騎士が受け止め、それを隊長さんが斬り伏せる。その横で均整の取れた騎士が馬車を停めた方向に向けて切り込んで進路を開いた。

 不意に甲高い音が周囲に響き渡る。私が音源を探して周囲を見回しても、それが何の音なのか判然としなかった。

「隊長、状況は最悪のようですね」

「ああ、まさか向こうも襲われるとはな」

 騎士達の話から推察すると、湖畔に残して来た部隊も襲われているようだ。この絶望的な状況を打開する術はあるのだろうか。

「どうにかお嬢さんだけでも生還させたいが」

 チラリと隊長さんが視線を私に向けた。それだけで私は全てを諒解する。誰も助からないのだと。

 更に狼の遠吠えが聞こえる。

「あれは?」

 森の奥から真っ白な狼がこちらに向かって疾走して来るのが視界に飛び込んで来た。立ち並ぶ騎士たちを意にも介せず、あっと言う間にその白い狼は私たちの目前に迫る。

「お嬢様、どうかご無事で!」

「え? きゃあ!」

 私が理解する間もなく突き飛ばされる。よろめきながら振り返った私の視界に赤い雨が映る。

「いやああああ!」

 メイドが私を庇ってその命を散らした。次は私の番だ。圧倒的な力の差に私は恐怖心すら感じなくなっていた。

「お嬢さんを死なせたとあっては騎士団の名折れ!」

 隊長さんが駆け付けて来た。そのままの勢いで狼に斬りつける。

「さあ、早く逃げなされ。川沿いに河口に向かえば、殿下の元に着く」

「た、隊長さん」

 狼を牽制しながら隊長さんは私を逃がそうとしてくれるが、隊長さんの剣は全く狼に効いていない。

「我らの命を無駄にしてくれるな!」

「隊長の仰る通り!」

 狼の群れを切り抜けた騎士の一人が加勢に来たが、その鎧は傷だらけだった。

「ごめんなさい」

 私は張り裂けそうな気持ちになりながらも、湖に沿って走り出した。


 そこで私の記憶は途切れている。次に記憶にあるのは旦那様の声だ。真っ暗な空間で私は漂っていた。

「話を聞かせてもらおう」

 私は抗うことさえできずに、それまでの人生を話していた。家族のこと、記憶にある全てを。

「そうか、随分と辛い思いをさせたのだな。詫びと言っては何だが、もう一度、この世界で動いてみる気持ちはあるかね?」

 私は訳が分からないながらもその提案を受け入れた。次の瞬間、目の前が明るくなって目を開けてさえいられなくなる。

「さて、まずは右手を挙げよ」

 言われて私は右手を動かそうとした。言われて初めて気付いたけれど、手足の感覚はずっとない。それ以前に私には生命という温かささえ感じなかった。

「まだ調整が必要か。声は出せるか?」

 声すら出せない。私は一体、どうなってしまったのだろう。

「声も出ないか、随分と長い時が過ぎているようだな」

 私はその時になって気付いた。眩しいという感覚はあるのに、私には周囲の光景は全く見えていない。何が起きているのか、本当に理解できなかった。

「こちらの声が届いているなら試して欲しいが、声を出そうとするのではなく、意思を伝えようと念じてみろ」

 私はよく分からないながらも、どうしてこのような事態に陥っているのか尋ねたい気持ちで一杯だった。

「う……、あ……、何が……、起きて、……いる、のです……、か?」

「やっと声が出せたな。では、次に周囲の光景を見ようと念じろ」

 言われるがまま、私は周囲の光景を見たいと念じた。真っ白だった目の前に黒い色が広がり、続けて灰色に変わる。

「見えるか?」

 目の前にいる男性の顔が見えた。銀色の髪の毛は最初、男性を年配者に思わせたが、声の質感が若さを強調している。

「はい、見えます」

「では、自分自身の姿を確認せよ」

 目の前に鏡が差し出される。そこに映っているのは、少女の人形だ。これは、何?

「この人形が、今のお前だ」

 これが、私?

 何が起きているのか理解ができない。

「今は混乱しているだろう。少し休むと良い」

 彼がそう告げると私の意識は遠のいていくのだった。

 それから私は旦那様に連れられて皇国の様子を見て回った。

 お兄様も、殿下方も皆が相応に年を取り、皇国を平和に治めていた。アーネスト殿下は公爵の地位を得て東の土地、私の家も含む地域の重鎮に収まっている。私は旦那様に実家へ寄って貰った。

「旦那様には、私の本当の姿を知って頂きたいのです」

「元よりそのつもりだ」

 深夜、家の者たちが寝静まった時間帯に、旦那様は屋敷の中へと忍び込む。全身を黒一色の衣裳で包む旦那様と、その左肩の上に座る小さな少女の人形という取り合わせは、見る者を驚かせるかもしれない。

 それにしても、屋敷の中は随分と様変わりしていた。父は亡くなり、現当主は兄のマルケルス。皇国の剣と呼ばれる程にまでなって陛下、私の記憶の中では王太子殿下の近衛隊長を勤めているらしい。更には子爵から伯爵へと陞爵していた。そして私の記憶では産まれたばかりの赤子だったフィリップも立派に成人して、今では父親にまでなっている。それだけ時が流れたのだと、私は改めて実感した。

「旦那様、廊下の突き当たりが地下室の入り口です」

「分かった」

 屋敷の中は様変わりしたとは言え、基本的な構造までは変化していない。物置になっている地下室は私の記憶していた通りの場所にあった。

「この中から、お前の肖像画を探すのか?」

 地下室には多くの品々が納められている。剣や鎧などの武具、巻物や絵画、壺などの美術品まで乱雑に納められている様子に私の頭はクラクラとしそうになった。

「お、恐らく、絵画が集められている一角にあると思います」

「面倒だな、少し力を貸せ」

 私が返事をするのを待たず、旦那様は私を両手で持ち上げる。旦那様が低く何事か呟くと、私の身体から光る球が飛び出し、絵画の集められている一角ではなく、全く別の方向へと飛び去った。

「今のは?」

「お前の魂の一部を分離しただけだ」

 旦那様が事も無げに告げるが、私の頭は理解が追いつかない。

「あれだな」

 地下室の奥、雑然と積まれた盾や剣の更に向こうで布に包まれた板状の物体が淡く光っていた。旦那様がそれを引っ張り出して包みを解くと、それは私たちが探していた目当ての物だった。

「これがお前で、間違いないか?」

「はい、間違いございません」

 私が十六歳の誕生日を迎えた日、父が高名な絵師を呼んで描かせた肖像画だ。忘れるはずも、見間違うはずもない。ただ、ほんのちょっぴり実物の私よりも美しく描かれている気がしないでもないけど。

「では、少し借りて行こう」

「え?」

 私が事態を理解する間もなく、周囲の景色は地下の物置から旦那様が拠点としている施設に移り変わった。

「変わりないようだな」

 旦那様の見詰める先には不思議な光景が広がっている。大きな透明の器の中に裸の女性が浮いていた。その黒髪の女性には手足がない。彼女はかつて旦那様の危機を救うのにその身を挺してくれたのだという。その彼女の手足を再生するには多大な労力が必要らしく、私はその手伝いをするように言われていた。

「それでは、お前の新しい身体を作るとしよう」

 別室に移動する。そこには多くの木材や見慣れない材料があった。

「骨格は木材、筋肉にあたる部分は布を重ねて人肌の質感を出すとしよう。表層は特殊な素材を用いて生身の人間と見分けがつかない仕上げとする」

 低い声で呟く旦那様。恐らく手順などの確認をしているのだろうが、傍目には不気味だ。

「ところで、髪の毛の色を変えようと思うが、要望はあるか?」

「まず色を変える理由が分かりません」

「肖像画の通りに再現した場合、お前を知る者が見ればその正体を訝しんで不要なもめ事が起こる可能性がある。私はそのような面倒事は遠ざけたい」

 旦那様の仰る内容は正当で、私に反論の余地はなかった。

「青……、青い色にして下さい」

 私は記憶に残る小さな花の色を思い出していた。あの花と同じ色にして、私を忘れないでいて欲しい願いも込めたつもりだ。

「よかろう、青い髪だな」

 旦那様は材料を揃えると低い声で何事かを唱え始めた。用意されていた材料が淡く輝き独りでに組み上がってゆく。

「シンシア、目を開けよ」

 呼び掛けられて私は目を開けた。旦那様の顔が見える。

「身体は動かせるか?」

 私は恐る恐る手元を見た。両手は白い手袋で覆われているが指先まで感覚が通じている。その手で私は自らの腕を触った。柔らかい質感とその奥に堅い骨のような感触がある。

「どうやら、上手くいったようだな」

「はい、ありがとうございます」

 言葉も自然と出た。それに身体に染みついていた礼儀作法も滞りなく行えている。

「新しい名前も頂きました。このシンシア、誠心誠意勤めさせて頂きます」

 そう私の新しい名前はシンシア、旦那様に名付けて頂いたこの名前を名乗っていこう。

「シンシア、一つだけ注意事項を与える」

「はい」

「お前をこの世界に繋ぎ止めているのは、未練だ。私では予想すらつかないが、お前がその未練を解消し、この世界での生を満足した場合は、お前の魂は解放される。だから私はこの先、何も与えないし、お前の要求を受け入れることもない。それだけは忘れるな」

「畏まりました」

 確かに私には未練がある。けれどそれは決して解消されないだろう。人並みに恋愛してみたかったなどという思いを、この旦那様に求めるのは筋違いだ。旦那様には全てをなげうってでも助けたい最愛の女性がいるのだから。それに私は一度は死んだ身。キュンティア・アシャルナートは、この世にいてはならないのだ。

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