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ハルテン!  作者: 斎木伯彦
シンシアの章
3/6

シンシアの章②

「アールさん!」

 洗濯物を入れたタライと食器類を入れた鍋を抱えてハルヲが走る。右腕を失った私はバランスが崩れて歩くのも頼りなかった。ハルヲが呼び掛けた先では、家の前で書物を読みふける旦那様の姿がある。

「シンシアさんが、大変なのです」

「シンシアが?」

 書物を閉じて旦那様の目線がこちらに向いた。急いで状況を説明しなくては、ハルヲが針小棒大に報告するかもしれない。

「森で狼に襲われて、シンシアさんの右腕が!」

「ああ、もげてしまったのか」

 旦那様は普段通りのゆったりした動作で立ち上がり、ヨタヨタと歩く私に向けて足を踏み出した。しかしハルヲが急かしている。私は何ともないと言っているのに。

「シンシア、よく頑張ったな。狼はどうした?」

「ハルヲが斬り捨てていました」

 私はあったままの事柄を報告した。その間に旦那様は私の腕を直して下さる。

「ふむ、ハルヲのその動きは興味深いな」

「アールさん、人の腕が失われてよくそんなに落ち着いていられますね?」

「ああ、もう直ったから心配無用だ」

「へ……?」

 私の腕は狼に奪われる以前の姿に戻っていた。ハルヲは驚愕の表情で立ち尽くしている。どうやら理解が追いついていないようだ。

「それでは夕飯の支度に取り掛かります」

 頭を下げて私は日常に戻った。後ろではハルヲが何事か旦那様に訴えかけているが、私には関係のないことだ。

「シンシアさん、話があります」

「はい」

 夕食を終えて片付けをハルヲが手伝ってくれたが、彼はそれらが終わると私に声を掛けて来る。席に着くよう促して、私はお茶を用意した。

「腕は、何ともないのですか?」

「ええ、旦那様に直して頂きましたので、この通りです」

 私が右腕を差し出すと、彼はジッと凝視して来る。

「触っても良いですか?」

「どうぞ、遠慮なさらずに」

「失礼します」

 ハルヲは不思議な青年だ。真剣な眼差しで私の腕を凝視して、存在を確かめるように触れて来る。どうしてここまで私に構うのだろう。

「本当に、元通りですね」

「ええ、旦那様に直して頂きましたから」

「昼間に聞き損ねた、あなたの境遇をお聞かせ下さい」

「私の身の上話はつまらないですよ?」

「僕が聞きたいのです」

 昼間と全く同じやりとりに私は溜息をつきたい気分になった。

「きっとあなたは、私を嫌いになるわ」

「どうしてですか?」

「私はハルヲが思っているような存在ではないのよ」

「意味が分かりません」

 突き放したつもりだったが、ハルヲは軽く首を横に振っただけだった。私も覚悟を決めるしかない。彼に嫌われれば、言葉を教える役目が終わってしまうかもしれない。それで旦那様に迷惑をかけたとしても、今のままよりは良い方向に進むはずだ。

「ハルヲは私を何だと思っているの?」

「質問の意図がよく分かりませんが、アールさんの下働きですよね?」

 キョトンとした表情のハルヲに、私は全てを話すしかないと覚悟を決めた。

「ええ、私は旦那様に作られたゴーレムですから」

「ゴーレムとは、何ですか?」

「主人……、製作者の命令に従って動く、人形のような存在です」

「つまり、人ではない、と言いたいのですか?」

「そうです。嫌いになったでしょう?」

 私が問い掛けるとハルヲは俯いた。そう、誰でも人ではない存在に対しては嫌悪感を抱くもの。

「ははは、これはしてやられました」

「え?」

 ハルヲが急に笑い出したので、私の方が驚いてしまう。

「シンシアさんの動きがあまりに人間ぽくて、ずっと人だと思っていました」

「嫌いにならないの?」

「どうして嫌いになるのですか? 僕の国にも絡繰(からくり)人形という存在がありまして、どれも愛玩対象でしたよ」

 ハルヲの笑い顔を見ていると、私は自分自身がちっぽけな存在に思えた。

「そうでしたか、それでは過去を詮索するのはよしておきましょう。食事を摂らない理由も分かりました」

「ご理解、ありがとうございます」

 ハルヲの急な変化に私が対応できない。思っていたよりも彼は聡明なのかもしれない。

「今夜はそういうことで納得しておきます」

 彼は冷めたお茶をグイッと飲み干すと、退室して行った。独り残された私は、自身の境遇を思い返す。あれは何年前になるのだろうか、私がまだ人だった頃の記憶だ。


「キュンティア、降りて来なさい」

 美しい金髪をなびかせた父が困り顔で見上げて来る。婚約を一ヶ月後に控えて、家中が忙しい時期ではあるけれど、私はこの結婚に賛成ではなかった。

「いやよ、お父様のバカ」

 私は家の庭に植えられていた木の枝に登っていた。秋には橙色の実を付けるこの木は我が家の象徴とも言える。人の背丈の倍ぐらいの枝に私はいた。

「その木の枝は折れやすいのだから、降りて来なさい。そして話し合おうぞ」

「話し合うことなんてないわ、とにかく私は降りないから」

 プイッとそっぽを向いた私に父は困り果てている様子だ。その父の隣に金髪の若い男性が近寄って来た。

「キュンティア、いつまで父上を困らせるのだ?」

 兄のマルケルスだ。私と第二皇子の婚約が来月に迫っている。皇子とは幼馴染みではあるけれど、男女の感情はなかった。しかもこの話は私が知らない間に決定事項になっていたのだ。私はそれが許せなかった。

「お父様もお兄様も、嫌いよ、大嫌い!」

「こら、キュンティア、謝りなさい!」

「べー、だ」

 兄が叱る素振りを見せても、私は舌を出して無視する。やり場のない気持ちを知って欲しかったのだ。

「やれやれ、困った娘だ」

「キュンティア!」

 お兄様が怒鳴ったので私は首をすくめた。同時にお兄様は駆け出している。

「いかん!」

「え? きゃあ!」

 私の乗っていた枝がミシミシと音を立てた。あっと思う間もなく枝元から折れる。頑丈な木のはずなのに、こんなことって。地面に激突する寸前、私の身体を逞しい腕が捕らえた。

「くっ」

「痛ぁい」

「二人とも、無事か?」

 お父様が駆け寄って来る。私は地面に激突する前にお兄様が庇ってくれたので、ケガもなく済んだ。でもお兄様は。

「マルケルス、まさか?」

「少し、腕を痛めたようです」

 兄は苦痛に顔を歪める。利き腕である右の肘を押さえながら、それでも私の心配をしてくれた。

「キュンティアさえ無事であれば、それでいい。お前がケガをすればアーネストが悲しむ」

「はい……」

 しゅんとした私の頭を、兄が撫でてくれた。優しい、温かなその手で。

「少しは落ち着いたか? 急な話で驚いただろうが、殿下とまずは話し合おう」

「はい、そう致します」

 殿下とは、皇国の第二皇子であるアーネスト殿下のこと。父はその剣技で皇王の信頼を得て、皇国の盾と称される存在だった。元々我が家は別の大陸で繁栄した一族で、父は若い頃に立身出世を目指して皇国に訪れ、当時の皇太子であった陛下を危機から救い、その功績で叙爵されている。陛下が即位した後に今の皇太子の剣術師範を拝命して以降、兄や私は皇太子と第二皇子らと共に育った。その繋がりで兄は皇太子の直衛騎士を拝命し、私たち家族は皇王陛下とも家族同然の扱いを受けているのだ。

 更に昨年、皇太子殿下と我が兄に男児が産まれて、国中が祝賀の気運に包まれていた。そのような時に降って湧いたような、私と第二皇子の婚姻話。

「お嬢様、こちらへお越し下さいませ」

 メイドが私を自室へと誘った。彼女とは子供の頃からの付き合いで、姉妹のように過ごして来た。

「お転婆が過ぎます。わたくしも心配で胸が張り裂けそうでした」

「ごめんなさい」

「アーネスト殿下はきっとお嬢様を大切にしてくれますよ。どうしてそのように拒絶なさるのですか?」

「アーネストや皇太子殿下は、マルケルスお兄様同様、兄の一人としか思ってなかったの。それを今更、夫婦のようにと言われても、どうして良いのか分からないのよ」

 私のアーネスト殿下への気持ちは、家族愛に近いと思う。兄の一人として慕ってはいても、恋人同士のような甘い気持ちには変わらない。

「お嬢様、それでよろしいではありませんか」

「え?」

 彼女は何を言っているのだろう。

「夫婦の形、有り様は千差万別です。ご兄弟のような関係も否定されるものではありませんよ」

 私の心はその言葉で解放されるような感覚に陥った。抑えていた気持ちが目尻から熱い滴となって溢れ出す。

「好き、私は、きっとアーネスト殿下が、好き」

 止めどなく溢れる滴を彼女は優しく拭き取ってくれる。子供時代に戻ったように、私は泣き続けた。


 街道を馬車が進む。

 アーネスト殿下は西方に軍務を帯びて駐屯していた。本来であれば王宮に帰って来るのを待っていても良かったのだけれど、私は無理を言ってアーネスト殿下に早く会いたいと望んだ。護衛には騎士団が人員を派遣してくれた。兄は腕のケガがあって王宮に残ったが、街道を進めば野生動物に襲われる可能性も低い。

「キュンティア様、そろそろ休憩に致します」

「はい、お世話を掛けます」

 騎士たちは、私が皇国の盾の娘であり、皇太子殿下の直衛騎士の妹であることを知っているから、とても丁寧な対応をしてくれる。馬車は街道脇の草地に入り込むと、騎士たちがテーブルと椅子を用意し、テーブル上には家から連れて来たメイドたちがお茶の用意をしてくれた。

「さあ、お嬢様、お茶に致しましょう。隊長さんもどうぞ、お掛け下さいませ」

「お言葉に甘えて同席致します」

 今回の護衛騎士の隊長さんは父より若いが、それでも引退が近そうな方だった。右頬に大きな傷跡があり、幾多の修羅場をくぐり抜けて来たと思わせる風貌だが、とても気さくな方で、私と年が近い娘さんもいらっしゃるのだとか。

「私の故郷は、殿下が駐屯なさっている土地から近く、お嬢さんを送って行くついでに家族と会えるよう、アシャルナート様に取り計らって頂きました」

「それはよろしゅうございました。きっと奥様も娘さんも待ち焦がれていらっしゃるのでしょうね」

 家族が離れて暮らすのは寂しいだろう。私も殿下に嫁いだ場合、父母や兄と離れて暮らすのだろう。私たちが談笑に興じている間に、メイドたちが護衛隊の騎士たちにもお茶を振る舞っていた。

「この先は、夢魔の森と呼ばれる危険地帯に近くなります。街道さえ外れなければ何ともありませんが、時折、群れからはぐれたような獣も出没しますので、慎重に進みます」

「はい、騎士団を頼りにします」

 夢魔の森は皇都の西に広がる森林地帯で、鬱蒼と茂った木々が陰を作り、更に霧も立ち籠める昼なお暗い土地だ。森林の奥に入って帰って来た者はおらず、開発の手も入らない人智の及ばぬ地域だった。噂では森の奥には魔物を生み出す遺跡があり、その遺跡には莫大な宝物があるとされ、それを信じた若者たちが失踪する事件が相次いだ時期もあったという。街道はその森林地帯を迂回するように辺縁を通って整備されていた。

「お父様も入ろうとはなさらなかった未踏の森林地帯」

「ええ、この森で生き残ったのは、アシャルナート様と私だけでした」

 護衛隊の隊長さんが私の横でポツリと漏らした。驚いた表情で振り返ると、隊長さんははにかんでいる。

「まあ、入ったと言っても街道が見える位置で大きな白い狼を討伐して、命からがら撤退したのですけどね」

 隊長さんの話をまとめると、当時の街道では大きな白い狼が出没して通行人を悩ませていたので、騎士団から討伐隊を選抜して現在の陛下が指揮して森へ入ったらしい。入ってすぐのところで白い狼に襲われ、何とか狼を討伐したものの三十人いた騎士は全滅、生き残ったのは父と隊長さんだけで、右頬の傷跡もその時のものだとか。その時の魔物を討伐した功績で父は陛下の直衛騎士に任命され、この街道も比較的安全になったらしい。そのような話を聞いてしまうと、周囲の風景も薄ら寒くなるような感覚に陥ってしまう。

「あれ以来、この辺りで魔物に襲われたという話は聞きませんから、心配には及びませんよ」

「そうあって欲しいです」

 茶席の片付けを終えて、馬車が出発する。順調に旅程が進み、夕暮れまでには野営地に到着した。

「それでは今宵はここで野営とします。お嬢さん方は馬車の中でお休み下さい。我々騎士団が交替で見張りをしますから、ご安心下され」

「ええ、頼もしいお言葉に甘えさせて頂きます」

 隊長さんの指揮で騎士たちが散開して見張りに就いたようだ。夕食の支度をメイドに任せて、私は父から渡された護身用の短剣を手入れしようと懐から取り出した。

 我がアシャルナート家の紋章である鶴が翼を広げた形になっている鍔を持つ短剣だ。細長い首が柄の握りになっていて、頭がそのまま柄頭になっている。遠い昔、始祖が迷路で進退窮まった時に空の彼方から飛来し、進むべき方向を示して出口へと導いたとされて以来、我が家の守護者のような扱いになっている。

「お嬢様、食事の支度が調いました」

 メイドに声を掛けられて、私は手入れを終えた短剣を懐にしまうと席を立った。

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