ハロウィン
中学一年生の柳楽涼介は、叔父である御堂志生が仕事をする純和風建築の家にある一室で頭を抱えていた。
畳にうつ伏せになり、頬杖を突きながら睨みつける視線の先には、父親から拝借したタブレット端末。
まだ自分専用のスマートフォンを与えられていないため、インターネットのサービスを使うには父親名義のタブレット端末か母親のノートパソコンを使うしかなかった。
自宅ではない場所で使うには、タブレット端末のほうが扱いやすい。
志生の好意で、この場に設置してあるWiFiを登録させてもらっているから、ギガ数を気にしなくて使い放題なのは、とーってもありがたい。
だから涼介は、表示されている画像をスクロールし、次の画面に切り替えることを二時間近く続けている。
日曜日の昼前から居続ける甥に、叔父は湯呑みに入れた温かい番茶を持ってきた。
「何時間も、なにをそんなに難しい顔をしながら見ているんだい?」
年がら年中和装姿の志生は、十月中旬にも関わらず単衣の着物を着ている。気温が二十度を超える日が続くのだから、まだ袷の着物は少し暑いのだろう。
涼介はタブレット端末を畳の上に投げ出して仰向けになると、年齢不詳な容姿の叔父を見上げた。
「ハロウィンのコスプレだよ」
「ハロウィン? なんでまたそんな……コスプレに興味があったっけ?」
志生は涼介の隣に座り、涼介が使っていたタブレット端末を手に取る。鼻から少しずれ落ちたべっ甲縁の眼鏡に人差し指を当てて元の位置に押し上げると、暗くなったディスプレイを明るくした。
涼介は疲労気味の目を閉じて、両手両足をグーンと伸ばす。ピキピキッと、固まり縮こまっていた背骨が鳴った。
「俺の趣味じゃないんだけど、クラスのホームルームでハロウィンパーティーしようってことになったんだよ。ちょうどホームルームの時間が十月三十一日と被っててさ。クラスの大半が乗り気なんだけど……俺は、ちょっと苦手」
だろうなぁ……と、涼介の性格を熟知している志生はタブレット端末の画面に視線を落とす。
「通販サイトか」
「うん。作るより買ったほうが楽で簡単だから、安いの探してるんだけど……なんかピンとこないんだよね」
ハロウィン特集の男物で表示される衣装は、医者や警察官、吸血鬼。有名アニメのキャラクターや、全身タイツ。コスプレに興味があるならテンションは上がるだろうけど、コスプレに対して興味が薄い涼介は気が重い。
上体を起こし、湯気が立ち上る湯呑みを眺めながら、志生に助けを求めた。
「ねぇ、なにしたらいいと思う? なんかいいアイデアない?」
困ったときの神頼みならぬ、困ったときの叔父頼み。日にちが迫り、藁をもすがる思いだ。
志生は興味が無さそうにタブレット端末を座卓の上に置き、自分のために用意していた湯呑みに手を伸ばす。
「そもそも、ハロウィンの由来というか……本当の意味を知っているのか?」
湯呑みに口をつけた志生に問われ、涼介は「う〜ん……?」と首を捻る。
言葉としては認識しているけれど、詳しく説明できるかどうかで言えば、答えは否だ。
お菓子をくれなきゃイタズラするぞ! という意味の、トリックオアトリートというセリフは知っている。
あと思い浮かぶものといえば、テレビで見たことがある外国人が催す愉快なホームパーティ。おばけに仮装した子供がお菓子をもらうという、微笑ましい場面。それから、顔や体にペイントを施し、それぞれ思い思いのコスプレをして楽しむ人々。
どれもハロウィンの核心をついているとは言い難い。
志生は湯呑みを置き、画面が暗くなったタブレット端末を手にした。
「簡単に説明するとだな。ハロウィンはキリスト教の行事だと認識されている節があるけど……もともとは、古代ケルト人が行っていた祭が起源と言われている。古代ケルト人にとって、一年の終わりは十月三十一日なんだ」
「一年の終わりってことは……そのケルトの人にとったら、十月三十一日が俺達にとっての十二月三十一日。大晦日になるのか」
呟いた涼介に、タブレット端末の画面を明るくした志生は「うん」と頷く。
「古代ケルト人にとって十月三十一日の夜は秋の終わりを意味し、十一月一日は冬の始まりを意味する。そして、死者の霊が家族の元を訪れると信じられていた」
「死者の霊が帰ってくる……。それは日本でいう……お盆、ってこと?」
正解を求める生徒のように、叔父の様子を伺う。志生は「そうとも言えるね」と肯定してくれた。
お盆には地獄の釜の蓋が開き、死んだ人達が現世の家族の元に帰って来るという。
仏教の信仰心が無いと言っている人でも、お盆に向けて墓を掃除して仏壇を飾り付け、キュウリの馬にナスの牛を作って先祖を迎える準備をする。生活の中に根づいている民間行事。魂の習慣と言っていいだろう。
志生は再び、ずれ落ちてきた眼鏡を押し上げた。
「さらに言うとね。古代ケルト人は同じ時期に、生きている人に害を与える悪霊や魔女も、町に訪れると信じていたんだ」
「先祖が帰ってくる時期に、悪霊や魔女も……?」
「そう。だから当時の人達は、悪霊達が悪さをしないように魔除けの焚き火をしたり、仮装をして悪霊を追い払おうとしていた。仮装の目的は悪霊を驚かせて、作物を荒らしたり子供を攫ったりといった悪さをさせないためと言われているし、仮装することで悪霊と同化して、悪霊がもたらす災いを遠ざけるといった意味もあったそうだ。悪霊も仲間には手を出さない。そんなふうに考えていたんだろう」
「ふーん……なんか、災いを遠ざけたりってところ。日本の豆まきっぽいね」
二月の節分に豆を撒くのは、災いを祓うためだと言われている。
魔を滅するという語呂合わせから豆を撒くようになったとも言われており、その厄災の象徴が鬼だ。
時代も人種も関係なく、災いを遠ざけたいという願いは共通するのだと、涼介は認識した。
志生はフフッと小さく笑う。
「豆まきか。言われてみれば、たしかにそうだね。根本的なところでは、古代ヨーロッパ圏の人達と日本人と、思想というか……風習として似通っていると思える部分だな。日本の風習と照らし合わせるなら、ハロウィンには豊作に感謝する収穫祭という側面もあるよ」
「ってことは、神社で行われる新嘗祭?」
自信なさげな涼介に、志生は「そうだね」とタブレット端末を操作しながら応じる。
宮中祭祀の中でも、最も重要な祭事として古代から行われてきた十一月二十三日の新嘗祭。その年に収穫できた新米などを神前にお供えして、神々に感謝を伝える儀式だ。それは宮中のみならず、全国の神社で行われている。
涼介は座卓に突っ伏し、頭を掻きむしりながら低い声で唸り始めた。
志生の話を聞いて、オーバーヒートした脳ミソからプスプスと湯気が立ち上っていくようだ。
「なんか……いろんな願いが込められてるハロウィンなのに、楽しむ口実でパーティーするのが失礼に思えてきた」
「まぁ……今の日本では、仮装という部分に注目が集まり、本来の意味合いとかけ離れた独自のもの……楽しみ方になってしまっているのは否めないね。ハロウィンという名の元に、仮装をして仲間内で楽しむイベントと化してしまっている。クリスマスもそうだけど、それをよしと捉えるか違うと捉えるか……一概には言えないところだな」
悶々としている涼介の頭に、志生がポンとタブレット端末を乗せる。涼介はそれを手に取り、頭を持ち上げた。
志生は目を細め、口元に笑みを浮かべている。
「本来の意味に敬意を払うことは大切だ。だけど、なんでも取り入れて楽しむ日本人らしく、クリスマスパーティーと同じ感覚で、今回はクラスの皆と一緒にハロウィンパーティーというイベントを楽しむといいよ。街中にハロウィンの装飾がなされ、訪れた店で心ばかりのハロウィンらしいプレゼントを渡されるとウキウキもする。そういった心は、大事だよ。気楽にしなさい。ハロウィンの意味を知った今なら、コスプレの案も浮かぶんじゃないか?」
たしかに、二月のバレンタインや十二月のクリスマスの装飾のように、十月のハロウィンにも季節を感じるし高揚感がある。
悪いことばかりじゃない。
「うん、ありがとう。もう少し、検索して探してみるよ……」
志生から戻されたタブレット端末の画面に目を向ける。
すると、そこにはランタンを手にして夜の闇を彷徨うジャック・オ・ランタンのイラストが表示されていた。
読んでいただき、ありがとうございます。
ハロウィンに合わせて書いてみました。
次で終わる予定です。