仲直り
どうしよう。半蔵君を怒らせてしまった。
それから何日もの間、教室では前後に座っているというのに一言も会話をすることができなかった。
廊下や下駄箱などで半蔵君を見かけることもあったが、私は反射的に物陰に身を隠してしまい、話しかけることができないでいた。
勇気を振り絞って声をかけようとしたこともあったが、やはり半蔵君は警戒しているようで、私が近づくと逃げる様にどこかへ行ってしまうのだった。
こんな日が一週間ほど続き、私は大いに悩んでいた。
頭はぼんやりして思考がまとまらない。
このままではミッションの達成はおろか、普通に半蔵君と会話することもできない。
瑞希ちゃんとくっつけるどころか、半蔵君との距離は開く一方だった。
「なんでこうなっちゃうのよ、二人を幸せにしたかっただけなのに……」
自分の無力さに、情けなさに心が苦しく、涙が自然と零れ落ちる。
半蔵君の御両親がフランスへ行ってしまい一人暮らしだと思い出した私は、意を決して半蔵君の家を訪ねることを決めた。
帰宅部の半蔵君は夕方のこの時間なら自宅に帰っているはずだ。
瑞希ちゃんから住所を聞きだした私はマンションを訪ね、エントランスルームから部屋番号をプッシュしてインターフォンを鳴らす。
しばらくして応答があり、驚いた声が聞こえた。
『ふ、双葉ちゃん?なんでここに……?』
インターフォンのカメラで私の姿を確認したのだろう。
私はカメラを探して、半蔵君に語り掛ける様に言葉を探した。
久しぶりに声が聴けて嬉しかったのと同時に、突然押しかけてしまった事を申し訳なく思う。
「あの……突然訪問しちゃってごめんね。このままでいいから、少し私の話を聞いてもらえる?」
『え、ああ……それは構わないけど……』
こちらからは半蔵君に顔は確認できない。
今彼がどんな表情なのか、まだ怒っているのか、どうすれば許してもらえるのかなんて分からなかったけど、とにかく謝ろうと思った。
それで仲直りできると思ったわけではない。
怒らせてしまった、もしくは傷つけてしまった彼の心をどうにかしたかった。
「この間はごめんなさい、いきなり変な事を言い出してしまって……。その、あれには理由があって……」
『……いや、俺の方こそ避けるようなことしちゃってごめん』
私は返事の代わりにカメラに向かって首を横に振った。
「詳しい話はできないんだけど、ソフィア会長と話してて、私が半蔵君ともっと仲良くなる必要ができてしまって……」
『ん? ソフィア会長? 仲良くってなんだよ、それ……』
「だよね、訳わかんないよね……?」
『そんなことしなくても……俺と双葉ちゃんは仲良しだったと思うけど?』
「ありがとう……でもね、違うの。
ソフィア会長に言われて分かったんだけど、半蔵君って人間関係で、どこかこれ以上入って来ないで欲しいって、相手に対して壁を作っているでしょう?」
『…………』
返事はなかった。
半蔵君自身が自覚していることなのかは分からなかったけど、おそらく否定はできないのだろうと私は思った。
「でね、それが分かった時に、気付いてしまったの……私も同じだって」
『…………双葉ちゃんも……同じ?』
「私もクラスや生徒会活動では皆にニコニコして、『ドキすぱ』の双葉ちゃんを演じていただけだったの……。
おそらく私がゲームのキャラクターだから、プログラムされた以上の行動ができないように制限されていたんだと思うんだけど……。
でもそれだけじゃなくて、踏み込まれると自分が自分でいられなくなるような、そんな怖さがあったんだと思う。
それ以上踏み込まれないように心の壁を作って、瑞希ちゃんにさえ友達だって言いながら距離を作ってしまっていたの……」
私はそこで言葉を区切った。
半蔵君の反応を待ってみたが返事はなかった。
どう話を続ければいいかを必死で考えたけど、結局心の中身を正直に話すしかないと思った。
「それに気付いてしまってからは苦しかった。
本当はもっと仲良くなりたいと思っているのに……どうしてもそれができなかった。
上手くやれなかった……」
言いながら、また自分の不甲斐なさが込み上げてきて、涙が溢れてしまう。
「このままじゃいけないってずっと思ってて、無理をして半蔵君との距離を縮めようとした結果、あんなことになっちゃって……。
本当にごめんなさい。
驚いたよね?嫌だったよね?
……うまく言えないんだけど、半蔵君と瑞希ちゃんが付き合うことになったら半蔵君の心の壁が無くなるんじゃないかって勝手に考えて、そうしたら私とももっと仲良くしてもらえるんじゃないかって思っちゃったの。
私が仲良くなろうとして変に距離を詰めようとしたから、あなたは踏み込まれないように距離を取ろうとしたんだよね?
それなのに、無神経に近づこうとしちゃってごめんなさい……」
私は泣きながらカメラに向かって頭を下げることしかできなかった。
半蔵君からは相変わらず返事は無くて、私は愛想を付かされたのだと思った。
そう思うと余計に涙が止まらなかったが、それも仕方がないと思っていた。
涙を拭うが、後から後から涙は溢れ、決して止まってはくれなかった。
「時間を取らせちゃってごめんね。話を聞いてくれてありがとう。今日はもう帰るね」
私が泣きながらマンションを出ようとしたところで、返事の代わりにエントランスのドアが開いた。
『上がってよ……。玄関のカギは開けておくから』
*********
緊張した面持ちで玄関のドアを開けると、部屋着を着た半蔵君が出迎えてくれた。
「お、お邪魔します……制服以外の恰好初めて見た。なんだか新鮮だね♪」
「あ、いや……こんな格好でごめん。着替える余裕がなくって」
半蔵君は恥ずかしそうにほっぺをかきながら照れ笑いを浮かべていた。
リビングに案内されると、半蔵君はオレンジジュースを二人分用意してくれた。
「なんか変な感じだね。クラスの男の子の家に上がるなんて、私初めてかも」
「ゲームを攻略していくと後半で主人公の部屋に入るイベントが発生するよ?」
「でも今は一年生の一学期。ふふっ、ちょっと早すぎたかな?」
「しかも自分から訪ねて来るなんて、メインヒロインとしてチョロ過ぎてクソゲー間違いなしだろ」
「あははっ、確かに♪」
そこで沈黙が生まれてしまった。
私は取り繕うようにオレンジジュースの入ったグラスを手に取り一口啜った。
ずずずっと思いのほか大きな音がしてしまい、私は恥ずかしくなってしまう。
何か言わなきゃと思っていたら、半蔵君が話しかけてくれた。
「さっきの話なんだけどさ……」
「えっ?」
「壁を作っているって話さ……。なんか心に刺さったよ」
半蔵君は目を伏せて、少し寂しそうに笑っていた。
「信じられないだろうけど、二年前まで俺はサッカー部で県選抜に選ばれるくらいの選手だったんだ……」
「うん……。その話は彷徨君とののかちゃんに聞いた」
「そうだった……あいつらどこまで話したんだ?」
「えーと、瑞希ちゃんを愛してて、怪我のせいで身を引いたって……」
「ぶへっ!!! ごほっ!! ごほっ!!」
半蔵君は飲みかけていたオレンジジュースを盛大に吹き出してむせてしまった。
「そこまで話していたとは……くそ、彷徨のヤツめ」
「私はその話を聞いて、素敵だなって思ったよ? 二人が付き合って幸せになれたらいいのになって」
「む、昔の話だよ。俺が二次元にハマる前の話だから……」
「そう? 私はそんなの関係ないと思うけど?」
「関係あるの!! と、ともかく、二年前まで俺はサッカーを頑張っていたの!! そんで、怪我をしてサッカーを辞めて、メチャクチャ落ち込んだのも聞いた?」
「うん……。すごく落ち込んで、そのせいで瑞希ちゃんとも大ゲンカして……。
それから二次元の世界にハマってようやく元気になったって」
「そう!! そこなんだよ!! 俺は一度全てを失って、瑞希のことも自分から遠ざける様にして……。
死んだ方がマシなんじゃないかってくらいに落ち込んでいたんだ。
でも二次元の世界に出会って、世の中には他にもこんなに楽しいことがある、夢や希望を持って、諦めないで頑張っていれば必ず報われるんだって教えてもらったんだ。
その中でも『ドキすぱ』は別格だ!!あのゲームのおかげで俺は完全に立ち直ることができたんだ!!」
「あ、ええと……ありがとう?」
「最初はなんだこのクソゲーって思ったよ? デートはおろか一緒に帰ろうって誘ってもなかなかOKしてくれなくて、『一緒に帰って友達に噂されると困る』? それくらいいいじゃねーか!! とかも思ったよ?」
「あ、ええと……ごめんなさい?」
「あ、いや、双葉ちゃんの事じゃないからね? あ、いや『双葉ちゃん』なんだけど、そういうことじゃなくって……。と、ともかく、それでも諦めないで時間をかけて攻略を進めて、一緒に帰ったり、デートのお誘いに成功したときは感動したなぁ。諦めなくって良かったって」
「ええと……もうどう反応したらいいかわからない、かな」
半蔵君が『ドキすぱ』を本当に好きでいてくれて、それが救いになっていたことが分かって嬉しかった。
でも何というか、『当事者』としてはまっすぐな感想を言われると反応に困ってしまうところがある。
「あ、ごめん。えーと、こんな話をするはずじゃなかったんだけどな……。何だったっけ?
ああそうだ、壁の話だよ!!」
「そ、そうだよ、心の壁の話!!」
「さっき双葉ちゃんに言われるまで気付かなかったんだ。
俺が人に対して壁を作っていたなんて。
でも言われて気付いた、確かにその通りだって……。
二年前、俺が調子に乗って大怪我をしたせいで、その後チームはぼろぼろになっちまった。
翌年の大会では地区予選で敗退して県大会すら行けなかった。
彷徨のサッカー推薦の話も無くなってしまったし、全部俺のせいなんだって自分を責めたよ。
彷徨はお前のせいじゃないって言ってくれたけど、俺にはそうは思えなかった」
「…………」
「それからかな。誰かと必要以上に仲良くしたり、一所懸命に努力する集団に参加するのが怖くなってしまったんだ。
文化祭とかの学校行事も避ける様になったし、新しい友達ができてもアニメや漫画の話以上のことは話そうとも思わなかった。
高校に入ってからもそれは変わらなかった。
最初は信じられなかったけど、クラスには双葉ちゃんがいて、先輩にはソフィア会長やアイリスたんたちがいて……。
本当は皆ともっと仲良くなりたいと思っているのに……どうしてもそれができなかった。
多分怖かったんだろうと思う」
私は言葉の続きを待っていた。
距離を詰めたいと思っていても自分ではどうにもできないもどかしさは私にも痛い程理解できた。
でも、それでも仲良くしたいと思う気持ちは一緒で、その気持ちを確認できただけで私にとっては大きな成果だった。
「双葉ちゃんも同じような思いを抱えていたんだと知ってびっくりしたけど……。
でも、それでも君は一歩踏み込んで距離を縮めようとしてくれた……。
勇気を出して俺なんかのために行動してくれた。
だから、俺も……すぐには難しいかもしれないけど、高校ではもっと皆と距離を縮めて……、少しずつイベントなんかにも積極的に参加出来たらいいなって思う」
「半蔵君……」
「そう思えたのは君のおかげだよ。ありがとう、双葉ちゃん」
勇気を出して良かった。
アプローチに失敗してこじれてしまったけど、皆と仲良くしたい気持ちは同じだった。
距離を詰めるのが怖いという気持ちまで一緒だ。
だけど、だからこそ私と半蔵君はもっと仲良くなれると思った。
そのことが何よりも嬉しかった。
「それはそれとして……。
さっきも言ったけど、俺は『ドキすぱ』に、『二ノ宮双葉』に救われたんだ。
俺にとって双葉ちゃんはメインヒロインであると同時にアイドルなんだよ、憧れの存在なんだよ。
それなのに、二年も前に必死で諦めた恋を、今さら憧れのアイドルに応援されるってどうなのよ?」
「……そ、それは……」
「だから瑞希とのことは放っておいてもらえないかなぁ。
そりゃあ瑞希に好きな男ができたり、か、彼氏とかができたら複雑な気分なのは認めるけど……」
「あ~、まぁ……そうかもだよね。
私としては、半蔵君ともっと仲良くなれれば結果オーライだから、うん。
瑞希ちゃんのことはやっぱり彷徨君のいう通り、私なんかが口を出すべきじゃなかったみたいだね……」
「やっと分かってもらえましたか……はぁ、疲れた」
セリフとは裏腹に、そういう半蔵君はホッとしたような、誤解が解けて安心したような、柔らかな笑顔をしていた。
数ある作品の中から読んでいただきありがとうございます。
読んでいただけるだけでも大変ありがたいのですが、
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