高校入学前日譚
──私の名前は『二ノ宮双葉』。
大人気美少女恋愛シミュレーションゲーム『ドキドキすぱいらる』のメインヒロインで、容姿端麗、学業優秀、スポーツ万能、性格も良い……ということになっている。
男性への理想が高く、数多くのヒロインの中でも最も攻略難度が高いため『ラスボス』なんて呼ばれることもあるようで、デートはおろか一緒に下校することさえ難しい……と言われているらしい。
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目が覚めると、私は知らない部屋にいた。広さは六畳ほどの洋室で、ベッドに学習机と椅子、小さなテーブルにテレビが目に入った。フローリングの床には真新しいカーペットが敷かれている。
ベッドから降りて部屋を歩く。クローゼットを開くと、思ったよりも奥行きがあり、十分な収納スペースがあるようだ。そして、そこには見覚えのある制服や見覚えのない洋服などが収納されていた。どれも私のサイズにピッタリ揃えられていて、下着のサイズまで完璧だった。
クローゼットの隣には仕切り扉があり、その奥は通路になっていて、小さめのキッチンがあり、広くはないがバス、トイレは別々になっている。そして、こぢんまりした玄関があった。
「どこだろう?ここ……」
頭はぼんやりしていて、まるで夢の中にいる様にふわふわした気分だった。なぜ自分がこんな場所にいるのか理解できない。
歯ブラシや歯磨き粉、タオルにトイレットペーパー、化粧水や乳液、お米やパスタにレトルト食品など、生活に必要な物は一通り揃えられており、不自由はなさそうだった。
テレビを点けると午後のニュース番組が放送されていて、桜の開花宣言が発表されたと言っていた。日付は三月三十日とのことだった。
しばらくぼんやりとテレビを見ていると、玄関の扉をノックする音が聞こえた。
ドアを開けると何故か教会にいるシスターの服を着た美しい女性が立っていた。
年齢は私よりも少し上だろうか? ヴェールを被っているので髪型はよく分からない。
ここは修道院か何かで、私は何らかの理由で保護でもされているのかと思った。
「やあ、目が覚めたようだね。少しお邪魔してもいいかな?」
断る理由もなかったので部屋に入ってもらった。
私がベッドに腰掛けると、女性は学習机とセットになった椅子に座った。
「挨拶がまだだったね。私の名前は二階堂ソフィア、この春で高校二年生になる。君は『二ノ宮双葉』さんで間違いないかな?」
「はい、そうです」
「良かった、自分が何者であるかは分かっているようだね。自分の年齢や、何故ここにいるのかは分かるかい?」
「年齢……。いえ、分かりません。ここがどこかも、何故いるのかも……」
「まぁそうだろうね。では教えてあげよう。
君は来週から高校に入学して一年生になる。ここはその学校の寮で、私もここの住人だ。
何故ここにいるのかは……そうだな、理由なんてこれから自分で見つければいい。
制服はクローゼットに入っていただろう?元々君が着ていた物だ。
高校は制服であればどんなものでも構わないので、生徒は実に様々な制服に身を包んでいるが、それがこの学校の魅力だ。
まぁ私が生徒会長に就任して真っ先に取り組んだ成果なんだが、自分でいうのもなんだが実にいい仕事をしたと自負しているよ。
制服というのは実に素晴らしい!! 世界には様々な魅力に溢れた制服が存在し、その国の文化や歴史に触れるきっかけにもなる!! 例えばこの修道服もそうだ。宗派や地域によって意匠は様々だが、ヴェールにロザリオ、チュニックにコイル(ヴェールの下に被る帽子)、これらは神様や貧しい人達への奉仕の心を……」
「ちょ、ちょっと待ってください!!」
恍惚とした表情で謎の制服愛を語りだしたソフィアさんだったが、大事な部分はそこではなかった。
話を中断された彼女は不満そうだったが……。
「えっと、ソフィアさんってシスターじゃなくて、せ、生徒会長なんですか? 修道服を着ているからてっきりここは教会か修道院なのかと思ってましたよ!!」
「…………?」
ソフィアさんは何を言っているのか分からないという顔をしていたが、自分の服装を確認するとようやく納得がいった様だった。
「ああ、そういうことか。すまないね、制服を着るのは私の趣味であり生き様なのだよ。
なるほど、言われてみれば確かに自分がどこにいるかも分からない状態でこんな格好の女が訪ねてきたらそう思うのも無理はない。
ただね、迷える子羊を導くという役割を考えたら、今日はこの服装以外考えられなかったのだよ」
「ま、紛らわしいです……」
誤解が解けたのは良かった。この人は私がこれから通う学校の一学年上の先輩で、生徒会長をやっている。
ちょっと……いや、かなり変な人だけどここまでは理解した。
でもそれ以外はまだまだ分からない事だらけだった。
「それはそうと、君は自分がゲームの登場人物だということは理解しているのかい?」
「……はい。自分が『ドキすぱ』のヒロインということはなんとなく分かっているつもりです……」
「そうだね。どうやら我々のアイデンティティの骨格となる部分は自然と理解できる仕組みになっているようだね」
「え?『我々』って……?」
「何を隠そう、私も『生徒会長の世界制服』というアニメ作品の主人公をやっている者なのだよ」
「へぇ、そうなんですね……。ということは、ここは様々なフィクション作品の登場人物が集まった世界、ということなんですか?」
「……もっと驚くかと思ったが、意外と受け入れるのが早いね」
「えっ、いや、だって、目が覚めてから出会ったのはあなただけだし、ここは寮だっていうから他にも同じような立場の人たちがいるのかなって……。それに作品同士のコラボとかっていうのも私たちの業界じゃ割とよくある話じゃないですか?」
「なるほど、大人気ゲームのメインヒロインは言うことが一味違うね。それに噂通り、頭の回転もいいようだ。なかなかの名推理と言ったところだが……実際は少し違う」
「……どう違うんですか?」
「この世界は『現実』だ。我々の創造主たる人間たちの住む世界……。つまり、我々はフィクション作品の登場人物でありながら神々の世界に迷い込んだ、といったところかな」
「神々の住む世界……。ごくりっ」
どうやら私はとんでもないところに来てしまったようだ。
「とはいえ、実際には君がいた世界とほとんど変わらないよ。
我々の創造主は……つまりはアニメやゲームの作者のことだが、現実とほぼ同じ環境を設定していたようで、外に出てもなんの違和感もなく生活できるだろう。
この世界の人間たちに変に敬意を持つ必要もないし、普通に接すればいい。
よっぽどのことが無い限り、我々をフィクション作品のキャラクターだと認識する人間はいないと思っていい」
「そ、そうなんですね……。でも、なんのために私はこの世界に呼ばれたんですか?」
「さあね。神は気まぐれというから、それは残念ながら私にもよく分からないし、いくら考えたところで答えがあるとも限らない。
私は制服さえ愛でられれば他に望むこともないし、君もやりたいことをして好きに生きればいい」
「………………」
やりたいこと? 好きに生きる? それってどうすればいいの?
私にはその言葉の意味するところが理解できなかった。
私はゲームのキャラクターで、何かをやりたいと思って行動したことなんて一度もなかった。
プログラムされた性格の範囲で、ストーリーを壊さない様に役割を演じる。それが私というキャラクターだった。
「好きに生きるって、何ですか?」
「???」
ソフィアさんは私の質問の意味が分からないといった顔をしていた。
「いえ……なんでもありません……」
「そうか……ならいいんだが。
そういえば大事なことを忘れていたよ。
入学の手続きは済んでいるんだが、さすがに無試験というのも気が引けるだろう?
入学試験はもう終わっているのだが、形だけでもテストを受けてもらえないだろうか。私が試験官として立ち会うから」
ソフィアさんは手に持っていた封筒から試験問題と解答用のマークシートを取り出して机の上に置いた。
「試験時間は90分、今年の入学生と同じ問題だよ。
いきなりいろいろ話して疲れているようなら日を改めるけど、どうする?」
「いえ、大丈夫です。よろしくお願いします」
ソフィアさんと会話をするうちに、自分が何者であるか、どういう状況に置かれているかが整理され、自然と頭のぼんやり感は消えていた。試験を受けるという明確な目的があったのも大きかったのだろう。
試験の結果、私は見事に受験者トップの成績を出し、入学式での答辞の役割を与えられた。
入学式までの一週間は街を散歩したり、買い物をしたりして過ごした。
ソフィアさんの言う通り、街を歩いていても変に注目されることもなかったし、買い物も普通にできた。
現実の世界は私がいたところよりも様々な物に溢れ、目新しい商品や見たこともない植物などがいっぱいだった。
桜並木も徐々に色づいていき、この分なら入学式当日には満開を迎えているだろうと思った。
季節は春で、ぽかぽかと温かい陽気が続いていた。
草花は色とりどりに咲き誇り、新たな息吹や新生活を迎える人々の高揚感を感じることのできるこの時期が私は一番好きだ。
人々は親切で、元いた世界となんら変わりは無かった。
私は徐々に神様の住む世界とは意識しなくなっていった。
入学式の前日には式のリハーサルを兼ねてソフィアさんが高校を案内してくれた。
寮からの通学路の確認や近くにある商店を教えてもらい、学校へ足を踏み入れた。
事前に入学案内のパンフレットには目を通していたので校内のレイアウトは頭に入っていたのだが、実際に明日からここに通うのだと思うと少しワクワクした。
でもどこか現実感は薄くて、私は入学式での答辞をうまく務めることに集中していた。
体育館で簡単なリハーサルとタイムスケジュールなどの事務的な確認をいくつか済ませると、校舎の中を案内してもらった。
生徒会執行部や文化部の部室が入っている旧校舎では生徒会長の執務室なども案内してもらい、改めてソフィアさんが本当に生徒会長なんだと実感した。
「まさか疑っていたわけではあるまいね?」
「いえ、入学式のリハーサルでも皆さんから『会長』って呼ばれてましたし。今日までは半信半疑でしたけど……」
「まいったね、これでも真面目に学校のためを思って日々努力しているというのに」
「そんな恰好で言われても説得力に欠けますね……」
今日のソフィアさんは軍隊の将校などが着ているようなかっちりとした軍服に身を包んでいて、私は苦笑いで応じるしかなかった。
「またそんな珍妙な格好をして!! ここをどこだと思っていやがるのかしら?」
突然聞き覚えのない声がかけられたかと思うと、声の主はランドセルを背負った小学生の女の子だった。隣には不機嫌そうな仏頂面のメイドを従えている。
「これはこれは風紀委員長にシルビアさんではありませんか。ランドセルがよくお似合いで……。
小学生のコスプレかな?
なるほど、制服をこよなく愛する私としたことが……・この発想は無かった」
「ぶふぅーっっっ!!!プ、プププ……」
メイド服の従者が勢いよく吹き出し、肩を震わせている。
(あっ、不機嫌そうに見えていたけど、笑うのを堪えていただけだな、これ……)
壁を叩きながら笑いを堪えているメイドには目もくれず、小さな女の子はソフィアさんに反論する。
「誰が小学生よ!!
まぁ制服にしか興味のない変態には理解できないでしょうけど、ヨーロッパではランドセルは機能性とデザイン性に優れたオシャレなバッグとして流行しているのよ?
まったく、失礼にも程があるわね……。
で、お隣のその子はいったいどなたなのかしら?」
「この子は明日から我が校の一員となる二ノ宮双葉さんだ。
入試ではトップの成績で、明日の入学式では答辞をお願いすることになっていてね。
一足先に校内を案内していたところだよ」
どう見ても先輩には見えない風紀委員長とのやり取りで完全に油断していた。ソフィア会長に紹介され、私は慌てて挨拶をするのだった。
「あっ、はじめまして二ノ宮双葉です。これからよろしくお願いします♪」
「そう、なかなか可愛い子じゃない。私はこの学校で風紀委員長をしているアイリス・グッドスピードよ。
……ねぇあなた、風紀委員会に入らない?」
「え?」
「まだ入学もしていない生徒を勧誘するのは止めてもらおうか? 風紀委員会が人手不足なのは理解しているが……」
「わ、わかったわよ!! 今日のところは見逃してあげるわ。双葉さんとやら、いずれまたお会いしましょう。行くわよ、シルビー!!」
メイド服のシルビアさんが優雅なカーテシーでお辞儀をすると、二人は校舎の奥へと姿を消した。
「あ、あんな見た目で私より先輩なんですね……。『現実』ってすごい」
「いや、彼女たちもフィクションの世界からやってきた者たちだ。
風紀委員長のアイリスは商家の令嬢で、見ての通りのポンコツだが、商売に関する才能だけは本物だ。
入学当時は私たちと同じ寮で生活していたのだが、株式のデイトレードで財を成し、今では市内に『アイリスタワー』なる商業ビルまで所有している。
従者のシルビアはなかなかの食わせ物で、何を考えているのかイマイチ掴みかねる。頭はキレるし、メイドとしての実力も確かなようだ」
「へぇ、あの二人も私たちと同じ二次元の住人なんだ……。もしかしてこの学校には他にも同じような人がいっぱいいるんですか?」
「私も全てを把握しているわけではないが、私の学年には他にも数人確認できている。
それと教師の中にも何名か在籍しているようだね。不思議なことに上級生には一人もいないようだが……」
数ある作品の中から読んでいただきありがとうございます。
読んでいただけるだけでも大変ありがたいのですが、
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