満開の桜並木
──満開の桜並木
それはいつの時代も物語のはじまりを告げる景色
『ドキドキすぱいらる』は緻密なストーリーとキャラクターの魅力によって瞬く間に大人気となった革命的な恋愛シミュレーションゲームである。
シリーズ累計二百万本以上を売り上げ、キャラソンCDやフィギュア、関連グッズでも記録的な売り上げを誇るとともに、『ドキすぱ』の略称で親しまれ、現在もスマホアプリで展開されるなど根強いファンも多い、いわゆる『神ギャルゲー』なのだ。
そんな『ドキすぱ』のメインヒロインである『二ノ宮双葉』ちゃんは、満開の桜を思わせる鮮やかな髪色のショートツインテールに宝石のような美しい瞳、加えてスタイルも抜群という、容姿端麗、学業優秀、スポーツ万能、透き通った美しい声(中の人なんていないんだからねっっっ!!)にして誰にでも分け隔てなく接するという、性格まで含めた正に真のスーパーマーヴェラスウルトラスウィートヒロインなのである!
──とあるマンションの一室
高校の入学式を翌日に控えた俺の部屋で、『ドキすぱ』及び『二ノ宮双葉』ちゃんがいかに素晴らしいかを幼馴染の三日月瑞希に語っていると、ふいにその瑞希のスマホに着信があった。
「もしもし、こんばんは。あ、そっちは朝かな?……はい……はい。ああ、今ちょうど半蔵の部屋ですよ」
どうやら電話の相手は海外にいる俺の母親のようだ。
父親の仕事の都合で俺の両親は昨年からフランスに住んでおり、一人っ子の俺はというと、愛する日本のアニメやゲーム、ラノベや漫画といったいわゆる二次元作品と離れることが考えられなかったため、高校受験を控えた中学三年生だというのにも関わらず一人で日本に残ることを決めたのであった。
「はい……はい……。今もちょうど『ドキすぱ』とやらの魅力について暑苦しく語ってましたけど、入学式の準備はちゃんとできているみたいですよ。まぁ私も同じ学校だし、明日は引っ張ってでも連れていきますから安心してください」
どうやら俺が二次元を愛するあまり、入学式の準備すらおろそかにしていると思い、おせっかいな隣人である瑞希に電話をかけてきたらしい。
俺が日本に残ることを主張したとき、当然両親は猛反対したが、紆余曲折の末最後には瑞希や三日月家の皆様が俺の面倒を見てくれると言ってくれたため、なんとか日本に残ることができたのである。
そのことについては感謝しているが、母親と瑞希の電話はいつも長くなるので、俺はやりかけだったゲーム画面に視線を戻した。
ゲームは『ドキすぱ』の最新作で、既に何十回もクリアしているのだが双葉ちゃんルートで回収できてなかった隠しシナリオを観るために再挑戦していて、まもなくエンディングを迎えるというところであった。
運命的なすれ違いや数々の困難を乗り越えて、難攻不落とも称されるスーパーヒロインとのハッピーエンドを迎えるこの瞬間は、何度やっても俺の涙腺を崩壊させる。俺は瑞希が横にいることも忘れて号泣しながらエンドロールを眺めていた。
「それにしても、よくそんなゲームで泣けるわね。そんなに面白いわけ?」
いつの間にか電話を終わらせていた瑞希があきれ顔でそんなことを言ってくる。
「何を当たり前のことを言ってるんだ? こんなクソみたいなリアルに比べたらゲームの方が比較にならないくらい素晴らしいのは決まっているだろう? その中でも、この『ドキすぱ』は別格だ! 巧みなゲームバランスややり込み要素はどんなゲームと比べても卓越しているし、キャラクターの魅力も抜群だ!! 特にこのメインヒロインの二ノ宮双葉ちゃんは正しくパァーフェクトゥッ!! もし天使が居るとしたらこの様な娘に違いない。あぁ彼女との思い出の数々は忘れようにも忘れられない……。いや、忘れる必要などないな、今から新しい物語を紡げばいいだけのこと。いざ、NEW GAME!!!」
「うわぁ……」
どうやらこの三次元娘は俺の言動にドン引きのようであるが、そんなことはとっくに慣れっこなんだからねっ!!
「うーん。それにしても明日から新しい学校か。こりゃ新しい布教活動の準備をしなくてはならんな」
「布教活動ってまさか、中学の時みたいなことをするんじゃないでしょうね!?」
「中学みたいなこと?熱心な布教活動はコンテンツの活性化には不可欠だぞ。ファンが増えることによって裾野が広がり、さらに面白い作品が次々と生まれてくるのだよ。あぁ……なんて素晴らしいスパイラルなんだ。ドキドキしちゃうな!」
「やっぱり……。はぁ、ちょっとは自重しなさいよね。幼馴染ってのがバレると恥ずかしいんだから」
「何を言うか! アニメ、ゲーム、漫画、ラノベは神が与えたもうた光あふれるコンテンツであり、このリアルという闇夜に挿す一筋の希望であり光だぞ!? 何を恥ずかしがることがあるか!!」
瑞希は他にも何か言いたそうだったが、無双状態になった俺に対しては何を言っても聞く耳を持たないことを理解してか、それ以上は何も言ってこなかった。
うむ、少しは学習したようだ。
二次元の世界は素晴らしい。女の子はみんなかわいく俺を愛してくれるし、異世界転生して剣や魔法で魔王と戦い俺TUEEEE!! なんてことも可能だ。気の合う仲間と日常系スロウライフを送るのも悪くないし、ちょっとエッチなムフフ作品も楽しめる(俺はまだ十五歳だから健全な作品に限る。……・ホントだよ!?)。
つまり、常に夢と希望と愛とロマンに満ち溢れている素晴らしい世界なのである。
それに対して、現実の世界には夢も希望もない。どんなに努力をしたところで奇跡的な大逆転や大転換が起きることはなく、日々は日常として過ぎ去っていく。敗者は敗者のまま、勝利はいつだって限られたリア充にのみ与えられる。そんなクソみたいな世界が現実なのだ。
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──入学式当日の朝
同じ中学から進学した三浦彷徨と三城ののかの二人と待ち合わせをしていて、俺は夜更かしをして疲れた体に鞭を打ち、迎えに来た瑞希とともに集合場所へと歩いていた。
俺たちの通う高校は家から徒歩圏内にあり、それほど時間もかからないのだが、俺の寝起きが悪いため集合時間ギリギリになってしまっていた。
瑞希は真新しいブレザーに身を包み、靴も鞄も買いたて卸したて、ショートボブの髪の毛も昨日美容院で整えてもらい新しい学校生活の準備は万全の様子だ。
それに対して俺はというと、制服は同じく真新しいものを身に着けてはいるが、身長一七〇センチにしては痩せ型のため、ひょろっとしたもやしっ子の印象を与える。入学式にも関わらずボサボサの頭に度の強い分厚い眼鏡を掛けているため、見た目はいわゆるヲタクである。
まぁ、中身も完全なるヲタクであるのだが。
待ち合わせ場所につくと、彷徨とののかは既に到着していた。
「おっす。瑞希はピカピカの新入生って感じだけど、半蔵はカピカピって感じだな。昨日も夜更かししてたんだろ! 『ドキすぱ』か?」
「まあな、流石に俺のことをよく理解しているな」
このように話しかけてきたのは三浦彷徨で、中学の頃は俺と同じサッカー部に所属しており、名コンビとして県内にその名を轟かせていた。甘いマスクに成績優秀とあり女子生徒からはかなりの人気者である。
「瑞希、半蔵君、おはよ~。半蔵君は高校生になってもブレないね~」
俺にだけ若干の悪意を込めているようにしか思えない挨拶をしてきたのは三城ののかで、瑞希の親友である。おっとりした性格でおそらくさっきの挨拶も悪気はないのであろう。目立つタイプではないが可愛らしく、たわわなお胸も手伝ってか男子には隠れファンが多い。
「それじゃあみんな揃ったし学校へ向かうか」
彷徨が号令を出して俺たちは学校へと歩みを進めた。しかし俺がトボトボと歩くためグループの移動速度は非常に遅く、このままでは学校に到着するのがかなりギリギリになりそうだった。
「半蔵~もう少しスピードアップできねーか?」
「いやこれが最大船速だ」
「ん~、入学式が始まる前に配属クラスの確認とか下駄箱の確認とか色々しときたいんだけどなぁ」
しっかり者の瑞希は入学式早々粗相をする訳にはいかないため思案を巡らせていた。
「くっ!!先日の魔王との死闘による傷がまた疼きだした。仕方ない、ここは俺に構わず先に行け!」
俺が中二病丸出しの発言をすると、しばらく考えたのちに彷徨が口を開く。
「確かにこのペースだとギリギリだな。瑞希の言う通りいろいろ確認しておきたいし、半蔵も入学式には間に合うだろうから、俺たちが先に行っていろいろ確認しておこうか」
彷徨の提案で意見がまとまり、俺以外の三人は先に向かうこととなった。
「じゃあ半蔵、先に行って校門で待ってるから、ちゃんと来てよ? 入学式の前に教室に集まるみたいだからね」
「ああ、謎の美少女と運命的な出会いでもしない限り、入学式には間に合わせるよ」
三人が先に学校に向かい、俺は一人トボトボと通学路を歩いていた。通学路にある用水路は江戸時代に灌漑用水路として整備され、現在は遊歩道として整備されている。この道は桜の名所として地元では有名で、ちょうど満開の時期を迎えていた。
桜並木は一斉に花開き、一年で最も美しい季節を迎えている。
普段は桜など全く気にも留めず足早に通り過ぎることが多い俺だったが、この時は幾分か桜を気にしながら歩いていた。それは新しい生活に対する期待や不安で少しばかりセンチメンタルになっていたせいなのだろうか。
多くの人が忙しなく行き交う桜並木の中で、たった一株だけ植えられている枝垂れ桜の麓で佇む少女がいた。少女はこちらに背中を向けていたが、うっとりとした様子で満開の桜を見上げている。
咲き誇る桜と同色の美しい髪の毛をショートツインテールに結んだその少女をなんとなく視界に入れていると、その少女がふっと振り返り、うっとりした様子でつぶやいた。
「桜がこんなにも綺麗だなんて知らなかった」
その瞬間、俺の頭は真っ白になり、その少女から目が離せなくなっていた。
少女以外の風景は視界から消えてしまい、風の音も街の騒音も一切が聞こえなくなっていた。
そこにいたのはゲームの中で最も長い時間を共に過ごし、最も愛を注いできたスーパーウルトラアルティメットパーフェクトヒロイン『二ノ宮双葉』その人だった。
スローモーションのような邂逅の中で、少女と目が合った様な気がした。
俺は何か話しかけようと試みたが、様々な感情が溢れ出てきて、結局言葉を発する事ができなかった。
しかも前に進んでいる足をとっさに止めることができず、足をもつれさせながら用水路に危うく落ちかけてしまう。
何とか体制を戻して再び少女を目で追ったものの、そこには舞い散る桜の花びらがあるのみであった。